ミラの望むもの




 あの時、激しい雨に打たれながら老人は何事か話し続けていた。

 老人は神殿で見る地神ウーメオの彫像によく似ていたのだ。

 彼はおそらくベルシュ村の方を向いていた。その方角は、赤帝龍が現れたクシムの方まで南を向いてはいなかったような気がする。

 彼は何を見ていたのだろうか。何をしゃべっていたのだろうか。

 あれは数年前、俺が村を出てエルスタールへ向かう途中で現れた、地神かもしれない老人の幻。

 彼はあの後に起きたベルシュ村の惨劇を俺に伝えようとしたのだろうか。

 俺に神々の戯れがはじまるぞ、と告げようとしていたのだろうか。

 いや、それはあまりにひとりよがりの、身勝手な考えかもしれない。あの老人、あの老人の像はどこかおかしかった。こちらの呼びかけに何も反応しなかった。彼は焼けてしまった森の魔女、レーネの家の方を見ていたのかもしれない。あるいはそのさらに森の奥深く、風の神の神殿跡の方を見ていたのかもしれない。

 全身を何かが襲ってくる。

 時間が止まってしまったようだ。

 ミラの笑顔が恐い。

 また、動きだそうとしているのではないか。

 いや。動きだしたのだ、神々が。

 ミラが笑顔をひっこめ、心配そうな視線を向けてきた。

「どうされました? とてもこわい顔」

「いや……」

 何を脅えている。

 彼らがまた俺を何事か、嵌めようとしているのならそれに乗るしかないじゃないか。

 彼らの懐に飛び込んで、また戦うしかない。足掻くしかない。こちらからは今はまだ、何もできないのだ。

「その石、さわってもいいかな」

「はい。どうぞ。手に持っていただいて結構ですわよ」

 鉄製の箱におさまったルビーを手に取る。

 冷たく固い肌触り。重さもありきたり、こんなもんだろう。

 残念ながらこれこそは神の魔法具だ! などと自身の感覚なり心なりに訴えかけてくるものは何もない。何も感じない。

 石の厚みは小指の第一関節の長さほど。約二センチ、つまりこの大陸の単位で言えば一サディ(一指長)くらいになる。石の裏側は真っ平らになっている。いくら王冠に飾られるものだとしても、加工研磨された宝石としてこの底部の単純な平面はあり得ないだろう。だが確かにもう片方の、対になるルビーをこの底の部分で合わせれば、ひとつにまとまった均整のとれた造形の宝石、に見えるのかもしれない。

 しかし、石に当たる陽光の反射の具合が妙に鋭く軽い感じがして、素人目にはなんとなく本物ではないような気もするのだが……。  

「ナヤル!」

 イシュルはミラの顔を見つめながら精霊を呼び出した。

「なに? 剣さま」

 イシュルの斜め後ろの空中にさっと光の筋が走ると、ナヤルが瞬きする間もなく姿を現す。

 まったく。さっき派手に風を巻いて現れたのはいったいなんだったのか。

 イシュルはかるく苦笑を浮かべナヤルを一瞥すると、彼女に質問した。

「この赤い宝石は地神の魔法具と深い関係があるらしい。ナヤルは何かわかるか?」

 イシュルの掲げた紅玉石が陽の光に煌めく。

「ふっ」

 ナヤルはその石に視線を落とすと、あろうことか鼻で笑った。

 視線をミラに戻し彼女の表情を観察する。ミラはわずかな困惑を、その微笑を浮かべた顔にのぼらせているが、特に慌てた素振りは見せず、両足をきれいに揃えて石の上におとなしく座ったままだ。

「わたしは地神の魔法具なんてよく知らないわ。その赤い宝石が何なのかも、まったく興味はないわ」

 イシュルはミラから再びナヤルに視線を向け、下から窺うように見上げた。

「ふん」

 ナヤルがそっぽを向く。

 やはり他所の神のことであっても、この手の話を人間と話すのはご法度なのか、彼女にまともに話す気はないようだ。

「ありがとう、ナヤル」

 イシュルが仕方なくナヤルに声をかけると、彼女はその姿のまま、現れた時と同じように微かな光の煌めきを残し、あっという間に姿を消してしまった。

 イシュルはルビーをミラに返しながら、かるく笑顔をつくって言った。

「これ、偽物だろう」

 ナヤルは確かに“宝石”と言ったが。

「あ、あああの、それは」

  “魔法具”とも、“宝具”とさえも言わなかった。

 ミラが動揺している。

 紅玉石の嵌った鉄の箱を上下にせわしなく動かしてお手玉しそうになっている。

 ルビー、どっかに飛んでっちゃうぞ?

 面白い子だ。頭が良く鋭いところもあるが、こうしてバレバレの反応をしてきたりもする。すぐ自分の世界に入っちゃったりもするし。

「まぁいい。どのみち二対揃わなければ意味がないんだろう? ただ、ちょっと気になることがある」

 またミラを質問攻めにしてしまうが、しょうがない。

「聖王国も教会も、未だ誰も地の魔法具を得ることに成功していない、ということだが、それはどういうことなんだ? 例えば二対の紅玉石を合わせ、何か専用の呪文を唱えるとか、地の魔法具を出現させる詳しい方法が伝わっていないのかな」

 ミラは胸に片手を当て、かるく息を吸うとゆっくりと吐き出して気持ちを落ち着けると、ルビーの嵌った鉄の箱に蓋をし、まずシャルカに、さきほどの鉄箱を開く時に使ったのと同じような短い呪文を唱えさせ、本人も小声で封印の呪文らしきものを唱えると、シャルカの体内に鉄箱を戻した。

