狂戦士 2



 真っ白な空が回る。

 最初は何が起きたかわからなかった。

 あまりに早く、強かった。

 やつがすぐ目の前に移動し拳を振るったのだと気づいたのは、空中から地面に叩きつけられたその後だった。

 先に強烈な殺気を放ってきたのが救いだった。

 それで風の魔力の障壁が間に合った。衝撃を防ぐことができた。

 さらに全身に、関節や筋肉に密着させ風の魔力をめぐらしている。強力な敵と戦うには人体はあまりに柔らかく、脆すぎるのだ。

 背後から倒れた巨木の感触が、魔力の壁を通して伝わってくる。周囲は木の葉が舞い、土埃が吹き上がっている。

 だがそれ以外に、騒ぐ野鳥や逃げる獣たちの気配がない。全くない。

 ネルやルカスからもなんの声も、気配も伝わってこない。

 男の影が、薄く青緑に染まった空に浮かんでいる。

 やつは胸の前で両腕を組み、「かかってこい」と俺を見下ろしている。

 月神とは関係ないと否定したが、それならやつは一体誰なのか。そもそもあの男の言を、どうしたら信じられるというのか。

 もし“あれ”が月神の眷属であるのなら、それは月の精霊ということになる。

 月の精霊……。それは運命の精霊や冥府の精霊、ということになる。

 もし冥府の精霊なら、それは“死神”になるのか。

 俺の知る限り、月の精霊は存在しない。聖堂教会の聖典にも、民間に伝わる様々な伝承にも月の精霊は出てこない。だが、もしかしたら何処か、大きな古い神殿の書庫にでも、その希少な精霊の記録が残っているかもしれない。

 やつがもし月の精霊なら。

 運命と死を司るのなら、俺に勝ち目はあるだろうか。

 ……いや。

 イシュルは宙に浮かぶ黒い影に向かって微笑んだ。

 そんなこと認められるか。こんなところで終われるか。

 俺は今まで、何と戦ってきた?



 虚ろな空に光芒が走る。

 空間が歪み、一瞬亀裂が走ったように見えた。

 死の世界に激しい生の光が迸る。人間の呼び込んだ魔法が煌めく。

 歯を食いしばって拳を掲げた。

 あの鬼神のごとき男に、ありったけの風の魔力を放った。

 男の影が砂塵に覆われると同時、イシュルは空を飛んだ。一瞬の隙を突いて再び男から距離をとる。

 北西に広がる抉れた大地と小さな街の廃墟は、イシュルの発現した金の大魔法によるものだ。

鉄を中心にさまざまな金属となる魔力が混ざり合った、いわば金の魔力の巨大な溶鉱炉を出現させ、膨大な鉄を生み出し続ける……。それはユーリ・オルーラと戦ったとき、奴が高空に出現させた、まるで太陽のように巨大な融けた鉄の塊と同じだ。

