波乱 2



 こんなに多くの精霊……、見たことないな。

「まるで何かの見本市のようだ」

 イシュルは唇の端を僅かに上げて呟いた。

 精霊見本市……か、ふふ。

「みほんいち、ですか……?」 

 目ざとく聞きつけたミラが後ろから質問してくる。

「いや、何でもない」

 イシュルは微笑みから皮肉の色を消して振り向き、ミラに答えた。

「いろんな精霊がいるね」

 聖王国の宮廷魔導師、五十数名の横列は、イシュルたちからおおよそ一里半(スカール、一km強)ほどの距離で停止した。

 彼らの頭上、空中に浮かぶ精霊は、トーガや甲冑姿の人形(ひとがた)から、羽を生やした者や、頭や四肢が鳥や馬の半獣半人、龍や狼、キメラからアメーバのような無形のものまでいる。ほとんどの精霊は通常の白く輝く半透明だが、中には朱色に燃えるように輝くもの、青色やくすんだ黒っぽい色のものもいる。

 その列の真ん中から、黒いローブの人物が前へ出てきた。その人物は左右に長剣を腰にぶら下げた平服の剣士をひとりずつ従え、大きな木の杖を一歩一歩進むごとに地面につきながら、こちらへ向かってゆっくり歩いてくる。

 ミラの言っていた宮廷魔導師長だ。

 五十名以上の宮廷魔導師を従え、いよいよ大国の宮廷魔導師長の御出ましだ。

「クラウ」

「何かな、剣殿」

 クラウの落ちついた声が頭の中をこだまする。

 クラウは姿を見せない。

 ……やはりなかなか気遣いのできる精霊のようだ。 

 これがナヤルあたりならば、俺が声をかけると同時、「剣さまに刃向かうとは何事か」と言わんばかりに、威圧感たっぷりに姿を現していたろう。

 何が目的か、相手はどうやらすぐに戦闘を始める気はないようだ。

 まさか儀典長との分断のみがやつらの目的ではないだろう。大兵力で威圧しながら、何か取り引きでもしたいのか?

 それなら、相手に無用な刺激を与えることを避けたクラウの対応は、なかなかのものだと言える。

 今はまさに一触即発、ちょっとした刺激ですぐにでも戦闘が始まってしまいそうな状況なのだ。

「宮廷魔導師後方の部隊の兵力は?」

 空へ上がれば簡単に確認できるが今は地上から離れない方がいい。

 こちらへ向かってくる黒い男は俺を見ている。

「三千二百。左右にそれぞれ騎馬百、中央部後方に二百、隠している。後は槍兵が約二千、残りが弓兵だな。騎兵には僅かだが魔法を使う者が紛れているようだ」

 イシュルは満足そうに頷いた。

 完璧だよ、クラウ。

 中央の騎馬二百が決戦兵力だろう。常道ならここぞという決定機に投入してくる部隊だ。追撃戦になればさらに大活躍だ。負け戦なら防御に適した地点まで後退し、そこで下馬して歩兵になる。

 宮廷魔導師らの後方に展開した部隊は、さらに半里ほど離れている。ここから見た限りでは騎馬も徒歩兵も比較的軽装のようだ。

 俺があの時ウーメオの舌で使った結界、ダナ曰く“イヴェダ神の風獄陣”の半径はちょうど一里半に足りないくらいだ。

 魔導師の横列はそのぎりぎり外側、左右に半円状に展開した兵団はさらに後方。通常の魔法なら魔導師も軍勢の方も、撃ち合いになっても直接被害を受けない距離だ。一方、兵団の方はいざとなればたいした間を置かずに、魔導師らの支援に直接入れる位置取りでもある。

 ビオナートはあの夜の、ウーメオの舌での戦いの一報が届いてから、つまり俺の張った結界の有効半径の情報を得てから、この軍勢を動員、出撃させたのだろう。あれから十数日経っている。時間的には辻褄が合う。

 竜騎兵に軽装の徒歩兵の構成も、機動力を重視したからだろう。ビオナートはどうしても、それなりの兵力を、いや魔導師も合わせれば大兵力を活かすのに適したこの草原で、自軍を俺にぶつけたかったのだ。あるいはあの見本市のような多数の精霊ともども、その戦力を見せつけ威嚇したかったのだ。

 イシュルは草原を見渡し酷薄な笑みを浮かべた。

 だが、そもそも俺の張った結界の最大半径が一里半、と決まったわけではないんだが。

 ウーメオの舌での戦いは確かにこちらも必死だったが、魔法の規模よりはスピードが要求される状況だった。周辺の地形もそうだった。鉱山集落まで結界に入れるわけにはいかなかった。

 今は昼間。初夏のやや霞んだ青空の下、遮蔽物もない草原で視界はきわめて良好だ。あの時とは比較にならない。

「前方を行く神官たちはどうする? さっさと決着をつけた方がいいんじゃないかな」

 クラウの声が耳許で聞こえる。

 先を行ったデシオたち使節団には徒歩兵が含まれ、そんなに早く移動はできない。前方に展開するあの軍勢を指揮する誰かが、無理矢理デシオら神官や聖石と、徒歩兵を分離していれば話は変わってくるが。

「今はまだいい。こちらに向かってくるあの魔法使いは、この王国の魔導師の長(おさ)なんだ。まずはあいつが何を言ってくるか、出方を見たい。後ろの魔法使いも兵隊も、やろうと思えば一瞬で始末できる。今はそのまま気配を抑えて控えていてくれ」

 イシュルはわざとはっきり声に出してミラたちにも聞こえるように言った。

 まずは相手の出方を見ること、いざとなれば相手を一気に殲滅できること、これらのことは周りの味方の者たちにも知らせておく必要があった。

 クラウの「承知した」との返事に重なるようにして、ミラがイシュルに声をかけてきた。

「イシュルさま、お願いでございます」

 ミラの必死な感じに、イシュルは思わず彼女に振り返った。

 顔色を曇らすミラ。彼女の左右には魔導師長に対抗するように、ネリーとルシアが控えていた。イシュルの左斜め後ろ、ミラの左斜め前にはシャルカがいる。シャルカはミラが自身のからだから得物を引っ張り出すのに、ちょうどいい位置に立っていた。

 彼女らの後方にはラベナと双子が横並びに立っていた。ラベナは契約精霊のロルカをすでに召還し、宮廷魔導師らと同じように彼女の頭上に待機させている。

「なに?」

 イシュルはミラに答えながら視線をさらに後方へ向けた。馬車から降りたダナたちは、前方をちらちら見ながら頭を突き合わせて何事か話し合っている。その後ろに続いていた輜重は、おそらく残っている者は従者たちばかり、人夫たちの多くは後方へ逃げてしまったようだ。

「どうかあの者たちをお助けください。彼らを皆殺しにしてしまうと、聖王家の宮廷魔導師が半分に減ってしまいます」

 ミラは顔を青くしてイシュルのすぐ側まで寄ってきた。

「……」

 イシュルはすぐに返事をせず、顔を前に向けて横に並ぶ魔導師たちを見た。

 魔導師の横列は、やや間隔をあけた数名ずつの小集団に分かれている。集団間の間隔はさらに空いている。あれがおそらく集団魔法戦における基本の布陣なのだろう。どんな系統魔法で構成されているかわからないが、数名の集団を最小戦闘単位として、攻撃時は単位ごとに連繋し、防御時は攻撃を受けても被害をひとつの戦闘単位、一集団に局限する、という考え方のようだ。

