【幕間】誰も知らない、名も知れない
「またか? それも急だな」
「イシュルさんがちょっと可哀想な気がします……」
「あら、この前の夜会とは違いますわ。イシュルさまの存念を、もっと掘り下げて知っておかなければなりません。わたしはいたって真剣ですわ」
「うむ、……それはそうだが」
「イシュルさんは疲れています。明日にした方がよいかと」
「今晩しかありませんわ。急がないと、精霊さまを召喚されたら手が出せなくなるかもしれません。別に脅し透かして詰問するようなことではないのですが……。でも、わたしたちとイシュルさまにとって、とても大事なことですわ」
「うむ。仕方ないか」
「わ、わかりました」
「では夕食後に、この談話室(サロン)で」
「よし」
「はっ、はい」
それは逃亡した黒尖晶にレニを攫(さら)われた翌日、疲労したイシュルが自室で仮眠をとっていた、ごく短い間に交わされた会話だ。
当の昔に、自らの命をかけていた。イシュルとともに歩んできたのだ。
ミラと、リフィア、ニナの三人の少女。彼女たちにはまだ、知っておきたいことがあった。
給仕のメイドが食器を収めたワゴンを押し部屋を出ていくと、その出て行った扉の前へシャルカがするすると移動した。
そして常のごとく彫像のように微動だにせず、談話室の出入り口を完全に塞いでしまった。
「……」
イシュルは彼女の動きを見て、当惑した表情を浮かべた。室内の空気が一変した。
「さて、イシュルさま」
談話室に急遽運び込まれた、四人掛けの食卓。イシュルの正面に座るミラが、僅かに眸を細めて言った。
「うっ?」
イシュルは困惑を通り越し怯えさえ見せて、顔色が真っ青になった。
……何だろう。俺はまた何か、まずいことをやったのか? まさか、早朝に打ち明けたあの話のことではないだろうし……。思い当たる節がない。
「イシュル、心配することはないぞ」
隣りに座るリフィアが、顔を近づけzやさしく声をかけてくる。
特にからかったり、皮肉な様子は見られない。
……だ、大丈夫そうだな。
イシュルはミラの隣りで、やはりにっこり微笑むニナの顔を見て、何とか動揺を抑えた。
「今朝方、話していただいた秘密のお話、わたくしはとても感激しましたわ。これから試練に臨むにあたって、とても大切なことを知ることができたと思います」
ミラは再び笑みを浮かべ、ひと言つけ足した。
「──ここきて、やっと」
その声音には小さな棘。
「はは」
……やっぱり駄目か。いつぞやの審問会の続きか、これは。
イシュルはあまりに情けない、力ない声で小さく笑った。
「今まで教えてくれなかったのは悲しいが、レニ殿が捕らわれた以上、仕方ないな。四つの魔法具を手に入れ、おまえがどれだけ強くなっても、どうにもならないことはあるのだ。それなら、わたしたちでも力になれることはあるだろう」
「イシュルさんの秘密を知ることができて、わたしもうれしいです」
と、リフィアとニナは影のない、真っすぐな言葉を投げかける。
「そう、これからはわたしたちだけの秘密のお話。朝はあの場で、時間がありませんでしたから。続きをしましょう」
ミラはその笑みをただ甘い、優しいだけのものに変えて言った。
「あの状況ではな。周りに人がいない、見晴らしの良い場所だったが」
「ああ」
イシュルは小さく頷いた。
リフィアの言った「見晴らしの良い場所」には、警戒のしやすい、盗み聞きしにくい場所、という意味が含まれている。
……どうやらこの場は真面目な話のようだ。それならたとえ尋問だろうと、きちんと応じなければならない。
イシュルは僅かに背筋を伸ばすと、向いに座るミラ、それからニナ、リフィアへと視線を向けた。
「イシュルさま。それではまず、わたしから質問がありますの。よろしいでしょうか?」
