涙 2


 イシュルたちを歓待するささやかな晩餐会は同じ宮殿の西側、一階にあるそこそこの広さの晩餐室で行われた。

 二十人ほどが座れる細長いテーブルが部屋の中央に置かれ、ペトラを上座に、その両側に一同が向かい合って着席した。

 参会者はイシュルとペトラの他に、ミラ、リフィア、マーヤ、それからニースバルド、オーヴェ、ロンバルツの三伯爵、マルメル、レグルバー、ボチェエルク、ファルゴーら子爵や男爵家の当主たち、それに宮廷魔導師のディマルス・ベニトという壮年の男が一人、参席していた。

 彼は留守部隊の一員として、このままフロンテーラに残るということだった。イシュルから禁忌の魔法を教わった同じ宮廷魔導師のニナ、そして大公の懐刀と思われる実力者のドミル・フルシークら、フロンテーラに配置されていた宮廷魔道師は、すでにヘンリクに率いられて出陣し大公城にいなかった。

 大広間で戦況の説明をしてくれた軍監のトラーシュ・ルージェクや、その時同席したニースバルド伯爵の嫡子、ルースラ・ニースバルドは晩餐には呼ばれていなかった。

 席上の話題はもっぱら、参席者の関心も高い聖王国の政変、つまりはイシュルたちの活躍が主なものとなった。何かの慣習、作法でもあるのか、連合王国の侵攻に関する戦(いくさ)の話は一切、とりあげられなかった。

 結果、イシュルにとってはいささか辛い晩餐会になってしまった。宴席の中心となったのはこういう席にも場慣れしたミラで、彼女自ら大いに語り、ペトラや諸侯の質問に率先して答え、豊富な話題を提供した。

 ミラはまず、総神官長のウルトゥーロをはじめとする正義派の神官らを褒め称え、それからイシュルの活躍をこれでもかと過剰に演出して一同に語った。イシュルはミラに何度も目で「やめろ」とか「ほどほどに」などと訴えたが、いつもイシュルに従順な彼女はなぜか、半ば意図的に彼の合図を無視し、あるいは流し続けた。

 彼女の隣に座っていたリフィアは、ミラに必死に合図を送り無視され、一方で周りから注目を浴びて困惑するイシュルの様子を見て必死に笑いを堪え、これまた別の意味で辛そうだった。

 ペトラはペトラで、そんなイシュルとリフィア、ミラのやり取りを見て調子に乗り、ミラに多くの質問をぶつけて話を盛り上げ、楽しんでいた。

 それも聖冠の儀で風神イヴェダが降臨する段になると、席上は静寂に包まれ、なんとも言えない荘厳な空気になった。

 ミラはイシュルが振るった“風の剣”については一切触れなかったが、同席した諸侯は風神の祝福を受けたイシュルの参陣に、あらためて意を強くしたように見えた。

 イシュルはミラによって思わぬ辛苦に見舞われながらも、ちらちらとマーヤの様子を窺っていたが、彼女はいつもと変わらず、表情の希薄な面上に時折微笑を浮かべ、イシュルにもたびたび視線を合わせてきた。