 後方の兵団の布陣も似ている。騎馬も徒歩兵もやや間隔を開けた五、六騎の、八名ほどの小集団に分かれている。

 前世では歴史上、おそらくあまり見られなかった陣形かもしれない。ファランクス、密集隊形でもなく散兵でもない、その中間のような隊形だろうか。

 まだ火薬が発明されず、火砲がないかわりに魔法がある世界、独特のものかもしれない。

 ただ、魔導師の単純な横列自体は変則的なものだろう。俺に対する示威のためにとられた、特別な隊形ではないだろうか。

「イシュルさま! どうか……」

 再びミラの方へ顔を向けると、彼女の必死な表情はより深刻さを増していた。

 もうほとんど泣きそうになっている。

 さすが五公家令嬢。立派だよ、ミラ。

 後方に展開した軍勢の方はともかく、五十名以上の宮廷魔導師が一気に消えたら、聖王国の魔法戦力の大幅な低下は避けられないだろう。人もそうだが、魔法具も失うとなると途方もない損失だ。大陸におけるパワーバランスが崩れる、と言っても大げさではないかもしれない。

 三千名以上のひとの命を奪うのはとんでもないことだが、俺にとっては彼らすべての命よりも、エミリアたちの命の方が、彼女らの死の方が重い。それにデシオやミラ、お付きの者たち、彼ら正義派を何としても守り抜かねばならない。

「あの者たちが揃って国王派というわけではありません、ここはどうか……」

 ……。

 確かに彼らの多くは、魔導師長でさえビオナートから命令されて動いているだけだろう。

 イシュルは感情を消した、複雑な笑みでミラに答えた。

「わかったよ、ミラ。きみの心配していることはよくわかる。言う通りにしよう」

 もしあの魔導師たちをすべて始末した結果、聖王国が他国から攻められる、あるいは内乱が起きたりすれば、それではただの薮蛇になってしまう。ビオナートを誅殺する必要があるのか、という話になる。

 イシュルはそこで笑みを消すと表情を引き締めた。

「だが、後で面倒なことになるかもしれないぞ」

「はい……、仕方がありません」

 ミラは沈んだ表情のままだ。

 彼女は単純に、王家の軍隊として国王の意のままに動く戦力を残しておくことが、後々正義派にとって面倒なことになると考えているようだが、それは違う。もっと喫緊の問題がある。

「第二、だな」

 イシュルがミラにその喫緊の問題、について話そうとした時、横にいたネリーが呟くように言った。

「ん?」

 イシュルが前方を見ると、横に並ぶ魔導師たちの後ろに展開していた軍勢の中心部から、大きな旗が一旒、上がっている。

 白地に赤と金銀で描かれた交差する槍と中央に盾。左右に展開した部隊からも、同じ絵柄のひとまわり小さな旗が上がっている。

「聖堂第二騎士団か。まぁそうだろうな」

 聖王家の常備軍は、聖堂第一から第三までの三つの騎士団から成る。聖堂第一騎士団は騎兵の花形である重装騎兵が、リバルらの所属する第三騎士団は重装歩兵が主体となって編成されている。

 そして今、イシュルたちの前に展開する聖堂第二騎士団は軽騎兵、竜騎兵を中心に編成された部隊である。第一と第二には槍兵や弓兵などの徒歩兵の部隊が所属し、第三には弓兵と竜騎兵の小部隊がそれぞれ所属する。

「あれは槍兵や弓兵を他の騎士団から引っこ抜いてるな」

 ネリーが続けて言った。

「徒歩兵が多いからか?」

 イシュルが質問するとネリーが頷いて答えた。

「明らかに槍や弓が多い」

 ふむ。確かに第二騎士団には、二千以上もの徒歩兵の部隊は配属されていないだろう。第一、第三から抽出したんだろうな。

「そのかわり騎兵が少ない」

 ネリーの鋭い視線が左右にゆっくり動かされる。

「第二騎士団の騎兵の一隊は使節団に取りついて、街道を先の方へ誘導してるんだろう。半ば強制的にな」 

 イシュルは自身の考えをネリーに説明した。

「イシュルさま、デシオさまたちをこのままにはしておけません。魔導師長との交渉はわたくしどもにまかせて、イシュルさまは……」

 ミラが横から話しかけてくる。

 イシュルはミラに顔を向けると言った。

「いや。俺が離れるのは危険だろう。やつらは俺だけじゃなくミラやダナたちも、皆殺しにしようと考えているかもしれない。儀典長の救出にはクラウを行かせる。だが今はダメだ。クラウが動くだけで、一気に戦闘が始まってしまうかもしれない。俺はまず魔導師長の話を聞きたい」

 本当は空に飛び上がって、先に行ったデシオらの様子や、展開した軍勢の後方の状況を確かめたいんだが……。それさえも相手を刺激する可能性がある。

 イシュルはミラが「わかりましたわ」と頷くと、顔を前に向けた。

 こちらへ歩いてくる魔導師長とふたりの剣士は、もう顔貌の区別がつくくらいまで近づいてきている。

 魔導師長はなかなか上背のある男で、もう高齢だろう、白い顎髭を長く伸ばし、いかにもこれが宮廷魔導師長、と言った外見をしている。

 両脇の剣士は向かって左が二十代前半の若い男、右が同年輩の女。女の方は栗毛のさらさらの髪を長く伸ばしている。

「……」

 ふと殺気みたいなものを感じて後ろを振り向くと、ネリーが鋭い視線で栗毛の女を睨んでいる。

「あの女剣士、おまえの知り合いか」

「ああ」

 イシュルがネリーに聞くと、彼女は低い声で短く答えた。

 ……ふたりの間には何か因縁があるらしい。

 イシュルはミラを見て言った。

「あの魔導師長の名前は? 系統魔法は何を遣う?」

「名前はマデルン・バルロード。土、を主に遣いますわ」

「え!?」

 土か。まずい!

 イシュルはどきりとして、今や百長歩(スカル、約六〜七十m)あたりまで近づいてきた魔導師長を見た。

 急いで異界に手をかけ、風の魔力の塊を周囲の地面に広げていく。後方のダナたち宮廷魔導師や従者、馬車や馬の下の地面にも広げた。

 足許にじわりと、数指長(サディ、約四〜六cm)ほどの厚さの透明の固い膜が広がり、足裏が地面から持ち上げてられていく。

「えっ」

「まぁ」

 後ろからミラやルシアの驚く声がする。心配なのは馬車につけられた馬の反応だったが、耳をかるく動かしたり首をちょっと振るくらいで大丈夫そうだ。前掻きもほどんどしていない。

