監獄城 2

 


「!!」

「な、なに」

「えっ」

 みな一斉に立ち上がり、愕然とした。ただ互いの顔を見合うばかりで言葉が出ない。

 その間にも行き交う船は互いにすれ違っていく。

「もう」

 ルシアは乗っている舟の船頭らしき男と二言三言話し、銀貨を握らせるとその場から跳躍、イシュルたちの船に飛び移ってきた。

 マントやメイド服の裾をなびかせ、疾き風の、武神の魔法を使って華麗に空を舞い、あらぬ距離を飛んで船上に降り立った。

 彼女の乗っていた船は、ゆっくりとした船足で上流へ離れていく。

「あら、まあ」

「ルシア、詳しく」

 ミラの間の抜けた声と、イシュルの急いた声が重なる。挨拶する時間も惜しい。

「はい、わかりました」

 ルシアは胸に手を当て息を整えると、その場で立ったまま説明をはじめた。

「わたしは昨日、ラバーニにて皆さまの宿の手配を済ませ、ミラさまにお知らせすべく、先ほどの荷船に乗せてもらおうと港の商人ギルドで手続きをしておりました。その時、下流のカレルより急使が到着し騒動になりました。使いによれば、下流のフラーガ砦で囚人どもが暴動を起こし、城内の一部を占拠したということでした。まずいことに、そのフラーガ砦に聖都から派遣されていた宮廷魔導師隊が駐留していたのです」

「あの、監獄城にですか」

 ミラがさっと顔色を曇らし、不安そうに言った。

「はい、お嬢さま。イシュルさまが膨大な数の蜥蜴人どもを退けてくださったあの日、魔導師隊はカレルから三角州を東進、渡渉で三日ほどの辺りにいたそうです」

「それは……」

 ピルサたちの派遣隊はあの時、フラーガ砦に向かっていたのか。

「あの子らも、蜥蜴人の大移動に巻き込まれて……それで、フラーガ砦に逃げ込んだんだな」

「そうです」

 ルシアは、イシュルに向かってひとつ頷くと説明を続けた。

「通常、隔年ごとに派遣される魔導師隊は、実際にフラーガ砦に入城することはほとんどなく、お城を一望できる地点まで前進して、それでカレスに帰還するのが慣例になっていたそうです」

「あの城は監獄を兼ねていますから。毎日のように囚人が死に、城内で疫病が発生する時もあります。城の外より中の方が危険なくらいです。だから立ち入らない方がいいのですわ」

 と、これはミラ。

「それが砦を見るだけで引き返してくる、主な理由というわけだ」

 フラーガ砦が囚人の監獄を兼ね、“監獄城”などと呼ばれ忌み嫌われているのはルフィッツオとロメオから聞いている。

 ピルサとピューリも城の外観を見て、位置を確かめるだけで引き返す筈が、リザードマンの大群の襲来で、その危険な城に避難するしかなくなったのだ。

「蜥蜴人の大群襲来で、派遣隊が避難してきて城内は一層混乱、その隙を突いて囚人どもが反乱を起こした、と」

「いま監獄城にいる囚人には、去年の政変で失脚した貴族、つまり魔導師や騎士、それに尖晶聖堂の影働きだった者がたくさんいるそうです」

「だがそいつらはみな、監獄に送られる前に魔法具や得物を取り上げられるだろう。騎士や影働きの猟兵だったら、体術のできる者もいるだろうが……」

「それが、そうもいかない場合があるのです」

 ルシアはさらに深刻な顔になって言った。

「フラーガ砦に送られた貴族や魔導師たちのなかには、複数の魔法具を持ち、裕福な者が少なからずおります。その者たちは、聖王家の役人や看守の目をすり抜け、あるいは買収して、魔法具や高価な宝石、金品を砦に持ち込んでいるのです」

「なるほど」

 ……まあ、そういうこともあるだろう。辺境の監獄であろうと、いやだからこそ、生き残るために強力な手札はかかせない。

 イシュルはかるく頷き、ルシアに質問した。

「それで、反乱を起こした連中の目的はなんだ? さっさと脱獄すればいいのに、なぜやつらは城を占拠して居座っているんだ?」

「城内に逃げ込んだ宮廷魔導師隊を人質にして、聖王家やカレスティナ伯爵と赦免交渉することです」

「はあ?」

 何をバカな。そんなことできるわけないだろう。サロモンはじめ、そんな要求に応じる者など聖王家にはいない。応じるフリをして、強力な魔導師や尖晶聖堂の討伐隊を派遣、さっさと囚人どもを皆殺しにしてそれでおしまいだ。城に籠っていようと人質がいようと、たいした問題ではない。

