第17話 魔将
デルシャ王国西方部都市バージニアは花の都と呼ばれているほど優雅で壮麗である。街頭には露店が並び、善政の証拠が至るところに散りばめられていた。魔将の一人であるニーヴェルト=ウエスタンは時折、この場に訪れる。
ちょうどバージニアでは秋の豊穣祭の準備が始まっている。街頭にはいたるところに露店が開き、その年につくられた新酒の売り子や、空中に火を吹く大道芸人、また大刀で削って羊肉を丸々一頭展示している肉商人など、その賑わいは街全体を覆い尽くしていた。
「買い物でしたら、おまかせいただければいいのに」
妻のアイーダが不満気な不満げな表情でつぶやくが、その様子を愉快げに眺めながら頭を優しく撫でる。
「すまんな……数日後は戦場なんだ。戦いの前に、この平和な雰囲気を味わっていくのが好きなんだ」
「今度の戦は長いんですか?」
「いや……決して油断はできないが、国の規模が違う。うまくいけば、3ヶ月経たずに帰れるだろう?」
その返答に、ふてくされたようにソッポを向くアイーダ。
「この前もそのようなことを言って、一年間帰ってこなかったじゃないですか?」
「……今度こそ本当だ」
来年には子どもが生まれる。きっと……いや、必ずそれには間に合わせようと心に決める聖魔法使い。
「あっ……このお花、あなたの部屋のカーテンに合いませんか?」
「合う……かな。買えばいいさ」
「もう。もっと、ご自分のことに関心を持ってくださいませ」
「すまんな。こう言うのは門外漢で……むっ」
「どうかなさいました?」
「いや……なんでもない。で、なにを買えばいいのかな?」
「もう、そういうことじゃないのに」
それから。
ニーヴェルト夫妻が買い物に夢中になったところで。
彼らとすれ違ってしばらく歩き、路地裏を曲がったところでヘーゼンとシリルが立っていた。
「彼が、光の魔法使いニーヴェルト=ウエスタンか」
「ええ」
「アレは……思ってたより相当強いな。仮にここで襲っても、必ず反応してくるような空気があった」
多少の油断があれば、この場で殺すことも、視野に入れていた。そして、ほんの一瞬の殺意を紛れもなくニーヴェルトは察知して反応した。
「あなたでもですか?」
「少なくとも、この場ではな」
戦闘になれば、この街頭に阿鼻叫喚を響かせるほどの死闘になるだろう。それは、ヘーゼンにとって望むべくことではない。敵国だろうと、一般市民を巻き込むことも、その家族を巻き込むことも本意ではない。
「安心しました」
その言葉は、シリルとの倫理観と割と近しいことへの安堵であろう。
「あの二人を連れてきていれば不満を漏らすかもしれないがな」
特にアムなら、ブツブツと不満を漏らすことは間違いない。
しかし、彼女たちの家族を、無力であるにもかかわらず、殺戮したような輩と同じ位置にはいたくない。
その線引きは、ヘーゼンが彼女たちの家族の亡骸を集めたときに深く刻んだ境界線だ。もちろん、アムやダーツにも強制していないし、する気もない。実際に、家族を殺されたのは彼らであって、ヘーゼンではない。
「別の手を考えますか?」
デルシャ王国には四天王と呼ばれる魔将が存在する。彼らは、ひとりの力で一軍を担うほどの実力を持っており、紛れもない実力者揃いだ。
「いや、やはり彼でいく。デリクール隊長も、きっと確信を持って彼を指名したんだと思う」
『一度だけでも彼を見てこい』、総隊長がヘーゼンに下した命令である。それは実際に、標的を彼に絞ったと言ってもいい。
「……なぜ?」
尋ねながらシリルは生唾を飲む。ニーヴェルトは光の魔法を得意とした魔法使いである。天使召喚を行うことができ、その身体能力も高い。
「確かに聖魔法が厄介だ」
ヘーゼンが苦々しげに唇を噛む。脳内では、いくつもの戦略が駆け巡る
「苦手ですか?」
「ああ。なんせ、僕は聖属性の魔法が使えないからな」
「やはり闇属性のみですか」
「とは言っても、バランス型ではあるらしいがね」
「えっ!? そうなんですか?」
素っ頓狂な声を出して驚くシリル。
光、闇の属性には互いに相克、相生の関係が成り立っている。光と闇のどちらかの属性に偏ることが一般的で、どちらの魔法も同等の威力が放てる魔法使いは少ない。中には、極端に闇属性に偏っている人もいるようで、そんな人が光魔法が使えないことはよくある。
彼の見立てでは、極端に偏った闇属性だと判断していた。通常、悪魔召喚は相当な実力の闇魔法使いしか扱えぬ芸当だ。少なくともヘーゼンは2体の悪魔と契約しており、それだけで異常なほどの魔力だ。
「幼い頃に何度も診てもらったから、それは間違いないらしい。むしろ、これだけのバランス型も珍しいと褒めちぎられたぐらいだ」
自分の属性を確認する方法は、一般的に『夢見式診断法』が存在する。診断士という魔法使いが、対象の就寝時に見ている夢を覗く。その内容によって、自分の属性の偏りを確認する。こちらは、先天的に生まれ持ったものなので、ほとんど一生に一度しか行われない。
ヘーゼンは、光魔法が使えぬが故に何度も何度も診断を受けた。一般的に闇属性に偏ることは忌み嫌われる傾向にあり、なんとか光属性を使って欲しいという両親の願いもあったのだろう。
幼少の頃は彼自身、落ち込んだときもあったが、使えないなら使えないでスッパリと数日で切り替えた。
「まあ実際に、闇魔法でも光魔法でも他の魔法使いにも負けることはなかったし、別に問題ない」
平然とそう言ってのけるヘーゼンに、半ば呆れるシリル。バランス型はよく言えば安定していて、悪く言えば爆発力がない。それは、魔法の威力が高出力で放てるのが後者であり、それが戦闘において圧倒的に有利に働くからである。実際、ヘーゼンが倒したデルシャ王国の魔法使いは全員極端に聖寄りか闇寄りに偏っている。
ヘーゼンの話を信じるならば、力半分で正真正銘の孟者を倒していたことになるが、にわかには信じがたい話だ。実際、聖属性の魔法も使えないようだし、深くは考えないようにした。
「しかし……ニーヴェルトはあまりにも強いです。それに……」
「聞いてるよ。デルシャ王国の聖騎士にして、国民の誇り」
「……はい」
「しかし、敵方が油断しているうちに一人狩るとすれば、間違いなく僕は彼を選ぶ」
「……なぜですか?」
言っている意味がわからない。
部下の信望も厚く、主君に忠実。正々堂々の戦い方を好む。人情に厚く、平民ですら分け隔てなく接することで『聖人』と謳われる。
味方にするのはまだしも、敵には絶対したくはない類の男だ。
「クク……僕はさ。そういう男は得意なんだよ」
黒髪の魔法使いは低く笑った。
「……」
その圧倒的な自信はどこから来るのか。少なくとも小国の名もなき魔法使いが、大陸でも有数の実力と言われる聖魔法使いに対して放てる言葉ではない。とんでもない勘違い男なのか、それとも……
「……まあ、見ていろ。考えがある」
そうつぶやいて、ヘーゼンはシリルに耳打ちをして夜の闇へと消えて行った。
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