天空の街 3




 エミリアもイシュルに視線を合わせてきた。

 彼女の濃い茶色の眸に、イシュルの顔の暗い輪郭が映り込む。

「わたしたちの任務は、賞金稼ぎのパーティとして聖石神授を守護し、聖石を無事クレンベルまで輸送すること。そのために、あなたにわたしたちのパーティに加わってもらうこと。このふたつだけよ」

 彼女はまっすぐに目を合わせてきて、しっかり言い切った。

 その眸の奥にあるものは何だろうか。

 彼女は真実を言っているように見える。

 信じていいのだろうか。それとも嘘か。何か隠しているのか。

 ……まるで彼女の眸に映る自分に、試されているようだ。

 俺の能力とか、器量とか、そんなものを。

 いや、俺の心か。

「頑固だな、エミリア」

 わざと視線を鋭くして顎を上げ、彼女の顔を上から見下げるようにする。

「あの時、尾行していたお前を捕まえた時、俺が言ったこと、忘れてないよな? 俺に係るなと」

 少し間をあけ、彼女の眸を睨み据える。

「あの時俺は言う事が聞けないなら、おまえらの国と戦争だ、と言ったんだがな」

 後ろからラベナたちが疲れた足取りで近づいてくる。

 首をまわして彼女らをねめ上げ、またエミリアに視線を戻す。

「あんたらの上役への見せしめに、全員、今ここで殺してしまってもいいんだがな。あんたらの死体を紫尖晶の聖堂に投げ込む、ってのはどうだ? 精霊に協力してもらえば、聖都まで運べないこともない」

「そんな……」

 エミリアの眸に絶望と非難の色が差す。だが。

「でも、仕方ないわ」

 ただ、彼女はそう言って押し黙った。

 目を逸らさない。言い終わっても。ずっと俺の目を見つめてくる。

 何かを訴えるように。

 俺に殺されても、それは仕方ないことなのか。

 ……そうか。

 言えないんだ。

 たとえ自分の命を奪われようとも。

 何かがある。こいつらは何かを隠してる。

 俺を殺す? 俺を支配下におく? 

 それとも聖石神授で何かがあるのか? 罠? それとも、俺をそちらに引きつけて、全然違うところで何かをしようとしている? 俺に関与されるとまずいこと?