 ……特に変わったところはない。大丈夫かな。

 イシュルはそう思いながらも、納得できない何かを心の片隅に感じていた。



「イシュル殿、よろしいかな」

 晩餐会が終わり、めいめいが席を立ち、それぞれが談笑しながら晩餐室を出ていく。

 イシュルがマーヤの許へ行こうとすると、いきなり後ろから声をかけられた。

 振り向くと短めの白髪にやや面長の顔、ニースバルド伯爵が立っていた。夕方に戦況説明を受けた時紹介された、本隊の指揮を務める人物だ。

「この場でよいのだ。貴公に話しておきたいことがあってな」

 いや、俺はマーヤと話が……。

 マーヤはぺトラとともに部屋の外に出てしまった。

 リフィアとミラは同席した別の領主たちに囲まれている。

 ニースバルドの後ろには三十過ぎくらい、整った顔立ちのオーヴェ伯爵もいた。彼はフロンテーラ街道沿いの街、オーフスの城主だ。

「実はイシュル殿にお願いしたいことがあるのだ」

 オーヴェも僅かに声音を落とし、イシュルに声をかけてきた。

 さきほどの宴席では、ミラやペトラが「イシュルさま」、「イシュル」などと名前の方を連呼したためか、彼らもイシュルを家名の方で呼ばず、気安く名前の方で呼んできた。

「ぜひ、お願いします。イシュル殿」

 そこで、長身のオーヴェ伯爵の背後からひょっこり、ルースラ・ニースバルドが顔を出した。人懐っこい、満面の笑みをたたえている。

 こいつ……、いつの間に。

 ルースラは晩餐会には参加していなかったのだ。

 イシュルはすばやく視線を左右に走らせた。

 魔力は使われていない。隠れ身の魔法は使われていない。

 晩餐室は部屋の内側、東側にふたつの出入り口、南北に給仕する使用人の控え部屋や、配膳、調理室などがある。

 ……この男、メイドたちが出入りする調理室の方に潜んでいたのだ。

 晩餐室とそれにつながる各部屋は多くの使用人が出入りし、控えている。彼らの間に紛れこまれたら、イシュルには怪しい者の判別などできない。

 クラウならともかく、ヨーランシェは害意を持ち、殺気を放つ者でなければそのまま見逃し、放置するだろう。

「……」

 イシュルは柔和な表情のルースラとは対照的に、厳しい表情になって彼を睨みつけた。

 こいつは隠れて晩餐会の一部始終を見ていた、観察していたわけだ……。

 なるほど、油断のならない人物だ。

「……で、用件はなんです?」

 イシュルはルースラから視線をはずさず、低い声で言った。

「明後日朝には出陣ですが、どうしてもそれまでに決めなければならないことがあるのです」

 ルースラはイシュルの前まで進み出て話しはじめた。

 彼は外見だけでなく声も高めで、柔らかな口調で話す。

「実はペトラさまのご出陣のことで揉めてましてね」

「ぺトラの?」

 イシュルはたっぷり、不審のこもった口調で言った。

 ルースラの父であるニースバルド、オーヴェ両伯爵は苦笑を浮かべて無言でいる。

 それはイシュルが「ぺトラ」と、王族である彼女を呼び捨てにしたからなのか、彼らが声をかけてきた件について、見た目どおりただ困っているだけなのか、よくわからなかった。

「はい。我々は今後のことも考え、ペトラさまにご出陣していただきたいのですが、一部の者たちが反対していて引かず、困ったことになっているのです」

「なるほど……」

「イシュル殿はペトラさまのご出陣について、どうお考えですか」

 ……ルースラは“今後のことも考え”と言ってきた。

 いとも簡単に、さらりと。

 王弟デメトリオが戦死し、国王マリユス三世もどうなるかわからないこの状況で、ペトラがフロ

ンテーラに残り出陣しないのは、確かにあまりよろしくない。

 今フロンテーラに集った領主たちの中には、デメトリオやマリユス三世の派閥に属する者もいる筈だ。マリユス三世と彼のひとり娘、ネルダ王女はまだ生きているだろうし、デメトリオのふたりの子どもも、彼の居城だった城塞都市アンヘラにて健在だろう。

 もし今後、連合王国の支隊が王都を陥落させ、マリユス三世を討つか捕らえれば、次の国王はほぼヘンリクで決まりになる。デメトリオの下の子は男子だがまだ成人しておらず、ヘンリクが王権を掌握するのは確実である。

 問題はヘンリクの後、誰が王になるかだ。デメトリオの遺したその男の子か、それともペトラか。

 ヘンリクは当然、デメトリオの遺児を排除しペトラを次の王、ラディス王国の女王に据えるだろう。デメトリオの子どもたちはいずれ謀殺されるか、政略結婚などで国外に出されるかもしれない。マリユス三世の娘ネルダも、彼女が生き残ったとしてもそれは同じだ。

 だが、その過程で反ヘンリク派が一定の勢力を保っていれば、国政は乱れるかもしれない。その時ヘンリクが押し切れるかどうか、その有力な材料となるのが今この時、ペトラが王都救援に、連合王国との戦(いくさ)に出陣し、自ら第一線に立って戦った、戦おうとした実績を残すことなのである。