 どうやら金属系統の、二重の封印呪文をかけているようだった。もしあの石が偽物なら、ずいぶんと厳重な扱いをしているのではないか。

 そして、ミラはイシュルに顔を向けると、「お待たせしました」と笑顔をつくって彼の質問に答えた。

「紅玉石が聖王国の王権をあらわす核心、と言われるのも、その宝石が地の魔法具を顕現するという、古くからの言い伝えがあるからなのですが、その言い伝えは聖堂教会にある複数の古文書に同様の記載があって、それはまず“対なる紅玉は土神の宝具を世にあらわす”とあり、その後に“そが対なる紅玉をおのおの両の手に合わせば、これ必ず地神が宝具とならん”との一節が続きます。紅玉石が地神の魔法具に係る、教会に古くから伝わる重要な宝物(ほうもつ)であることを表わす前の一節はいいのですが、その後に続く後半の一文こそは、本来教会の外には絶対に出ることのないものなのです」

 そこで彼女の笑顔は力ないものになった。

「ですが、もう何百年も昔から、歴代の王や大神官たちが幾度となく試しては失敗を繰り返してきたため、秘密にする理由が薄れてしまって……。ただ、公(おおやけ)に広く知られていいものではないので、一応他言はしないようにお願いいたします」

 ミラはイシュルに向かってかるく頭を下げてきた。

「なるほど……」

 特に呪文などはないのだ。あるいはその部分が書かれていない、伝わっていない。

 イシュルは顔を俯かせた。

 これは考えどころだ。

 ふたつのルビーを両手に片方ずつ持って合わせれば、地神の魔法具が出現する、というのなら、二対の宝石は神の魔法具の顕現を喚起するもので、神の魔法具そのものではない。そして地神の魔法具とは、神殿でかならず目にする地神の像から考えるに、彼が手に持つ木の杖、魔法の杖、ということになるのだろう。ならば二つの紅玉石は、風の魔法具である剣をその顎から出した、あのレーネの死体から出てきた白い蛇と対応するもので、二つの紅玉石が合わさった瞬間、何らかの足りない条件が揃えば、地神の杖が現れ出る、ということになるのではないか。

 なにが足りないのか、何が必要なのか。

 俺がレーネの死から風の魔法具を継承した時はどうだったろうか。いや、あの時はレーネがすでに風の魔法具を所有していた、風の魔法具はすでにこの世に存在していたのであって、今回の地の魔法具とは状況が違う。地の魔法具はまだこの世に現れ出てはいない。安易に比較することはできないだろう。

「いかがされました? イシュルさま、とても恐いお顔をなさっています」

 ミラが微笑みを消し、不安そうな顔になって聞いてくる。

 彼女は知っているだろうか。彼女に聞いてみるべきだろうか。

 赤帝龍と火の魔法具のことを。

 赤帝龍が火の魔法具を持っていることを、赤帝龍が千年前、どうやって火の魔法具を手に入れたかを。

 そして、神の魔法具の継承に関することを。

 紅玉石と地の魔法具の話で、聖王家も教会も、他の神の魔法具の在処や、その顕現に関する有用な情報をあまり持っていないであろうことは大方察しがつく。だが一方で、聖堂教会には地の魔法具を入手するための重要な手がかりが残されていたのだ。これは大変なことだと思う。

 聖堂教会の総本山がある聖王国には、もともと古代ウルク王国に関するさまざまな記録や伝承が数多く残っている。 

 そしてミラはその聖王国の五公家の者だ。

 どのみち自分ひとりで考えたり調べるのには限界がある。いずれは誰かそれらのことをよく知り、信用に足る者から教えてもらい、相談に乗ってもらう必要が出てくるだろう。

 それは今、この時、目の前の華麗な美少女がその相手ではないのか。

 以前は、機会があれば主神殿の神殿長であるカルノ・バルリオレにでも聞いてみようか、と考えたこともあった。

 彼は大神官である。当然、聖堂教や古代ウルク王国に関する故事にも詳しいだろうし、重要な文献を私蔵していたり、また取り寄せることもできるだろう。関連する人脈も豊富だろうと思った。さらに、彼はその高い身分にもかかわらず、温厚で気さくな人物で、話がしやすいとだろうとの思いもあった。

 だが、彼に招かれブリガールや辺境伯への復讐、赤帝龍との戦いに関して、もちろん話せることだけだが——語っていくうちに、彼にこちらの秘密を打ち明けて、かわりに新たな情報を得、あるいは助言をもらうことに躊躇する気持ちが強くなっていった。

 そう思った理由はふたつあって、ひとつは彼にもその位(くらい)に応じて守秘しなければならないことがあり、何でもかんでも教えてはくれないだろうこと、ふたつめは、こちらが語っていくうちに、彼は自分が聖堂教を深く信仰する者ではない、得体のしれない考え方をする者だとの印象を持たれた節があって、こちらの疑問にどこまで答えてくれるか確信が持てなくなったことである。

 カルノ・バルリオレも、その地位や年齢からすれば当然だろうが、慎重に言葉を選んで話す人物のように思えた。こちらから情報を引き出されるばかりで、彼からは重要な情報、知識は得られないのではないか……。その思いが、今まで彼に腹を割って相談することを躊躇わせてきた。

「ごめんよ。ちょっと考え込んでしまって」

 イシュルはミラの問いに顔を上げ、僅かに表情を緩めた。

 そして彼女の眸をじっと見つめて言った。

「ミラは、俺がエリスタールでやった事をはじめて聞いた時、とても興奮して、感動した、と言ったよね? それから俺のことをいろいろと調べたと……」

「はい」

 ミラの眸に明るい色が瞬き顔に笑みが広がる。

「それできみは俺を正義派に引き込むことに成功した。もし事がすべてうまくいってビオナートを斃すことができ、聖王国も教会も安泰、となったら、ミラはその後はどうする? 何か考えてる?」

 ミラは笑顔を消した。彼女の眸に不可解な、なぜか不穏な光が混じりはじめたような気がする。

 だがこれは聞いておきたいことなのだ。

 彼女が何を考えているのか、どう生きようとしているのか、それを知りたい。

 俺が風の魔法具を得て失ったもの。それは家族や故郷だけではない。村を出てから知己を得たフロンテーラ商会の人びと、マーヤたちラディス王国の魔導師たち、そして復讐の対象だった辺境伯の娘リフィア。みなが俺に温情を与えてくれた。俺は独りにはならなかった。だが、ある時は彼らを守るため、ある時は自分のために、彼らと袂を分たねばならなかった。

