第30話 館


 その館は小高い丘にポツンと建っていた。あたりを包みこむ黒い濃霧は、太陽ですらその場を照らすことはない。周囲に他の建物はなく、最寄りの町からは歩いて1時間以上かかるこの館に、誰も近く者はいない。


 この館には温度がない。日常を過ごしていて……いや、生まれたときからずっと、ヘーゼンはこの場所に一切のぬくもりを感じたことがなかった。ため息混じりに重厚感のある扉を開けると、義母のコーデルが冷たい表情をしながら待ちかまえていた。かなり若く、非常に美しい顔立ちをしているが、その鋭い瞳と痩せ細った輪郭のせいで実年齢よりかなり老け込んで見える。


「お帰りなさい。お父さまがお待ちしてるわよ」


「別に待っていなくてもよかったのに」


「……早くなさい」


 その瞳には一筋の慈愛も見当たらず、むしろ憎しみや恐れすら感じられる。しかし、ヘーゼンは特に気にする様子もなく螺旋階段に上がって指示された部屋に向かう。


 ヘーゼンの母親であるサリアは魔法が使えない平民だった。この館に執事として仕えていた。その頃、義母であるコーデルとすでに結婚していたので、品のない言い方をすれば父親の妾となった。そして、母親のサリアはヘーゼンを身ごもり、産んですぐに死んだ。


 おそらくは、義母のコーデルはサリアを憎んでいたのだろう。しかし、それは推測でしかない。ヘーゼンは、コーデルになにか意地悪をされた覚えもないし、ほとんど会話することもなかったから。それは、当然だと思っていた。その代わり、彼女からは愛情も感じない。そして、父親からも。


 部屋のドアの前に立ち、数回ノックをするが返事はない。


「失礼します」


 そう言いながら部屋に入ると、全て白い髪で覆われた男が書物をかじりつくように見つめていた。名をガーラルと言い、ヘーゼンの父親であり、ハイム家の家長でもある。


「ヘーゼン……貴様どういうつもりだ?」


 本を置いてギロリと漆黒の瞳で睨む。


「なんのことですか?」


 実に四年ぶりの会話だが、その声には一変の懐かしさも感じられない。相変わらず口調に、怒りというよりは呆れの感情が支配する。


「コーデリアから聞いたぞ。兵役に参加しているらしいな?」


「ああ……正確に言えば、軍に自ら志願したということですが。まずかったですか?」


 こともなげに答えるヘーゼン。


「貴様はハイム家の人間だろう? 魔法を戦争の道具だとでも思っているのか?」


「現実を見てくださいよ。あなただけですよ……そう思っていないのは」


「なんだと?」


「……いえ、もう」


 言いかけて、やめた。事実、魔法とは古来よりずっと戦争の道具だったじゃないか。それを、自分たち一族は違うなどという特別意識に正直辟易する。しかも、この家は……いや、この一族は自身が産み出した戦争に使用可能な研究成果を売り払い、一方で清廉潔白を謳っている。貴様らこそが偽善者だと。そう言いたくなるのをヘーゼンはグッとこらえた。


 そもそも以前にその議論はし尽くした。収束極大魔法。複数の魔法使いの中位魔法を掛け合わせることで極大魔法を放つそれは、革新的な研究結果だった。一般的な魔法使いでも極大魔法が放てるというそれは、分母の多い魔法使いを要する国には非常に有用だった。


 ヘーゼン自身は使い道を軍事転用には考えていなかった。このサングリア公国の焼畑農作業において、一気にそれを行うための強く広範囲な火力を出すために開発したものだ。


 それを軍事転用すれば、確実に戦争を有利に進められるものだ。当然、ヘーゼンもそれは認識していて、父のガーラルにもその可能性を伝えた。だからこそ、これは、世に広く伝えるものではなく、この国に留めておくべきだと。


 しかし、目にした光景は、敵国であるデルシャ国の高官に魔法の研究結果を提供している父親だった。なんの躊躇すらなくそれを行うことに、ヘーゼンは初めて激怒し、反抗し、罵倒した。その後に、半ば勘当同然でこの家を出た3年後、自分の開発した魔法が、後にアムやダーツの家族を焼いた。彼らに伝えることのできないその事実は、未だヘーゼンの心の中に残っている精神的外傷トラウマだ。


 そんな貴様らが。


 そんな……自分が。


 そんな大層なご高説を吐くなと、ヘーゼンは唇を咬む。

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