「土魔法対策だ。いきなり大穴とか掘られたらたまらないからな」

 相手は宮廷魔導師長だ。相当の実力者であるのは間違いない。

「不思議な感じだな」

 後ろからネリーの独り言が聞こえる。

 確かに視覚的には地面に浮いているように見える。なかなか違和感は消えないだろう。

「思いっきり踏み込んでも大丈夫だぞ」

 イシュルは後ろに振り向いてネリーに言った。

「だが勝手にはじめるなよ。俺の方ですべて防御し、仕掛ける。あの女が挑発してきても我慢しろよ。」

 イシュルは前の方から向かってくる栗毛の女をちらっと横目で見て言った。

「わかった……」

 ネリーは一瞬、悔しそうな顔をしたが、素直に頷いた。

「ラベナ、ピルサにピューリもだ。先に手を出すなよ」

 イシュルは視線をネリーの後ろに向け、ラベナたちにも声をかけた。

「うん」

「うん」

「わかったわ」

 ラベナや双子はすぐ返事を返してきた。

 彼女たちから脅えは感じない。

 イシュルも彼女らに頷いてみせると前を向いた。そして地面に敷いた風の魔力の塊を、自身の前方にも広げた。

 魔導師長、特に両脇を固める剣士たちにあまり近づかれるのは困る。彼らは間違いなく武神の魔法具を持っているだろう。

 ふたりの剣士の表情はもちろん、足運びもしっかりした自信ありげなものだ。俺のことを知らない筈はないのに、まったく恐れも不安も感じさせず、あくまで自然体を崩さずにいる。

 まぁ、恐れも不安も感じられないのは魔導師長も同じだが。

「お気をつけください」

 ミラが少しだけ近づき、斜め後ろから声をかけてきた。

「魔導師長の契約精霊はかなり強力です。戦闘時には地中から岩と土塊を纏った、誰の目にも見える土龍となって現れます」

「ほう……」

 イシュルはミラに顔を向けた。

「ゴデルリエの土龍と呼ばれておりますわ」

「ゴデルリエ?」

 ミラは「はい」と頷くと、魔導師長の方に目をやり、簡単に説明した。

「ゴデルリエとはウルク王国の頃、地神の神殿を守った神官兵の名です。たいへんな剛力であったとか」

「なるほど……」

 イシュルは正面を向き、魔導師長に向かって微笑んだ。

 聖王家魔導師長、マデルン・バルロードはもうすぐそこ、イシュルの二十長歩(スカル、約十三〜四m)ほど先、地面に敷いた風の魔力の塊のすぐ外側まで来ている。

「それは面白そうだ」

 イシュルの唇の両端が引き上げられる。柔らかな微笑みが獰猛な笑みにかわった。


「わしの名はマデルン・バルロード、聖王家の宮廷魔導師の長(おさ)を務めておる」

 魔導師長はイシュルの敷いた風の魔力の塊の手前で足を止めると、落ちついた低い声音で名乗ってきた。

 魔導師長は名前と家名の間に入る、様々な職階や出身を表わす名称の一切を省いてきた。

 付近に大きな河は流れていない。ここ数日は雨もなく、草原は乾いている。

 辺りを吹く乾いた風が、老魔導師の声から人らしい湿り気を奪っていく。

「お主がイシュル・ベルシュかの」

 その乾き切った声が、イシュルの心をぞわりと棘(いばら)のように刺し、そそげ立たせる。

「そうだ」

 イシュルは短く答えた。

 背後で誰かが喉を鳴らした。

 イシュルは僅かに眸を細め、黒い老人を見つめた。

 魔導師長は彼自身の身長より長い、細目の古めかしい魔法の杖を片手に持ち、黒いローブの上にさらに裾の長い同じ黒色のマントを羽織っている。

 白い髭を長く伸ばし、削ぎ落された頬。鷲鼻に細い目、薄い眉。そして血管の浮いた禿頭。杖を握る指が異様に細く長い。

「イヴェダの剣の二代目は、またさらに若い」

 老人は独り言のように呟くと、ほんの僅かに唇を歪めた。

「お主と取り引きがしたいんじゃがの」

「何をだ?」

 イシュルは面(おもて)に何の表情も現さず言った。

 この老人。……誰かに似ている。誰だろう?

「お主はよそ者、他国の者じゃ。どうしてディエラード家の犬となったか知らぬが」 

 魔導師長はちらっとミラの方に目をやると続けた。

「ここから先、聖都に立ち入らずどこぞに消え失せるなら、何の罪も問わずにこのまま見逃してやろう。もちろん、お主以外の者ども、ディエラード家の者も、後ろの我が魔導師どもの命も、取らずにおいてやる」

「はっ、はははは」

 イシュルは老人の台詞が終わるか終わらぬかのうちに天を仰ぎ、肩を振るわし激しく哄笑しだした。

 そうだ、こいつは……。

 森の魔女、レーネに似ている……。

「……ふふっ」

 イシュルは笑いを止めると潤んだ眸を指先で拭い、老人を見て言った。

「いや、ひさしぶりに笑わせてもらったよ。ご老人。……それは国王陛下直々のお言葉かな?」

 マデルンは僅かに表情を引き締めただけ、特に何も反応を表わさない。

 向かって左側の男の剣士はむすっと険しい顔つきになった。右側の女は涼しげな余裕のある表情を崩さない。女はネリーにも視線を向けていないようだ。

「だめだな。あんたの取り引きにはとても応じられない。ビオナートの野望はどうしても潰さなければならない。それは俺にとってすでに決定事項だ。どんな取り引きにも応じない」

