第59話 アイシャ



 ゼルダゴは、背後から浴びせられた大きな炎に包まれ、地面を転げ回る。


「はぁ……はぁ……ざまあ……見ろ」


 死者の舞踏ゼノ・ダンスは、死体を生きていたかのように動かす闇魔法である。詠唱者のレベルによって幅は異なるが、その対象者が生前保有していた能力を引き出すことができる。


 その特性を使って、二人に魔法をかけた。肉体の損傷度から、アムの方だけが動くことができたのだろう。


「クエッ!?」


 突然、怪悪魔が起き上がり、慌ててゼルダゴに漆黒のマントを被せる。が、炎は消えても火傷は消えない。皮膚がただれ、損傷度が酷い。このまま放置すれば、確実に死に至る。


 ロキエルはすぐに闇魔法使いを抱えて走っていく。その様子はいつになく焦っていた。


「ぐっ……はぁ……はぁ……はぁ……」


 なんとか撃退することができて、ヘーゼンはひとまず大きく息を吐く。しかし、向こう側に聖魔法使いがいないとは考えづらい。ほどなく治療を終えて、またしてもこのサングリル公国を襲うのだろう。そして、数時間も経たぬうち、今度は確実に滅亡させられる。


 ヘーゼンはアムとダーツの死体の方に寄る。


「……悪い、助かった。アム」


 そう言うが、彼女の死体はピクリとも動かない。すでに魔力を使い果たしてしまったようで、応答がない。本当にギリギリの一発分。運がよく、それがもったにすぎないと考える。しかし、おこがましいとわかっていても、一矢報いたいという想いがそうさせたのだと思いたかった。


「ダーツ……悪い。守ってやれなかった」


 そう言って視線を移したとき、ダーツはなにかを口にしていた。ブツブツブツブツと。魔力が体内に巡っている状態で、軽度の錯乱状態になっている。そこに意志などはなく、生前の記憶をただ口にしているだけ。


「……アム……守れ……アイツ……」


「……今、楽にしてやる」


 お前は、そんな状態でも、アムのことを想っているんだな。


「……アイシャ……教会……いた……」


 魔法を解こうとした瞬間、その言葉を聞いて手が止まる。


「ダーツ、お前……アイシャと会ったのか?」


「西……行け……」


「……」


「……友……よ……」


 ダーツの死体もまた、動くことはなくなった。


「……ありがとな、友よ」


 彼のまぶたに手を添え立ち上がり、翼悪魔で西へと飛翔する。


 アイシャを探さなければ。


 死者の舞踏ゼノ・ダンスは、死体に真実を話させる死者の告白ゼノ・アスクとは違う。他の会話と混同して、実はアイシャと会っていない可能性もある。都合がいいことだって、自分でもわかってる。


 ……でも。


 信じたいんだ。


「……すまん」


 あんな姿で、あんな状態で、あんな場所に置き去りにして。言葉すら、まともにかけてやれず、なにもしてやることもできなかった。


「おい! アイシャ……どこだ! アイシャ……アイシャ……アイシャ!」


 力の限り大声を出しながら飛翔する。


 君にまで死なれたら。


 君にまで死なれたら……僕は。


「ヘーゼン……さん?」


 そのとき、聞きなれた声が聞こえた。


「アイシャ……アイシャ……」


 いた。


 いて……くれた… …


 声がした方に飛翔すると、建物の下に人を発見した。


 見慣れた修道服。


 おでこを出した亜麻色ミディアムヘア。


「よかった……ヘーゼンさん」


 しかし。


 笑顔を浮かべる彼女の背後に。


「おい……待て……」


 発見したのは、数十メートル先。


 いたのは。


 笑顔のアイシャと。


 子どもと。


 背後のデルシャ王国戦士。


「やめろ……」


 その言葉は虚しく響く。


 別で脳内の計算では。


 彼女を守るのに要する時間と。


 デルシャ王国の戦士の凶刃が振り下ろされるまでの時間。


 ザシュ。


            ・・・


 走馬灯のようにゆっくりと。まるで、世界がスローモーションになったかのようだった。後ろに気づいたアイシャが、子どもをかばい、真っ赤な……本当に真っ赤な鮮血が舞う。


 2秒64。アイシャを守ることができるはずの時間。普段を過ごすにはあまりにあっという間で、人生の中において閃光のような短いその瞬間は、ヘーゼンにとっては永遠のような後悔だった。


 唯一無二の親友であるアムとダーツを悼む時間。恩師デリクールの最期の言葉を聞く時間。最後の瞬間まで、自分のことを愛してくれたセシルを抱きしめるだけの時間。かけがえのない大事な人たちとの、かけがえのない大事な時間を……そのどれか一つを斬り捨てるだけの覚悟を持たなかった自分を、2秒64と言う時間は生み出した。


「うおおおおおおおおおお」


<<火の存在を 敵に 示せ>>ーー炎の矢ファイア・エンブレム


 すでに放たれていた魔法で、彼女を守ることができなかった魔法で、そのデルシャ国の戦士は炎上した。


 すぐさま血を流しながら倒れているアイシャに駆け寄った。今にも生き絶えそうな、顔面蒼白な顔をしながらも、怖がって震えている子どもの頭を優しく撫でる彼女を。


 黒髪の魔法使いは、彼女を、優しく抱えた。

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