 無数の金属を、無限に生み出す魔法の炉はまさしく、金の魔法具の本質であろう。

 ……だが金の魔法の極限はまだ、その先にある筈だ。

 金神ヴィロドは俺の前に現れていない。イヴェダのような“祝福”を授けられていない。

 だから俺は金魔法について、“風の剣”のような神の業(わざ)を知らない。

 それどころかまだ師につき、金の魔道書を読んでいないのだから、既存の金の魔法はほとんど何も知らない。 

 だがそれとは別に、実戦を重ね考察を続けることで自ら知り、学んでいくことだってある。

 ……違う。それだけじゃない。まだ他にあるのだ。

 ただ学び、経験することとは違うもの。

 金の魔法具を通じて繋がる、異界の存在が俺に訴えかけてくる。

 ごく限られた魔道書のみに記された、究極の大魔法。人間が到達しえる最高の魔法。

 神の業(わざ)をのぞく、最強の魔法……。

 その新たな魔法が、世界が、己れの心象に浮かんでくるのだ。

 死の色に晴れた空を、開放された風の魔力が吹きすさぶ。

 戦いはまだ終わらない。炸裂した膨大な魔力が直撃した筈なのに、黒い人影は健在だ。

 黒い影は二百長歩(スカル、150m弱)ほど先の空に浮かんでいる。

「……」

 相対するイシュルは双眸に闘争の光を宿し、大きく息を吐いた。

 全身を駆け巡る風の魔力が、異界との繋がりが、風鳴りで消耗した心と身体を急速に回復させていく。

 気力が充溢していく。

 今こそ試すべき時だ。たとえ敵わぬとも。

 ……金神よ、我に与えよ。

 何度目かの殺気を放つ、男の気先を制す。

「!!」

 足下に銀色の閃光が走る。

 瞬間、世界が暗闇に覆われ、夜色に染まる。

 黒く、あるいは灰色に鈍く光る、複雑な鉄の造形。それが辺りを覆う。

 青緑の山野の上に新たな世界が生まれた。

 空は一瞬で青く、やがて紺色に、そして漆黒に染まっていく。

 夜空に浮かぶ鉄の世界。

 鉄の葉に鉄の花。鉄の木々。そして鉄の大地。

「……鉄の森」

 確か北欧神話で出てこなかったろうか。

 これは風魔法の“風獄陣”に相当する魔法だ。見た目はそのまま、“鉄の森”そのものだが、正式の魔法名はなんと言うか知らない。

「ふん。金魔法の結界か」

 気づくと男はイシュルの前に、何事もなかったように立っていた。

「風の魔力でかなり遠くまで、吹き飛ばした筈なんだがな」

 ……化け物め。

 イシュルは内心の恐怖と怒りを、不敵な笑みに隠して言った。

「……」

 男は僅かに横に首を傾け、口の端を歪ませるだけだ。

 だがその灰色の眸が、微かに驚きの色を浮かべて宙を見回した。

 森の木々が鳴った。

 キーン、カーンと硬く鋭い音、そして鈴が鳴るような軽やかな音が入り混じって聞こえる。

「あんたはこの結界にあっても傷ひとつつかない。……こちらは何もできないのか」

 イシュルは笑みを消して男を見た。

 鉄の木々の音が鳴った時から、森の結界は男を攻撃していた。

 男の全身を丸ごと鉄で包もうと、すべてを鉄に変えてしまおうと。

 その足先を、胸先を、腕を、毛髪を、いたるところが銀色に染まっていく。

 ところが銀色の染みは一定の範囲まで広がると突然、鋭い音を放ってガラスが割れるようにばらばらに砕け、散り散りになって消えてしまう。あとには何の痕跡も残らず、傷ひとつつかない。

 “鉄の森”は風獄陣と同じ、他の魔力を遮断することができる、魔封の結界でもある。

 本来ならイシュル以上の魔力を持つ者でなければ、鉄の森で発動される魔法を防ぐことができない筈である。

「ふっ」

 イシュルは気の抜けたような顔になって笑った。自嘲の笑みだ。

 ……この結界にあって、なぜお前は俺の魔法を防ぐことができる?

「我が結界に金の結界を被せてくるとはな」 

 男が薄く笑みを浮かべた。

「だがまさかおまえも、この程度の魔法で俺をどうにかできるとは考えていまい」

 男の口角が引き上げられる。

「ああ」

 イシュルもひとつ頷くと笑みを深くした。

 かつてバストルだった正体不明の男は、今は胸の前で腕を組み、イシュルに余裕の視線を向けてくる。

 ……この男は、その気になれば何の苦もなく俺を殺せる、どうにでもできるのだ。

 たぶん切り札を出さなければ、こいつには勝てないだろう。

 待っているのか? ……風の剣を。

 だがまだそれは出さない。この“鉄の森”でもう少し、試させてもらう。

「あんたの強さ、もちろんわかってはいるんだがな」

 イシュルは男に向かって片手を差し向けると、指先でひねるような仕草をした。

 おまえはこれでどうなる? 生きていられるか?

「落ちろ。金の異界に」

「……!」

 瞬間、男の眸に不審の色が差す。

 イシュルのひと言で鉄の森に劇的な変化が起こった。

 男の全身を一部、ちらちらと銀色に染めては防がれ消えていた鉄の結界魔法。その静かな同化の魔力が途絶え、周囲の森が、すべての木々が悲鳴ように高く、唸るように低く金属音を上げた。

 無数の木々の梢がその腕を伸ばし、鋭い棘となり刃となって男を切り刻む。

 同時に、結界のすべてが男に向かって落ちてきた。

 夜の空間が、男に向かって収斂していく。

 結界の中心に向かって落ちていく鉄の木々が、空間そのものが、何の抵抗もなくイシュルをすり抜けていく。この魔法結界は、発動した者に直接の被害をもたらさない。

 周囲は瞬く間に、男の張った青緑の世界に戻った。

 鉄の森は今や、男のいた位置に小さな黒点となって浮かんでいる。

 イシュルはその小さな、微かに揺れ動く影の一点を凝視した。

 ……あの男は本当に、金の精霊の異界に飲み込まれたのだろうか。

「やはりだめか」

 イシュルは黒点から視線を外し、無彩色の空を見上げ呟くように言った。

 男の張った結界は消えることなく、何の変化もなく健在だ。

 あいつは確かに、金の異界に吸い込まれた筈……。手ごたえはある。

 だが一方で、やつのあの凶々しい気配は消えていない。死んでなどいない。

「……」

 イシュルは視線を、前方の宙に浮かぶ黒点に戻した。

 金の魔法結界だった小さな黒点。それが妖しく輝き瞬く。

 くっ!

 イシュルは思わず右手を前へ突き出した。

 何度目かのあの強烈な殺気が襲ってきた。視界が閃光に覆われる。

 四方に火花が散って、何かが衝突しすぐ目の前を通り過ぎていった。

 網膜に、指先から溢れた光線が焼きつく。

 黒点が爆発しその破片、金の魔力の塊が高速でぶつかってきたのだ。

 本来なら死を覚悟するところ、その魔力の塊が元は自身の発したものだからか、風の魔力の障壁で威力が一気に減衰され、どうにかやり過ごせた。

「むっ」

 まだ終わらない。

 直後、イシュルは胸の前に両腕を交差させ、次の衝撃にそなえた。

 何か大きな力に、からだが後ろへ弾き飛ばされる。

 周囲に張り巡らせた風の魔力とともに、巨大な鞠のように空中を転がっていく。

 無駄な抵抗はしない。敵の果てもない力に抗っても、魔力はともかく自身の肉体がもたない。

 ……男は何者なのか?

