神々の島

 

 静かだ。

 ようやく朝の喧噪に包まれようとしていた河岸は、今は誰もが無言で微動だにしない。

 商人も船乗りも皆、対峙するイシュルとリフィアたちを見ている。

 彼らの目には、イシュルたちの頭上に浮かぶ大精霊の姿が見えただろうか。

 河岸に並び立つリフィア、ミラ、ニナ、シャルカやロミールたち。その前方、空中に風、土、火の三精霊が同じように横に並び、直立して浮かんでいる。

「フェデリカ、ウルーラ、リン。まさか、おまえたちが俺を裏切るとはな」

 ……それならおまえら全員、消し去るだけだ。

 イシュルは胸中をうねりうごめく不安と怖れ、そして怒りを気合を入れて抑え込むと、三精霊を睨みつけた。

 すると彼女らに、強力な電撃を受けたような衝撃が走り、そろって全身を震わすのがわかった。

「ど、どうか」

 フェデリカが空中を一歩、前に進み出てイシュルに跪き、緊張に震える声で言った。

「わたしの話を聞いてください。その後であれば、どのような罰もお受けします」

 フェデリカが跪くと、ウルーラもリンも同じように従い、無言で頭を下げた。

「……」

 リフィアたちは頭上の精霊たちを見上げ、何事か話したいのをじっと堪えているようだ。

「言ってみろ」

 イシュルは低く、むしろ静かな声で言った。

「はっ」

 フェデリカが代表して、かるく頭を下げ話しはじめた。

「わたしたちは決して剣さまを裏切ったわけではございません。わたしたちは、御身のために何としても、この者たちを同道すべきだと考えたのです」

 フェデリカは右手を下にいるリフィアやミラたちに差し伸べ、震える声で言った。

「この者らでも、何かしらの役には立つでしょう。主神や月神らは、剣さまにとってよからぬことを考えているに違いありません。御身を害し、あるいは完全に自らのものにしようと考えているに違いありません。どんな目に会おうと、どんなことになろうと、どうか最後まで諦めないでください。どうか最後まで生き残り、勝つことを、負けないことをご考慮ください」

 怯みながらも、真っすぐ見つめてくる眸。

 無色で半透明で、実体でなくともこの精霊の考えていることが、しっかりと伝わってくる。

 ……胸が苦しくなるほどに。

「この目論見はおまえの算段か」

 イシュルは心の動揺を抑え、表情を変えず、声音も変えず言った。

「それともイヴェダの入れ知恵か」

「それは……」

 フェデリカは視線を落とし、苦しそうな顔をした。

 ……やはり、そういうことか。

 イシュルはウルーラとリンに視線を向けた。ふたりとも頭を下げたまま、表情まではわからない。だがより緊張が増したか、身を固くするのが窺えた。

 地神ウーメオはともかく、火神のバルヘルは面識がない。彼らはイヴェダの考えに同調するだろうか。それとも我関せずで、配下の精霊の意志にまかせるか。

「イシュル、待ってくれ」

「イシュルさま、それは違いますわ」

 そこでリフィアとミラが声を上げた。

「風神のお導きではありません。わたしたちの方からお願いしたんです」

 続いてニナが、叫ぶように言った。

 彼女は胸の前で、両手を固く握りしめていた。

「わたしがエルリーナに、風の精霊さまとの仲立ちを頼んだのです」

 と、ニナのすぐ横に、美貌の精霊が姿を現した。エルリーナも真剣な表情で見つめてきた。

「むっ」

 背後で、新たに召喚した水の精霊、セフィーヌが反応を示した。

 おそらく水の精霊であるエルリーナが、風の精霊であるフェデリカに頼み事をするなどまずありえないことで、それに対しセフィーヌが驚いたか、不快に思ったか、当惑するのが表に出たのだろう。