「いえ、それがそうでもないのです」

 ルシアはイシュルの顔を見て、すぐ察して続けて言った。

「フラーガ砦には、最も罪の重い凶悪犯や、身分の高い貴族や神官、あるいは影働きの者たちが送られます。囚人は生きて出獄することはありません。死ぬまで周辺の開拓工事と魔物退治に従事させられます」

「ああ」

 イシュルは不機嫌そうに、唸るような声で頷いた。

 ……そのことはルフィッツオとロメオから聞いている。凶悪犯や政治犯など重罪人を辺境に送り、開拓事業にすり潰すやり口はどこも同じ、お定まりのことだ。

「先ほどもお話ししたことですが、今の監獄城には王位継承の政変で失脚した魔導師や、尖晶聖堂の実力者が多数、収監されていました」

「──えーと。もうそろそろ、急いだ方がいいんじゃないか。イシュル」

 その時、横からリフィアが言ってきた。

「ん? ……そうだな」

 ルシアが急報を耳にして丸一日近く、反乱が起こってから二、三日は経っているだろう。

 今この瞬間も城内で戦闘が続いているか、あるいはもう、ピルサとピューリは囚人どもの人質として捕らわれているかもしれない。

「リフィアさんの言うとおり、すぐフラーガ砦に向かいましょう。話の続きは、道中でわたしの方で説明しますわ」

「えっ、ああ」

 イシュルは呆然とミラの顔を見た。

 ……まさか、俺についてくるつもりか。

「わたしも行こう。相手は大人数で、しかも城の中だ。もう、派遣隊の者たちを捕まえ人質にとっていたら、かなり厄介だぞ」

 と、リフィアも行く気満々だ。

 確かにフェデリカ、ウルーラとリンドーラヌス、三名の召喚精霊を連れて行くとしても、相手は元魔導師や影働き、数々の陰謀に加担した貴族や神官らの集団だ。ミラたちにも手を貸してもらった方がいいかもしれない。

 フラーガ砦自体も、こうして話には聞いていても実際に見たことはない。不案内であるのは否定できない。

「ふむ」

 イシュルは顎に手をやり一瞬、考え込むふうをした。

「よし。じゃあお願いしようか」

 今はスピードと、人手が重要か。

 ……フェデリカ、ウルーラ、リン。ついて来い。力を貸してくれ。

 ……はい。

 イシュルが三人の精霊に命令すると、すぐ心のうちに応答があった。

「では、えーと」

 続いて、誰を残すか……。

「わたしが残りましょう。船の方はまかせてください」

 いつものごとく、ニナが申し出てくれた。

「ルシア、あなたも残って。お願い」

 ルシアがミラに頭を下げる。イシュルがロミールに視線をやると、彼も大きく頷いてみせた。

「じゃあ、出発するか」

 イシュルが言うと、ミラがシャルカの肩に乗って、いの一番に飛び上がった。

「よし!」

 イシュルも飛び上がると、リフィアも跳躍してイシュルにしがみついてきた。

「うぐ」

「あら、リフィアさんたら。ずるいわ」

 リフィアに左腕を引っ張られイシュルが呻き、ミラが唇を尖らせてぼやく。

 視線を足許に向けると、船上から大口を開け呆然と見上げる船員たち、手を振るニナたちの姿が見えた。

「急ぐぞ、シャルカ」

 無言で頷くシャルカ、すぐ機嫌を直し微笑を浮かべるミラ。するするとイシュルに近づいてくる。

 左肩からぶら下がるリフィア、そしてミラとシャルカを風の魔力で包む。高度はそこそこに、南東方向へ速度を上げていく。

 ……フェデリカ。

「はっ、剣さま」

 心のうちで風精を呼ぶと、彼女は今度は声に出して応答した。

 リフィアの反対側、すぐ傍に彼女の気配が現れる。

「監獄城の場所はわかるか? 先行して様子を見てきてくれ」

 イシュルは、城内の争乱に不用意に介入しないように、と独断を強く戒めてからフェデリカを偵察に出した。

 フラーガ砦までは直線距離でおそらく、百五十里(スカール、100km弱)ほどか。前方は濛気がひどく、遠方の様子ははっきりしない。ドナート川からも離れ、南へ直行し眼下は一面、蘆原や大小の河川が交錯した三角州が広がっている。