 ……それで色仕掛けか? 紫尖晶の幹部だか聖王家の連中はそんなにバカなのか。

 わからない、何かが合ってない。チグハグだ。

 イシュルは表情を緩め緊張を解いた。手を伸ばすと、エミリアの頬についた泥を指先で拭ってやった。

「みんな、顔が泥だらけだぜ? せっかくの美人がだいなしだ。川で顔を洗ってくるといい」

 イシュルは立ち上がってラベナや双子にも顔を向けた。

 周囲の風の魔法の壁を消す。

「……うん。ありがとう」

 イシュルが魔法の壁を取り払ったことで安心したのか、エミリアが笑顔になって言った。

 女たちが川の方へ歩いていく。

「あんたは駄目だ」

 少し遅れて、何気に着いて行こうとするクートの腕を、イシュルが掴んだ。


「どういうことなんだ?」

 イシュルは質問の対象を、目の前に座る老人に変更した。

 クートは幾分肩を落として、地龍が倒した木の幹に腰をおろしている。

 イシュルは地面から突き出た手頃な岩に腰をおろしている。

「命をかけても惜しくない任務なんだろ? それなのに、なんであんな馬鹿らしい色仕掛けなんかやってきた?」

 ふたりは適度な距離をおいて相対していた。

「色仕掛けはわしの案じゃ。荒神の魔法も効かぬ、用心深い御仁じゃと聞いていたからな。今回も精霊に見張らせ隙をつくらんかったし。もうそれくらいしか残ってないわい」

「荒神の魔法とはエンドラが襲撃してきた件か? また俺を殺そうとしたのか」

 イシュルは顎を引き、俯き加減にクートを睨みつけた。

「違う、ちがう、そんなことは誰も考えてないわい。赤帝龍を退けた貴公をいったい誰が殺せる」

 厳しい視線を向けたイシュルに、クートはからだをゆすって大慌てで否定した。

 確かにエンドラが襲撃してきたのはフゴに向かう道中、ルドル村でのことだ。赤帝龍と戦う前の話だ。

「あの美人さんたちはあんたの人選か? あんたは紫尖晶の幹部か」

「いやいや。色仕掛けくらいしかできることが残っていない、というのはわしが上に申したことじゃ。それであの娘たちが選ばれた、というわけじゃの」

 クートは決まりの悪そうな顔から、真面目な顔になって言った。

「エミリア殿の言う通り、わしらに他意はない。本当に貴公にご助力願いたい、ただそれだけなんじゃ」

 ふん。……それなら。

 イシュルはクートに歪んだ笑みをつくって見せる。

「しかし、俺にはあんたらに対して遺恨がある。俺を殺そうとしたあんたらの長(おさ)、それともビオナートか? やつらを許すわけにはいかないな」

 クートの顔をじっと見つめ、間をおく。

「あいつらは早めに殺しておかないとな。また俺のことを狙ってくるかもしれないし。けじめはつけないと」

 クートの目がほんの僅かに見開かれる。

 短髪の白髪頭に無精髭。日に焼けた顔には無数の細かい皺が刻まれている。

「今ビオナートを殺すと大変なことになりそうだ。王子たちの間で内乱になるかな?」

「……」

 額に浮かぶ汗。鼻の脇に寄る細かい皺。 

 だがクートはただ、薄く笑みを浮かべただけだった。

 !!

 イシュルは内心、驚きをもってクートの顔を見つめた。

 まるで他人事じゃないないか。

 目の前の老人は、俺の言ったことをただの脅しととっただけなのか。

 エミリアの仕方がないと言ったときの眸の光。それが脳裡に浮かぶ。

 違う。これは……。

「きゃっ、きゃっ」

「きゃぁ、だめ。さわらないで。だめよ!」

 その時だった。

 川の方から黄色い声が聞こえてきた。

 そして川の水が跳ねるパシャパシャ、という音も微かに。

「おお、イシュル殿! おなごどもが水浴びをしておるぞ!」

 クートが演技なのか、素なのか、勢い良く立ち上がった。

「どうじゃ、いっしょに見に行かんか? ちょっとくらいよかろうが。貴公が一緒なら、おなごどもの反撃など恐るるに足らず、じゃ」

 喜色満面に近づいてきて、声を潜めて言ってくる。

 ……このエロ爺が。

 イシュルはがっくりと首を垂れた。胸底からふつふつと怒りが湧いてくる。

 あいつら……、顔を洗いにいったんじゃなかったのかよ!

 ついさっきまで生死の境にいたくせに。

 この緊迫した空気で、今俺が何を考えていたと思う?  何かがわかったような気がしたのに。

「つ、剣殿!」

 顔を青ざめぶるぶると震えながら立ち上がったイシュルに、今まで我関せずと、少し離れて周囲を警戒していたディルヒルドが慌てて飛んで来た。

「こ、ここは、ここは控えられよ。いけませぬぞ!」

 地龍を一太刀で切り伏せた精霊が、脅えてイシュルを制止してきた。


「それじゃあ、帰ろっか。イシュル」

 エミリアがとても清々しい顔で、だが妙に馴れ馴れしく声をかけてくる。

「……」

 イシュルは同じ岩の上に座ったまま、エミリアに恨みがましい顔を向けた。

 この能天気が。

 ラベナに双子のピルサとピューリも、とても気分がよさそうだ。肌がつやつやさっぱり、もとからの美貌にさらに磨きがかかって見える。

 水浴びできてよかったね。

 イシュルは地龍の死体へ向けて、彼女らに顎をしゃくってみせた。

「地龍の首周りの鱗、取らなくていいのか? あれはいい金になるぞ」

 地龍の爪や牙をギルドに持っていけばそれだけで金貨十枚。鱗は一枚あたり胴体なら銀貨数枚、首周りなら数十枚になるんじゃないか。

「あっ。いけない! もうイシュルったら。早く言ってよ」

 まずエミリアが反応した。

 なんで俺がそこまで言われなくちゃいけないの?

