第3話 凱旋


 サングリオ公国首都アルマナには、大量の難民がひしめき合っていた。全体を覆う外壁の下に大量のテントが張り巡らされ、彼らはそこでの生活を余儀なくされている。


 サジラ暦136年。3年ほど前に勃発したデルシャ王国との戦火によって、物流が滞り、物資が不足し、国が食料を管理する状況まで強いられた。複数の場所に設置される配給所には、毎回長蛇の列が立ち並ぶ。


 しかし、そんなひどい状況にもかかわらず、『悲壮』と呼ぶような雰囲気は見受けられない。子どもたちが元気いっぱいで遊んでいる光景。配給の順番待ちでの喧嘩。それをはやし立てる野次馬。そこには、ある種『生』への渇望に溢れているとも言えた。


「はぁ……はぁ……やっと着いたぁ。今日も特になにもなし、万事平和でめでたしめでたしってとこですか」


 配給でごった返している列を強引に通過しながら、ダーツ=ナスラが満足気につぶやく。両手を後頭部に回しながら、ふんぞり返りながら歩くさまは能天気そのもの。いたるところに泥のついた公国軍軍服は、小柄な体型には若干サイズが大きく不恰好に映る。


「呑気な光景よね。私たちがこーんなに働いてるのに」


 次いで後ろを歩いているのは、アム=ルードラ。褐色肌の小柄な美女で、不満と愚痴と嫌味が趣味のような性格だ。しかし、その表の感情とは裏腹に、瞳には一片の憂いもない。


 そして、住んでいる人々に彼らの存在を知る者はいない。


 それでいいと思った。


 ただ、彼らを守りきることこそが誇りだった。


 そんな二人から少し離れて。最後尾で歩いているのは、仮面の男と捕虜の戦場分析官シリル。


「おい、ヘーゼン。そろそろ外せよ」


 ダーツが仮面の男に駆け寄る。


「……っと。そうだった」


 思い出したように外したその顔は、すでに数百の地獄をこなしたとは思えぬほど綺麗だった。どこぞの有名劇場の主演俳優として出演していてもおかしくないほど整った輪郭。戦場では見るものを戦慄させるほどの鋭い眼光は、その幼さでいくぶん柔和に映る。


「あなたが……」


 未だ虚ろな表情ではあるが、職業柄の好奇心でシリルがつぶやく。これほど若いとは、予想していなかった。人を殺すことのみに研ぎ澄まされたような戦闘と、その外見がまったくと言っていいほどマッチしていない。


「おーよ。このヘーゼン=ハイムこそが、デルシャ王国の兵が恐れ慄き、サングリオ公国のご婦人方の憧れの的。そのまま外さずに入れば一躍有名人なのにな……『仮面の君』殿」