 靄は濃いが、一応天気は晴れていて雲は少ない。速度をさらに上げ、風の魔力の壁を厚くすると、ミラが話しかけてきた。

「先ほどのルシアの話の続きをわたしがしましょう」

「えっ、ああ」

 ……多少の風切り音はあるが、ミラの声ははっきり聞こえる。

 だがそれよりも、彼女はルシアと違い向こうの様子を直に耳にしてきたわけではない……。

「サロモンさまの即位後、フラーガ砦には多くの囚人が送られました。みな国王派の、複数の魔法具を隠し持つ貴族や、第一線の実力ある宮廷魔導師、練達の影働きの者たちです。彼らは王家の厳しい詮議から逃れ、流刑先のフラーガ砦に所持する魔法具や金品の一部、得物などを持ち込みました。もちろん買収も行われたことでしょう。また、隠蔽などの能力に長けた者もいたと思います。結果、監獄城にはかつてないほど強力な、魔導師や猟兵らの罪人が集合することになったのです」

 ミラはシャルカの耳許に小声で何事か囁いて、さらにイシュルの方に近づいてきた。リフィアも大人しく、ミラの話を聞いている。

「彼らは以前から、脱獄の計画を進めていたようです。そこへ今回、絶好の機会が訪れました」

「蜥蜴人(リザードマン)の大群の、一斉南下か」

 風切り音が、なぜか遠く聞こえる。

 ……そこら辺のことは、すでにルシアから聞いている。

「イシュルさまは、監獄城で使い潰される囚人たち、たとえば元魔導師だった者がどうやって魔物狩りをしているか知っていますか?」

 ミラはイシュルの問いに答えず、逆に質問してきた。

「それは……」

 ルフィッツオたちから聞いたかな?

「お城の方で独自に管理している、本人の所持していたものとは異なる魔法具を貸し与えられるのです」

「あっ」

 確かに、どこかで聞いたような……。

「風系統の魔法具を持っていた者は風系統の魔法具を、火の魔法具を使っていた者は火の系統の魔法具を、という具合にです」

「騎士や兵士だった者は、得意の得物を貸し与えられるわけだ。槍とか弓とか、片手剣に盾とかな」

 横からリフィアが入ってきた。彼女も監獄城のことを、それなりに知っているようだ。

 ミラの話によれば、フラーガ砦でも一応、重罪人であっても騎士階級以上の者には個室──独房といっても寝台や椅子、チェストなど家具もある通常の個室が与えられ、一部の書物や筆記具も支給され、外部に手紙を出すこともできるということだった。

 もちろん、貴族階級の監獄における待遇としては特にめずらしいものではないが、辺境にある監獄として独特なのが、魔導師や騎士、猟兵らに獄舎で所有する魔法具や得物を渡して周辺の魔物退治をさせている点だ。そうして周囲の安全を確保しつつ、一般の囚人たちを使って開拓、開墾を進めるわけだ。

 特徴、能力を把握している魔法具や武具を貸し与え、魔物を斃し続け生きながらえている間は人並の生活を保障してやる。それが魔導師や騎士の罪人たちに対する、聖王家の処遇であった。

 だが、この処置を実行するには問題点があった。それは管理する側に、彼らを統制するより強い“力”が必要なことだった。

「フラーガ砦、別名監獄城は二重の構造になっています。古い、コの字型の外郭と、その中心部から西側に突き出た一文字形の内郭。この外郭部と内郭部が、近接する別個の、独立した城のような構造になっているのです」

 ミラの説明によれば、コの字型の外郭部が、昔の“砦”時代からあった城郭で、数十から数百名ほどの囚人が収容されている、文字どおり“監獄城”に相当する箇所で、中央の、後から築城された大型の尖塔からなる横一文字形の内郭が、囚人どもを管理する獄吏の居城となっているのだという。

「城主は聖王家や五公家、カレスティナ伯爵など南部の大貴族から派遣された複数の魔導師たちが輪番で務めます。城内には交代でほかに数名の魔導師たちが詰め、カレスやラバーニ間を往復しています。彼らには聖王家の騎士団や伯爵家の騎士、兵士らが護衛につき、城兵として駐屯します。魔導師や騎士らは獄吏を、彼らの従僕や兵士たちが看守を兼任するわけです」