 ……ニナ、そしてリフィアとミラが精霊たちを通じ、イヴェダを動かしたのか。

 火神も地神も、そのことに異を唱えなかった……。

 イシュルは対峙するニナたちの顔を見つめ返し、拳を握り、唇を噛みしめた。全身を襲う更なる焦燥に、哀しみに、そして苦渋に堪えた。

「イシュル、なんでこんなことを……。いや、違う。わたしたちのことを想ってくれるなら、どうして最後まで、連れて行ってくれないのか」

「イシュルさま。あの日、聖地クレンベルの名も知れぬ山稜で、わたしと話したことをお忘れですか」

 ミラは悲哀のこもった声を、振り絞るように叫んだ。

「わたしはあの時、イシュルさまの起こす奇跡に最後まで立ち会うと誓ったのです。そしてあなたさまは、わたしの想いを受け入れてくださった。あれはまさか、嘘だったのでしょうか」

「くっ」

 イシュルの顔はあらたな痛苦に、さらに深く歪んだ。 

「これから先、イシュルさまとともに歩むことができないのなら、わたしの人生に何の意味がありましょう」

 ミラは泣くまいと全身に力を込め、震わせながら最後まで言い切った。

「おまえの、もう誰ひとり失いたくないという気持ちはよくわかる」

 リフィアはミラとはむしろ逆に、低い声でゆっくりと話した。

「でも、それでも前を向いて進もうとするなら、そのことを怖れてはいけない。逃げてしまっては、死んでいった者たちに顔向けできないではないか」

 クシム銀山で赤帝龍と戦い、多くの将兵を失った彼女の言葉だ。

「あの黄昏の山で、わたしに前を向いて生きるよう、教えてくれたのはイシュルじゃないか」

 リフィアはそこで、微かに笑みを浮かべた。微笑みながら、彼女の眸から涙が一筋、零れ落ち頬を伝った。

「……父の死などかまうものか。わたしは恩讐を越えて、おまえとともに歩んで来たんだ。今さら置いて行くなんて、絶対許さないぞ」

「わたしは決して、イシュルさんの足手まといになろうなどと考えてはいません」

 続いてニナが話しはじめた。

「もし、イシュルさんがこれから向かう聖地で神々と戦うことになったら、ただではすまないでしょう。わたしは戦いの役には立てないかもしれませんが、怪我や疲労を癒すことができます。わたしがいれば、イシュルさんは死なないですむかもしれません。わたしは水の魔法使い。カレルに帰える時も力になれます」

 ニナはそこで一旦、言葉を切った。彼女はあえてか、ミラやリフィアのように情に訴えるようなことはしなかった。

「だからかならず、みんなで行って、そして生きて帰りましょう。最初からあきらめたりしないでください。みんなで力を合わせて、この困難を乗り越えましょう。イシュルさんにはわたしたちとともに戦い、生き残る義務があるのです」

 ニナは堂々と、自信をこめて言い切った。

 誰もが肯(がえ)んざるを得ない、まったくの正論だった。はじめて会った頃の吃音が嘘のような、強く、しっかりとした話ぶりだった。

「……」

 言葉がなかった。

 胸奥から熱いものがこみ上げ、溢れ出る。苦渋を、哀しみを押し流していく。

 イシュルはついに堪えきれず、嗚咽を漏らした。ぶるぶるとからだが震えた。

 視界が涙に揺らぎ、かすんでいくのがわかった。

 彼女らを死なせたくない。だから最後はひとりで行く。

 だがそれもまた、彼女らを殺すことと同義だった。

 ミラはイシュルの信奉者であった。彼女にとってイシュルは尊崇や敬慕の対象だけでなく、人生のすべてをともにする伴侶であった。

 リフィアは父をイシュルに殺された。彼女の父、レーヴェルト・ベームはイシュルの復讐の対象の、最後のひとりだった。それでも、彼女は自ら父の誤りを認め、重仇討(かさねかたきう)ちはもちろん、一切、イシュルを咎めることをしなかった。彼女は恩讐の果てに、イシュルへの愛を見出したのだった。

 ニナは、イシュルによって変わることができた自分を見せて、彼を叱咤したのかもしれない。彼女は、あえて実利を示すことによって生きることの尊さを、ともに生きる喜びを分かち合うことの意義を訴えたのだ。それはイシュルに教えを受けたことへの恩返しだったのだろうか。ニナはその愛によって、イシュルが正道を歩むよう、力になりたかったのだ。