やはりか、ミラが最初に口火を切る。落ち着いた、思慮深い眸がイシュルの姿を映す。
「いいとも」
「朝方の、あの時にイシュルさまは、子どもの頃森の魔女レーネに殺されそうになって、その時風の魔法具を手に入れた、と言いましたよね? なぜ、レーネ男爵に殺されそうになったんでしょう?」
「……」
質問するミラと並んで、同じように微笑むニナとリフィア。
イシュルは右手にまかれた包帯を、左手でかるくさすりながら小さく頷いた。
……なるほど。何を話題にするか、もう彼女らの間で打ち合わせ済み、ということか。
彼女の言うとおり、あの荒事の直後ではかいつまんで話すしかなかった。ミラたちにしてみたら確かにもっと、他にも訊きたいことはあったろう。それを三人で持ち回りで、質問していこうということらしい。
「そうだな」
イシュルは少し考えるふうな顔をすると、おもむろに話しはじめた。
「子どもの頃、世界中を見て回れる商人になれたらいいな、と考えていたんだが、ちょうど弟が生まれて家業を継ぐ必要がなくなったので、それならと、大伯父にせがんで文字や算術を習い始めたんだ」
なぜ、商人になりたいと思ったか。それはその人物、ベルシュ家の前当主、ファーロに子ども向けの教本を見せられた時だ、と事実を少し捻じ曲げ説明した。
その言葉を学ぶ絵本に、王様や魔法使い、大きな街やお城、そしてドラゴンなど魔物が描かれ、ついでに大陸の絵地図も見せてもらい、それらのものを見て回りたい、と思ったのがことの発端だった。商人になれば世界中を旅することができるかもしれない。その商人になるには文字の読み書き、算術ができなければならない──と、このことは事実をありのまま話した。
「物覚えはまぁ、いい方だったかもしれない。村を出て街に行き商人見習いになるには、算術が得意だと両親や村の者たちに知ってもらうのが有効だ。それで行商人が来た時に、つり銭の計算をやってあげたり、ベルシュ家の帳簿付けを手伝ったりしていた。それで、ねらいどおり村で評判になったのは良かったんだが、同時に、森の奥に隠遁していたレーネに知られることになった」
前世の記憶を、経験を持って生まれた転生者であることだけは隠して話を続ける。
「みんなも知ってのとおり、あの頃レーネはマレフィオアの“神の呪い”を受けて、風の魔法具がうまく使えない状況にあった。彼女が引退し、故郷の村に隠棲することになったのもそれが原因だ。それから百年の間、老いたレーネはまだ自身の復活を諦めていなかった」
イシュルはそこで言葉を切り、ミラたちの顔を見回した。みな真剣な顔で聞いている。
「あの婆さんもかなり耄碌していたが、俺の噂を聞いて万が一、人間の知能を上げるような魔法具を持っているかもしれないと、調べてみようと自分の家に呼びつけたんだ」
「ちのう、か」
リフィアが小声で呟く。「知能」などという言葉は、この世界ではまだ聞きなれない言葉だ。
「頭の働きを上げるような魔法具、といったところだな。そんなものあるとは思えんが」
「精霊神の魔法具なら、ありそうな気もしますわね」
「もしあるとしたら、毎日寝てばかりで起きている時間が短いかわりに、その起きている間は偉大な賢者のように頭が良くなる、という感じになると思います」
「ふふ、なるほど。いかにもありそうだな」
イシュルはかるく笑うと話を続けた。
「で、あの婆さんに眠り薬を盛られてな。気づくとテーブルの上に縛り付けられて、頭をかち割られるところだった」
「頭を?」
「ああ。俺はそれらしい装身具を何も身につけていなかったからな。それなら魔法具は頭の中に入っているのだろう、と考えたらしい」
「レーネは今のイシュルさまや、リフィアさんの持つ魔法具と、同じ種類のものだと推察したわけですね」
「うん。そこで俺は必死に抵抗して──」
イシュルはその時の一部始終を詳しく、偽りなく話した。
