第2話 仮面


 眼前に広がる戦地ジルザカウス荒野には、絶え間ない青空で覆い尽くされていた。その日は、雲ひとつない快晴。どこまでも続く草原は、綺麗に地平線が見えるほど。


「ああ……いい天気だな」


 手をかざしながら、小柄で小太りな男が呑気につぶやく。魔法隊小隊長ズダン=ロニロは三百人の部下を後方から眺める景色が好きだった。大国であるデルシャ王国の中では身分の低い方だったが、20年の時を経てよくここまで登り詰めたと自画自賛する。


「はぁ……はぁ……そ、そうですね」


 戦場分析官のシリル=レグラーは、息をきらしながら相槌をうつ。重いリュックを抱えながらも、たどたどしくついていくさまは、いかにも戦場慣れしてない様子が伺える。


 戦況を中央本部に伝える戦場分析官は、デルシャ王国独自で発展した仕事である。シリルが戦場に向かうのはこれが初めて。当然のごとく、一番の下っ端である彼が隊長の雑務を請け負う。


「ったく……文官育ちは足腰からして弱々しいな。魔法使いだからと言って、空を飛んで移動する訳じゃあるまいし」


 ズダンは呆れながらつぶやくが、当の本人も血を流すほどの激しい戦闘は数えるほどしか経験していない。最後方の魔法隊は全員貴族で構成されているエリート部隊。その役割は肉体労働ではなく、主に平民から構成される歩兵隊の指揮である。


「はぁ……はぁ……申し訳ありません」


 謝罪を入れながらも、小言の多い隊長に心の中で舌打ちする。普段から、大して働きもせずに口だけだしてくるさまは、当然のごとく尊敬の念など抱かない。


「しかし、3年も経とうと言うのにサングリオ公国のような小国すらも滅せないような先見隊は大したことがないな」


 『自分が指揮すれば』という言外の主張が鼻につくが、確かに国土も兵力もデルシャ王国が圧倒している。実際、開戦となった時は『まるで象と蟻の戦いだ』と各国の軍事評論家が口々に記事を書いた。


「……ここサングリオ公国には、『仮面の悪魔』と呼ばれる魔法使いがいると聞きました」


 すでに、デルシャ王国の部隊長が3人戦死している。いずれも、ズダンのような小物ではなく、千単位の兵を束ねる正真正銘の猛者たちだ。生き残った彼らの部下全員が口にしたのが、『仮面の魔法使い』。それは、兵たちの間で『仮面の悪魔』として噂となり語り継がれていくことになった。通常、大国との戦にしか呼ばれぬ戦場分析官が配属されたのも、口々に語られる『仮面の悪魔』の正体を突き止めるためだった。


「ふん……負け惜しみだよ。部隊長を守れなかった部下たちが失態を隠すために、そんな妄言を言っているんだ」


「……そうでしょうか?」


「当たり前だろう。ハッキリ言って馬鹿すぎる。少なくとも私がいればこんなことにはならなかったのだろう」


「はぁ」


 またしても、周囲が辟易するような自慢話が繰り返される。『ああ、こいつに話すの無駄だな』と適当な相槌をうっていた時、上空から大きな飛翔音が聞こえた。よくいる山鳩や鴉にしては音が大きすぎる。逆光でよく見えなかったが、ここらで一番大きな鳥なのだろうとシリルは思った。