「その魔導師や騎士たちが実力者揃い、というわけか」

 当然、囚人である元魔導師や影働きだった連中を御していくのだから、獄吏は彼らより強くなければならない。

「イシュルさまのおっしゃるとおりなのですが……」

 ミラはちらっとリフィアの方を見て言葉を濁した。

「ミラ殿、わたしのことは気にしなくていいぞ」

 リフィアはミラににっこり笑って言った。

 わたしはすべて知っている、といったふうな顔をした。

「フラーガ砦に派遣される魔導師たちは、決して実力者ばかりではありません。何分辺境の城ですので、聖王家も常に有力な人材を派遣できるわけではないのです」

「ふむ?」

「かわりに、監獄城の中央に聳える尖塔に設置された魔法具によって、強力な土の精霊が召喚され、城内の囚人どもを常に見張っているのです」

 疑問の声を出したイシュルに、ミラはおそらく秘密とされている、決定的な事を話した。

 ルシアにかわって説明するのに特に戸惑う様子がなかったのは、彼女が監獄城の秘密を熟知していたからだった。

「やはり、か」

「それはアデール聖堂の水の精霊、アデリア―ヌの場合と同じだ」

 リフィアが頷き、イシュルが感嘆の声を出した。

 ……あるいは、王城の太陽神の塔を守る精霊とよく似たパターンか。

「フラーガ砦を守る土の精霊の召喚魔法具は、尖塔の最上階にある部屋に設置されています。派遣された魔導師の代表がその部屋に入り、滞在している間その精霊と仮の契約を結ぶのです」

「なるほど」

 ……強力な精霊が高所から常時見張っているとしたら、並みの魔導師ではとても歯が立たないだろう。

「便利なものだな」

 リフィアもうんうんと、何度も頷く。

「それが今回、蜥蜴人の大移動という変事があったとはいえ──」

 ……!!