 月の大精霊か? いや本人は月神との関係を否定している。

 違うのなら例えば誰も見たことのない、記録もない大悪魔のような存在か。

 とにかく、こんな化け物相手に殴り合いの戦いなどできない。すぐに、ただ撲殺されて終わるだけだ。

 金の大魔法で破壊され、青黒く染まったカナバルの街が遠く、回る視界の端に消えていく。

 表情のない虚ろな空が、生気のない草木の地面が回転する。

 それも一面、青緑に染まった土砂に覆われ、停止した。

 魔力の壁ごと、全身が地中にめり込んだのだ。

 男にぶん殴られ、街からさらに遠く離れた、盆地南部の丘陵地帯まで突き飛ばされた。

 視界を覆う土煙に男の影がちらつく。

「この程度か。……貴様、いいのか? 俺に殺されても」

 またあの残虐な、不敵な笑みを浮かべているのだろう。青緑の煙の向こうから、男の低く荒々しい声が聞こえてくる。

 もう、こちらも後がなくなってきた……。

 風の魔力を全身に通し新たに得た活力も、その効力を失いつつある。

 長期の戦闘は結局、魔力で得た高揚感も打ち消し、疲労をもたらす。

 俺の持つ切り札はひとつしかない。

 ……風の剣。

 その斬撃を「当てる」ことだ。

 かつてバストルだった正体不明の男、こいつのような難敵を風の剣で斬る方法。

 それには再び、“風鳴り”を使わなければならない。

 ユーリ・オルーラの時と同じ、風鳴りを使って奇襲するしかないのだ。まともに接近戦をやって勝てる相手ではない。

 他に手はない。同じことを愚直に繰り返すしかない。

 風が吹いているわけでもないのに、舞い上がった土砂が薄れ、消えていく。

「……」

 男の殺気が煌めいた。

「くっっ!!」

 正面、やや離れたところに男の姿が現れ、その場で豪腕が振るわれる。

 風の魔力の障壁ごと、抉られるように下方へ叩きつけられ、後方へ跳ね上がりかけたところを今度は蹴飛ばされる。

 ネリーの腕輪は強力な魔力のせめぎ合いに圧倒され、最初からほとんど効力を発揮していない。

 ……やつの動きについていけない。

 ただ殴られ、蹴りを喰らい、苦痛と疲労に耐え、風鳴りを発動する隙を、その時をうかがう。

 周りに、幾重にも張り巡らせた魔力の壁がきしむ。

 地が跳ね天が回る。何かを叫ぶ。たぶん、苦痛と怒りの叫びだ。

 気づくと空中に浮かんでいた。

 周囲は土煙に覆われている。

 あれだけ攻撃して、叩きのめされて、それなのにこの結界は傷ひとつつかない。揺るがない。

 何もない、死んだ世界で先のない戦いを続け、ただ命を削っていく。

 この感覚、この気持ちはなんだ?

 恐怖と怒り、絶望……。いや違う。それだけじゃない、何かが触れてくるのだ。

 それは、何だ?

