【幕間】マーヤ・エーレン、南へ走る


 

 王城西宮の魔導師 親愛なるマーヤ・エーレンさま


 先達ては心づけ、ありがとうございました。まずはお礼まで。

 イシュルさんですが、大聖堂で行われた聖王家と教会合同の検分会に出席したところ、またまた大変なことが起きました。

 偽書の中から、“精霊神の双子”と名のついた巻物(スクロール)をサロモン国王から薦められ、イシュルさんが目を通したところ、本物の精霊神が降臨しました。アプロシウスは主神や月神が求めるもの、イシュルさんの五つの魔法具を操る独自の力の源泉を明らかにするよう、強要してきたそうです。

 イシュルさんは精霊神の要求を撥ねつけ、五つの神の魔法具による神々への請願をどう執り行うべきか、確信を得たようで、中海に向かい船出する決意を固めました。

 ここまでは“髭”の者たちの報告でご存知かと思いますが、聖都を出発する日どりが決まりましたので、急遽筆を取った次第です。

 出発は三日後、秋の二月(11月)の二十七日に決まりました。中海へはディレーブ川を南下、途中ドナート川に入り、ソレールを経由せず近道をします。ドナート川から再びディレーブ川に合流、第一の目的地であるカレルを目指します。

 カレルに到着後、直接中海に出るか、さらに西方のラガンに向かい、そこから中海に出帆するか、まだ決まっていませんが、イシュルさんはカレルから直接、中海の沖合に出ることを考えているようです。

 聖都からカレルへはすべての旅程が川船になり、八日ほどで到着する予定です。はっきりしませんが、カレルに着いてからは四、五日で中海に出帆するのではないでしょうか。

 もう時間がありません。この文(ふみ)は小頭殿にお願いして、急ぎの便にて送ります。マーヤさまにはご機嫌麗しゅう、一日も早く再会できるよう願っています。

 わたしは、自分が明らかに足手纏いになるぎりぎりの、最後までイシュルさんに同道するつもりです。もし、イシュルさんやほかのみなさんが大怪我するようなことになれば、少しでも癒すことができるのはわたしだけなのです。

 

 聖都 ディエラード侯爵邸にて

 王城西宮の魔導師 ニナ・スルース


 

「ふむふむ。なるほど」

 ペトラは、マーヤ宛に書かれたニナの手紙をさっと読むと何度か頷き、

「リフィアからの来た手紙とほぼ同じじゃの」

 と言って、ニナの手紙をマーヤに突っ返した。

「リフィアからも来てたんだ」

「うむ、ニナがマーヤに出したので、リフィアは妾に出すことにしたのであろう」

「……」

 マーヤはいつもの無表情で、ごまかすようにほんの少し、首を縦にふった。

 ペトラはしたり顔で言ったが、リフィアとマーヤは赤帝龍がクシムに襲来した時以来の因縁もあって、それほど仲がいいわけではない。リフィアが私的な書簡をマーヤに送ることはほとんどない。

「いよいよじゃの。イシュルめ」

 ペトラはペトラでマーヤの心持ちに気づく筈もなく、視線を遠く南の空の方へやり、感慨深く唸るように言った。

 明灰色の石積みの豪奢な建物の角から、大小の綿雲が浮かぶ明るい空が見えた。

「ペトラ、それでひとつ大事なお願いがあるんだけど」

 マーヤも一瞬、ペトラの視線を追って初冬の空を見ると、すぐ目線を戻して乳姉妹の顔をじーっと見つめて言った。

「はいはい。い~の~、マーヤは」

 ペトラはマーヤのつぶらな眸をみると、途端に苦々しい顔になり、ぷいっと顔を横に逸らして言った。

 彼女はマーヤのお願いしたいことが、十分にわかっている様子だった。

「時間がないから、アルサールを縦断する。おじさまにお願いして」

「やっぱり妾も行きたいの~。何かいい方法がないかの~」

 話を先に進めたいマーヤ、その話に自分も乗っかりたいペトラ。

「……」

「……」

 ふたりはほんの一瞬、互いに目を合わすと無言でカップを取り、ひと口茶を含んだ。

 その日の昼下がり、ペトラとマーヤは後宮の中庭にある、蔦の絡まった東屋(あずまや)で茶を喫していた。

 側に控えるメイドは今はひとりだけ、ペトラを影から護衛する役も務めるセルマだけだ。マーヤの言った“おじさま”とは、ラディス王国国王ヘンリクのこと。王女のペトラと彼女の乳姉妹であるマーヤのふたりは、密談するのによく、この後宮中庭の小さな東屋を利用していた。