 けれど三人とも決して、軽々に愛を叫ぶようなことはしなかった。願えども、縋(すが)るような物言いはしなかった。

 ミラも、リフィアもニナも、己の矜持を堂々と示したのだ。そして、最後までイシュルと生死をともにすることを、世界の極限へ、ともに臨むことを願ったのだ。

「くっ」

 イシュルは涙を見られまいと、下を向いた。俯いて涙を拭った。

 今、事ここに至ってさえ、すぐ目の前に彼女らのやさしい温もりが感じられるのだ。

 とても、とても抗しきれるものではなかった。

 結局、彼女らを置いて行くなんて、できなかったのだ。

 ……ミラ、リフィア、ニナ。この子らの愛情は、器の大きさはどうだ?

 対して己が身の、何と矮小なことか。

 俺の負けだ。俺はただひたすら、愚かだった。

 逃げてはだめだ。彼女たちを失うことを怖れてはならない。生きて帰ることを諦めてはならない。

「みんな、すまなかった。俺が悪かった」

 イシュルは眸に涙を溜めて、だが前を向いてミラ、リフィア、ニナを正面から見つめた。

「……ごめん」

 そして両手を前に広げ、言った。

「最後まで、一緒に行こう」



「イシュルめ、まさか泣いてしまうなんてな。まだまだ、かわいいところがあるじゃないか」

 顎を前に突き出し、猫背で船腹の梁に座るイシュルに、リフィアが後ろから小突いてくる。

「わたくしは感動しましたわ、イシュルさまの涙に。なんて尊いことでしょう」

「えっ、あっ、わたしもうれしかったです……」

 ミラのごく真面目な口調に、ニナの控え目な、いや思いっきり引いた口調。

「……」

 彼女らが言い募るごとに、イシュルの仏頂面がどんどん酷くなっていく。

 イシュルが秘密裏に手配したスループが、カレルを出港してからおよそ半刻。

 皆、はじめての船出に心躍らせ、中海の大海原に圧倒されることしばし、徐々に慣れてくると今度はあらためて、イシュルを弄りだした。

 冒険をともにする仲間を最後になって裏切り、置き去りにしようとしたイシュルは、リフィアたちの情理を尽くした説得にあっけなく膝を屈し、当初の固い決意もどこへやら、あらためて彼女たちを中海の彼方、最後の地へ連れていくことにした。

 イシュルが彼女らに自らの非を認める形で謝り、ともに行くことを承諾すると、周りの緊迫した空気ががらりと変わって、岸壁に集まり見物していた人たちはみな感動し歓声を上げ、拍手して賑やかに囃し立てた。

 イシュルは顔を真っ赤にして恥ずかしがり、ニナは爽やかな笑顔で、ミラはいつもの「オホホ」と高笑い、リフィアは胸を張って人々に手を振り歓声に応えた。

 ロミールたちもつられて涙すると、「イシュルさん、後はまかせてください」「気をつけて、かならず帰ってきてください」などとイシュルに、リフィアたちにあらためて別れの挨拶をした。

 従者たちは己の部をわきまえ、自分たちも連れて行けと懇願することも、ましてや強要することもしなかった。彼らには最後まで確実に生き残って、多くの人たちに報告しなければならない役目があったし、もしイシュルたちが帰ってこなかったら、この世紀の冒険譚を後世まで語り継ぐ勤めも果たさなければならなかった。

 イシュルはウルーラとリンを、そして今回の造反劇の中心となったフェデリカも許した。彼女の背後に風神イヴェダの存在が見え隠れする以上、否も応もなかった。

 神の魔法具は神の分身とも言える存在で、それを身に宿しているイシュルは召喚された精霊にとって絶対的な崇拝の対象だが、それは所詮、彼らが仕える神に準ずる立場でしかないのは自明である。