 突然、飛翔体が降りてくる瞬間までは。


 それは、魔法隊のど真ん中に堂々と着地し、八方にを放った。瞬間、バタバタと魔法兵が倒れていく。


 そのあまりの静かさに。


 分析を生業とするシリルでさえ、放たれたのが魔法だと気づくのに数秒の時を要する。


 いや……果たしてそれは魔法なのか。


 判断する前に、飛翔体は移動を始めた。姿は見えなかったが、兵の叫び声が次々と高速に移ろう。


「落ちつけ!」


 小隊長ズダンは思わず叫ぶが、誰も彼の言葉など届いてはいない。いや、当の本人すらも現状に対しての認識は皆無だった。


 合間、合間に見える姿はどうやら、人であった。


 灰色の仮面を着用した黒髪の男。


<<火の存在を 敵に 示せ>>ーー炎の矢ファイア・エンブレム

<<水の存在を 敵に 示せ>>ーー氷の矢アイス・エンブレム

<<木の存在を 敵に 示せ>>ーー風の矢ウインド・エンブレム

<<光の存在を 敵に 示せ>>ーー光の矢サン・エンブレム


 大仰に放たれる魔法の矢マジック・エンブレムが、仮面の魔法使い当たらない……いや、数発は当たっているのだが直前でそれはかき消されている。


 対し。

 

 仮面の男が移動するたびにバタバタと兵がくずれていく。


 くずおれていく。


 魔法を放っている様子も無いが、面白いように、まるで糸の切れた人形のように倒れていく。

 

 さらに。


 倒れ込んだ兵たちは数秒後、一斉に立ち上がる。


「そうだ! 貴様らはデルシャ王国の精鋭だ。立ち上が……おい、なにをしている?」


 思わず、ズダンは問いかけていた。決して届くことがないほどの小さな声で。口ずさむほどの小さな疑問を。


<<火の存在を 敵に 示せ>>ーー炎の矢ファイア・エンブレム


 立ち上がった兵が放った炎は、仮面の魔法使いにではなくに浴びせられたのだ。


「まさか……死者使いネクロマンサー……」


 シリルがつぶやきながら、周囲を見渡すと遠方に二つの影が見えた。


「ズダン小隊長、撤退しましょう!」


「なにをしてるんだ! 敵と味方の区別もつかんとは……貴様らはバカなのか!?」


死者使いネクロマンサーです! 恐らく、仮面の魔法使いのが殺した兵を操っているのです」


 虚ろな表情をして味方に魔法を喰らわせていく味方。すでに、生きている兵も恐慌状態に陥り、もはやそれどころではない。


「下っ端の分際で俺に指図をするな! おい、無能ども! 標的は仮面の魔法使いだ! こうも見事に翻弄されおって……これだから貴様らはいつまでも一兵卒なのだ! 後で厳罰だぞ!」


 まるで目の前の現実を否定するかのように。部下である魔法兵に罵詈雑言を浴びせ出すズダン。


 しかし、彼の言葉など届くはずもなく、兵はバタバタと倒れこみ、すぐさま死兵として別の味方を襲い出す。もはや、その場は生き地獄と化し、もはや挽回の余地などなかった。


 ズダンがとっさに思ったのは、身の破滅。この20年間コツコツと積み上げてきた実績。地方役人として、平民たちから税を徴収して多少戦で指揮もこなした。


 状況はわからないが、それが一瞬にしてなかったことになった。


「ぁけるな……」


 つぶやき。


「ふざけるなーーーーーー!」


 叫ぶ。


 ドスッ。


 その時、鈍い物音がズダンの脇腹に響く。


「おい……なにをしている?」


 振り向いた先には、シリルの顔があった。熱い感触の方を見るとそこにはナイフがつき刺さっており、鮮血が滴り落ちている。


「さあ、僕はなにをしているんでしょう?」


 シリルは笑っていた。自分のしたことに理解ができなくて、思わず自分で笑ってしまった、そんな表情。


 しかし、彼の理解など関係なく、堪え難いほどの激痛に襲われてズダンは地に伏した。


 視界が霞み、


 意識が朦朧とし始めたとき、一人の男と女が歩いてくる。


「これで指揮官は消したな」


「隊もコイツも、思ったより遥かに無能だったね。周到に張る必要もなかったわ」


「すでに他も突入してるな。アム、あとはお前の役目だ」


「任せなさいって」


<<果てなき業火よ 幾千と 敵を滅せ>>ーー漆黒の大炎パラ・バルバス


 女が放った巨大な炎は、瞬く間にその戦場を廃塵と化した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る