 明後日、本隊と共にペトラが出陣するかしないか、それは彼女の将来に重大な影響を及ぼすかもしれない。

 ルースラの言った“今後のこと”とはその点を指している。

 ここにいるニースバルド、オーヴェ両伯爵、そして大公家と関係が深いトラーシュ・ルージェクは、ヘンリクの派閥の主要な面子、というわけだ。

「そんなことは決まっている。大公はどう指示されてるんですか」

 イシュルはルースラの質問に、まともに答える必要もない、という態度を見せて、ペトラ出陣に賛成であることを示した。

 問題はヘンリクが何を考えているのか、だ。彼がペトラに出陣するよう命令していれば、そもそも軍議が紛糾することなどありえない。

 いったいあのひとは、何を考えているのか……。

「……それが」

 ルースラは父であるニースバルド伯爵、オーヴェ伯爵らと意味ありげな視線を交わして、困った顔になって言った。

 だが、イシュルがペトラ出陣に賛成であることがわかったせいか、彼らの雰囲気はそれほど悪いものではない。

「ヘンリクさまは、ペトラの意志に任せる、と……」

「はあ?」

 イシュルは思わず素っ頓狂な声をあげた。

 なんだ、それは。

「ヘンリクさまはペトラさまの父親として、戦(いくさ)と王位をめぐる駆け引きの間で、揺れておるのだ」

 ルースラの言を引き継ぎ、彼の父であるレヴァン・ニースバルドが変わって説明した。

 ヘンリクは、亡き妻ヴァレンティーナの忘れ形見であるペトラを、この上なく愛している。だから金の魔法具を持つ敵将のいる連合王国との戦いに、彼女を出したくない。だが彼とて、今後の王位争いのためにペトラが出陣することの重要性は、わかりすぎるほどによくわかっている。彼女の持つ強力な土の魔法具で、あわよくば大きな戦果を挙げることも期待している。

 結果、ヘンリクは大いに悩み、決断することができなかったのである。

「……」

 イシュルは伯爵の説明を聞き、露骨に盛大なため息をついた。両肩ががっくり、下げられる。

 ヘンリクの悩みはわかるんだが。

 だめじゃないか、お父さん……。

「軍議で未だ結論が出ない、ということはつまり……」

「ペトラさまはご出陣なさりたいのです」

 ルースラが素早く反応する。

「ん……?」

 イシュルはなかば呆然と、自身を囲む男たちを見渡した。

 それならなぜ結論が出ない?