 リフィアにいたっては彼女に抱いた特別な感情も、おそらく彼女の気持ちも、彼女の父を殺すことですべてを無にせざるを得なかった。

 マーヤたちとは王国へ帰ればまた会うこともできるだろう。だが今は自分の目的のために、それはできない。

 俺は新たな人びととの出会いもすべてを断ち切ってきた。そうせざるを得なかった。

 ミラとは聖石神授後も聖都へ行き、新王の戴冠式が行われる今年の秋か冬、あるいは来春あたりまではともに行動することになる。彼女から紹介してもらうことになった風の大魔法使いに正式に弟子入りすることとなれば、聖都に滞在する期間はもっと長くなるだろう。

 彼女と会ってまだ二日目だ。彼女とはこれからも腹を割って話す機会はいくらでもあるだろう。

 だが今、彼女と彼女の契約精霊、そして俺は、誰にも話を聞かれない高い山の頂きにいる。そして、奇しくも今ここで、聖王国の王権をあらわす紅玉石と地の魔法具の話がでてきたのだ。

 それならこの機会に、自分の抱えている秘密の一端を彼女に話して、彼女が神の魔法具について知っていることを聞き出し、彼女の協力を得、彼女の人脈を通じてその知識を集める、それを彼女に頼んでみるのはどうだろうか。

 これから彼女とは長い付き合いになるだろう。俺のことを話すのなら、彼女のことも知っておきたい。

 彼女と話をしなければならない。

 それはきっと、不本意な別れを繰り返さないために、役立つことだとも思うのだ。

 それが今ではないのか。

 まさか、彼女は俺の考えていることをわかっていたのだろうか。彼女の話は長いものになった。

 そしてそれは意外なものになった。

「わたくしは五公家の家に生まれ、国が乱れることもなく、一族で大きな問題が起こる事もなく、家族もみな円満、今まで幸せな満ち足りた人生を歩んでまいりました。でも、それはたまたま、あくまで運が良かっただけのことです。ディエラード家はその長い歴史において、内外に多くの政争を繰り返し多くの者が命を落とし、あるいは失脚してきました。ただ、五公家自体はその当主や家族がすべて死に絶えようが、絶対に無くなることはありません。王命により遠戚の者が後継に指名され、聖王国が続く限り五公家も存続していきます。王家のために、器だけはかならず残されるのです。もしビオナートの野望を打ち砕き、聖都に安寧が訪れたら、わたしは他の五公家か王家の遠戚に嫁ぐか、このまま宮廷魔導師を続け一家を成し、年老いてからは弟子をとることになるか、ふたつのうちいずれかの道を歩むことになるでしょう。わたくしは今まで五公家の持つ力を少なからず享受してまいりましたが、家の行く末にも自分の決められた行く末にも、何の不安も不満もないのと同時に何の希望も夢も抱いておりません」

 ミラは視線をはずさず、俺の眸をずっと見続ける。彼女の眸には俺自身の小さな影と、彼女の青い眸に吸い込まれ、色を失い表情を失った空が広がっている。

「ですから、ビオナートがいよいよ時いたれりと水面下に動きはじめ、クシムに赤帝龍が現れ、すべてを失った同じ年頃の少年がエリスタールで風の大魔法を使い、世の中が大きく動きだした時、わたしも己の力と命をかけてその流れに飛び込もうと決めました。イシュルさま。あなたの意志と力こそはわたくしにとってまさしく神秘そのもの。それは風の魔法具のせいだけではありません」

 彼女は一端視線をこちらからはずし、遠くの空の方を見た。後ろに控えるシャルカは身じろぎひとつしない。

「イシュルさまが聖堂教をどう考えているか、神々のことをどう考えているのか、それもなんとなくわかる気がいたします。イシュルさまはきっと、わたしたちには知ることのできない視座に立っておられるのでしょう」

 ミラはそこで俺の足許に腰を降ろし、俺の太腿の上に手を置いてきた。

 彼女は下から仰ぎ見てきた。

「わたくしは、聖王国を代表する風の大魔法使いを紹介することで、あなたを正義派に引き込みました。でも対価はそれだけではありません。わたくしのできること、力を、愛を、イシュルさまにわたくしのすべてを捧げます。わたくしをあなたさまの僕(しもべ)としてお使いくださいませ。わたくしも出来うる限り力をつけてまいります。あなたさまの足枷にはならいようにいたします。だから」

 ミラの眸に映る俺の影が大きくなる。彼女は俺に身を寄せてきた。

「あなたさまがこれから見るものをほんの少しでいいから、わたくしにも分けてくださいませ。わたくしにあなたさまのもつ神秘のひと欠片でもいいから、お与えくださいませ。そして、あなたさまの愛のほんのひと雫でもいいから、わたくしにお恵みください。どうかお願いでございます」

 彼女の眸に映る世界が揺らめき、形を無くしていく。

 彼女の頬を小さな涙の雫が流れ落ちた。

 大国の権門に生まれた彼女の満たされた人生、決められた人生。しかし何かの拍子にあとかたもなく消えてしまうかもしれない人生。満たされていたからこそ、すべてを与えられていたからこそ、その虚像に彼女は絶望したのだろうか。

 彼女の生い立ちが、彼女の持つ聡明さが、彼女の意志が、時が、運命が、俺の秘密に近づこうとしている。

 俺が望み、動くまでもなかったのだ。

 それはすぐ目の前にあってこちら側へ入り込んできた。 


 昨日彼女が取り乱し、舞い上がっていた理由はこれだったのか。

 彼女が俺が従来の魔法を知らないことを看破してきたのは、ただ俺のことを調べ、見てきただけではなかった。彼女はもっと先、おそらく俺の背後に広がるものを見ていた。昨日、彼女は言った、考えに考え、想いに想ってきたと。それはけっして軽いものではなかったのだろう。