 イシュルは僅かに残った笑みを消しさると、新たに唇を歪めて言った。

「ただひとつ。ビオオナートの首をおまえらの方から差し出せば、考えないでもないが」

 魔導師長の右手が彼の背後に差し出された。右側の男の剣士の表情がより険しいものになっている。

「陛下の御心はわしにはわからん。……だが、彼の御方の大望はけっして悪いものではないと思うが」

 老魔導師はむしろ表情をやわらげ言ってきた。

 さすがは一国の魔導師長というところか。喰えない奴だ。

 こいつも国王派か? そうでないのか。まぁ、どちらでもいいが。

「いや。大望などとは大げさな。だめだぞ。ビオナートが何をしようが神々は振り向かない」

 イシュルは皮肉に歪んだ笑みをさらに深くして言った。

「やつは王家の者なのにやり口が汚な過ぎる。大国の王たる者なら、あくまで正道をゆかねばな」

 イシュルはさらに言葉を続けた。

「やつはただの下司だ」

「……」

 マデルンはむっつりと黙り込んだ。

「俺にはわかるのさ。神々がビオナートを歯牙にも掛けていないことがな。おまえもわかるかも知れないぞ? 俺を殺して風の魔法具を奪い取れば」

 あんたが神に選ばれた者ならな。風の魔法具を手に入れることができる。

 かわりに新たな苦行も押し付けられるだろうが。

 老人はひとつ息を短く吐きだすと言った。

「交渉は決裂じゃの」

 そしてその威厳と老成に覆われた顔にはじめて笑みを見せた。

「儀典長は遥か先に行ってしもうたぞ。取り戻さなくてよいのかの」

 イシュルは浮かべた笑みから皮肉を消して頷いた。

「大丈夫だ、問題ない。まったく」

 風の異界に手をかける。

 そこから根こそぎ、ありったけ、掴みとってこなければならない。

「ほう……」

 杖を握る老人の指先が微かに動いた。両脇の剣士の腰が僅かに沈む。

 風の音も、草原を伝ってくる兵馬の小さなざわめきも、どこか遠くに消え去った。

 辺りを殺気が漲る。

「ゴデルリエ!」

「風神よ!」

 少年と老人、相対するふたりが叫んだ。

 イシュルの周りからこの地が、世界が、もの凄い早さで消え去る。視界が無数の色彩の奔流となって流れ落ちていく。

 気づくとイシュルは右手を前に突き出し、固く拳を握りしめていた。

 その拳の先にふたつの剣先が突き出されている。

 やはり魔導師長の護衛のふたりは加速の魔法を使ってきた。からだを斜めに、四肢を伸ばした美しい姿で固まっている。

 細身の剣先が細かく揺れている。どんなに力を入れても、からだは僅かしか動かない。

 男の剣士の悔しそうな顔。女の剣士の呆然とした顔。

 イシュルは自身の前面を半円状に、以前にウーメオの舌の戦いで張った風の結界で覆った。

 遠く、横に並ぶ魔導師たちの背後の軍勢にまで。

 昼間に放たれた風獄の結界は太陽の光を浴び、霞んだ青空を背景に、ほんの僅かに黄色みを帯びて透明に輝いている。

 結界の外縁部に閉じ込められた第二騎士団、通称白槍騎士団から見えていた大小の軍旗は、風にはためくなか不自然な形で固定され、薄い青空に奇妙なシルエットを晒している。遠く離れた軍勢の方からは人馬の一切の気配が感じられなくなった。

 その手前の空中に浮かぶ、見本市のように並んでいた精霊たちは魔力の輝きを失い、今にも姿が消えてしまいそうなもの、苦しげに形を歪ませるもの、さまざまな変化を見せていた。案外影響が少なく、所在なさげに佇んでいるのは風系統の精霊だろう。同じ系統なら完全に魔力を断たれるということはない。ただし動くことができず、自身の魔法が一切使えなくなるのは他の系統の精霊と変わらない。

 その下に並ぶ魔導師たちからは微かにざわめきが伝わってくるが、彼らも結界の中で固まって、動くことも魔法を使うこともできないのは同じだ。

 草原の中に薄く輝く、途轍もなく大きな不思議な構造物が出現した。中に囚われた者たちは、その構造物の底に溜まった塵芥のようにしか見えなかった。

 イシュルは視線をマデルンの老いた顔に向けた。

 老人の顔には驚きの色はあったが、恐れは窺えない。

 勝負は一瞬だった。

 一瞬で決着がついた、と思ったその時だった。

 老魔導師の薄い唇の端が引き上げれる。

 イシュルたちのまわりの地面が揺れ出した。

 魔導師長の右斜め後方の草原が盛り上がっていく。持ち上げられた草と土が割れ、鋭く尖った岩石の塊が姿を現した。

 石の塊はイシュルの張った結界を押し上げながら地面から垂直に突き出てくる。

 地面がさらに激しく、がたがたと揺れた。

 イシュルは呆然と双眸を見開きそれを見た。

 自らの結界に激しく干渉してくる恐ろしい何かの力。

「ゴデルリエの土龍……」

 後ろでミラの呟く声が聞こえてきた。

 ゴガガガ、ガーンと、その時まるでミラの呟きに応えるように、草原に大きく突き出た尖った岩の塊が頂点から二つに割れ、腹の底を抉るような咆哮を上げた。

 岩の龍の咆哮は、イシュルの結界を越えて草原を広がっていった。地中から尖った岩の塊は龍の頭部の形をしていた。

 激しく揺れ続ける地面。

 岩の塊がぶるぶると無気味に震える。岩の龍はその途方もない力でイシュルの結界を壊し、地中から己の体躯を引きずり出そうともがき暴れていた。

 後ろからネリーやラベナたちの動揺が伝わってくる。

 このまま放っておけば、岩の龍は俺の張った結界を徐々に押し広げ、やがては完全に破り引き裂くかもしれない……。

 だがイシュルは、自信ありげな笑みを浮かべた魔導師長ににっこり微笑み返した。

 イシュルは岩龍の頭上に、新たな風の魔力を、精霊の領域から吸い出すようにして集めはじめた。細い針をつくるように固め、圧縮して密度を高めていった。

 そして風の魔力をさらにたっぷり「掴む」とそれをハンマーのようにして、高密度に固められた風の魔力の針、それは今や長く太くなり、徹甲弾のような形をしていた——を、岩の龍に向かって上から打ち降ろした。

 ガン、とむしろ小さな音で龍の頭、その尖った顎の先端が割れ、穴が空いた。

 イシュルは下に撃ち放った風の魔力の砲弾が、ゴデルリエの龍のからだを貫通すると同時に、その高密度な魔力の塊を開放した。

 すかさず土龍の頭であった岩の塊の直上、風の結界に穴を開ける。

 ひときわ大きく地面が震動すると、土龍の頭が垂直に空中に吹き飛び、周囲の地面が結界を押し上げ僅かに盛り上がった。

 イシュルの空けた結界の穴を、土と岩の入り混じった灰色の煙りが空高く吹き上げられた。

「他愛もない」

 イシュルは笑みを消し、マデルンに向かってただそれだけを言った。

 ゴデルリエの土龍とやらがいかほどのものか知らないが、たとえば赤帝龍とは比べるべくもない。その程度でしかない。

 マデルンは首をぶるぶる振るわして、斜め後ろの、今はただ砕かれた岩の塊でしかない、土龍の頭部の方を見ようとする。

「無理だ。後ろまで首は動かせないよ。そういう風に調節してある」

 イシュルは宮廷魔導師長に語りかけた。

「見なくても感じるだろう? あんたの契約精霊は消滅した」

 そしてイシュルは視線を鋭くして言った。

「茶番は終わりだ」

 それからイシュルは魔導師長に向けて左腕を上げ、手の甲を見せた。そのまま黒革の穴開き手袋を取って、手の甲に赤く光る宝石を見せた。

「……それは」

 僅かに疲労を浮かべた魔導師長の眸が大きく見開かれた。

 イシュルに剣を突き出す形で止まっている、ふたりの剣士にも驚愕の色が浮かんでいる。

 イシュルは低い声で魔導師長に言った。

「おまえも当然知ってるだろ? これが何か」

 イシュルの顔は厳しい表情のままだ。

「もう片方はビオナートが持っている。聖都に帰ったらやつに言っておけ。聖堂教会に早く返さないと神の怒りをかうぞ、と」

「……」

 マデルンは言葉を失い、ただ呆然としている。

 イシュルは手袋をはめ、手の甲に光る紅玉石を隠すとクラウを呼んだ。

「クラウ」

 イシュルの頭上にクラウの姿がゆっくりと浮かびあがる。

 イシュルは宙に浮かぶクラウを見上げると言った。

「クラウは先行してこの街道沿いに草原の前方を行く、神官たちを確保してくれ」

「わかった」

 クラウは短く、かるく頷いた。

「神官らは馬車に乗っているが、おそらくそのまわりを敵方の騎馬が囲んで、誘導してるんじゃないかと思う。敵方の者だけを眠りの魔法でもかけて、神官たちから安全に引き離してほしいんだが」