 また、イシュルは彼女たち精霊の任を解き、精霊界へ帰すこともしなかった。これから先、中海に出帆するにあたって、まだその力が必要になるかもしれないと考えていたからだ。

 ということで、イシュルはみんなと和解すると、三精霊と新たに召喚した水の精霊セフィーヌも伴い、リフィア、ミラ、ニナ、それとシャルカを乗せ、結局、みなを騙すために立てた虚偽の予定どおりに、カレルを出港したのだった。

 ルシアやロミールたちだけでなく、河岸に出ていた街の人々の盛大な見送りを受け、華々しく堂々と港を出た一行は、ディレーブ川の河口から中海に出てしばらく、イシュル自らが操船した。

 半刻でおよそ四十里(スカール、約26km)、およそ十四ノットほどの速度で進路を南南西に取り、中海沖合へと向かう。帆は広げず水の魔法を主に、風の魔法を補助に操船する。イシュルも他の者も帆を張るくらいのことはできても、さすがに操船はできない。すべて魔法でやるわけだ。

 イシュルはセフィーヌとフェデリカに、安定した航走のできる魔力の使い方を実際にやって見せ、要領を把握させてから操船を交代し、彼女たちにまかせた。

 身体の重いシャルカと、数日分の食糧と水、帆布や鍋など野宿に必要な物資を船体後部に載せ、船首を上げ気味に、水魔法で船体の後方から前方へ水圧をかけ推進。両舷に水流をつくって進路を安定させ、マストにかかる風圧の調整も行い、極力船体の動揺も抑えるようにした。船体の推進はセフィーヌに、風圧の調整はフェデリカに担当させた。船の動揺を減らすようにしたのは、ミラたちが船酔いをしないようにするためだ。

 都合のよいことに、天候は雲が多かったが風はなく、洋上は凪いでいた。

「神の魔法具をすべて集めたというのに、かわいいやつだ」

「かわいい──のもいいですが、五つの魔法具を集めたのに依然、お人柄が変わらないことはイシュルさまの美質だと思いますわ」

「い、イシュルさん……」

 彼女らとの一方的な会話はまだ続いている。ニナはそろそろやり過ぎではないかと、はらはらしはじめた。

 イシュルがセフィーヌらに操船をまかせると、リフィアたちはすかさず彼を弄り出した。それはただ当人をからかおうとするわけではなく、場を明るくし、イシュル自身も元気になってもらおうと、彼女らなりに気をつかっているのだった。