「それならペトラも一緒に行けるよう、頼んでみようか」

「えっ」

 マーヤはこれでは話が進まないと、思い切った提案をしてきた。

 だが、そんなことできる筈がない。ペトラは驚いて、変な声を出した。

「それはいくら何でも無理じゃろう」

「ペトラには変装してもらうの。たとえばわたしの従者として、中海まで同行するとか」

「ほう、なるほど」

 ペトラは一瞬、愁眉を開いたような顔をしたが、すぐつまらなそうな顔になって言った。

「まあ、それでも父上は絶対許してくれんじゃろうな……」

 だが、何かを思いついたか彼女はすぐ顔色をあらため、椅子から立ち上がると続けて言った。

「とりあえず、父上に会ってみようかの。いつものとおり、駄々をこねてみせれば何とかなるかもしれん」

「えっ、今すぐ行くの? 請謁は?」

 請謁とは、執務中の国王に面会を願い出ることである。通常はペトラ付きのメイド長のクリスチナを使いに出したり、ヘンリクの執事や秘書官に申し出ることになっている。たとえ王女であるペトラでも直接、断りなしに会えるわけではない。

「そんなことどうでもよいわい。さっ、マーヤ。王宮に行くぞ。セルマ、其方もついてまいれ」

「……」

 セルマは無言で頭を下げ、手前にあったワゴンを横へ押しやる。

「時間がない。急ごう、マーヤ」

「う、うん」

 マーヤが慌てて腰を浮かすと、ペトラはいつものごとく元気いっぱい、先頭に立って歩きはじめた。



 ふたりが王宮のヘンリクの執務室に行くとその控えの間に、ドミル・フルシークがいた。ちょうど用事を済ませ、退室するところだった。

「これはこれは。ペトラさま」

 ドミルは、その強面の顔をほんのわずかに和らげると腰をさげ、ペトラに挨拶した。

「うむ」

 ペトラはいつものごとく口をへの字に曲げ、仰々しく頷いてみせたが、すぐ素に戻って言った。

「あっ、そうそう。イシュルがいよいよ主神を召喚し、請願を行うようじゃぞ」

「そうですか」

 ドミルは途端にその双眸に無気味な光を灯し、低い声で言った。

 彼はあまり驚かなかった。イシュルが五つの魔法具を揃え、神々への請願の方法を探っていることは、以前より“髭”の方から報告を受けていたのだろう。

「場所はどこでしょうか。やはり大聖堂の主神の間ですかな」

「いや、中海のラガンの沖合、あたりだそうじゃ。詳しいことは、まだよくわからん」

「ほう、それは……」

 ドミルは片方の眉をくいっと上げ、真剣に考えるふうを見せた。

「ラガンの沖合には確か、ほとんど島はなかった筈だが」

「そこじゃ。そこが鍵じゃな」

「たぶん、五つの神の魔法具を持つ者だけがいける島があるとか、そういうことだと思う」

 ドミルの疑問にペトラとマーヤが至極当然、といった感じで答えた。

「なるほど、十分ありえる話ですな」

「この件は秘密じゃ。他の者に気安く話してはならんぞ」

 ペトラがドミルを見上げ、どやしつけるように言った。

 子どものような少女が強面の大男を叱りつけるさまは、滑稽な寸劇のように見えた。

「わかりました。しばらくは他言無用にて」