「ん?」

 そこで、偵察に出していたフェデリカから急報があった。

 だが、まだ距離があるのか、はっきり言葉にならない。

 イシュルはさらに速度を上げ、フェデリカに心のうちで強く呼びかけた。

「どうした? 何があった?」

 ……今、まさに……最中……です。 

 次第にフェデリカの声が、言葉となって聞こえはじめる。

 ミラとリフィアはイシュルの様子を見て、緊張した表情になった。シャルカはいつもの無言、無表情のまま。だが微かに眉を上げ、前方を見つめる視線に力がこもる。

 風の魔力の障壁に当たる風圧が強くなっていく。辺りを吹く風の様子が変わった。海風だ。

 前方を覆う蒙気に水平線が浮き上がってくる。

 ……遠方で瞬く、微かな魔力の煌めき。

「城内は内郭と外郭に分かれ、ふたつの勢力が争っているようです」

 と、フェデリカの声が耳許ではっきり聞こえた。

「敵側でしょうか。魔封陣を城全体に張っています」

「ほう」

 イシュルは眸をわずかに細めると、即座にフェデリカに命じた。

「魔封陣は破壊しろ」

「はっ」

 一瞬の間、前方やや左寄りにはっきりそれとわかる風の魔力が煌めいた。フェデリカが魔封陣を破ったのだ。

「あそこか」

 と、これはリフィアの声。

「火や風、水の魔法……土の魔力も感じます。城内の一部で火の手が上がりました」

 魔封陣が消えたことで、今まで制限されていた魔法も戦闘に使われ出したのだろう。

「中央の尖塔は無事か」

「はい。土の精霊が一体、居座っています。防御魔法陣を張りましたが──」

 フェデリカは精霊が弱っているのか、すぐ破られそうだと報告してきた。

 淡い緑と無数に曲折する大小の河川。

 海が近づくにしたがい蒙気が晴れ、前方は緑が消えて遠浅の砂浜に変わらず、濃く薄く河川が曲がりくねっている。

 そこへ岩礁が幾つか点々と、その最も大きな岩礁に、尖塔が見えた。

「ああ、あれはモンサンミッシェルだな」

「もんさん?」

「いや、なんでもない」

 リフィアが間髪入れずに聞いてきたが、イシュルはさらっと流した。

 遠浅に浮かぶ孤城は、確かにフランスの名勝地、モンサンミッシェルを彷彿とさせるものだった。

 だが、岩礁の外縁部の多くを古い城壁が覆い、城郭に突き出た樹々や建て増しされた建物が乱雑で、あまり美しいとは言えない外観だった。

 さらに接近し、素早く城内の状況を観察する。

 フェデリカの言うとおり、さまざまな魔法が城の内郭と外郭の間ではっきり、煌めいて見える。外郭の曲輪から火魔法が尖塔にたたきつけられ、尖塔の上部からは水球が投げつけられている。尖塔をコの字に囲む曲輪からは、ほかに多くの囚人どもが蝟集し、弓矢を打ち放し、投石し、内郭に梯子や縄をわたして侵入しようとしている。

 尖塔がまだ、囚人どもに制圧されてないのは僥倖だったが、内郭の塔の根元はすでに城側の兵士の姿は見られない。もう尖塔内部に侵入している者もいるかもしれない。あまり猶予はない。ピルサとピューリはまだ確認できない。おそらく塔の上部にいると思われるが……。

「着きましたわね」

「どうする」

 ミラとリフィアも城塞を一望し、聞いてくる。

「フェデリカはそのまま気配を消して上空から監視、リンはこの位置で見張れ。ウルーラは城の外に逃げ出した者を捕らえろ。城内の囚人どもは俺たちで片づける」

 まずは召喚精霊に指示し、

「今回はフェデリカたちは支援に回す。囚人どもの反乱は、俺たちで鎮圧しよう」

「まあ」

「おお」

 ミラとリフィアが喜声を上げる。

 ふたりはだが、偽書検分の当日に旧国王派の不満分子を直接、制圧している。イシュルは最近荒事に関わることが少なく、今回は魔法を制限し、自ら争闘の場に踏み込み身を晒そうと考えた。

 ……ヘレスら神々を召喚する時、何が起こるかわからない。またしっかり、直接殴り合うような生々しい感覚を取り戻しておく必要がある。

「俺の魔法や精霊たちで制圧するのは簡単だが、ちょっと荒事にも慣れておきたいからな。つき合ってくれ」

「わかりましたわ」

「よし、まかせろ」

 ミラとリフィアは元気いっぱい、明るい声だ。

「ふたりは、外郭の曲輪で暴れている囚人どもを制圧してくれ。俺は内郭の尖塔を見てくる」

「ピルサさんたちも塔の上の方にいると思いますわ」

「……では行くか」

 リフィアはミラとひと言二言、かるく話すとイシュルに向かって言ってきた。

「城に向かって放り投げてくれ」

 イシュルたちはこの時、監獄城の北側、一里長(スカール、約0.6~0.7km)ほど離れた上空にいた。

「よし」

「ではまた、イシュルさま」

 イシュルが返事をすると、ミラがシャルカとともにするすると砦の正面上空に移動していった。

「じゃあ、がんばって。よいしょっと」

 イシュルはやや西側に回り込み、城に近づくとリフィアの両手を持って前方へ放り投げた。

 瞬間、リフィアは武神の矢を発動し一気に加速すると、空中でからだを丸め回転しながら落下し、外郭の城壁の上に降り立った。

 ミラは上空から無数の鉄球を撃ち始め、曲輪で尖塔に向かって攻撃していた囚人たちは、瞬く間に混乱状態におちいった。そこへリフィアが突入し、西端の方から囚人たちを吹き飛ばしていく。敵方の土の魔導師が召喚したか、十長歩(スカル、7m弱)ほどの大きさの土の精霊、ゴーレムが姿を現した。だがリフィアはそれも足蹴り一発で粉砕すると、ミラが鉄球の雨を降らすのも構わず、周囲を蹂躙していった。

「ウルーラ、尖塔を守る王家の精霊にひと言、ことわっておいてくれ」

 ……了解。

 イシュルは自らの土精にひと声かけると、内郭の尖塔の根元、入口の前に着地した。周りには城兵と思われる者たちが数名、倒れていた。

「……」

 イシュルは自らの周りに、万能の新魔法を薄く張り巡らし、塔の中に足を踏み入れた。内部は樽や木箱などが雑然と積み上げられ、一部は血糊に染まり、焼け焦げているものもあった。城兵や囚人らしき死体の姿も見えた。