 イシュルは手を伸ばし、彼女の眸から流れ出る涙を拭ってやった。

 ミラの顔に微笑みが浮かぶ。

 でははじめよう。

 俺の話は彼女のような美しいものではない、もっと生臭いものになるだろうが。

「俺からもミラに話したいことがあるんだ。聞きたいことがあるんだ」

「はい」

 ミラは自分から涙を拭うことをせず、イシュルの顔をじっと見上げてきた。

 イシュルの顔に冷たい笑みが浮かぶ。

「俺の話はきみの告白にふさわしいものではない、もっと血なまぐさい話だ」

 ミラは表情を変えない。彼女はただ黙って頷いた。

「まずは赤帝龍と火の魔法具のことだ」

 イシュルは身を引き締め話しはじめた。

「赤帝龍は火の魔法具を持っている。そして俺の持つ風の魔法具を奪おうと、東の遥かな山奥からクシムまで降りてきた。やつにもビオナートのような野望があるのだ」

 イシュルはクシムで赤帝龍と話したことをミラに語った。ただひとつ、人に知られぬ神、“名もなき神”のことをのぞいて。

 すべてを見せてきたミラに対して、少なくとも今はまだ言えないことがある。それは俺が転生者であることと、主神ヘレスや月神レーリアらしき存在に会っていること、そして人に知られぬ神、のことだ。

 いずれ彼女にすべてを話さなければならない、その時がくるだろう。

「ミラは赤帝龍が火の魔法具を持っていることを知ってた? 教会は赤帝龍のことをどこまで知ってるんだろうか」

 ミラはイシュルに目を合わせたまま、ゆるがない。

 彼女に一切の動揺は見られない。

 彼女は赤帝龍が火の魔法具を持っていることを知っているのだ。

 そして、赤帝龍がクシムに居座った理由も、やつの野望も、以前からある程度見当をつけていたのかもしれない。

「わたくしはイシュルさまが赤帝龍と戦った後に知りました。イシュルさまがラディス王国の赤帝龍討伐に加わるだろうとの情報に接したあたりで、赤帝龍のことを独自に調べはじめました」

 イシュルは黙って頷いてみせ、彼女の話を促した。

「イシュルさまのお話にあった赤帝龍の使った神の御業。大魔法、火神の炎環結界の報告は聖都にも届きました。それで赤帝龍は火の魔法具を持っているのではないかと、多くの者が考えるようになりました。いくら何千年と生き巨大になった火龍でも、神々が使うとされる大魔法を使えるようになるとは思えません。それで調べた結果、千年ほど昔に、ウルク王国の火の神殿に迷い込み暴れた一匹の火龍がたまたま、火の魔法具を手に入れ、それが後に赤帝龍になった、との古い記録が残っていることがわかりました」

 イシュルはミラの話に、再び、今度はゆっくり頷いた。

 彼女の話はヘンリク・ラディスの語った内容と酷似している。

「その千年前、当時ただの火龍でしかなかった赤帝龍は火の神殿でどうやって火神の魔法具を手に入れたんだろうか。それはわかる?」

「イシュルさまはご存知ないのですか?」

「うん」

 ミラは僅かに首をかしげ、自信なさげに答えた。

「古代ウルク王国の火の神殿には、その中心に消えることのない火の杯(さかずき)があったとされます。火の神殿に迷い込んだ赤帝龍はその火杯の火を飲んだのではないでしょうか」

 火の杯か。それこそはおそらく、火神バルヘルの火の魔法具ではないか。

「……とわたくしは考えております。教会でも同じように考えていらっしゃる方がおいででしょう」

「森の魔女、レーネも古代ウルク王国の風の神殿であったとされる場所で、風の魔法具を得たとされている。地の魔法具も、ウルク王国の地の神殿を探し、そこに紅玉石を持っていけば顕現するのではないか」

 ミラは頷いて見せた。だがそれはイシュルの言に同意して、という意味ではなかった。

「風の神殿ではイヴェダ神が若きレーネのもとに直接姿を現し、風の魔法具を下賜されたと言われています。火の神殿ではおそらく火の魔法具である火杯がすでにこの世に現れていました。イシュルさまのおっしゃることはなんともいえません。それに今の大聖堂は昔、地の神殿があったとされる場所に建てられました。地の神殿の上に設けられたのが“主神の間”、神の座、ということになりますが、過去に歴代国王で立ち入りを許可されたもの、同じく歴代の総神官長ら多くの者が“主神の間”に二対の紅玉石を持ち込み、地の魔法具の顕現を試みているのです。……結果は、お話した通りですわ」

 イシュルはミラから視線をはずし、やや俯くと顎をさすった。

 神の魔法具の出現や継承はみな、それぞれに状況が異なり、これといった確実なものはないのか。

「赤帝龍はずばり、俺の風の魔法具をねらっていた。やつは俺を喰らうことで風の魔法具を得ることができると考えていた。ミラはどう思う? 俺を殺せば風の魔法具を得られると思うか?」

「そんな……」

 ミラはその形の良い眉を下げ、悲しげな顔をした。

 俺がレーネから風の魔法具を得た時の話をすべきだろうか。

「あまり表に出してはいけない事ですが、聖王家に伝わる国王だけが継承できる魔法具、“イルベズの聖盾”は継承者の肉体と一体化します。総神官長が持つことになっている“ヘレスの首飾り”は、首飾りをつけた者の心の臓と魔力的に結びつく、と言われています。首飾りを身につけた者の心の動きに応じて力を発揮すると言われているのです。“イルベズの聖盾”は王家の血を持つ者、“ヘレスの首飾り”は大聖堂地下の主神の間にて、ヘレスに新しい総神官長が就任の言上をする時、聖冠の儀の時に継承されると言われています」

 “イルベズの聖盾”はリフィアの持っていた同じ武神の魔法具、“武神の矢”とよく似たもののようだ。

「こうした持ち主と同化する、強い関係を持つ魔法具の継承は、相手を殺せば手に入る、というような単純なものではありません。イシュルさまはイヴェダの剣、レーネから風神の魔法具をどのように継承されましたか? もしお話できるようなら、わたくしに教えてくださいませ」