 ドミルは緩い表情のまま腰を落とし、ペトラに頭を下げた。 



 重厚なウォールナットの無垢材で覆われたヘンリクの書斎は、王宮東南角の二階にある。公室ではなく、彼が好んで使う私室のひとつだ。

「うーむ、この部屋は落ち着くの~」

「は、はは。それは良かった」

 ここにもお茶を運ばせ、カップを優雅に口許に運びながらご満悦のペトラと、娘が来てくれてうれしいのか、執務中で早く厄介払いしたいのか、複雑な表情のヘンリク。

 室内にはマーヤと執事長のセバンティスしかいないのは幸いか、ヘンリクに一国の国王たる威厳は欠片も見られない。

「ペトラ」

 と、そこへマーヤの先を促す声。

「おお、そうじゃった。ところで父上、イシュルのことじゃが」

 ペトラはわざとか、とぼけた口調で本題に入った。

「やつめ、とうとうどこでやるべきか、神々への請願の方法を見つけたらしい」

「ああ、それはわたしもつい先ほど、報告を受けたばかりだよ。中海のどこか、無人島を目指して先日、聖都を出発したとか」

 ……無人島とは初耳。その辺ははっきりしとらんのじゃの。

 ペトラはマーヤと一瞬、視線を合わすと言った。

「それは話が早い。のう、父上」

「うん?」

 娘相手に寛ぎ、呆けているのか会話の先も読まず、ヘンリクはにこにこ笑顔で答える。

「イシュルは中海のカレルか、ラガンに向かっているらしい。妾も行ってもよいかの」

「はっ?」

「心配は無用じゃ。マーヤも一緒じゃからの」

 ヘンリクの顔つきがさっと変わる。ペトラはかまわず話を続ける。

「ち、ちょっと待ちなさい。えーと、ペトラは今、何と言ったのかな?」

「だから、マーヤと一緒にイシュルを追いかけると申しておる。前代未聞の、これから先も起きることはないであろう、一大事じゃからの。ぜひ見にいかねばならん」

「な、何を言ってるんだ、ペトラ。それは駄目だよ。いかん、絶対に駄目だ。王都を出るなんて危険すぎる。……まさか、軍勢を率いて行くわけにもいかないし、わたしがそんなこと許せる筈ないじゃないか」

 ヘンリクは顔を強張らせうろたえ気味に、つっかえつっかえ言う。

「それに、今から向かってもイシュルたちには絶対、追いつけないよ」

「そんなことはない」

 ペトラはまたマーヤと目を合わせると、何の臆することもなく続けて言った。

「軍勢なぞいらん。妾は……そうじゃな、マーヤの従者にでも変装して、護衛も最低限に抑えて馬で行く」

「おじさま、護衛はリリーナとアイラに頼む。二人の馬に乗せてもらって、アルサールを縦断する」

 マーヤは行程をさらに詳しく説明した。

「王都街道を西進、ノストールの手前でアニエーレ川を渡河してのち、アルサール大公国を南下する。まずはカレルを目指そうと思う。馬も替えていくから、大公にも用意するよう、おじさまの名前で手紙を書いて」

 馬を替えていく、とは街道沿いの村ごと、領主の居城や居館ごとに替え馬を用意させて、一定距離ごとに馬を乗り換えていく伝馬制のことだ。今回は乗り手が交代しないが、それでも一日で二百里(スカール、約130km)以上の距離を移動できるだろう。