「エーレン殿が」

 ルースラが再び苦笑を浮かべた。

「マーヤ殿が、ペトラさまのご出陣を強硬に反対しているのです」



 イシュルは大公家のメイドに先導され、自室に戻ってきた。

 ルースラたちの話が終わった頃には、晩餐室にミラとリフィアの姿はなかった。

 リフィアはともかく、ミラには文句のひとつも言いたかったのだが……。

 ただ一方で、彼女がわざと話を大きくした理由も、わかってはいる。あの宴席での話題はやがて、領主たちを通じ各々の家臣らに、やがて兵士らにまで広まっていく。

 自軍に風神の祝福を受けた風の魔法具を持つ者、赤帝龍を撃退した風の魔法使いが加わることがどれほど心強いことか。王国軍の士気が跳ね上がるのは間違いないだろう。

……とにかく、今はマーヤだ。

 ペトラにマーヤを慰めて、元気づけてくれと頼まれた。ペトラはそれしか言わなかった。

 あのお姫さまはマーヤの意に歯向かうことをせず、俺にも出陣したい、との本音を話してこなかった。

 ペトラはおそらく俺に、余念を持ってマーヤを慰めることをして欲しくなかったのだろう。

 なんの利害もしがらみもない状態で、そんなこととは関係なしに、俺にマーヤに接して欲しかったのだ。

 ペトラがマーヤを思う気持ちはどうだろう。

「……ということで、何かありましたら各部屋にある、呼び鈴の紐を引いてくださいませ。よろしくお願いいたします」

 俺の目の前で、晩餐室から案内してくれたメイドが何事か説明し、頭を下げてきた。

 ペトラ。お前は大したやつだよ。

「マーヤ・エーレン殿は、大公息女さまのお側におられるのかな」

 イシュルは微笑を浮かべ、メイドに声をかけた。

 ……ルースラたちが言ってきたことは、ペトラの出陣に反対するマーヤを説得して欲しい、ということだった。

 だが、ペトラの意を汲むのなら、他にやりようはある。

 ペトラのために。マーヤのために……。

「いや、なんでもないです。さっきのは聞かなかったことにしてくれるかな?」

 マーヤに取り次いでもらおうとしたイシュルに、メイドの少女は顔を思い切り強張らせて困惑した。イシュルは罰の悪そうな顔になって言った。

 マーヤは多分、大公家の私室がある宮殿の東側、ペトラの居室近くのどこかにいるだろう。

 メイドが下がるとイシュルは一階に降り、宮殿を東西に貫く吹き抜けの側廊をひとり、東の方へ歩き始めた。

 北側に並ぶ扉にはちらちらと、槍を手に持つ衛兵の姿が見える。夜の宮殿に他に人気はなく、イシュルの歩く足音が妙に大きく、辺りに響きわたった。

「……」

 イシュルの顔に笑みが浮かぶ。

 中央の広間の前に並び立つ円柱。その先に小さな影がひとつ、浮かびあがった。

 魔法の杖にローブ姿の、小さな魔女の影がイシュルに向かって、イシュルと同じように歩いてくる。

「マーヤ」

「……イシュル」

 くりくりとまん丸の眸が見上げてくる。

 ふたりはちょうど、夕方に再会した宮殿中央のホールで行き合った。

 辺りはほのかに青白く、窓から差し込む星明りで照らされている。

「トラーシュとルースラ。あの人たちから聞いたの?」

 マーヤはすべてお見通しだ。

 彼らが俺に接触してくることも、その事情を俺が知ることも、俺がどう動くかも。

 ……だが。

「そんなことはどうでもいいさ」

 イシュルはマーヤの眸に映る、夜空の星の瞬きを追った。

「ペトラが心配しているぞ」

「……」

 不意に、マーヤの頬を一筋の涙がつたった。

 マーヤの眸に踊る星々が溢れ、こぼれ落ちた。



「イシュルは空を飛べるんでしょ? わたしを連れて行ってくれないかな」

 マーヤは頬を濡らす涙をそのまま、静かに言った。

「ああ、いいとも」

 イシュルとマーヤは宮殿の外に出た。

 宮殿の内外に、間隔をおいてまばらに立つ衛兵はまるで人形のように身動きひとつせず、何も言わない。

 ……ヨーランシェ。

 イシュルはマーヤの空いた左手を取り、少しかがんで彼女の背中にもう片方の手を回した。

 ……精霊が騒いで近づかないように頼む。邪魔されるのは困る。

 もう王城に宮廷魔道師はふたりしかいない。しかし領主自身や、彼らに仕える魔道師ら魔法を使い、精霊と契約している者は数多くいる。

 ……わかった。

 イシュルが口の中で、音にならない声で話すと、即座にヨーランシェが答えてきた。

「あ、……う」

 空中に浮かび上がると、マーヤは小さく悲鳴のような声を上げた。

「怖いか」

「ちょっと」

 イシュルはマーヤをだき抱え、宮殿の上の夜空へゆっくり上昇していった。

 夜空は晴れ渡り、星々の明かりが眩しいくらいだ。その中心に上弦の月が鋭い曲線を描いて冷たく輝いている。

 イシュルは宮殿から五百長歩(スカール、約三百五十m)ほどの高度に、風の魔力を集めて円盤状に成形した。

 晩秋のフロンテーラの夜は、南の聖王国から戻ってきたばかりのイシュルには、かなり寒く感じられた。

「フロンテーラの夜は寒いな」