 彼女から聞いてきたか。

 話してみるか。ミラは聖王家や教会の秘事をだいぶ俺に話してくれたようだし。

 いや、何より彼女は自身のすべてをさらけだしてきたのだ。

 今がきっとその時なのだろう。

「俺がレーネから風の魔法具を得た話、それは誰にも話していないことだが、ミラの意見が聞きたい。だから話すことにするよ」

 イシュルはそこでミラに鋭い視線を向けた。

「ただし、これは誰にも話してはいけない。俺とミラだけの秘密だから」

「はい! わたくしと、イシュルさまだけの秘密、ですわ」

 ミラはそこで両手を組み胸に当てた。彼女の視線がおよぎだす。

「これでふたつめ、ですわ」

 ああ、はい。 

 彼女の眸の焦点はおそらく、俺の背後に広がる青空のどこかだ。

 なんかまずいぞ。早く引き戻した方がいい。まだ聞きたいことがあるのだ。

「俺は村の取り次ぎをしていたベルシュ家の親戚の家に生まれたんだが……」

 イシュルは、子どもの頃に神童ぶりを発揮してみせたことで森の魔女レーネに目をつけられ、彼女の森の中の家に呼びつけられたあたりから話をはじめた。死んだ彼女の死体から白い蛇が出てきたことも、その蛇の顎から風の剣が出てきたことも包み隠さず話した。

「……レーネが死んだとき、何か透明の炎のようなものが彼女の死体から出てきてたんだが、あれは今思えば何かの強い魔力のようなものだったのかもしれない」

「まぁ……、そんなことが」

 ミラの表情が曇る。

「しかし、イヴェダの剣、許せませんわね」

 ミラの眸が細められる。

 ああ、それ、もういいから。本人死んじゃってるし。

「でだ、その白い蛇の口から剣が出てきた時の形が、風の神の神殿の紋章、ベルシュ家の紋章と同じだったんだ。白い蛇が風の魔法具と密接に関係しているのは明らかだと思う。つまり、白い蛇と紅玉石は似たような……」

 ミラは片手を口許に当て、何かを考える風な仕草をした。そしてイシュルを遮って言ってきた。

「おかしいですわね。風神の神殿に使われる紋章は確かにその絵柄で良いのですが、白い蛇ではなく、金色の蛇の場合が多いのですわ。あるいは明るい茶色で表現されたりします。白い蛇が風神の紋章に使われたものは今まで目にしたことがありません」

 なんだって? 

 いや、だが、確かにベルシュ家の紋章の蛇にも金糸が使われていたが……。

「白い蛇は水神の使いとされ、水の精霊が白や薄く透けた蛇の姿になることはよくあります。風神とは直接関係ないと思うのですが……」

 ミラは眉間に筋をたててより深く考えはじめた。

 蛇が水の神の使いか……。どこかで聞いたことがあるような話だ。今世でも前世でも、蛇と神との関わりはいろいろな例がある、ということか。

 なぜ、レーネから出てきた蛇が白く、その白い蛇から風の剣が出てきたのか。

 ……と、今はその話じゃない。

「話を戻そう。レーネはあの時、俺の頭を割って中を調べる、それがだめでも俺を殺せば、目には見えないものでも、ひとの知能を上げるなんらかの魔法具が手に入ると考えていた。あの老婆は赤帝龍と同じ考えをしていた。単純に、からだにとりこまれた魔法具はその者を殺して奪い取ればいいと」

 ミラは自らの思索を止め顔を上げてこちらを見つめてきた。

「でも、もし仮にレーネや赤帝龍以外の者がイシュルさまを殺したとしても、その者がイシュルさまから風の魔法具を奪うことはできないと思います」

「なぜ?」

 ミラの眸の奥を覗き込む。彼女の考えていることは、まさか……。

「ウルク王国の頃、風神の神殿の神官だったと言われるベルシュ家の血脈、それにイシュルさまの言われる所有者を殺して魔法具を奪うこと、ウルク王国時代の神殿を見つけそこに行くこと、それらも神の魔法具を手に入れる条件のひとつかもしれません。でも、もっと大事なことがあると思うのです」

 ふふ、……そうだ。ミラ、言ってみろ。

 おまえの考えていることはおそらく俺と同じだ。

 微かな笑みを浮かべたイシュルの頬に、ミラが手を当ててきた。ミラの眸が揺らめき、イシュルを愛おしむように見つめてくる。

「それは神の御意志ですわ。誰に神の魔法具を授けるのか、それは結局、神々が決めるのです」

 ミラの光が揺らめく眸。対するイシュルは歯をむき出しにして笑み浮かべ、唇を歪めた。

「神の御意志か。それは言いかえれば、神の気まぐれ、ということだ」

 きっとそういうことなのだ。神々に選ばれた者だけが、やつらの戯れに参加できるのだ。

 俺はやつらのおもちゃにされるのか?