「!」

 土煙に霞む視界、その真ん中にやつの影が浮き上がる。

 まだ遠い。やつは地上にいる。

 ……好機だ。

 ついにこの時がきた。

 吹かない風の先を読む。風はどこかで、かならず吹いている。

 二度目の風鳴りだ。もう後がない。すべてを賭ける。

 やつの懐に、背後に飛び込む。

 空を蹴った。

 視界が消え、自分が、時間が引き延ばされていく。 

 死の淵で、父の形見の剣を握る。

 その時再び何か、心に触れてくるものがあった。あの空疎な世界から追いかけてきたのか。

 今はわからない。この男を斬ってからだ。

 次の瞬間、己の足が地面を踏みしめる。

 どこかの抉れた地面。目の前をちぎれた青い草が、花びらが舞っている。

 ユーリ・オルーラの時と同じ。

 振り向きざま、抜き打ちに斬り上げる。

 折れた剣が鞘を走る。

 意識の上辺に、世界の果てをうかがう。

 父の剣が、風の剣になっていく……。

「!?」

 その時、目の前を何かが横切った。

「なっ」

 からだが固まる。剣が抜けない。

「それを抜かれるとまずいな」

 笑いの混じる低い声が聞こえた。男の右手が、俺の剣の柄(つか)を握っていた。

 万力のような力で押さえつけてくる。

「その剣で斬られると、俺もただでは済まない」

 男の右腕、肩越しに不敵な笑みが浮かぶ。

「この手を離せよ。それで終わりにしてやる」

 イシュルも負けじと、男を鋭い視線で睨みつける。

 ……ここは引けない。少しでも隙を見せれば、即座に取って食われそうな気がする。

 無機質な空。ただ形だけの木々、山の稜線。土埃はもう、すでに消えている。ただ、この男だけがいる。

「……」

 男が無言で笑った。 

 互いの肩がぶつかる。剣を抜こうとするイシュルと、抜かせまいとする男。

 得体の知れない存在と対峙する。

「ふん。……いいだろう」

 男の灰色の眸が細められる。

「小僧。貴様はあの、堕ちた神の成れの果てを退治するのだろう?」

 その口許から笑みが消えていく。

「あれと戦う時は俺が力を貸してやるから、俺をその場所まで連れて行け」

「はっ?」

 イシュルは驚愕に、呆然と男を見あげた。

 ……何を言う。こいつの言ってる意味がわからない。

「これだけ強いなら、マレフィオア程度簡単に退治できるだろう? あんたひとりで行けばいいじゃないか」

 思わず口に出た疑問、いや皮肉。

 だが男は何も答えない。

「……おまえ」

 ある予感に、ふい口にした。

「何者だ? 誰なんだ?」

「……」

 男の顔に再び笑みが浮かぶ。

「俺か」

 眸が輝き、口角が引き上げられる。あの、怖気をふるう殺気が立ちのぼる。

「俺はバルタル。火神バルヘルの弟、魔を統べる神、荒神だ」





 青緑の、単色の世界。

 だが神の名を騙る男と、イシュルだけはその死の色に染まっていなかった。

 色彩があった。

「そ、そんな……」

 疑念や怖れ、不安が渦を巻く。

 そんなことあり得ないだろう。……駄目だ。うまく口が聞けない。

「信じられないか? 小僧」

 ……いや。こいつの不可解な、際限のない強さは……。

 それにこの地はかつて、地下にバルタルの神殿があった場所だ。

「どういうことだ、なぜ……」

 イヴェダとはすでに、俺は会っている……。

 メリリャの姿をした月神とも、そして主神、ヘレスとも。

 それなら他の神々が姿を見せることだってあるだろう、あるかもしれない。

「どうしても地下神殿に行きたくてな。だがいろいろと制約があって、荒神としてそのまま降臨するわけにはいかんのだ」

 男は父の形見の剣を握ったままだ。互いに姿勢は変わっていない。

「イシュルと申したか、おまえにもわかるだろう。我らは気安く地上に降りて人間どもに姿を見せ、あるいは奇跡を行うわけにはいかんのだ」

 王都でセグローらに会った時から、その唐突な出会いから、おかしなことが起きていた。

 それに月神が絡んでいるのではと警戒していたが、違ったわけだ。“犯人”は月の女神レーリアではなく、荒神バルタルだった。

 バシリアとバストル、ただの語呂合わせのようないい加減な名前の人物がふたり、登場した。神々や精霊は人間の名前などに関心がない。どうでもいいのだ。

 バシリアとバストルは荒神が仕組んだことだったのだ。実際に二人の人間を生み出し、あのような役回りをさせた、そこまでやったか、あるいは荒神がたまたま役を与えた人間が、バシリアとバストルだったのか。二人の名前は“必然”、だったのか。

 もうどちらでも、どうでもいいことだ。ふたりの名が、すべてを表している。

「それにしても随分と面倒なことをしたな? あんたが本当に神さまなら」

 まだ互いに肩が触れている。

「ふっ」

 陽に焼けた褐色の肌、灰色の眸と髪。引き締まった体躯。

 どんな魔力もはね退け、ものともしない。人間の領域を超えた早さと力。

 そしてこの空虚な死の結界。……そう、生のない悲しい世界。

「おまえがマレフィオア? か、あの化け物の討伐に乗り出したのは、俺にとって絶対見過ごせない、千載一遇の好機だった」

 ……なに? それはどういう……。

「我々は本来、おまえたちの世、地上にあってその力を行使することを禁じられているのだ。……ヘレスがいい顔をしない」

 高位の精霊や神々とはそういうものだろう、それはわかる。だが……。

 イシュルは臆することなく男、いや荒神を睨みつけた。

「イヴェダは俺の前に現れたぞ。話しかけてきた」

 月神のことは言わない方がいいかもしれない。明確な根拠はないが。

「ふふ。……つまりそういうことだ」

 バルタルが笑った。だがその眸は笑っていない。真剣そのものだ。

「おまえは例外なのさ。ヘレスが何も言わない」

「なに!?」

 イシュルは短く、驚きの声を上げた。

 思わず天を仰いだ。

「お、俺が例外? どういう意味だ。……主神が、太陽神が何も言わない、とはどういうことだ?」

 心のうちを何度目か、冷たいものが流れる。

 直後には全身が、かっと熱くなった。

 ……それはつまり、……俺が、俺が転生者だからか。

 やはり俺の見立ては間違っていなかった? 神々は俺の中にある前世の記憶、人格に何か大きな存念があるのだ。

 異世界のものだからだろうか、神々はそれに触れることができないのだ。

 気になるのに、見たいのに、知りたいのに、触ることができない。

「……」

 バルタルの笑みが深くなる。だがそれも一瞬、すぐその笑みを消し真剣な顔になった。

「おまえの動揺の理由、わかる気がするぞ。……ヘレスは俺たちに、おまえに関わるなと命令することさえも躊躇し、できないでいるのだ」

「それは、だが……」

 イシュルは呆然と、小さな声で呟いた。

 荒神の言ったことは俺の推察に合致する。

 だがヘレスは、彼女も俺に何度か接触してきている。昔、エリスタールで初めて会った時は、少し楽しそうな表情さえ見せた。赤帝龍との戦いの後、瀕死の俺を助けたのもヘレスだろう。