「問題ないとも」

 クラウは続けて快諾したが、少し顔を曇らせて言った。

「ただこのイヴェダさまのものと似た結界……、これはわたしも通り抜けるのがちょっと難しいのだが」

 イシュルは微かに笑みを浮かべるとひとつ頷き言った。

「この結界は高度が上がるに従って薄く弱くなっている。少し面倒だが、ここから垂直に空高く上がれば抜けやすい筈だ」

「ほう……」

 クラウは空を見上げて呟いた。

「わかった。では剣殿、おまかせあれ」

 クラウはそう言うと、瞬きする間もなく姿を消した。

「……今のは大精霊……」

 マデルンの呟く声が聞こえる。

 イシュルが失意の魔導師長に顔を向けようとした時、今度は右斜め後ろから声がかかった。

「い、イシュル、……イシュル殿」

 イシュルが振り向くと右側に、銀色に輝く剣が、その切っ先を栗毛の女に向け突き出されていた。

 ネリーも、栗毛の女の動きにしっかりつられて反応してしまったらしい。ネリーの突き出した剣先はいつかの夜のように、またイシュルの張った結界の内側に取り込まれていた。

「そ、その。結界を少しどけてもらえまいか」

 イシュルはネリーを横目に流し見て言った。

「またか? ネリー」


「急ぐんだ。逃げた人夫や荷馬は追わなくていい。残った従者や人夫たちは荷馬車に乗せて、先に行って儀典長らと合流してくれ。俺は後から合流する」

 ルシアやラベナ、双子が後ろに向かって駆けていく。ネリーは対面する栗毛の女に一瞬、侮蔑を込めた視線を送ると、身を翻して手前の馬車の方へ戻っていった。

「イシュルさま、それは……」

 ミラがはっとした顔でイシュルを見てくる。

「結界にはみんなが通り抜けられるように穴を開けておく。そこを通って街道に復帰して、儀典長に合流してくれ。俺はしばらくの間、この結界を維持して彼ら丸ごと、このまま足止めしておく」

 イシュルは草原に広がる軍勢と魔導師たちを見ながら言った。

「ミラ。彼らを殺さない、宮廷魔導師らと第二騎士団を殲滅しない、とはそういうことだ。聖都に着くまで、俺たちは常に彼らの追撃を警戒しなければならない。脅して先に行かせても同じ、いやもっと状況は悪くなる。要所要所で彼らは街道を塞ぎ、妨害を続けるだろう」

「……もうしわけありません。イシュルさま」

 ミラは俯き泣きそうになっている。

「仕方ないさ。ミラの言うことは、それはそれで正しいことなんだから」

 確かに彼らを殲滅してしまえば、大陸の勢力図が変わりかねない。

 ビオナートめ。もしやつがそこまで読んでいたのなら……。

「わしらを殺さぬのか」

 横から魔導師長が言ってくる。

「そうだ。さっきも言ったとおり、聖都に帰ったら国王に言っておけよ。紅玉石を大聖堂に返せ、と」

「イシュルさま、ありがとうございます」

 ミラが両手を胸に、イシュルに礼を言ってくる。

「いや。ここはミラじゃなくて、国王本人こそが俺に感謝すべきだと思うんだがな」

 イシュルがミラの気持ちを想ってそれとなく軽口をたたくと、背後からダナの声がした。

「あら、殺さないのね」

 ダナは後ろに使節団の残りの宮廷魔導師を残し、ひとりでイシュルたちのいる方まで来て、マデルンの前に立った。ダナの魔導師長を見る目が冷たい。

「良かったですわね、宮廷魔導師長。命が助かって」

 ダナはうっすらと恐ろしい笑みを浮かべた。

「ミラとイヴェダの剣、イシュルさんのご慈悲に感謝すべきだわ」

 マデルンは結界の向こうでむすっとしている。

 な、なに? どうなってるの。

「ダナと魔導師長は以前から仲が悪いのです」

 ミラがイシュルの耳に顔を寄せて小声で話してきた。

「ダナはルビノーニ伯爵家の末娘ですが、わたくしと同じ五令公家のブリオネス公爵家と縁続きで、彼女はブリオネス家の現当主の外孫になります」

 イシュルはちらっとダナとマデルンに視線をやった。

 それではいかな宮廷魔導師長でも、ダナを無下に扱えない。

「此度の件はそなたに関係ない。それともルビノーニ家は正義派に味方することになったかの」 

 と、それでもマデルンも負けじとダナを挑発するようなことを言ってきた。

 ダナの眉がぴくりと上がる。

 まずい……かな?

「ミラさま、準備ができました!」

 そこへ折よくルシアが後方から駆けてきて言った。

 ちょうどよかった。

「では、すぐに出発してくれ。ラベナ!」

 イシュルは後方に少し離れたところにいるラベナに声をかけた。

「ロルカをミラの馬車の前方に配して、誘導と警戒に当たらしてほしい」

 ラベナが頷き、ロルカはまた空中から跪いてきた。

「ダナさん、あなた方の乗る馬車も、御者台に誰か魔導師を座らせて周囲の警戒をしてください」

「わかったわ」

 ダナはマデルンに向けていたきつい表情を、さっと笑顔に変えて言ってきた。

 そして最後に再びマデルンに鋭い一瞥をくれると、イシュルたちに背を向け後方の馬車の方へ戻っていった。

「ルシア、……わたしのドレスは大丈夫だったかしら」

 イシュルの横ではミラがルシアに小さな声で話しかけている。

「はい。お嬢さま。当家の荷物はすべて無事でした」

 ドレス?

「なに? それ」

 ミラたち使節団の宮廷魔導師らは、聖石鉱山を出発してから同じ、白っぽい神官服に似た服装をしている。

「ミラお嬢さまがイシュルさまにお会いするために特別にしつらえた、赤いドレスでございます」

「ああ、あの時の」

 ミラが、クレンベルの山頂で俺に会いに来た時に着ていたやつだ。

 わざわざ新調したのか……。

「……もう、ルシアったら。言ってはだめよ、恥ずかしいわ……」

 ミラが両手を頬にそえて俯き、いやいやしながらこちらをちらちら見てくる。

 はは。えーと、俺はどう反応したらいいの?

 イシュルはひたすら笑顔でごまかし、その場を切り抜けた。


 イシュルは、横に並ぶ魔導師たちを避けるように、自ら張った結界の中央部を逆「く」の字に裂いて、ミラたち一行を通す道をつくった。後方に展開した第二騎士団に対しては、七、八名に分かれた集団と集団の間を抜けるようにした。

「お主がまさか使節団の指揮をとっているのか?」

 ミラたちが出発し、イシュルひとりになると、老魔導師が結界の向こうから声をかけてきた。

「そういう時もある」

 イシュルはそっけなく言うと、目を細めてマデルンを見た。

「……別にどうでもかまわないのさ。いざとなったら聖都の王宮まるごと潰しておしまい、だ。ビオナートの頭が恐怖でこれ以上おかしくならないように、せいぜい気をつけるんだな。あんたは宮廷魔導師長なんだからさ。玉は他にもあるなら差し替えがきく。それを忘れないことだ」