ミラたちが揃って強い反応を示したのは、レーネの死体から白い蛇が現れ、その顎(あぎと)から一振りの剣を吐き出したところだった。
「その白い蛇が、マレフィオアの“神の呪い”の正体ですわね」
ベルシュ家にも伝わる風の神殿の紋章、剣を咥え(吐き出し)まとわりつく蛇は、白蛇ではなく見慣れた茶褐色の体色だとイシュルに指摘したのはミラだった。
聖堂教においても、蛇はよく神の遣いやその化身と見なされるが、特に白蛇は水神との関係が強く、水の精霊は白い蛇の姿形をしているものも多い。
マレフィオアは、水の女神フィオアの妹だったものの一部が元になっているから、白い大蛇の姿をしていた。したがって、風の剣を飲み込んだ白い蛇は、マレフィオアの“神の呪い”を表わすと考えられるわけだ。
「なるほど。つまりマレフィオアとレーネ男爵が繋がり、赤帝龍とマレフィオアが繋がっていたわけだ。そして」
そこでリフィアはイシュルを強い視線で見つめ、笑みを浮かべて言った。
「そのすべてとイシュルが繋がっていたわけだ。これでは誰でも、神々にその訳を訊きたくなるというものだ」
「……」
イシュルも微かに笑みを浮かべ、リフィアの視線を受け止めた。
……そこにブリガールに殺されたベルシュ村の人々、俺の家族を絡めなかったのはリフィアのやさしさか。
「イシュルさんだけじゃないです。わたしたちも繋がっているんです」
ニナも柔和な表情になって言った。
そう、ここにいる者はみな、同じ運命で繋がっているのだ。
「そうかもしれない。だが、最後の最後は結局、イシュルひとりになるだろう。おまえが神の魔法具を持っているのだから」
リフィアが視線をそらし、どこか寂し気な顔をして言った。
……そうだ。世界を成す五元素の神の魔法具を得た者だけが、神々の祝福を受けどんな願いも叶えることができるのだ。
無数に存在するありふれた物語、神さまが正直者の善人の前に現れて「おまえの望みをかなえてやろう」とのたまう、あれと同じだ。
ただし、俺は正直者の、善人でも何でもないが。
それに、勇者や英雄であるともいえない。大陸の平和のために、人類の存続のためだけに、赤帝龍やマレフィオアと戦ってきたわけではないからだ。
俺は自分自身のために、戦ってきたのだ。
確かにリフィアの言うとおり、最後は俺ひとりだろう。だが……。
「イシュル、わたしからの質問はそれだ。わたしたちはどこまで、おまえとともに進むことができるだろう?」
リフィアが、その寂しげな顔を向けてきて言った。
「それは俺もわからないが……」
まだ漠然として、何も見えない彼方を想う。
イシュルは食卓の上で両手を握りしめ、リフィアの顔をまっすぐ見つめた。
「俺が神々と対峙するすぐ傍に、いられれば最高なんだがな。まずその場まで、俺自身が辿りつけるかわからない。月神がメリリャの姿をして降臨したら、俺はそれを見過ごすことはできない」
それはつまり、俺が背教者になるということだ。
「……」
ミラの顔を見ると、彼女は黙って頷いた。
それは俺の意志を肯定するものだった。
「つまり、だから……最後まで、きみたちを守ることはできないかもしれない。俺たちは神々、特に主神へレスと相まみえる場まで辿りつけないかもしれない」
「うむ、それでいいんだ。おまえが何も言わずに、わたしたちを置いていってしまわないのなら」
リフィアは穏やかな顔になって頷いた。
「わたくしたちも、イシュルさまの足手まといにならないよう、これまで以上に頑張らなければなりませんわね」
「とにかくその前に、レニを救い出さなければならないが」
イシュルがそういうと、みな一様に表情を引き締めしっかり頷いた。
「レニさんは無事ですよね」
ニナが確認するように訊いてきた。不安を抑えきれないのだ。
