2章 5話 最初はスターターから

 「おかえりなさい……どうしたの?」


 「い、いえ……何も」


 ぐったりとした顔で帰宅した俺を見て、きずなさんは不思議そうに問いかけてきた。

 ……表紙からして濃厚な男たちの18禁BL本をレジに持って行かされた時の俺の気持ちがわかるか?

 しかも寄りにもよってレジに女性店員さんしかいなくて、俺の事を仲間だと思ったのか「この本、すごくいいですよ!」とか大興奮で話しかけられた時の気持ちとか、わかるか?


 「何か人として大事な物を失った気がする……」


 だが、俺に重大な精神的ダメージを負わせた当の絢子さんは素知らぬ顔で、荷物を降ろすと台所に向かって行った。

 俺はそれを恨みがましく睨みつけるしかなかった。

 そんな俺にきずなさんは嬉しそうに、


 「そういえば翔太君。なんと翔太君に、プレゼントがあるのよ!」


 「え? プレゼント? きずなさんが俺に?」


 驚きのあまり、声が滑って変に高い声になってしまった。女性からプレゼントなどまともに貰ったことの無いので、初めてのプレゼントにわくわくドキドキだった。


 「じゃーん」


 そんな声を上げてデパートの紙袋から取り出したのは、『レジェンドヒーローTCGスターター』(¥1200)が4種類(赤、緑、青、黒)。


 「……えーと」


 「これで対戦ができるって、お店の人に聞いたんです!」


 確かに、何も間違ってはいない。スターターにはデッキが入っていて、これさえ買えば対戦ができる。だが、スターターとはゲームをこれから始める人が買う物であって、俺の様な熟練者に必要な物では無いのだ。

 もちろん、既存のユーザーに買ってもらうために数枚は優秀なカードが収録されている事も多いが、それらは当然のように既に持っている(今はよっぴーの家だが)。

 要するに、きずなさんが買ってきたこれらは、完全に無用の長物なわけだ。

 だが、その事実を、嬉しそうににこにこしている彼女にどうやって伝えたものだろうか。

 助けを求めるべく絢子さんの方を見たが、彼女は素知らぬ顔をして料理をレンジからテーブルに運んでいた。

 

 ………。

 …………。


 夕食後、一人で部屋にこもっていると、コンコン、と遠慮がちなノックの音がした。

 

 「どうぞー」


 ドアを開けて入って来たのは、きずなさんだった。


 「翔太君。……あの実は、カードゲームについて少しだけ勉強したんだけど」


 「勉強?」


 「私も、少しはカードゲームの事を知らないと、ちゃんと翔太君のサポートができないと思って」


 どうやら、さっきのスターターの件を気にしているらしい。

 きずなさんを傷つけないように、必死に頑張ってスターターとはどういう物で、俺には必要のない物だということを説明したのだが、きずなさんは最終的にちょっとしょんぼりしていたのだった。辛かった。


 「製作者しかもっていないカードを使われたり、対戦に命を賭けたり……世界は一枚のカードから始まっていたり……カードゲームって思っていたよりずっと大変なのね……」


 「きずなさん。違う。それ違う」


 真剣な顔をして、何を言っているんだこの人。

 いったい何のマンガかアニメで勉強したんだこのお嬢様は。

 ふと開けっ放しのドアの向こうから、廊下で拭き掃除をしていた絢子さんがこちらを向いてグッと親指を立てていた。犯人はあんたか。


 「そういうのは物語の中だけでして……実際の大会はもう少し地味なものですよ」


 小さい大会なら狭いカードショップの中で行われる事もあるし、大きな大会なら国際展示場のような巨大なホールに大量の机と椅子を並べてそこで参加者が顔を突き合わせて対戦する。傍から見るとなかなかシュールな光景かもしれないが、参加者はみんな真剣だ。


 「え!? でも……大会のために島に行ったり空を飛んだりは……」


 「しませ……いや、それはするかも」


 かつて沖縄や海外で大会が行われた事があるし、そのために飛行機に乗って遠征した事もあるから一概に間違っているとは言えないかもしれない。マンガみたいに空中で対戦はしないけど。


 「そんな、無理して勉強しなくても大丈夫ですよ。俺、十分助かってますから」


 1年間の期間限定とはいえ衣食住に困らないというだけで十分だ。

 だが、納得していないようだったきずなさんは下を向いてうーんとしばらくうなっていた。

 そして、『思いついた!』といった顔でいきなり顔を上げて手を叩いて合わせた。


 「そうだ! 私にカードゲームを教えてくれない?」


 「は?」


 え。突然何言い出すの。このお嬢様。


 「私もカードゲームをやってみたら、翔太君に何をしてあげればいいか、わかると思うの! そうだわ! それがいいわ!」


 そしてくるっと振り返って後ろにいる絢子さんの方を見た。


 「そうだ! ジュンも一緒にやりましょ!」


 「はい?」


 廊下を掃除していた絢子さんは、いつも通りの無表情だが突然のことに目をぱちくりさせていた。


 「ほらっ。せっかく、『すたーたー』という物がある事だし、やってみましょうよ!」


 「……はぁ、まぁ……お嬢様がやれと言うのでしたら……」


 あまり気は進まないようだが、きずなさんには逆らえないようだ。メイドの鑑だなぁ。


 「じゃあ、取ってくるわね!」 


 ぴゅーっと部屋に走ってスターターを取りに行ったご主人様の姿を見て、絢子さんは俺の部屋に入って来ながら嘆息した。


 「お嬢様は、よく突飛な事を思いつかれますので……振り回される側にもなっていただきたいものでございます」


 「前に、何かあったんですか?」


 「剣道、弓道、華道、茶道、演劇、カーレース、小説の執筆、漫画……それはもう色々でございます。……全て3日と持ちませんでしたが」


 思っていたよりも随分活動的で、そして飽きっぽい人だったんだな。


 「あと、見知らぬ男を家に1年間泊めると言い出したりでございましょうか」


 「うっ」


 それを言われると弱い。

 言葉に詰まっていると、絢子さんは、なんだが寂しそうにうつむいていた。


 「……仕方ないのでございます。お嬢様は夢を諦めてから、ずっと夢中になれる物を探しているのでございますから……」


 「夢を、諦めた?」


 お金持ちのお嬢様であるきずなさんが、夢を諦めたって、どういう事だろう。諦めないといけないような事があるとは思えないだが。


 「……口が滑ってしまったでございます。今のは聞かなかったことにしてくださいませ」


 本当は詳しい事を聞きたかったのだが、残念ながらきずなさんがスターターが入った紙袋を抱えて戻って来たのでそれ以上聞くことはできなかった。

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