 今はこの老人にこちらの弱みは見せられない。

 イシュルはそう言うと空に飛び上がった。

 酸素量や気圧を保つよう、自らの周囲を風の魔力で覆い、三里長(スカール、約二千m)ほどの高さまで上昇した。

 ミラたち一行は半円状に展開した第二騎士団を越え、イシュルの張った結界の外へ出ようとしている。

「まずい」

 イシュルは視線を西の方にやると、表情を厳しくして呟いた。

 空は晴れていて視界は良い。草原を伸びる街道の先、木々がまばらに生えた向こう側に、無数の荷馬車とおそらく数十名ほどの兵隊の集団が見える。

 あれは後方に残置された第二騎士団の輜重隊だろう。街道からやや南に逸れた地点で待機している。

 イシュルは高度をやや下げて輜重隊に近づいていった。

「ふむ」

 クラウか。なかなかの処置だ。

 輜重隊の徒歩兵らはみな地面に寝たり座り込んだりしている。馬も多くは地面に座り込み、あるいはからだを横にして寝ているようだ。通常は馬は立ったまま寝ることが多い。どの馬も眠りが深い、というよりからだが半ば麻痺している状態かもしれない。

 イシュルは荷馬車の固まっている辺りに握った拳を向け、風の魔力の塊で荷馬車に荷重をかけ、ぶつけてその車軸を折り、すべて潰してしまった。

 イシュルは再び高度を上げ、街道の先の方を見た。木々が生い茂り、草原の終わる辺りに騎馬や馬車、人びとの黒々とした塊が見える。距離は十里以上はあるだろう。細かいところまでは見えない。

 イシュルはさらに高度を上げ、結界に覆われた魔導師たちと騎士団を視界におさめながら、ミラたち一行が、デシオらと合流するのを見守った。


 ミラたち一行と先行していたデシオらが合流するとイシュルはさらに高度を上げて、彼らの頭上に移動した。クラウが姿を現しイシュルの許へ上昇してくる。

「剣殿、神官らを誘導していた敵方の騎馬兵はみな眠らせた。遅れていた魔法使いの者どもも追いついた。いかがする?」

 クラウが半透明の姿でイシュルの前に浮き、聞いてきた。

「下にいる神官に伝えてくれ。使節団の徒歩兵らはここで分離する。クレンベルから合流した騎馬隊も同じ。同行するのはリバルともうひりの、ふたりの正義派だけ。すべて騎馬と馬車、荷馬車だけの編成にして、聖都に向かいたい」

 イシュルは草原の東、結界の方を見ていった。

「あそこに閉じ込めたやつらは訳あって殺せないんだ。後からあの軍勢の追撃を受けたりするのは避けたい。こちらはできるだけ早く移動できるようにしたいんだ」

「なるほど」

 クラウもイシュルのはった結界の方に目をやり頷いた。

「ではそのように手配しよう」

「たのむ。俺は後から追いつく」

 クラウが姿を消してしばらく、眼下の使節団が街道を西に、聖都に向けて動きだした。その後ろを分離された使節団の徒歩兵や騎馬がゆっくり進み出す。

 後には街道脇に、眠り込んだ数十の騎馬やひとの塊が残された。それはクラウが眠らした第二騎士団の部隊だった。クラウは敵味方を正確に見極め対処した。

 イシュルは街道を進む使節団が草原を抜け、木々の多く繁りだした森林地帯に入ると、右手を東の結界の方に向け、少しずつ魔力を異界に戻していった。結界の力が弱まり、閉じ込められた魔導師たちや騎士団の兵士らが動けるほどになると、残りの魔力を開放した。

 開放された風の魔力は周囲を突風となって吹き荒れた。

 草原を覆う土煙が空に広がっていくのが、十里ほど離れた空中に浮くイシュルからも、はっきりと見ることができた。

 おまえらを殺しはしない。だが、かるく怪我くらいは負ってもらおう。せいぜい混乱して、一時的にでも潰乱状態になってもらえればさらに良い。

 イシュルは使節団を追いかけ、森林地帯に入ると街道沿いの木々を内側に倒し、街道に風の魔力をぶつけて掘り起こし、長く続く穴を掘った。

 あまりやり過ぎると沿道を行き来する商人や農民の生活に影響が出る。使節団の仕業だと、沿道沿いに噂が立つのは避けたい。

 混乱状態を収拾し、クラウに眠らされた街道沿いの輜重隊や騎馬隊を収容し、森に入ると街道は倒れた木々に覆われ、穴が掘られている。周囲が森林なら徒歩兵はともかく、騎馬や馬車では街道を避けて迂回はできない。

 それでも相手は魔導師が五十名以上いる。街道上の倒木を燃やし、穴を埋めるのも彼らなら苦もなくやれるだろう。だが、再び街道を通行できるよう復旧するには、それなりの時間がかかる筈だ。

 イシュルは空中で身をひるがえすと使節団の車列を追い、ミラの馬車の上に片膝立ちで着地した。

 御者台に座っていたネリーが、ぎょっとした顔で振り向きイシュルを見た。



 

 その日は森をはずれた街道沿いの村、テレルにて野宿、非常時にすぐに動けるようにデシオをはじめ使節団の役付きの者も村の民家には泊まらず、食事や水、飼葉の提供だけを申し入れ、皆馬車の中や荷馬車の上、農家の軒下などで横になり、仮眠をとった。もちろんクラウには街道の下り、クレンベル方面を重点的に監視してもらった。

 テレル村に到着後、ナヤルルシュクと同じようにクラウのことも知っていたのか、興奮したデシオがイシュルをつかまえて大げさに騒ぐ一幕もあったが、そこでイシュルはデシオの他にミラ、リバルらにも集まってもらい、聖都に到着するまでの道程について打ち合わせを行った。背後から追撃してくるであろう、宮廷魔導師長以下の魔導師たちと第二騎士団に対する警戒、及び進路妨害の実施、聖都方面の進行方向では伏兵に対する警戒も行うことが決められ、人も馬も最低限の休息で、聖都までできるだけ早く帰還することになった。

 翌日夕方はランデリーニ伯爵の居城がある街、カリエレを通過。伯爵の城中での饗応を謝絶し、ひとつ先のボナロ村で休息を取った。

 ミラやイシュルの乗る馬車も、ルシアやラベナたちの乗る馬車も、みな交替で御者台に座って警戒、護衛にあたった。時にはミラまでも御者台に座って見張りをすることがあった。 

 イシュルは毎日、夕方になると空へ上がって、街道沿いに森や雑木林が広がる場所を探して木々を倒し、穴を掘って、後続する魔導師と聖堂第二騎士団の部隊の進路妨害を行った。夜間は街道を行き来する領民も少ないだろう、と配慮しての行動だった。

 いよいよ後一日半ほどで聖都に到着する三日目、夕方になると使節団の護衛と警戒をクラウに任せ、イシュルは空に上がって、昼過ぎに通り過ぎた森の方へ向かった。

 今のところ、ビオナートの差し向けた魔導師隊と聖堂第二騎士団の部隊が使節団に接近する、危険な事態には至ってない。

 高度は二里長(スカール、約千三百m)ほどか。

 暗く、夜闇に沈みはじめた東の空をイシュルは見渡した。畑地、雑木林、草地、大小の丘が、細い縞のように蓄積し山並みの地平線に消えていくのが、かろうじてうかがえる。

 イシュルはふと、前方、かなり下の方を何かが飛んでいるのを感じとった。

 魔力の煌めきだ。

 イシュルは降下しつつ対象の後ろ側に周り込んだ。地平線が流れ回転し、不意に明るくなる。今度は西を向いて飛ぶ形になった。赤く輝く夕陽の光が南北に、どこまで細長く続いていた。

 その夕陽の光を浴びて、長い木の杖にまたがった小柄な人影が視界に入ってきた。

 まだ若いな。

 その人影は少年か、少女かまだ定かでない。あの魔法使いの帽子はかぶっていない。髪の毛は短め。黒いローブを着ている。ラベナより早い。

 偵察に来たな。

 イシュルはすぐに攻撃は加えず、後方から近づいていった。

 叫べば声が届きそうな距離まで詰めると小柄な魔導師が振り向いた。

 確かに若い。少女か?