 そう呟きながらイシュルは、風の魔力の凝縮した光り輝く円盤の上に降り立った。

 続いてマーヤを円盤の上に立たせる。

「きれいだね」

 マーヤは下を見て、小さな声で言った。

「精霊の使う魔法みたい」

「ああ」

 風の魔力が渦巻く円盤は、周囲の暗闇に清廉な輝きを放っている。

 夜のしじまにどこまでも広がる星々の瞬き、下から照らされる魔力の輝き。

 叙情あふれる幻想的な夜だ。

 ……と言いたいところだが、大公城は多くの人々の騒ぎ、動きまわる気配で溢れていた。

「なんだかちょっとうるさいな」

「うん、明日の夜は出陣の準備で忙しいし」

 マーヤの話によればそのために兵士らは各々、今晩に酒宴を開き騒いでいるのだという。

「それにもう、兵士たちにもイシュルのことが広まっているかも」

「そうかもな」

「それだけじゃないよ」

 大公家から、諸侯から、王国全土の各所にイシュルやリフィア、ミラの参陣が早馬で伝えられているのだという。

「今晩はこれからも、早馬が幾つも出されると思う」

「アンヘラにもか」

 イシュルは低い声で言った。

「……」

 マーヤの眸が大きく見開かれる。

「おまえのお父さんと、もうひとりのお兄さんのこと、心配なんだろ?」

「……」

 マーヤは無言でいる。何も答えない。

 彼女の頬に刻まれた涙の跡が、夜空の光にうっすらと照らされる。

「おまえは心のどこかで、もうあきらめているんじゃないか?」

 イシュルの追及が続く。

「だからペトラの出陣に反対してるんだ。彼女まで殺されるわけにはいかないものな」

「ユーリ・オルーラはイシュルと同じくらい、強いんでしょう?」

 マーヤがイシュルを見上げてくる。

 ふたりは風の魔法の円盤上で向きあっている。

「赤帝龍とも互角に戦えるくらい」

 マーヤはそこで一旦、言葉を切った。

「それに風の魔法は、金(かね)魔法とは相性があまりよくない」

「……」

 イシュルは無言で頷いた。

「ペトラまで殺されるわけにはいかないよ」

 マーヤがペトラの出陣に反対するのは、私情からだけではない。

 ペトラがフロンテーラに残れば、王国が瓦解する状況になったとしても、同盟国であるアルサール大公国に逃れる、つまり亡命することもできるだろう。聖王国も受け入れてくれるかもしれない。

 ラディス王家の血筋が残るなら、いつか王国を再興することができるかもしれない。

「俺のことが信じられないか? 俺は本気で戦うぜ?」

「それはそうだけど」

 ……マーヤは当然、俺のことを信じてくれているだろう。だが彼女は、俺が聖王家に仕えていない、その気がまったくないこと、王家に対し忠誠心など持っていないことも知っている。

「俺は命をかけても敵将と戦わなければならない。敵の金の魔法具を手に入れなければならない。……それだけの理由ができた」

 もちろん、ベルシュ村のこともあるのだが。

「……?」

 マーヤがわずかに首をかしげてみせる。

「今度話すよ。……そうだな、ユーリ・オルーラを斃したなら」

 ミラとリフィアはもう知っている。だが、今の段階では王家のペトラ、彼女に近いマーヤには話さない方がいいかもしれない。というより、この状況下で、急いで話す必要などまったくない。

 金の魔法具を得ることができないのなら、たとえ死なないですんだとしても、俺にとってはもう、その先のことになんの意味もなくなる。

「でも、イシュルは勝てるかな?」

 再びマーヤの眸が揺れだす。

「心配は無用だ。マーヤ」

 イシュルはマーヤにやさしげな視線を向け、そしていきなり厳しい顔になって言った。

「聖冠の儀でイヴェダは俺を祝福した、という話になっているが、それはなんだったと思う?」

 イシュルは右手を夜空に、高くかかげた。

 その指先を風が渦巻き、何かを指し示す。

 魔法の、精霊の異界の、世界の果てを流れるもの。

 空間と時間を越えて、イシュルはその流れに触れた。

「……!」

 夜空を見上げたマーヤの眸が大きく見開かれる。

 イシュルの右手が何かをつかんだ。

 それはどこからか、得体の知れない光となって現れ収束していき、ひと振りの剣となってイシュルの右手に形をなした。

 風の魔力はむしろ、弱く小さく感じられる。

 だが本能が、心の奥底で何かが喜び、怖れ、叫んでいる。

「これがイヴェダが俺に授けたものだ」

 マーヤの耳にどこからか、あらぬ方からイシュルの声が聞こえてきた。

「風の剣だ」

 イシュルはその剣先を夜空に突き刺した。

 一条の閃光が天を走り、暗闇を引き裂いた。

「ああ、あ」

 マーヤは呆然と空を仰いだ。

 天球を長い光の尾を引き、巨大な流れ星が横切っていく。

 顔を下ろすと同時に、重い轟音を伴って一陣の風が吹き降ろしてきた。

 どこまで広がる、風の唸る音。

 そこに不敵な笑みを浮かべる、イシュルの姿があった。

 

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