「……」

 イシュルはそれをわかっているから怒るわけにもいかず、気恥ずかしさもいや増すばかりでどんな態度をとっていいのかわからなかった。

 ただ、彼女たちの心遣いに、思いやりに、胸のうちに感ずるこの温もりがとても大切なものだと、それだけはしっかりと感じることができた。

 この柔らかな暖かさこそが、今までの自分を救ってくれたものだった。

「ふむ」

 リフィアはそろそろ頃合いかと、イシュルを小突くのを止め視線を遠く、前方へ向けて言った。

「相変わらずはっきりしない天気で、視界もあまりよくないが」

 真面目な顔になってイシュルに訊いてくる。

「この方角で合っているのか? このまま行くとあの霞(かすみ)の奥から突然島影が現れるとか、そんな感じかな?」

「方向は合ってるよ。だが靄の向こうに目的の島が現れるかはわからないな。ちょっと違う気がする」

 イシュルは薄く笑みを浮かべて言った。

「何となくわかるんだ。もう少し行くと、ここがそうだと思えるような“目的の場所”に着くだろう、って」

「ふーん、そんなものか」

 あいまいに頷くリフィア。

「すべては、イシュルさまにおまかせすればいいのですわ」

 ……ふふ、ミラは相変わらずだ。そりゃそうだ。これから先、どうにかできるのは俺しかいない。わかりきった話だ。

「でも、船もぜんぜん揺れないし、素晴らしい速さですね」

 これなら、目的の島まであっという間に着いてしまうかも、とニナは続けて言った。

「うん。よくわからないけど、あと一、二刻(2~4時間)くらいで目的の海域に着くんじゃないかな」

 荷物を目一杯積めば定員は四、五名くらいになってしまう小さな船だ。それがおよそ十四ノット、時速約二十六キロで航走しているのだから、水上での体感速度は相当なものだ。

 天候が良くても、一般の帆船ではなかなか出せない速度である。

「このまま行くと、夕刻には対岸のベルムラまで行ってしまうな」

 リフィアが船べりに腰かけ、明るい声で言った。

 薄曇りの空、内海特有の凪いだ海をしばらく行くと、イシュルは突然立ち上がって言った。

「この辺りだな」

 眸を細め前方の、無数のさざ波の立つ海原を見つめて言った。

「セフィーヌ、フェデリカ、止めてくれ」

「はい」

「承知しました」

 ふたりの精霊が声に出して返事をし、イシュルたちの頭上に姿を現す。

 直後にウルーラとリンも姿を見せた。

「ここ、なのか」

「……」

 前方の、小さく波打つ海面には目につくようなものは何もない。リフィア、ミラ、ニナはそろって辺りを見回し、疑問の声を上げ、吐息を吐いた。

「ああ、感じる」

 海底に、それがある……。

 イシュルは右手を前に差し出し、掌を下に向け、呟くように言った。

「?」

 首を捻るミラたちに、イシュルは自信あり気に笑みを浮かべると言った。

「下だよ。海の底に感じる」

「海の中?」

「ああ、ちょっと先の海底に、山のように隆起している場所がある」

 イシュルは僅かに目を見開き、確信をもって言った。

「そこだ。そこが目的の場所だ」

「えーと、海の底、なのか」

「どうしましょう……」

 困惑するリフィアとミラ、呆然とするニナにイシュルは笑顔でひと言、

「あの海の底の山を持ち上げて、“島”にする」



 空気が震え、視界を霧のような水の障壁が覆う。濃い潮の匂いが充満し、海のうねる音が風となって吹き流れていく。

 スループは立ち上がる波に船首を向け、空中に舳先を突き出すように上向くと、次の瞬間には海面に突っ込むように一気に下降していく。

 霧の壁の上空には巨大な虹が浮かび上がり、さらにその上を雲が幾重にも渦巻き、怖ろしい速さで四方に吹き飛んでいく。

 太陽はその輪郭さえも見えない。

「くっ……」

 イシュルは船首近くに立って、右腕を前に突き出し、強大な魔力を周囲の海面に注いでいる。

 そのすぐ後ろにウルーラが静かに瞑目し、己の魔法を直下の海底に向け放っている。

 マストの傍にはニナの精霊、エルリーナが難しい顔をして船の周りの海面に干渉し、船体の安定を保とうとしている。

 上空、高空にフェデリカとリンが風と火の魔法を、後方の海上にセフィーヌが猛烈な気迫を放ちながら、水の魔法を水平線の向こうまで、広域に展開している。

「あ、ああ」

「こ、これは……」

「か、感じるぞ。何か巨大なものが、海上にせり上がってくる」

 怖れおののくニナとミラ。呻くように叫ぶリフィア。

 目的の海上に到着すると、イシュルは海底に隆起する地面を海上まで無理やり、さらに隆起させ、新しい島を生み出すべく召喚した四精霊、そしてエルリーナにも協力をあおぎ、実行することにした。

 イシュルは海上に島を隆起させる一点に集中し、そのことで起こるさまざまな天変地異、災害を最小限に抑えるため、精霊たちにそれぞれ個別に命令を出した。

 セフィーヌには海底の隆起によって起こる断続的な津波を制御、分散させ、フェデリカには海水を霧状にして上空に吹き上げさせ、広範囲に拡散させ、セフィーヌの負担を減らすようにした。リンには火の魔力によって上空の気温、気圧に大きな変化が起きないよう指示を出した。異常な悪天候もできるだけ避けなければならなかった。