 もし俺に関わることをタブー視しているのなら、そんなことはしてこない筈だ。

 一方、月神レーリアは露骨に、敵意を隠さず挑発し邪魔してくる。そこに、俺との接触を逡巡する風はまったく見えない。

 ヘレスをはじめ、神々の考えていることが俺の考えと合致するか、そう結論づけるのは無理がある。まだ早い、まだわからないことが多すぎる。

 イシュルは挑むような視線をバルタルに向けた。

「月神は何を考えているんだ? やつの目的は何だ? あの冷酷な神はことあるごとに俺と敵対してくる……」

 話すまいと決めたことを反故にする。もう、躊躇しなくてもいいかもしれない。

「さぁ、俺は知らんな。レーリアが何を考え、何をしようとしているか、さして興味はない」

 バルタルは興を削がれたような顔になって、イシュルに当てていた肩を落とし、全身の緊張を解いた。

 だが、まだイシュルの剣の柄は離さない。

「とにかく俺を、マレフィオアの許へ連れて行け。いや俺に付き合え。そのかわり、やつと戦う時には手助けしてやる」

 バルタルは一度はずした視線を再びイシュルに向け、何度目かの不敵な笑みを浮かべた。同じ要求を繰り返してきた。

「あんたの助けがなくても、マレフィオアは俺が滅ぼす」

「それはどうかな」

 イシュルの言に男の笑みが歪む。

「どういうことだ?」

 ……また、思わせぶりな。

 多分、それは神の欠片、“神の呪い”のことを言っているのだろう。あれはこちらの魔法が効かない可能性がある。森の魔女レーネが負傷し、勝てなかったのもそのせいだろう。

 ウルオミラは確か、マレフィオアを「滅せぬ」と言ったのだ。

「それは今は答えられんな。俺を我が地下神殿に連れて行けば教えてやろう」

 バルタルは何の意味があるのか、少し得意気な顔になって言った。

 イシュルは荒神に皮肉な笑みを返す。

「……ふん。人間の案内がないと自分の神殿にも行けないのか?」

「今はこの通り、バストルという者の身体を借りている。当然、その方が目立たないからだ。この結界にお前を誘い込んだのもそれだ」

 バルタルは微かに顎を上げイシュルを見下ろしてくる。

「おまえにくっついて行動する分には、ヘレスは口を出してこないが──」

「それはさっき、あんたが言ったろう。神々はこの地上に降りて、勝手気ままに力をふるえないのだと。ヘレスに怒られるんだろ?」

 本人が言う通り、だからわざわざ結界を張り、ここで俺と戦った。ヘレスの「目」に、直接触れぬようにするためだろう。

 ウルオミラが、マレフィオアからもう片方の紅玉石の回収を頼んできたのもそういうことだ。地神ウーメオが動けば、たとえ神の呪いを持つマレフィオアでも鎧袖一触だろう。だがウーメオはそれができない。ヘレスの手前、人や魔物の跋扈するこの世で勝手な振る舞いができない。