 それはまだわからない。だがいつかきっと……。

 イシュルは皮肉に歪んだ笑みを引っ込め、表情を消した。そして自分の頬にそえられたミラの手を握った。

「ミラ、最後にひとつ、言わなきゃいけないことがある」

 もう片方の掌を彼女の頬に当てる。

 ミラの眸が静かに光っている。彼女の眸に俺の影と空と地平が広がっている。

「俺も赤帝龍のように、神の魔法具を集めようと思っているんだ」

 ミラの眸が見開かれた。だがすぐに彼女は落ち着きを取り戻し、その顔に微笑みを浮かべた。

「さきほどまでのお話で、なんとなくそう感じておりましたわ」

 イシュルは小さく頷いた。

「だが、俺は赤帝龍やビオナートのような野望は持っていない」

「イシュルさまが五つの神の魔法具をお持ちになったら何を神々にお願いするか、わたくしにはわかっておりますわ。ご家族を、失われた故郷を取りもどされるのでしょう」

 イシュルは再び小さく頷いた。頭のいい娘だ。

「そうかもしれない。だが違うかもしれない。ひとの命は、ひとの生とはそんなものではない、それはやってはいけないことのような気がするんだ」

 頬に当てられたミラの手が熱い。ミラはまさに驚愕した表情を示した。

「……」

 彼女は何かしゃべろうとした。だがそれははっきりとした言葉にならない。

「まだはっきりとはしていない。今は言葉では言えない。でも、神々に聞きたいことがあるんだ。問わなければならない」

 なぜ俺を引き込んだ。なぜおまえらは俺の前に姿を現す。

 なぜ赤帝龍と戦った時、俺とやつの命を助けたのだ。

 それはまだミラには言えない。

「……わかりましたわ。わたくしはただイシュルさまを助け、ついていくだけ」

 ミラは気を静め、囁くように言った。

「まるで神話の中にいるよう……」

 風はとまっている。音がない、静かな世界。

 彼女は無言で、ただ俺だけを見つめてくる。

「……俺はきみの願いを受け入れよう。ただこの先どうなるか、なにもわからないが」

「はい。なにもわからない未来、わたしにとってはこれ以上ない、素晴らしいお言葉です」

 ミラの眸の像が再び揺らぎはじめる。

 彼女の頬にそえた手にほんの少し、力を加える。

 ミラ。どうかきみの願いが叶いますように。

 俺は自分自身のために、そしてもちろんきみのために、最善の努力を惜しまないだろう。

 でも、それは俺ではとても、どうにもできないことかもしれない。

 彼女の望むもの、俺の望むもの。果てもない伺いしれない未知のもの、その理(ことわり)。

 それこそはまさしく、神のみぞ知る、ことだから。



  

 今日はいい天気だ。

 空は広く、晴れ渡っている。山頂の冷たい空気もさして気にならない。

 その後ミラは、「わたしの持っている紅玉石は偽物です」とあっさり教えてくれ、続いて「本物を誰が持っているかはわからない」と正直に話してくれた。

 そして彼女との話がそろそろ終わろうかというタイミングで、クレンベルの側の山裾を這うようにして、こちらに向かってくる光の筋が見えた。

 透明度の高い、輝度の高い魔力の煌めきだ。

 山裾を昇ってくる影はやがてひとの形になった。

 白いトーガに半透明の羽。天使? にも見えたそれは、おそらくはじめて見る主神ヘレナの系統の、女性らしき羽のある精霊に後ろから抱きかかえられた神官だった。

 近づいてくる。若い、男の神官だ。

「お待たせしてしまったかな。はじめまして、ベルシュ殿。それにミラ殿、こんにちは」

 男は二十代後半くらいだろうか。柔和でなかなか整った顔立ちの男だ。白いトーガには、金の帯が二本。位(くらい)の高い神官だ。イシュルたちと同じ視線の高さで宙に浮いている。

「ごきげんよう、デシオさま」

 ミラが声をかけ、華やかな金髪の巻き毛を揺らした。彼女が神官に対し立ち上がろうとする。

「いやいや、そのままで」 

 見た感じ天使にそっくりの光の精霊は、神官を山頂の岩場に降ろすとすうっと空に舞い上がり姿を消した。

「イシュルさま、こちらが今回、聖石神授儀典長をつとめる聖神官のデシオ・ブニエルさまでございます」

 ミラはイシュルに笑顔を向けると言った。

「デシオさまは総神官長ウルトゥーロさまの取り次ぎ役のひとり、わたくしと同じ正義派でござますわ」

 デシオは愛想良くイシュルに頭を下げると言ってきた。

「よろしく。ベルシュ殿。風神のたぐいまれなる恩寵を受けた方にお会いできて、光栄です」

 顔いっぱいの笑顔。デシオは意識してだろう、身分のある神官らしくない、だいぶ崩した親しみやすい挨拶をしてきた。

「こちらこそ。聖神官さま」

 イシュルは軽く腰を浮かしデシオに向かって頭を下げた。

 名前を名乗らないのは礼儀にもとるが、自分の名は彼らには知れ渡っているだろう。今さらだし、相手は堅苦しい挨拶はするな、と言ってきている。

 しかしそうか。使節団のトップが正義派なわけだ。

 聖堂教会における聖神官とはなかなかの位(くらい)である。教会には上から総神官長、大神官、その次が聖神官、そして通常の神官、神官見習いと五つの階級しかないが、大神官に続き聖神官の数もそれほど多くはない。多くの聖神官は聖都に集中し、中央の高級官僚のような立場にいる。

「遅れてしまったようで申しわけない。わたしはさきほどまで下の神殿にいたんですが、ここまで来るのが大変でした。建物の影を通り、谷間を山陰に沿って迂回しながら飛んできたので」

「まぁ、それは手間をおかけして。こちらこそ申しわけありませんでしたわ」

「いやいや。これは仕方がないことです」

 デシオは後頭部に手をやりさすっている。笑顔を絶やさない。

 今日は使節団は休養日になっているが、それでも聖王家査察使と聖石神授儀典長の姿が同時に消えるのはまずいのだ。つまり使節団にも国王派がいる、ということになる。

「さきほどの精霊は、デシオさまの?」

 イシュルはデシオを山頂まで連れてきた精霊について質問した。

 あれは主神ヘレスの精霊だ。一般に光系統と呼ばれ、攻撃魔法はほとんど使えず、防御や治癒魔法を主に使う。聖堂教会の神官でも高位の者は治癒魔法を使うが、光の精霊とはめずらしいのではないか。

「ええ、わたしの契約精霊ですよ」

 デシオがこちらに微笑みかけてくる。前髪をきれいに横一線で揃えた、長い明るい金髪が揺れる。なかなかの美形だ。やはりなのか、これは必然なのか、口許からのぞく白い歯が一瞬光ったような気がしたのはただの錯覚に違いない。なぜか絶対に認めたくない。