 ウルーラは島の隆起にともなう地殻変動を調整し、地震や津波を抑え込むのに力を尽くしてもらった。皆の乗る船の安全はエルリーナにお願いした。

 海底に沈む山塊を、無理やり海上にまで隆起させるのだ。周辺の海岸に津波や地震となって大きな災害をもたらすのは確実で、それは何としても避けなければならなかった。

 上下する船首の向こう、海面が激しく盛り上がり下降し巨大な渦を巻くのが、濃い水煙を通してもわかった。

「そろそろ、海の上に顔を出すぞ」

 イシュルは突き出した右腕を細かく震わせながら、唸るように言った。

 ものがものだけに、さすがに心身にかかる負担が大きい。掌の先に感ずる質量、大きさはとても言葉で表現し尽くせるものではない。

「ああっ」

「島影が……」

 いっそう激しく波打ち、噴き上がる水煙に、黒い影がはっきりと浮かび上がる。

 潮の匂い、湿った空気、波、水の音……。

 新魔法を土台に、さらに土の魔力を重ね合わせ、力づくで海底の山稜を持ち上げていく。

 もうひと息だ……。

 目的の場所が近づくとイシュルにはすぐ、それが何を意味するかわかった。

 それは神々によって意図的に海底に沈められた、あるいは “島”となるべく、前もって用意された地形だった。つまり、五つの魔法具を揃えたのなら、その力を使って海底の島を海上に引っ張り上げて見せろ、そこが神々に請願する地になる──その舞台を自ら用意しろ、ということを表していたのだった。

 やがて水煙が晴れていき、島影がより鮮明に、全形が見えてくる。

「し、島が現れた」

 リフィアがぽつりと、呟くように言った。

 船に向かってきた波も、少しずつ小さく、穏やかになっていく。

「ふう」

 イシュルの後ろでウルーラが息を吐き、力を抜くのが伝わってきた。

「杖さま、もう大丈夫」

「島の地盤はどうだ? 安定してるかな?」

「うん、だいたい。よく見えないところもあるけど」

 後ろを振り返ると、ウルーラが首をかしげ戸惑いをみせていた。

「ああ、それは神さまの領域なんだろう」

 イシュルは、少し皮肉交じりに微笑み言った。

 海底、海中、海上、全天を覆う空。その中心に目の前の島、神々の島がある。

「本当に、海の底から上がってきたのでしょうか」

「ずっと昔から、この海上にあったように見えますわね」

 ニナとミラが前方を見回し、疑問を口にする。

 視界一杯に広がる島影の、遠方の方はまだ蒙気に隠れはっきりしない。だが目の前にはどこの海でも見られる、ありふれた島の景色が広がっていた。

 切り立った岸壁に砂浜、疎らな灌木に下草の生えた丘の連なり。

 先ほどまで海底にあったのが信じられない、異様な光景だった。

 イシュルには目に見えない遠方の、島全体の様子も容易に把握できた。大きさは全周で三十里(スカール、約20km)強。南北に長く、最も高いところは標高二百長歩(スカル、約130m)ほどで全体に緩やかな丘が連なり、一部には砂浜も存在している。

「まさか、海の底もあんな草木が生えているいのかな? 海藻や珊瑚がまったく見えない」

「それにあの砂浜や岸壁の岩の色、水気がなくて乾いて見えます」

 リフィアとニナが島の方を指差し、疑問を口にする。水中、海底のことなどよくわからなくても、誰でも不自然に見えるのだ。

「湿気が立ち上っているのでしょうか、何かゆらめいて見えますわね」

「魔力、……じゃないよな」

 続いてミラ、それに答えるリフィア。

 イシュルはかるく周りを見回した。

 空は未だに雲が湧き立ち、急速に四方へ流れていく。頭上は相変わらず巨大な虹がかかっている。上空ではまだ、フェデリカとリンが頑張っているのだ。

 だが、島を覆う魔力のような揺らめきは、彼女らの仕事とは関係ない。

 イシュルは声を低く、断言するように言った。

「あれは魔力じゃない。神々の力だ。現実が、引き剥がされていってるのさ」

 イシュルはミラ、リフィア、ニナと順に見回し言った。

「行こう。あの島に上陸する。ここから先は神々の領域だ」

 

 

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