「俺があんたとの取引を断ったらどうなるんだ?」

 イシュルは少し気の抜けた顔になって荒神を見た。

 この件は最初から結果が決まっているのだ。俺に神々に抗う術はない。俺はバルタルに勝てなかった。

 今はまだ……。

「ふむ、その通りだ。おまえは俺との取引を断れない。人間が神に逆らえるものか」

 ……それも微妙だがな。俺が逆らえないのなら、なぜ取引なんて話を振ってくる。 

 バルタルが薄く笑う。

「では契約成立だな。よろしく頼むぞ、イシュルとやら」

 荒神はイシュルの剣から手を離すと、その左肩に触れた。

「俺の正体は誰にも話すな。おまえたちはこの俺、バストルを荷運び人夫として雇い、地下に同道させるのだ」

 バルタルの眸には常に揶揄や可笑しみと同時に、恐怖の、死の色が浮かんでいる。

 その表情は人間とよく似ているが、どこかが決定的に違う。

「おまえの目的はなんだ?」

 あの、聖都で読んだ神話。堕ちた神の欠片の話。

 この男神がかつて愛した、名を奪われた女神の最後に残った憎しみの欠片。

 バルタルはマレフィオアと相見え……。

「──知りたいか?」

 荒神は低い声で囁くように言った。

 その眸に再び狂熱の炎が、闘争の炎が宿った。

 そして、悲しみの色も。

 それはこの男と戦っていた時、この死んだ世界で感じたものと同じだった。



 青緑の世界が、中天から剥がれ落ちていく。

 白い空が青空に、木々に草花に色が戻っていく。

 それが目線の下へ広がっていくと同時、荒神の結界に取り込まれる直前の、倉庫の前に立つ自分に戻った。

「くっ……」

 一瞬の喪失感が眩暈(めまい)に変わる。

 これは、あの結界から現実世界に戻ってきたから──じゃない。疲労だ。

 俺は目の前に立つ男、荒神バルタルと全力で戦ったのだ。

 風鳴りを二度も使って……。

 周りに立つセグロー達が視線を向けてくる。

 リフィアもだ。明るい緑に陽光が煌めき、視界がずれ落ちていく。

「イシュルっ!」

 リフィアの叫びに、意識を手放した。





 黒い部屋だ。

 どこか、塔上にある。

 大きな窓からは絵に描かれたような街並みや森、紫色の空に桃色の雲、暗く沈んだ山の稜線が見える。夜だろうか。空に描かれた星々はぐりぐりと筆致を揺らめかせ、明るく輝いている。

「剣さま」

 窓から声が聞こえた方、正面に顔を向けると、これも真っ黒の椅子にネルが座っていた。

 薄く水色に色づいたゆったりしたローブにサンダル。曰くあり気な金銀の首飾りや腕輪。ややくせのある明るい金髪が両肩に僅かに触れている。

 柔和な甘い顔立ちはまだあどけない、少女のものだ。

「剣さま、お休みのところ申しわけありません」

 ……ああ。俺は寝ているのか。これは夢の中だ。

 そこにネルが入り込んできたのだ。

「いや、いいんだよネル。気にしなくていい」

 なぜ自分は寝ているのか。なぜネルがやってきたのか、なんとなくわかるが、今はそれはいい。まだ休んでいて大丈夫な筈だ。

「ありがとうございます、剣さま」

 ネルは頬を染めて俯き、両手を握って恥ずかしそうにもじもじさせ、小さな声で言った。

「……それであの時、この館の倉庫で何があったのでしょう」

 だが風の精霊はすぐ素に戻って、真面目な声で聞いてきた。

 なるほどな。ネルがわざわざ俺の夢の中に入ってきたのは、それが理由か。

「ふむ」

 イシュルはにっこり笑って言った。

「それは……、言えないんだ。でも心配しないで、大丈夫だから」

 あの件はバルタルに口止めされている。

「は、はい」

 ネルは素直に首を振り頷いたが、追及の手は緩めない。

「あの時剣さまの側にいた人間、バストルと申す者は何者でしょうか」

「ああ、あれ」

 イシュルの笑みが大きくなる。

 ……それはそうだ。精霊なら当然怪しむだろう。だが彼女にもわからないのか、あの男の正体が。

「それも、言えないんだ。……というか、あの男の詮索はしない方がいい。怪しいと思っても無視して、関わらないようにしてほしい」

 イシュルは途中から真剣な顔になって言った。

「……」

 ネルは一瞬、不服そうな顔をしたが無言で首を縦に振り、イシュルの言に従った。だが、まだ質問をやめない。

「あの者は荷運びとして地下神殿に、剣さまとともに下りるそうですね。“あれ”は本当に信用できる者なのでしょうか。洞窟や地下神殿で剣さまにあだなすことはないと、断言できるでしょうか」

