3章 10話 きずなカンタービレ
「え、何。一番楽しかった瞬間って俺との対戦だったのか? やっぱりお前そういう趣味なの?」
「ちげーよ。ぶっ飛ばすぞ」
よっぴーは慄いて逃げる素振りをするが、俺はそんなバカを蹴り飛ばす。
誰が好き好んでこんな汚くて狭い部屋に来るか。
そう、ここはよっぴーの家だ。俺が以前住んでいた部屋に比べると幾分かマシだが、きずなさんの家と比べると天と地ほどの差がある環境だ。
蹴り飛ばされたよっぴーは不服そうな顔で、
「男に蹴られても嬉しくもなんとも無いな~」
「やかましいわ。……きずなさんの部屋、誰もいなかったんだよ」
家には、きずなさんも絢子さんもいないようだった。
俺の鍵は部屋に置いてきてしまっていたので、誰もいないと入る事ができない。
電話する事も考えたのだが、飛び出した手前、電話するのはちょっと気まずい。できれば直接会って謝りたい。
そう思って朝から夕方まで待っていたのだが、一向に帰ってこず、仕方なく一旦よっぴーの家に来る事になったのだった。
「仕方ないな。俺がかけてやるよ」
そう言ってよっぴーはスマホを取り出して電話をかけ始めたのだが、しばらくして。
「……きずなさん、出ないなー。仕方ない。メッセージ送っとくわ」
「絢子さんは?」
「絢子ちゃんには着拒されてるんだよ。……俺、彼女に何か悪い事したかなぁ?」
傷ついた顔をしているが、残念ながら俺には理由はわからなかった。
心当たりが多すぎて。
「きずなさん、昨日なら大学で会ったんだけどなー」
そういえば、こいつときずなさんは同じ大学だったな。
正直な事を言うと、ちょっと羨ましい。きずなさんと同じ大学なら、学年は違うとは言え同じ部活に入ったり、一緒に学校に行ったり、食堂でご飯を食べたり、TCGをしたりできるんだろう……家でやってた事と半分ぐらいは同じだけど。
ふと、よっぴーが思い出したように、
「そういや、俺の部活の人がきずなさんの事を知っていたんだけど」
「そりゃ、同じ大学なんだから、知っている人がいて当然だろ」
「そうじゃなくて、昔のきずなさんの事を知っていたんだよ」
昔のきずなさんを知ってる? 中学とか高校の同級生って事か?
「えーっと……ほれ」
そう言って見せられたのは、昔のニュース記事だった。3年前のピアノのコンクールの結果が載っているページだ。
意味がわからずページを見ていたのだが、そのページの途中に見覚えのある人物の写真が載っていた。『銀賞 音野姫珠菜』と書かれていて、美しいドレスを身にまとっている、ちょっと幼い、高校3年生のきずなさんだった。
「綺麗だ……そして可愛い……」
今の俺よりちょっと年下のきずなさんの姿というのがとても新鮮だ。
「わかる……いや、そうじゃなくて」
よっぴーは昨日の昼頃、大学で部活の知り合いと一緒に居る時にきずなさんに会ったらしい。時間的に、俺が出ていくよりも前の事だな。
「あ、きずなさん」
「よっぴー君。大学で会うのは初めてだね」
その時は、連れもいたので軽く挨拶をして別れたらしいが、一緒にいた知り合いが彼女の顔を見て驚愕していたそうだ。
「お、おい吉田。あの人、音野姫珠菜じゃないのか?」
「ん? そうだけど?」
「なんで音野姫珠菜がこんな所にいるんだ!?」
「は?」
彼は高校時代にピアノをやっていたらしい。実力がある方では無かったが、コンクールにも出ていたそうだ。
「彼女、業界では有名なピアニストだったんだってさ」
そこで何度も彼女の事を見たそうだ。
なんでも、彼女は幼い頃からずば抜けた才能を持つ演奏家だったらしい。
確かに受賞歴を見てみると、様々なコンクールの名前の横に、金賞、グランプリといった文字が並んでいた。輝かしい、音楽家としての道を歩んでいたようだ。
高校の時から、国内外問わず、有名な音大から声がかかっていたらしい。
卒業後は、当然そちらの道に進むと思われていたが……。
なぜか今の彼女は、普通の大学の経営学部に通っている。
「驚いていないみたいだけど、知ってたのか?」
よっぴーの疑問に、首を横に振る。
もちろん知らなったが、ある程度は予想できる事だった。
超有名な楽器メーカー、OTONOの令嬢である事。
きずなさんの部屋にあった、大きなグランドピアノ。それを弾きながら彼女は泣いていた。
そして絢子さんは、きずなさんが夢を諦めた、と言っていた。
「何か、大変な事情があったんだろうなぁ……」
ピアノをやりたくなくなったから、では無いはずだ。だったら、わざわざ自分の部屋にピアノを置くわけが無いし、夜中に泣きながら弾いたりはしないはずだ。
何かやむにやまれぬ事情があって、本当はやりたかったピアノをやめないといけなくなったんだろう。
一緒にカードゲームをやっていてよくわかる。彼女は、相当な負けず嫌いだし、自分がやりたい事には物凄く正直な人間だ。
そんな彼女が、やりたい事をやめないといけなくなって、夢を諦めたなんて……。
「……どんな気持ちだったんだろうな」
そう考えると、俺の彼女への『苦労も挫折もしたことが無い』という言葉が、どれだけ愚かな発言だったわかる。
絢子さんが怒るのも無理無い。最悪と言ってもいい。
「うわぁ……死にてぇ……」
これは、腹を切ってでも謝らないといけない。そんな事言ったら、絢子さんなら本当に刀を持ってきてズバッと切りつけかねないけど。謝っても許してもらえるなんて保証は無いが、それでもこれは、全て俺が悪い。
もう四の五の言ってられない。こっちから電話をかけよう。
そう思ってスマホを取り出した瞬間、電話がかかって来た。
俺のこの電話番号を知っている人間なんて極わずかだ。
家族とよっぴー以外だと、きずなさんか、あるいは絢子さんか。
「も、もしもし」
だが、聞こえて来た声はどちらでも無かった。男の声だった。
「やぁ。久しぶりだね。飛田翔太君。いや、ジェット君と呼ばせてもらおうか」
はて、どこかで聞いた声だ。なんとなく、あんまりいい印象に残っていない声だ。
「覚えていないかい? 真田幸助だよ。以前、きずなさんのマンションの前で会った」
「あ、ああ。あの時きずなさんにキスしようと迫って逃げられた結果船から落としてしまった上に、きずなさんが落ちた後もオロオロしてるだけで何もしなかったあの情けない真田幸助さん」
新設プロチームのオーナーとはいえ、俺のこの人への印象はあまり良くない。なんせ、きずなさんの自称婚約者だ。彼女自身も嫌がっていたしな。
「……まぁ、今はいいだろう。君にいい話を持ってきたんだ」
挑発したというのに全然乗ってこなくて、少し悔しい。
しかし、いい話? この人が、俺に?
一体何事だというのだ。俺は今、きずなさんと絢子さんに謝る事で頭がいっぱいなんだが……。
「キミを、我がプロチーム『真田丸』にスカウトしたい」
思わず、スマホを床に落としてしまった。
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