「今までの経緯(いきさつ)を考えると、レニは間違いなく生きているだろう。俺をおびき寄せ、行動の自由を奪うための手玉にしているのさ」
怖いのは、俺が水の神殿跡に辿り着いた時、水神フィオアと相まみえるその時に、もう用済みだと、目の前で殺されてしまう可能性があることだ。レーリアはそういうことを平気でやってくる。運命神なのに、いや、だからこそ、人間の運命を弄ぶことに躊躇しない。それどころか、自分の力を行使することに快感を得ているふうにさえ、感じられる。
「はい……」
ミラとリフィアは同意する様子を見せたが、ニナは視線を逸らしまだ不安そうな素振りを見せた。
「?」
不審に思い、イシュルが首をかしげニナを見やると、彼女はさっと笑みを浮かべ明るい顔になって言った。
「わたしもイシュルさんに質問があるんです」
ニナは誤魔化すように言ってきたが、イシュルは構わず「うん」と頷き話の先を促した。
「イシュルさんは前に、わたしに水は万物の源(みなもと)だと教えてくれましたよね? どうしてそんな凄いことが思いつくんですか」
「はっ?」
イシュルは突然の話に、はっきり困惑した顔になった。
「ほう、水は万物の源か。なかなかいいことを言うじゃないか、イシュルは」
「わたしも子どもの頃、聖都の水の神殿で、偉い神官さまから似たようなことを聞いた覚えがありますわ。さすがはイシュルさま」
「いや、それは、似たようなことが、ベルシュ家の蔵書に……」
イシュルはしどろもどろになって結局、いつものごとくあやふやな弁明を続ける羽目になった。
「シャルカ。みんなしばらくこのまま、寝かせてあげよう。明け方にでも起こそうか」
「ああ」
イシュルはシャルカに小声で話すと、自室に戻った。
あれからまた、イシュルはミラたちから追及されたが、彼女たちが指摘するような「天才」的な人物、神童と呼ばれるような子どもは、巷で時々話題になることがあって、イシュル本人もそういった者たちのひとりだろう、という見立てで話は終わった。
単純に、イシュルはまた、彼女らに弄られただけのように思われた。
それから一同は宮殿付きのメイドを呼び、酒を所望してささやかな酒宴を開いた。
レニを救出するために何をすべきか、またディレーブ川を渡河した後、どのような行程を組むか、かるく確認した後は無礼講となり、今彼女たちは食卓に突っ伏して寝ている。
イシュルは自分の部屋に入ると、南西角の窓の傍に立った。
窓外には前日と変わって穏やかな月明りに、こんもり茂った木々と城壁が間近に、ぼんやりと浮かんで見えた。
「……」
レニの件は今はまだ、それほど心配する必要はない。彼女は間違いなく生きている、生かされている。
問題は、水の主神殿跡に辿り着いた時、水の女神フィオアと相対した時だ。
もし、レニをめぐって彼らと対決することになったら。
対抗策はふたつある。ひとつ目は、四つの神の魔法具を同時に発動し、フィオアの神の力と真っ向からぶつかり力勝負に出ることだ。
だがこれは、相手が相手だけに勝ち目は薄いだろう。そこへミラやリフィアの存在が、どう関わってくるかだ。
二つ目が昨晩、月神レーリアの結界を破ったヨリクの業(わざ)が示唆するものだ。
「五つの魔法具を手にした時、どこで、何が起こるのか」
今は月は視界の外にあって見ることができない。
……あの時、消えゆくヨリクの放った最後の言葉。
そは力なり。汝(な)は誰(た)も知れぬ──。
この世界の果ての果て。神々の場の、その頂の、極点に立って見えるもの。
それこそは俺の心のうちにあるもの、ヨリクが垣間見たものではないだろうか。
レニを救い出すには。
「ふふ」
イシュルは不意に、薄く笑みを浮かべた。
それは誰も知らない、名も知れない……。
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