「あっ、ああ。もちろん。地下神殿に潜ることも、マレフィオア討伐の件も、あの男とはもう話がついているんだ」

 イシュルは少し慌て気味になって答えた。

 これが夢の中なのか。ネルのチェックが厳しい……。

「きみが納得できないのはわかる。だがここはおさめて欲しい」

 イシュルは、けっして機嫌が良いとはいえないネルの顔を覗き見るようにして、じっと見つめて言った。

「心配をかけてごめん、ネル」

 そのひと言に、ネルの顔がわずかにほころぶ。

「わかりました、剣さま」

 ネルは再び頷いた。

 すると、彼女の背後の窓にいきなり明るい陽がさしこみ、どこからか男の声が聞こえてきた。

「楯さま、そろそろ起きた方がいいだろう。どうかな?」

「ああ」

 男の声は金の精霊、ルカスのものだった。

 イシュルが答えると、逆光に影になったネルがにっこり微笑んだのがわかった。

 外から差し込む光が周りを満たしていく。

 夜の街の絵画が、搭上の舞台が消えていく。

 ふたりの精霊を迎えた夢の時間は終わりを告げた。



 目を開けるとどこか、見覚えのある部屋だった。そしてベッドに寝ていた。

 ……また倒れたのか。

 一瞬情けない、忸怩たる思いにかられる。

 強敵と戦うたびに心身を消耗し、ぶっ倒れてしまう。

「イシュルさん」

 ベッドの横に、ニナが座っていた。

 窓からは夢で見た陽光とまったく同じ陽射しが、室内を照らしていた。

 周りは静かで落ち着いた空気が漂っている。

「大丈夫ですか? どこかおかしいところはありません?」 

 ニナが顔を近づけてくる。

 だが、その台詞(せりふ)に反して彼女の顔に不安の色は見えない。

 どうやら“バルタルの穴蔵団”討伐はうまくいったらしい。

 周囲の静かな雰囲気、ニナの落ち着いた感じでわかる。

 俺のからだも大丈夫、問題ないということだ。

「うん。怪我もしてないし、どこもおかしいところはないよ。ありがとう、ニナ」

 まだ少し気だるさは残っているが、疲労はほぼ回復している。

 イシュルはニナに笑顔で頷くと室内を見回した。

 この部屋は激戦になったカナバルの城館の一室、おそらくサリオとシーベスが殺された部屋と同じ、二階の並びの部屋だ。

「あっ。イシュルさん」

 そこで奥の扉が開いてロミールが顔を出した。手桶をぶら下げている。

「ちょうどいい、お湯を持って来ましたよ」

 ロミールは湯気の立ち上る桶を床に置くと、イシュルの側に寄り汗拭きの布を差し出した。

 そして「あっ」と何かに気づいた風をして、ニナににっこり微笑むと「みなさんを呼んで来ますね」と言って小走りに部屋の外へ出て行った。

「あ、あの」

 ニナはロミールの置いていった布着れを手に持つと、頬を真っ赤に染めて言った。

 囁くような声が、恥ずかしげに震える。

「わたしが、……からだを拭きましょうか」

「!!」

 イシュルは飛び上がるように上半身を起こすと言った。

「い、いや。大丈夫だから」

 あたふたとベッドから這い出た。


  

 桶のお湯で顔を洗っていると、リフィアとミラ、マーヤがやってきた。

「イシュルさまっ!」

 部屋に入るなり、イシュルに向かって飛びつきそうな勢いで迫るミラ。

 その前にぴしっと片腕が突き出される。

「まぁ……」

 目の前を遮られ、ミラが呆然とリフィアを見やった。

「うむ。心配なさそうだな、イシュル。良かった」

 リフィアはミラの視線を流し、明るい声で「いきなり倒れてびっくりしたんだぞ」と続けて言った。

 後ろのマーヤもひと安心、といった顔をしている。

「ああ、すまん。ちょっと疲れが出たらしい」

 お湯を使いさっぱりした顔のイシュルが、柔らかい笑みを浮かべる。

「あの時は、崩れ落ちてきた城館の屋根を、すべて吹っ飛ばしたんだからな。仕方がないさ」

 リフィアがにこにこして言う。

 ……やはり彼女はバストルを助け出した時、何があったか気づいていない。ネルやルカスも怪しいと感じても、荒神の存在まではわからなかった。

 荒神バルタルが人間のバストルに化けていることに、感づいた者はいないのだ。

 このことは、時折レニに憑依し、成り代わっていたイヴェダの時とよく似ているのかもしれない。

「……」

 イシュルも笑顔のまま、ちらっとニナの顔を見た。

 彼女は俺が意識を失い眠っている間、疲労を解消するため水魔法を使っていた。それなら当然、俺の疲弊の度合いもわかったと思うが、そのことで特に不審を感じてはいないようだ。

 荒神と戦ったのだ。風の剣は使わなかったものの、風鳴りは二度使った。あの結界の中では疲労の程度も違うのかもしれないが、かなり消耗していたのは確かだ。

 ニナはいつもと変わらず柔和な表情でイシュルを見つめ返してくる。

 ……だが、どのみち心配は無用だ。ニナであれば俺の体調に異常を感じても、他の者に相談する前に俺に話してくれるだろう。

「ところで状況は? あの後どうなった?」

 イシュルは笑みをおさめると、ニナからリフィアたちを順に見回し言った。

「何って、特にないぞ。バシリアは捕えたし穴蔵団の主力は全滅だ。髭の者たちは街に入って、穴蔵団の残党狩りに取り掛かっている」

「捕えた団長さんは、私たちが上から下までしっかり検分しました。今はこの館の奥の部屋で軟禁していますわ。シャルカを見張りにつけていますから、安心なさってくださいませ、イシュルさま」