 イシュルはミラとデシオ、ふたりに目をやった。デシオも今は手近な石の上に腰を降ろしている。

 しかしこのふたり。こうして並ぶとやたらキラキラしてとても眩しい……。

「そうですか。めずらしいですね。ぼくははじめて見ました」

「ああ、イシュル殿は、……そうお呼びしても?」

 イシュルが黙って頷くとデシオも頷き返し続けた。

「イシュル殿はラディス王国の方ですから、見慣れないのでしょう。聖王国では少しもめずらしいものではないのです」

 だがデシオの言は謙遜と捉えるべきだろう。この男は聖神官で、総神官長の秘書役を務めているのだ。契約精霊、それもめずらしい光系統の精霊と契約していても、少しもおかしくない。

 それに神官であるのにこの商人のような如才なさ。さしずめ教会トップ直属の渉外担当、といったところだろうか。

「デシオさまはどうして下の神殿にいらしたの」

 ミラが横から質問してくる。

「表向きの理由は下の神殿長はじめ神官方との会食ですが、本当の理由はここに来るのを相手方に悟られぬようにするためです。ただ、下に行っておいてよかったですよ」

 そこでデシオはイシュルの方に再度顔を向けてきた。

「イシュル殿は傭兵ギルドから使節団護衛役を申し込んでいましたね」

「ええ」

「横やりが入ったらしく、あなたの傭兵申し込みが却下されるところでした。同行したわたし付きの神官が傭兵の採用結果に目を通しましてね。びっくりしましたよ。もちろんイシュル殿を採用するようねじ込んできましたが」

 びっくりね、なるほど。

「そんなことが。随分と露骨ですね」

「まぁ、なんてこと」

 ミラがお上品に口許に手を当てて言ったが、その口ぶりはけっこう怒っている感じだ。

「すいません。お手数おかけして」

 まあ、一応謝りはいれておく。

 俺は要するに用心棒だ。いざとなったら「先生、お願いします」の“先生”なんだから、別に気を使う必要はないんだろうが。

 それにハンターギルド通(とお)しで使節団護衛の傭兵として参加できないのなら、あまり気が進まないがミラの家人、つまり従者として使節団に同道するか、彼女の個人的な用心棒として雇ってもらう方法もある。彼女の身分であれば何の問題にもならないだろう。

「いえいえ。それより邪魔してきたのはやはりルランダでした」

「ふふ。つまらないことを」

 ミラが小さく、侮蔑を込めた笑い声を上げた。

 なんだか俺の時と喋り方が違う気がする。

 これぞまさしく金髪まきまきお嬢さまの典型では……と、それよりルランダって誰だ?

「ルランダとは? 誰なんですか」

「バスアル・ルランダ、此度の使節団騎士団長を務める男です」

「昨日お話した白楯騎士団副団長ですわ。あの男は国王派です。騎士団は完全にビオナートが握っておりますから、当然といえば当然なのですが、あの男はそれを隠そうともしません」

 そこでデシオが一瞬考える風をみせて、ミラに言った。

「ミラ殿はイシュル殿にすべてお話しされたのかな」

「はい。もちろんですわ」

「そ、そうですか……」

 まるで自らを誇るように胸を張って答えたミラに、デシオは幾分強ばった笑みを浮かべて頷いた。

 ああ、あんたの気持ち、なんとなくわかるよ。

 そしてデシオはこちらを向いてかるく頭を下げ言ってきた。

「そういえば失念していました。わたしからもひと言あるべきでした。イシュル殿には此度、我々正義派にお力添えいただけるということで感謝しています。ありがとう、イシュル殿。ウルトゥーロさまもさぞお喜びになるでしょう。あなたが我々の側についてくれるのなら百人力だ」

「まぁ、デシオさま。イシュルさまが百人力だなんて。イシュルさまなら万人力ですわ」

「……」

 あっ、デシオが一瞬固まった。

 ミラは面白いなぁ。別に百でも万でも、数字のことを言ってるわけじゃないと思うんだけど。

「そ、そういえば、ルランダの従者が昨晩から行方不明になっていて、騒ぎになっていたようだが……」

 ほう。さすが総神官長秘書役、話の逸らし方がうまい。

「そうですわね」

 ミラがイシュルに意味ありげな視線を向けてきた。

「そうなんだ?」

 イシュルは薄く笑みを浮かべ、とぼけて見せた。

 

  その後イシュルは、ミラとデシオから使節団一行と護衛や雑用役に雇われる者たちの誰が正義派で国王派なのか、あるいは兄、弟王子派なのか、説明を受けた。

 聖堂騎士団の使節団騎士団長であるバスアル・ルランダは国王派最右翼、彼が山の上の主神殿まで連れてきた部下、十名の正騎士はおそらく同じ国王派で固められている。

 ミラをのぞく宮廷魔導師、四名のうち一名はミラの友人で正義派、残り三名も確実ではないが、少なくとも国王派ではない、ということだった。宮廷魔導師の人選には五公家であるミラも口出ししたらしい。

 ハンターギルドを通して雇われる傭兵はイシュルを除き、三パーティが現時点ですでに内定している。そのパーティには当然、エミリアたち紫尖晶所属の影の者たちのパーティも含まれていた。

「傭兵採用が内定しているパーティには紫尖晶の者で構成されたパーティが含まれているでしょう。彼らはどの派に属しているんですか」

 イシュルはずばり、デシオにストレートに質問した。

「それは……」

 デシオが口ごもる。

「イシュルさま、わたしくしたちにも影働きの者たちの動向は正式に知らされていないのです。今回同行する三パーティのうち、少なくともひとつは正義派だと思います。もちろん残りのパーティに国王派や王子派がいる可能性はあります」

 ミラが説明してくれた。

「イシュル殿、イシュル殿はどこで紫尖晶聖堂の者たちを?」

 デシオはどうして知っているのか、と聞いてきた。確かに俺が紫尖晶の名を出してきたのは見過ごせないだろう。

 これはどう話すべきか。

 クシムでリフィアを救出しゾーラ村へ向かっている途中で、尾行してきたエミリアを捕まえたことで紫尖晶の存在を知ることとなったのだが……。

 そのことを同じ聖王国の者とはいえ、いや、だからこそ組織の外部の人間に話すのは紫尖晶にとってあまりよろしいことではないだろう。もってまわってエミリアがまずい立場になるのではないか。