 仮面を外したヘーゼンの姿を見ながら、ダーツはニヤつきながら肩に手をのせる。


「うるさい」


 慣れた会話を笑って打ち消しながら、乱暴にその手を振り払う。


「ここアルマナじゃ噂で持ちきりらしいぞ。ったく惜しいよな。俺がお前だったら両手に華だってのに」


 茶髪でボサボサのザンギリ頭をかきながら、冗談ぶいた言葉には若干の本気がうかがえる。


「その女たちにあの凄惨な光景を見せてやりたいわ」


 褐色美女のアムが首をすくめながらつぶやく。


「誰かさんみたいに、案外女ってのは図太いからな。別にどうということはないかもしれんぜ?」


「……死にたいの?」


 アムはジロリと睨んでダーツに魔法を喰らわせようとする。


「おー、怖っ」


「女が図太いんじゃなくて、あんたたち最近の男がか弱いんでしょ」


「あぁ! 俺のどこがか弱いって?」


「あーごめんごめん。か弱いというかあんたはチビ。いい加減サイズが合ってない軍服を自分の身の丈に合わせることね」


「んだよ!」


「なによ!」


「あー、うるさいうるさい! 静かにしろ馬鹿野郎!」


 怒鳴りあう二人の間に挟まれて、不快そうに耳を塞ぐヘーゼン。


「なんですって!? だいたいあんただってミーハー女に鼻の下伸ばしちゃって」


「な、なんだこっちに飛び火させんなよ」


「おいヘーゼン他人事かよ。お前だってそう思ってるよな」


「知らん! 痴話喧嘩なら他所でやってくれ!」


「「どこが痴話喧嘩だ」」


 ワチャワチャと。


 ガチャガチャと。


 戦場分析官であるシリルには、その光景がまるで学校でじゃれ合っている生徒たちのように見えた。先ほどの凄惨な殺し合いをした者たちとは思えぬほど幼く、無邪気に。


「ところで……ヘーゼン。なんで殺さなかったの?」


 観察されていることに気づき、アムはシリルを見る。その冷徹な瞳は先ほど仲間内の掛け合いを演じていたものとあまりにも違う。


「ひっ……」


 思わず小さな悲鳴を発するシリルだったが、同時に職業病とも言える観察眼でアムの瞳を見る。


 その瞳には憎しみも、恐れも、怒りも感じられない。


 そして。


「チェスの駒」


 シリルは、一言、発する。


「は? なんて」


 苛立たしげに、褐色美女が聞き返す。


「ひっ……」


「あー、面倒ね。殺そうかな」


「待て、アム……こいつは戦場分析官だ。デルシャ王国の情報をばるべく引きだす必要がある」


 ヘーゼンが、二人の間に入る。


「そのあと殺すの?」


「いや」


「なんで? 生かしておく理由はあるの?」


「殺す理由もないさ」


「あるわよ! デルシャ王国出身の軍人で、このサングリオ公国に攻め込んできた。理由はそれで十分でしょう?」


 アムの故郷である村は、三年前の侵略で皆殺しにされた。


「……とにかく、班長である僕の命令だ」


「はぁ……相変わらずよくわからん男ね」


 彼女も別に好んで殺したいという訳ではない。この男に恨みがあるわけでもない。


 しかし、道理の上では違う。


 道理では殺すべきだ。


「お二人さん雑談はそこらへんにして。そろそろ我が愛しの首都アルマナにつきますよ。意気揚々と凱旋パレードと行きますか」


 悠然と開かれている門をくぐりながら、冗談まじりにうそぶくダーツ。


 サングリオ公国は約一世紀前に独立を勝ち取った比較的若い国家だが、バルサリアン様式の館や商家、教会などは旧バロル帝国時代の色が残る。その荘厳さは全く陰ることがないが、そこに活気と呼べるようなものはない。貴族や富豪が住まうこれらの場所には、もちろん凱旋パレードなどというものはない。いつもどおりの日常。なんの変わりもなくみなが過ごす風景。


 通りすがりの貴婦人から聞こえてくるのは、主に城内の話。どこぞの夫が昇進しただとか、どこぞの夫が失脚しただとか。彼女たちには外にいる難民のことなど、見えてさえいないのだろう。自分の家の繁栄や栄華がなによりの関心事。


 そして、次に戦争の話。どこぞの部隊がどこで勝ったとかどうとか。聞くに耐えないホラのような勇猛記に、ヘーゼンは大きくため息をつく。聞こえてくるのは、もっぱら勝報による安堵ばかり。敗報について心配する会話はほとんど皆無だった。


「……このままでは勝てないな」


 淡々とつぶやくヘーゼンのセリフは、皮肉にも現状のサングリオ公国の窮状を如実に表していた。


 敗報は流さず、勝利のみを流すのは戦争の鉄則だ。不利な情報は国民には流されないので、苦境に追い詰められているにもかかわらず、士気だけがドンドン高まっていく。


 こうなってくると、軍人は嫌でも国の滅亡を意識する。実際の生活はどんどん苦しくなって、報道の内容が真実ではないと薄々感じていながらも、その情報にすがって、好戦ムードが高まっていく。


 いかんせん武力差が凄まじい。いくら局地的な戦場で勝ったとしても、大軍を興されれば、一気に滅亡へと帆は傾く。


「なんだ? 敵国に白旗あげるのがいいってのか?」


「私はやーよ。なんで、家族を殺されてる相手に降伏なんてしなきゃいけないのよ」


 アムは両手を大きく広げる。


 彼らの口どりはあくまで軽い。


 それぞれが自室へと戻る中、ヘーゼンはシリルを捕虜を収容する牢獄へと連れて行く。


「……」


「……心配するな。捕虜には丁重に扱うよう言い含めておく。担当も知り合いをつけさせる。乱暴はさせない」


「なんで……そんな風に扱ってくれるのですか?」


「……捕虜は丁重に扱う。それだけだ」


「……」


「ひとつ聞いてもいいかな?」


「……はい」


「さっき言った言葉。『チェスの駒』って……あれ、どういう意味だったんだ?」


「……」


「ただの興味さ。安心しろ、他意はない」


「……私の友達にチェス好きがいるんですが……彼女が私に向けるあの目が盤面の駒を見るような目に見えたんです……今、あなたが私を見ているように」


「……」


 あまりにも人を殺すという行為に慣れてしまった。いつもどおりの日常。罪悪感など、とうに忘れた。


 戦場分析官であるシリルの言葉は。







 ヘーゼンには、あまりに残酷に響いた。

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