「これから夕方に、街の住民にランデル隊長が布告を出すことになってる」

 リフィア、ミラ、マーヤと順番に説明があった。

「それでリフィア」

 イシュルは彼女たちに一つひとつ頷いて見せると、いの一番にリフィアに質問した。

 彼女にどうしても、聞きたいことがあった。

「やつらはどうしてる? セグローたちだ。問題の魔法具は手に入ったのか?」 

 本当はバストルの様子が知りたいところ、そこはぐっと堪えてまだ口に出さない。端からあの男の様子を聞くわけにもいかない。

「ああ、あの者らは無事魔法具を手に入れたぞ」

 そこでリフィアはにやりと笑って、懐からブレスレットをひとつ取り出した。

「この金の腕輪がそうだ」

 わずかに汚れ、くすんだ金色の年代物の腕輪が、イシュルの目の前に差し出される。

 輪の装飾の中央には小さな紅玉石(ルビー)がひとつ、付いていた。

 火か? 火系統の魔法具か。

「……うん?」

 それよりも、だ。

 イシュルは腕輪からリフィアに視線を移すと眉をつり上げた。

「なぜおまえが持っている」

「うむ。イシュルが倒れて騒ぎになった後だが……、セグローたちがバストルから例の魔法具の在り処を聞き出してな」

「バストルがしゃべったのか!?」

 イシュルは思わず叫び、リフィアの話を遮った。

「えっ、……そうだが」

 リフィアがイシュルの剣幕に驚き、続いて怪訝な顔になる。

「いや、いいんだ。……なんでもない、すまん」

 イシュルは口を濁してごまかした。

 まずい、荒神のことは誰にも知られてはならない。

 だがリフィアはすぐに気をとりなおし、イシュルの不審な態度に触れなかった。

「……それでこの火系統の魔法具、バストルはどこに隠していたと思う?」

 彼女はイシュルの眼の前で腕輪を振りながら、少し悪戯っぽい顔になってイシュルに質問してきた。

「いや、わからないな」

 ……リフィアが流してくれて助かった。

 しかし、いきなりそんなこと聞かれてもな。

 首をかしげるイシュル。そこにマーヤが割って入った。

「バシリアの部屋にある、宝石箱のひとつに隠してあったの」

「はっ?」

 イシュルは最初、不審をあらわにしたが、すぐに合点がいったような顔になった。

 マーヤが先に種明かししてしまったが、リフィアは無言で苦笑している。

「葉を隠すなら森の中、ですわね」

 とミラ。

「バシリアの宝石箱はたくさんあってな、バストルは姉があまり使わない宝石箱に魔法具を隠したわけだ」

 とリフィア。

 ……葉っぱじゃなくて、そこは木を隠すなら、じゃないのか? まぁ、この世界ではそう言うんだろう。

「なるほどな」

 イシュルは話に合わせ一応、型通りに頷いて見せる。

 魔法を使う者の多くは、それなりに強力な魔法具なら触れればもちろん、近寄って見るだけでもわかったりするものだ。だが魔法具でなくても多くの宝飾品、特に宝石と混ざれば、気づくことができず、見逃すこともあるかもしれない。

 古い宝飾品には魔法具でなくても、呪(まじな)いがかけられていたり、何か謂くのあるものが多々ある。

「まぁ、バストルは姉の欲深さをうまく利用した、ということだな」

 リフィアが胸の前で腕を組んだ。

 強欲なバシリアは山のようにお宝を集め、手許に置いていた。

 ……よくできた話だ。

 欲深い者は結局、一番近くにある一番大切なものに気づかず、手にすることができない。

 イシュルがふと顔を上げると、みな同じことを考えていたのか、にこにこと笑みを浮かべ視線を合わせてきた。



「で、やつらの火の魔法具をどうしておまえが持っている?」

 イシュルは一息おく間も無く、リフィアに先ほどの質問を繰り返した。

「ああ、それはあの者たちが、しばらくこの城館にかくまってくれというのでな」

 セグローたちは、穴蔵団の生き残りにとっては“裏切り者”に見られる。

 落城した館内でラディス王国の者たちと行動していれば、当然そう受け止められる。

 城内はともかく、街中にはまだ穴蔵団の一味が潜み隠れているかもしれない。セグローたちが街に出れば、穴蔵団の生き残りとやり合うことになるかもしれない。

 そこで彼らは、リフィアを通じて城内で一時かくまって欲しいこと、さらに地下神殿探検の案内(ガイド)や荷持ちとして雇ってもらえるように願い出たのだった。

 彼らの要望はリフィアはもちろん、隊長のフリッドにも認められた。

 これからカナバルの住民を懐柔し、あるいは抑えつけて街の治安を安定させ、部隊の滞在、探検に必要な物資を購入、あるいは供出させ集めなければならない。

 雑用も含めやるべきことは無数にあり、しかも地元の人間の手助けを借りられるのは願ってもないことだった。

「で、やつらが逃げたり裏切ったりしないように、しばらくの間、わたしがこの魔法具を預かっておくことにしたのだ」

 リフィアは言いながら手に持つ火魔法の腕輪を、ぶらぶらと振ってみせた。

「なるほどな」

 イシュルはリフィアに頷くとベッド横の窓に視線を向けた。

 バシリアたち穴蔵団と、荒神バルタルと戦った後、意識を失いそのまま翌日まで眠っていた。今は昼を過ぎたくらいだ。

 今日も天気が良く、辺り一面に爽やかな陽光が降り注いでいる。城壁や木々の影が、下草で覆われた地面に複雑な輪郭をつくっている。

 ……これでやつは、荷物持ちとして俺たちとともに地下に潜ることになったわけだ。

 地下神殿への探検、マレフィオア討伐に“神さま”が同行することになる。

「……」

 これから先どうなるか。面倒なことにならなければいいが……。

 イシュルは複雑な顔になって、小さく吐息をついた。

「げっ」

 そこで突如、今度は呆然とした顔になる。

 窓外に、ルシアに引率されたセグローら一行が歩いてくるのが見えた。もちろんその中に、バストルの姿もあった。

 彼らは帆布やランタン、樽や椅子などを抱え持ち、崩落した城館の大広間の方へ一列になって進んで行く。

「!!」

  ニセトと楽しげに話していたバストルが、二階のイシュルの真下まで来ると不意に足を止め、見上げてきた。

 ふたりの視線がぶつかる。

 その顔に浮かぶ笑みは人間の、バストルのものではなかった。はっきりとわかった。

 あの結界で戦った、荒ぶる神の顔だった。

  

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