 階段は内壁を伝いながら上に伸びていた。直角に曲がりながら最上階まで続く、石積みの廻り階段だ。途中、踊り場でところどころ床を伸ばし、小部屋がしつらえてあった。

 上の方からは誰かの叫び声、主に火や水の魔法が時おり発せられているが、塔を守る土の精霊の防御結界がまだ効いているのか、威力が半減し、あまり効果が出ていないようだ。

「俺が上に行くまで持ってくれよ」

 イシュルが階段を上り出すと、最初の踊り場から暗闇を背負った男の影が飛び出してきた。隠れ身の魔法を切り、加速の魔法で短剣を振り上げ突っ込んでくる。

「おおっ」

 イシュルは上体を捻って男の突きを躱し短剣を叩き落とすと、反対側の腕を捻り上げ、階段から突き落とした。そして、落下する男の右腕に刻まれた魔法陣の刻印を、幾筋か、服の上から切りつけ無効化した。

「こ、この!」

 さらに二階ほど駆け上がると、小部屋の中に潜んでいた男がいきなり火球を撃ってきた。薄暗い塔内で、眩い光が壁面を踊った。イシュルは片膝をつき身を沈め難なく避けると、杖を掲げる男の右腕を丸ごと風魔法で吹き飛ばした。

「ぎゃああ」

 魔法の杖と男の腕が散り散りになり、深くかぶったフードの下から苦悶の叫声が響いた。

 ……これで、上にいるやつらに完全に気づかれたな。

 だがそれでいいのだ。単純に制圧するだけなら風獄陣でも、新魔法でも、塔全体を結界で覆ってしまえば、それで済んでしまう。相手から先に、存分に攻撃してもらうのが肝心なのだ。

 イシュルはひとり苦笑を浮かべると、階段を上っていった。

 途中、隠れ身の魔法を使って潜んでいた影働きをひとり片づけ、最上階に近づくと死角からいきなり、使い古した革鎧の男が長剣を振りかざし飛び掛かってきた。

「!!」

 この剣士も加速の魔法を使ってきた。イシュルは魔力を込めた手刀で剣の刃を叩き折ると、男の腕を引っ張りそのまま階下へ突き落とした。

 男はくぐもった悲鳴を上げながら下の小部屋を突き破り、塔の下方へ落ちていった。

「バルヘルよ、我に力を」

 と、最上階の踊り場に佇む数名の人影から、よく練られた詠唱短縮の呪文が響き大きな火球、いや火壁がそそり立ってそのままイシュルの真上に落ちてきた。

 ……防御魔法を攻撃に使うのか。

 イシュルは眼前に広がる火壁をただ念じるだけで吹き飛ばし、その先に人差し指をすっと伸ばした。

 弾け飛んだ火壁のすぐ裏側に数個の、大きさが不揃いの鉄球が浮かんでいた。ミラの使う金の魔法と比べるとだいぶお粗末だったが、火の魔法にタイミングを合わせ無詠唱で発動されたのだから、相当実力のある魔導師の技かもしれなかった。

 一瞬、最上階の人影に目をやるとイシュルは相手の金の魔力を“奪い”、宙に浮かぶ鉄球をその人影に突き刺した。鉄球は階上にいる敵の全身を貫き、その奥の尖塔の石壁も貫通して外へ飛んでいった。

 ……ふう、これで助かったわい。

 最上階へ登りながら、心のうちではじめて聞く男の精霊の声がした。

 おそらくこの城の守り手の、土の精霊のものだろう。

 最上階に登ると頑丈な鉄の扉があった。鍵が幾重にも掛かっていたがもう魔法の気配はなく、イシュルは難なく扉を開け、その部屋に入った。

 重厚な石壁に豪奢な幾つかの家具、複雑な文様の絨毯。天井からは照明器具とは違う、木刻のオブジェが吊り下げられている。それは明らかにこの塔の精霊と関わりのある魔法具だった。

「イシュルっ!」

「イシュルっ!」

 塔の外も中もすっかり静かになったところへ、ふたりの少女のイシュルを呼ぶ声が重なった。

 部屋の中にいた数名の魔導師や騎士たちの中から、小柄な、同じ背格好、顔立ちの女の子がふたり走り寄ってきた。

「おおっ」

 思わず感嘆の声を上げるイシュルの腰に、ピルサとピューリが両側からがっしと、しがみついてきた。

 

 

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