第5話 訓練(午前)
サングリオ公国軍は第1隊から第8隊まで存在する。応募兵は歩兵、騎兵、魔法などその特性によって選別されるが、ダーツ、アム、そしてヘーゼンの3人は魔法を司る第8隊に配属されている。しかし、彼らがその隊の名簿に連なる事はない。
その存在は公には存在せず、裏でその戦闘に暗躍する特殊班である。
午前4時。氷点下を軽く下回る寒さの中、物々しいベルの音が宿舎中に鳴り響く。すでに着替え終わっているヘーゼンは、頑として眠っている幼馴染の頭を蹴飛ばす。
「痛っ……えっ……なに……」
両手を後頭部に回しながら、ダーツが寝ぼける。
「ほら、早く支度しろよ」
ヘーゼンは本を読みながら、汚れきった軍服を投げつける。
それから紆余曲折を経て、一悶着も二悶着もしながら外の
「早くしなさいよ、私まで怒鳴られるでしょう」
欠伸をしているアムの前に、ヘーゼン、ダーツ、の順で整列する。寝坊ガサツ男のおかげで、この特殊班の列は常に最後にできあがる。
「たるんどる! そんなことで栄光あるサングリル公国が守れると思ってるのか!?」
目の前で叫ぶのはゲルド=ダズ。第8隊5部の隊長である。別にたるんでいてもいなくても繰り出される怒号に、内心では『またか』と思う三人。
と言うより、完全に特殊班(特にヘーゼン)は目の敵にされている。彼らの班は第8隊隊長から直接指示を受けて動く、言ってみれば独立遊軍だ。それが、部隊長であるゲルドとっては全く面白くない。事あるごとに、特殊班の粗探しを行い、いちゃもんをつける。
しかし、所詮は部下という立場。理不尽を噛み殺し、一斉に敬礼を行い、そのままランニングを開始する。
ゲルドの怒号が響く中、ランニング10キロをこなし、腹筋腕立て背筋を各300回、50メートル全力ダッシュを50回こなした上でのつかの間の休憩。
午前中はもっぱら肉体強化に時間が費やされる。ゲルド曰く『健全な精神は肉体によって宿る』という妄言の元、訓練という名のしごきは徹底的に行われる。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
生粋の魔法使いであるヘーゼンの身体能力は決して高くはない。十分の休憩で得た力を強引に奮い立たせ、なんとか起き上がる。公然と不平不満を漏らす者はいない。そんな事を一度口にすれば、ゲルドから鉄拳制裁を喰らうだけではない。周囲の愛国主義者から反逆者扱いされ、迫害され、果ては追放の憂き目を喰らう。
それは、この環境を志願したヘーゼンにとっては都合が悪い。
「ふん……軟弱者が! そんなことで我が国を守れるとでも思っているのか!?」
嬉々が混じった叫び声とともに、直立不動のヘーゼンは激しい平手を浴びせられる。
「……」
「なんだその目は!? 上官にその目はなんだ!?」
それから何度も何度も平手打ちを喰らうが、ヘーゼンは微動だにせずに、その鋭い瞳でゲルドを捉え続ける。
「くっ……その目はなんだと言っている!」
狂ったように叫びながら繰り出される平手が拳に変わる。
「……ペッ」
しかし、ヘーゼンは表情を変えることなく血反吐を地面に吐く。そして、その不敵な行為がなおさら部隊長の怒りを買う。
配属した当初から、この部隊長とは相性が悪かった。ゲルドは精神論ばかりで率いようとする指揮官である。彼が就任して十秒で無能の烙印を押したヘーゼンは、口にも態度にもそれを出したことはない。しかし、さすがは精神論者であるだけに、目には見えない
それから、ひとしきりの嫌がらせをクドクドと繰り返した後、やがて満足したのか、去って行った。
「っ痛……クソ! あのサディスト……いつかぶっ殺してやるから!」
巻き添えを喰らって張り手を数発喰らったアムは、女性らしくない物騒な物言いで部隊長を断ずる。
「激しく同意だ。お前よく殴り殺さねえな」
めずらしく相槌をうつダーツは、血だらけの口元を裾で拭っているヘーゼンを眺める。
「そんなことしても、なんのメリットもないだろ」
しかし、当のヘーゼンは淡白なものだった。一兵卒である自分には腐るほど上官がいる。いかに魔法使いとして優れていても、階級を数段飛ばしにはできないのが軍人の運命だ。それならば、能力のない上官の元でいかに賢く立ち振る舞うかは、地位確立のために必要なことだ。
……と、あくまで頭としてはそう理解している。
つかの間の休憩中に、ヘーゼンたちは身体をふらつかせながら地面に向かって魔法を放つ。
<<冥府の死人よ 生者の魂を 喰らえ>>ーー
「……なにやってるんだお前?」
側で寝転んでいるダーツが尋ねる。ヘーゼンが魔法を放った場所は、死体が埋まっている。しかし、それを操るための魔法を放ったにもかかわらず、地面はピクリと動きもしない。それから、なにやらブツブツとつぶやきだし、尖った石をその周辺に並べる。
「こら貴様らー! いつまで休んどるかぁ」
やがて、ゲルドが警棒を持ちながら走って来て、整列している三人を嬉々として殴りにかかる。
しかし。
ガッ!
「わっ……」
地面から突然手が飛び出し、ゲルドの足首を掴んで転ばし。
ザクッ!
地面に置いてあった鋭利な石に、額が直撃した。
「ぐわああああああああっ!」
ゴロゴロと転げ回る流血教官に、ヘーゼンは真っ先に駆け寄ってポケットから布を差し出す。
激痛を引き起こす液体をタップリと塗りたくった布を。
「……っ、貸せ!」
ゲルドは、ひったくるように布を取って額に巻きつける。今は、アドレナリンで痛みもないだろうが、それがひいた時に再び地面に転げ回るほどのたうちまわるのだろう。
「クク……」
無能な上官は影で不幸にする。それが、ヘーゼンの常套手段だ。得意の闇魔法で、巧妙にバレないよう罠を仕掛ける。証拠はない。一応、従順なフリもしているので、たとえ疑われたとしても、いつものように殴られるのが関の山だということは知っている。
嫌な奴の歪んだ表情が、非常に楽しい性悪魔法使いである。
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