 そこでイシュルは僅かに苦笑を浮かべた。

 彼女にはあの時はつけられて、クレンベルに来てからはしつこく勧誘されてきた。なのに思わず彼女の心配をしてしまっている。

「赤帝龍を討伐する前に一度殺されそうになりましてね。やつと戦った後にも監視をつけられた。それでね、まぁ、なんとなく俺もその名を知ることになったんです」

 イシュルは、エミリアやその妹の存在は出さずに、聖王家かあるいは教会が自分に対してやってきたことを話のメインにして答えた。イシュルはデシオに対しまともに答えることはせず、おまえらの国の者が俺を殺しにきた、監視をつけてきたんだぞ、と間接的に非難する意図を込めて話した。

 デシオの顔色がさっと青ざめた。

 ミラが目を見開く。

 そりゃふたりはわかっているだろう。俺を怒らせればどうなるか。しかも今は味方なのに。

「まあ、なんてことでしょう! イシュルさまにそのようなことを……。許せませんわ」

 ミラがまた怒った。

 はは。ミラはちょっとずれてないかな。

「まぁ、赤帝龍がらみですからね。監視をつけたくなるのはわかりますけど。ちなみに彼らは殺さずに逃がしてあげました」

「それは……。つまりイシュル殿が逃がした紫尖晶の者が今回のパーティの中にいた、ということですな」

 デシオが顎に手をやり、考え込みはじめた。

 それなりに動揺してる筈なのに、その事にすぐ思い当たるとは。

 だが、このことだけではそれがエミリアだとはわからない。使節団に同行するどのパーティが紫尖晶の影働きの者たちか特定し、紫尖晶聖堂の方に照会しなければならない。

「……おそらくイシュル殿にご迷惑をおかけしたのは、国王陛下でしょう。われわれ教会の者はイヴェダさまの恩寵を受けたあなたを害そうとは考えません」

 ふん。どうだろうか。まぁ、そういうことにしておこうか。

 それより俺が誘導してきたのはそのことが聞きたいからじゃない。

「紫尖晶ってのは、やっぱり国王派なんですか」

「いえ。かならずしもそうではありません。各尖晶聖堂は聖王家に直属しますが、教会の神官も数多く付属しています。各神殿長も聖王国側よりも教会側と強い関係を持つ者が多い。彼らは聖王家から命令があれば当然それに従いますが、同時に聖堂教会から依頼されればほとんど断らずに引き受けます。やはり人脈などを通して教会と深いつながりがあるからです。聖王家側もそのことに関しては目をつむります。聖堂教会の権威にはそれだけのものがあるのです」

「なるほど。それで、以前は俺と敵対する行動をとっていたのに、今はその逆の友好的な態度をとってくる、というわけのわからないことが起こるわけだ」

 俺が知りたかったことはそれだ。エミリアの行動、というより紫尖晶の上の連中が何を考えているのかがわからなかった。かならずしも彼らが国王派、だとは限らないわけだ。

 彼らは聖王家の統制下にある組織だが、聖堂教会の要請も無視することはできない。だから同じ紫尖晶のエンドラが俺を暗殺しようとする一方で、エミリアはそんなことおかまいなしに勧誘をかけてきたりするわけだ。エンドラの暗殺とエミリアの監視は聖王家の命令により、エミリアたちの勧誘はおそらく教会の正義派の意向により、というわけだ。彼女らにとってそんなことはいつものこと、おかしいとはあまり感じないのだろう。

 だがそれは、エミリアたちが突然、敵側になってしまうということも起こりえる、ということだ。

「イシュル殿はその紫尖晶の者たちとどういう……」

 デシオが聞いてくる。それは確かに知りたいだろう。

「ちょっと前から、彼らからさかんに勧誘されてましてね。彼らは正義派かもしれないと思ったんです。国王派は俺を誘ってはこないでしょ?」

 やつらから見て俺を味方につける利点は何か? 奪われた王冠の紅玉石の探索と奪取、ビオナート本人の護衛と正義派の主立った実力者の殺害、タイミングを見計らって王子たちの暗殺、そんなところか。案外やれそうなことは多い。だけど俺は探索なんかできないし、殺しばかりの仕事なんてしたくない。

 それにだ。

「そうでしょうね。イシュル殿を害そうとしていたことに気づかれてしまえば、自分で自分の首を締めるようなものです」

 デシオが解説してくれた。

 やつらには俺を味方につけるわけにはいかない理由がある。

「イシュルさま、お気をつけくださいませ。聖都の情勢は後々お話しますがまさしく複雑怪奇、誰が味方か敵かわからない、味方と敵が絶えず入れ替わる状況でございます」

 ミラが心配そうな口ぶりで話してきた。

 イシュルは黙って頷く。

 紫尖晶の動きひとつとっても、その煩わしさがよくわかる。

 そういえばもうひとつ確認しておきたいことがあった。

「正義派がこの聖石神授でやろうとしていることを、国王派はどれだけ把握してるんだ? やつらはすべて知ってるのか」

「断定はできないですが、ビオナートは紅玉石の件までは知らないと我々は考えています」

 イシュルはミラに向かって質問したが、デシオが先に答えてきた。

「ただ、わたくしとデシオさまが使節団に加わりました。正義派の意向で動く影働きの者たちもいます。当然国王は不審に思い、正義派の動きを探り、邪魔立てしようとしています」

 ミラが続きを説明してきた。

 エミリアたちを助けたあの夜の争闘が目に浮かぶ。

「だから俺か」

 確かに俺が正義派についたと知られれば、それだけで敵対する派閥の者は動きにくくなるだろう。それはここクレンベルだけなく、聖都でも同じだ。

 もし、それでも聖石神授で荒事が起こったら……。

「はい。ですから国王派の者たちにも、邪魔立てする者にも、いざとなったらご存分になされませ」

 ミラがこれ以上はない、満面の笑顔になって言った。

「イシュルさまの望むままに」


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