 魔導師はイシュルに気づくと魔法の杖の先端をぐいっと下げて降下していく。高度を速度に変え、少しずつ左、南側へ回り込もうとしている。

 見つかっちゃったからな。なんとか東側にまわりこんで、後方、本隊へ戻りたいのだろう。

 イシュルは速度を落とし、魔導師の進路を断つようにして南へ横にすべるようにして飛んだ。

 魔導師はイシュルが自身の左側に占位し続ける状況になると、ひとの頭ほどの風球を連続して撃ってきた。

 イシュルは風の魔力の壁を出現させ風球を潰していく。そして魔導師の側面に魔力の壁を出現させ、魔導師を捕らえようとした。

 ん?

 イシュルの魔力が止まる。

 イシュルは途中まで出現させた魔力の壁を打ち消した。

 こいつ、……滑らしている。

 魔導師は降下しつつ回りこむだけでなく、自身を少しずつ外側へ横滑りさせていた。しかもイシュルが魔力の壁を出現させるとそれを敏感に感じとり、その瞬間さらに大きく、自身を横へ滑らしていた。

 おまえはレシプロ機のパイロットか。

 さすが宮廷魔導師。空中戦に慣れている。

 魔導師はイシュルの風の壁をやり過ごすと再び風球を撃ってきた。赤く尾を引く西の空を横に切り裂く、小さな魔導師の影が美しい。

 イシュルは風球を潰すとふと、背後にいやな気配を感じた。

 本能的に壁を自分自身にぶつけて横に吹っ飛ばす。

 イシュルのいた空中にかぎ爪をもった腕が現れ、ガチン、と空を掴んだ。

 イシュルは横に飛びながら一瞬目を見開き、にやりとした。

 あれはウーメオの舌で、ナヤルが魔封の結界を破る時に出してきたバカでかいかぎ爪の小型版だ。

 イシュルは空中に現れたかぎ爪が消え去る直前に、風の魔力をぶつけて開放し、自分とは反対側の北東方向の空へ爆発させ、遠く吹き飛ばした。

 自分が囮になって注意を引きつけ、精霊に忍び寄らせて攻撃か。

 どんな姿形の精霊か、確認する余裕もなかった。

 なかなかやるじゃないか。

 魔導師は自分の作戦が失敗に終わったのを知ると、全身を縮込ませ一気に降下し、地を這うようにしてイシュルの下をくぐって東の方へ逃走に移った。

 ……もう終わりにしようか。

 イシュルは杖の魔導師の周りに、風の魔力の壁を等速で覆った。やがて魔導師は魔力を奪われ空中に静止した。

 イシュルはすうっと美しい曲線を描きながら魔導師の側に寄っていった。

「お疲れ」

 声をかけたイシュルに顔を向けてきた小さな魔導師は黒髪、大きな黒い眸でイシュルを睨みつけ、下唇を突き出してきた。

「ふん、だ」

 女の子?

 セルダをもっとやんちゃにしたような子だ。

「おまえは捕虜として連れていくからな」

 なかなかできる、若い魔法使い。元気そうな女の子だ。

 イシュルの顔は自身の堅い台詞(せりふ)とは裏腹に、にこにこと笑顔になっていた。


「ふーん、やっぱりあんたがやってたんだ」

 イシュルが宮廷魔導師の少女を捕まえた後、近くの雑木林に囲まれた街道で両脇の木々を倒し、街道の地面を掘り起こしていると、その少女が声をかけてきた。

「おまえら、ちゃんと倒した木をかたずけ、道を埋めてるか?」

「当たり前でしょ!」

 イシュルと少女は夕方の薄暗くなった空に浮いている。少女はイシュルの張った風の魔力の壁越しに話してくる。

「そうか、それはよかった。で、どれくらいの時間がかかっている?」

「えーと、それは……って、そんなのしゃべれるわけないでしょ!」

 ひとりでボケツッコミごくろうさん。

「まぁいい。戻ったら拷問するから」

「ぎょっ!」

 イシュルは少女に笑いかけると、街道の先を行く使節団を追いかけた。

 使節団は途中の村で食糧と水、飼葉を買い入れた後、街道を南北に横切る小さな川の側で野宿していた。

 リバルやオラシオが従者や残った人夫たちを指揮して、馬車から馬を外し川で水を飲ませ、飼葉を与えている。

 ダナたち宮廷魔導師、デシオら神官、そしてラベナやルシアたちは互いのグループに別れて火を起こし、夕食の準備をしていた。

 ラベナやルシアたちのグループでは、ミラがどこからか小さな丸椅子を持ち出してきて、焚き火を見つめながらぼんやりと座っていた。

 イシュルは彼女らの側に着地して、捕まえた魔導師の少女を解放した。

「ベリン……」

 赤々と燃える焚き火の前に降ろされた少女は、疲労していたのかその場で地面に片膝をついた。

 ミラがその少女を見て呟くように言った。

 ベリンは家名をイバルラといい、子爵家のひとり娘だという。

「ベリン、俺はイシュルだ。よろしく」

「そんなの知ってるわよ。わたしの名を気安く呼ばないで」

「ベリン! イシュルさまになんて口の聞き方を」

 ミラが椅子から立ち上がって怒った。

「……ごめんなさい。ミラさま」

 ベリンはミラの剣幕に小さくなって俯く。

「あら、誰かと思えば。ベリンじゃないの」

 イシュルが声のした方を振り返ると、少し離れてダナがひとり立っていた。

「ダナおねえさま……」

 ん? ふたりは姉妹?