「マーヤまで、そんなことを……。駄目だよ、ペトラ。お父さん、それはどうしても許可できない」

 ヘンリクは、黒檀の重厚な机からふたりの座る丸テーブルの前に移動して、その場で揉み手をするような仕草をし、身をよじって抵抗した。今にも泣きそうな顔だった。

「ふーむ、どうしようかの~」

 ペトラはちらりとマーヤを横目に見て、ついでヘンリクの顔を見上げると、思いっきりわざとらしい口調で言った。

 どちらが王さまなのか、知れたものではなかった。

「……仕方ない。それでは中海行きは諦めるかの。イシュルのことでもあるし、何としても行きたかったんじゃがの」

 じーっとヘンリクの顔を見つめながら、続ける。

「だが、妾は行かぬがマーヤには行ってもらうぞ」

「むっ」

 ヘンリクはふたりの前に立ったまま、苦い顔になって頭をすくめた。

 一国の王にあるまじき嘆かわしい姿であったが、彼の書斎にはほかに執事長のセバンティスしかいない。王宮まで同行してきたセルマは、控えの間にいる。

 セバンティスはいつものことと慣れているのか、まったくの無表情、無反応で彫像のように身動きひとつしない。

「仕方ない。マーヤの中海への派遣を許可しよう」

 ヘンリクはマーヤと目を合わせ、彼女の決意のほどを知ると、そろそろ頃合いかと急に表情をあらため、真面目な顔になって溜め息をひとつ、しぶしぶ小さく頷いた。

「マーヤの好きなように手配しなさい。気をつけて行くんだよ」

 ヘンリクは、連合王国の侵攻を退け王位を継いでから幾分、丸くなった。特に自分のひとり娘には随分、甘くなった。

 彼はペトラが行った初歩的な交渉術(返報性の原理)についても当然、以前から知っていて、娘との会話を単に楽しんだだけのようにみえた。

「ニナと従者たちも必ず連れ帰るように。イシュルが無事帰ってきたら、報告も忘れないようにね」

「うん。ありがとう、おじさま」

「父上、よろしくたのむ」

 ペトラは何度目かマーヤと視線を合わすと、大人びたすまし顔をつくって首肯した。

 彼女も父の気持ちは十分に、わかっているようだった。

   

 

 左右を流れる深い緑。

 時おり、合間合間に紅葉が混じり、視界の端を朱色の線が流れる。

 リリーナの背中からわずかに顔を出し、前方に目をやる。黒と灰色の混ざった道が、濃緑色の両側の壁が、上下に揺れ後方に流れていく。

 全身を貫く振動、馬蹄の音。

 突然、馬の速度が変わった。

 リリーナのからだに力が入る。拍車を掛けているのが伝わる。

 速歩から駆歩へ。村が近いのか、後ろにいたアイラが大公旗を掲げ、前に出た。

 マリド姉妹と王都を出発して五日目。マーヤたちはアルサール大公国領内に入り、湿地帯を挟んで国境を接する聖王国カレスティナ伯爵領を目指し、一路南下している。

 前もって手配したヘンリクの書簡により、アルサール大公は国内の主要な街道に配した早馬を自由に使えるよう、諸侯に下令した。アルサールは先の、連合王国によるラディス侵攻で日和見したことでラディス王国に大きな借りができ、立場が悪く王国からのさまざまな要求を断ることができない状況にあった。

「マーヤ殿、もう少しでブリューネルに着きますよ」

 リリーナが振り返ってマーヤに話してきた。ブリューネルはロネーの森の北端にある街道沿いの小さな宿場の街だ。

「うん」

 マーヤは頷き返すと、大公旗を掲げ前を疾走するアイラの前方、森に囲まれた街道の先を見やった。

 道の先は霧が出ているのか、濃い靄に覆われすべてが霞んで見える。

 王都を出てから今日まで、行程は順調にいっている。だが、それでもカレルまではまだ距離がある。伯爵領に入る時はラディス王家の旗を掲げるので心配はないが、湿地帯では早馬は役に立たない。

 おそらくイシュルの出帆には間に合わないだろう。それでも絶対、カレルに行き彼を追いかけなければならない。中海の、神々を召喚する謎の場所──地図にない島を目指し、見つけ出し、彼に会わなければならない。もし、すべてが終わっていても、彼が生きていれば何か、力になることができるかもしれない……。

 マーヤは乗馬の駆足に激しく揺れながら、濃い霧に霞む道の先を見つめる。

 ……この焦燥、この興奮。不安と期待。

 ふと、イシュルとはじめて会った時のことを思い出す。

 夕日に赤く染まったラジド村近くのフロンテーラ街道で、少年は絶望に打ちひしがれた真っ青な顔で、ひとり北へ向かって歩いていた。

 重く、だが一方で、吹けば飛んでしまいそうな頼りない姿、苦渋に満ちた表情。けれども、彼の眸の奥底に強い意志の光が、怒りの炎が激しく燃え上がろうとするのがわかった。

 イシュルは再び、いや何度目か、またあの時のような苦境に立たされ、死地に向かおうとしている。

 あの時と同じ、もう一度、彼の歩む先を見極めなければならない。

 そしてもし、まだ間に合うなら力を貸して、少しでもいいから助けにならなければならない。

 ……わたしはまだ、すべてを返せていない。

 待っていてイシュル。

 行く手の濃い霧も、じき晴れるだろう。きっとイシュルともまた、再会できるに違いない……。

 マーヤは決してあきらめず、進む道を、その先を見続けた。

 

 

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