 イシュルがベリンの顔を見ると、彼女はさらにバツの悪そうな顔をしている。

「あなた、どうしたの?」

 ダナがベリンのすぐに前まで近寄って声をかけた。

「ベリンはダナの従姉妹なのですわ」

 首を忙しく振って、ベリンとダナの顔をいったりきたりして見やるイシュルに、ミラが簡単に説明した。

 なるほど……。

「えーと」

 口ごもるベリン。

「わたしたちを偵察しに来たのね。それでイシュルさんに捕まった、と」

 ダナがイシュルをちらっと見て言った。

「ふふ。いい勉強になったでしょ? あなたでも、どうしても勝てない相手だっているのよ」

「……」

 ベリンが俯き唇を尖らす。不満そうな、少し悔しそうな顔だ。

「いや、なかなかどうして。俺の方も楽しめたよ」

 イシュルが言うとベリンが顔をさっと上げて睨んでくる。

「横滑りしながら空を飛んで戦えるなんてたいしたもんだ」

 が、次のイシュルのひと言に眸を輝かした。

「そうでしょ!」

 こいつ……。表情がころころ変わるな。

「空中戦の才能があると思うよ」

 イシュルがわざと煽るようなことを言うと、

「空中戦……」

 ベリンが何かを発見したような驚いた顔になった。

「高度を速度に変えるなんて、空中戦の基本をよく知ってるじゃないか」

「ああ! うんうん」

 ベリンが顔を輝かせて頷く。

 ベリンは自らが囮になって精霊に攻撃させてきたが、その逆も含め、その手の戦い方のほうがむしろよく使われる手だ。

「あとはそうだな。空中戦では常に相手より早く発見して、先に高度をとる。精霊を隠して前方に配置し警戒させるのもいいかもしれない。相手より先に高度をとれたなら、昼間は太陽を背にして戦うといい」

「おおおっ」

 イシュルがひとさし指を立てて空中戦について解説してやると、ベリンが感動の声をあげる。

「い、イシュル、さんはよく知ってるね。く、空中戦、かぁ……」

 ベリンが夢見るような表情になる。

 空中戦、という言葉がこの世界ではあまり使われる言葉でないのはわかる。しかし……。

 こいつ、つまりは空中戦バカだ……。

「ねぇ、ベリン。あなた、わたしといっしょに来なさい。魔導師長といっしょにいてはだめよ。あのご老人も国王の走狗となったのなら、先が知れたも同然よ」

 ダナが横から微笑を浮かべてベリンに話しかけた。

「……でも」

「あなたも国王の理想とかをどこかで耳にしたのでしょう? 魔導師長からかしら。あんな馬鹿げた夢物語を信じちゃだめよ。聖堂教会はそんなこと望んではいないわ」

 イシュルの顔が厳しいものになった。一瞬、ミラと視線が合う。

 国王の理想とはあれか、聖王国と聖堂教会の両方を掌中におさめ、政、軍、教を合体し大陸をひとつにまとめるという——やつの野望のことか。聖都の宮廷にいる者たちにも広がっているのか。

 確かにビオナートの考えていることは、表向きは聖王国の貴族や神官の若者たちを魅了する、いや、幻惑させる理想、の類いかもしれない。

「それは……」

「ウルク王国が滅んだ後に興った今の聖堂教は、それなりの多様性と柔軟性を持ち合わせている。その辺のことを考えてみるんだな」

 イシュルは難しい顔をしたままベリンに突き放すように言った。

「へ? ……」

「さすがはイシュルさま。素晴らしいお考えですわ」

 ミラがにこにこ笑顔で言ってくる。

 いや、どうなんだろう。普通だ、と思うんだが。なぜウルク王国が滅亡したか考えてみろ、と言っただけなんだが。

「風の吹くままに、風の吹く彼方にこそ真(まこと)あり、よ」 

 ダナが笑みを浮かべてベリンに言った。

 そう言えばダナも風の魔法使いだった。なんだろう。何かの警句か。風の魔道書にでも書かれてあるのだろうか。

 言ってる意味は何となくわかるが。

「それにわたしといっしょに来たら、イシュルさんに“空中戦”のこと、もっと教えてもらえるかもしれないわよ」

 ダナが途中からこちらの方を見てきた。

「!!」

 ベリンもあっ、という顔になって俺の方を向いてくる。

「わかった、そうする!」

 ベリンはぐん、と首を一度大きく縦に振ると、元気な声で言ってきた。

 

 

 

 翌日、イシュルは午前中は馬車の御者台で見張り当番、午後からはネリーと交替し、ミラやシャルカと同じ車中になった。

「……」

 季節は春の二月(五月)に入り、日中の車内は暖かい。もう聖都も近づき標高も下がってきている。

 街道の両脇は青く色づいた麦畑が広がり、見晴らしのよいのんびりとした田園風景が続いている。

 ミラも最初はイシュルにしきりと話しかけてきたが、それもだんだん口数が少なくなり、今はこくり、こくりと船を漕ぎはじめている。

 シャルカは相変わらず車窓の外をぼんやり見つめている。

 当たり前のことだが、聖都の街中に入ってしまえば魔導師たちも騎士団も手を出せなくなる、とはミラやデシオ、リバルらの一致した見立てだ。

 今晩は馬を一時休ませたら、翌朝まで徹夜で移動し、明け方にはエストフォルの街中に入ってしまおう。後でデシオやリバルに提案してみよう。

 ベリンの話では魔導師隊と第二騎士団はカリエレの街で部隊を整理、竜騎兵と騎乗した魔導師を中心に部隊を再編成し、昨日の朝に当地を出発したという。

 今日の夕方も街道の妨害工作をしておけば、聖都までは追いつかれる心配はない。

 イシュルも目を瞑って考えながら、意識をぼんやりしはじめた。

 ……何か、暗闇の中からこちらへ向かってくるものがある。

「はっ」

 イシュルは目を醒した。

 顔を上げると、シャルカがしっかりとした視線で前方を見ている。

「剣殿」

 クラウが声をかけてきた。

「早馬だな。こちらに向かってくる」

「ミラ!」

 イシュルはミラを起こすと馬車を止めさせ、外に出た。

 後ろからシャルカがまだぼんやりしているミラを伴ってついてくる。

 聖石を運搬する屋根付きの荷馬車を挟んで前方の、デシオたち神官の乗る馬車も止まった。

 隊列の先頭ではリバルとオラシオが下馬して、早馬から降りた使者を介抱しているようだ。

「アマド!」

 先を行くデシオが叫び声をあげる。

 デシオの知っている者!?

 イシュルが追いつくと、オラシオが後ろから若い神官を抱え起こしていた。

 神官は神官服の上、背中に剣を背負っている。

 神官兵だろうか。

「アマド!」

「しっかりしろ」

 デシオつきの神官らも、彼の名を知っているのかさかんに声をかけている。

 アマドと呼ばれた若い神官は息をはずませ、左腕と右の腰あたりを赤く血で染めていた。

「はぁ、はぁ」

 アマドは苦しそうに声をあげた。

「た、たいへんです。王家査察司の、で、ディエラード家の方はおられるか」

「わたくしですわ。神官殿」

 ミラが硬い口調で後ろから出てきた。

「聖堂騎士団が……、御家のお屋敷を包囲しています」

「!!」

 はぁ!? どういうことだ?

 アマドを囲むすべての者が驚愕した。

「……す、すぐに戦(いくさ)を……、ディエラードさまの屋敷を攻めるじ、状況ではないようですが……」

 アマドは、はっ、と短く息を継ぐと言葉を続けた。

「第三騎士団が王命により、出陣したと」

 ミラがイシュルの腕に触れてきた。

「イシュルさま!」

 ミラの顔が真っ青になっている。

 そんな馬鹿な。気が狂ったか、ビオナートめ……。

 イシュルは視線を遠く、西の空に向けた。

 左に緩やかに曲がる街道と辺りを覆う麦畑、そこに木々に囲まれた民家が点々と見える。

 その先の霞む地平線に、白い雲を浮かべた水色の空が広がっている。

 急げばエストフォルまでひとっ飛びだ。空から制圧してやる。

「今すぐ聖都に飛ぼう」

 イシュルは拳を握り、低い声音で言った。 

  

   

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