「おお、そうじゃった」

「あらあら」

「おこずかい」

「おこずかい」

 その後彼女らは汗だくになって、手持ちのナイフのみで地龍の首周りの鱗を引きはがした。龍の鱗を剥がすには、本来は金槌や鑿(のみ)など、ちゃんとした道具が必要だ。

 水浴びは後にすればよかったね。

 イシュルは鱗とりには加わらなかった。

「イシュルはいらないの?」

 地面に横倒しになった地龍の首の上に乗って、エミリアが顔をこちらに向けて聞いてくる。

「いらない。金に困ってないから」

「聞いてますぞ。狩りに出るたびに、悪魔の尻尾を何十匹も持って帰ってくるとか」

 そんなに持って帰ってきたことなんて一度もない。だいたい、この手の噂話は話が少しずつ大きくなっていく。

 悪魔と言えば……。

 ちらっと空の方に目をやる。

 イシュルはクートの言を無視し、立ち上がって北の空の方を指差して言った。

 そろそろ姿を現すんじゃないかと思ってた。

「悪魔の群れだ。地龍が死んだのに気づいたんだな」

「えっ」

 エミリアたちがぎょっとして北の空を見上げる。

 青空の下、山並みのあたりは薄く紅色に染まりはじめている。そろそろ夕方だ。その空に十匹ほどの悪魔が、翼をせわしなく羽ばたかせてこちらへ向かってくる。

 距離は五百長歩(スカル、約三百m)ほどか。地龍が死んで巣に戻ってきた、というよりも地龍の血の匂いを嗅ぎ付けてか、それともやつの苦しそうだった鳴き声を聞きつけてか、そのどちらかで戻ってきたのだろう。やつらにとっては以前の巣を確保することより、地龍の死体で遊ぶことの方が重要な筈だ。

 やつらは動くものなら人も魔獣も、虫まで喰うが、筋肉だらけの地龍まで食うかはわからない。

「どうするの?」

 少し不安気に双子の片方、ピルサかピューリかわからない——が聞いてきた。

 深い藍色の眸が少し潤んでいる。また無理矢理戦わされるとでも思っているのか、少し不安そうだ。

「剣殿、わたくしが」

 イシュルの斜め上に浮いていたディルヒルドが声をかけてくる。

 ディルヒルドはいつも折り目正しい。

「いや。俺がやる」

 イシュルは空を飛ぶ悪魔に顔を向けると、右手をすっと伸ばした。掌を悪魔の方へ向け、指を広げる。

 イシュルの右腕は悪魔に向けられているが、その手が掴もうとしているのはあの精霊の、神の領域にある風の魔力だ。

 イシュルはいつものごとく風の魔力の塊を掴むと、こちらの世界に降ろしてきた。そしてそれを複数に分割して、みな槍の穂先のような形に固め、悪魔たちの上から突き刺すようにして落とした。

 すべての悪魔が同時に、一瞬で細切れに粉砕され、粉々になった肉塊が下にぱらぱらと落ちていく。

 拘束された風の魔力の塊が解き放たれ、周囲に強い風となって拡散していく。

 紫尖晶の面々は呆然と、無言で空を見つめた。

 風が鳴り、イシュルたちの周りにも一瞬だけ突風が吹き抜けた。

 イシュルはむすっとした顔で、視線を悪魔の巣があったと思われる崖の洞窟の方へ向けた。

 あまり使い出のある狩り場ではなかったけど、ここはもう駄目だな。

「そろそろいいかな。陽が暮れる前に出発しよう」

 イシュルは、彼に背を向けて北の空を見上げ続けているエミリアたちに声をかけた。

「あっ、うん。ははは」

 みな一様に、イシュルに薄ら笑いを浮かべてこくこくと頷いた。

 二日後、クレンベルのハンターギルドの前まで帰ってくると、エミリアがさも当然、という風に声をかけてきた。

「じゃあ、これからよろしくね。イシュル」

 エミリアはにっこり笑顔だ。ラベナたちもうれしそうな、明るい顔をしている。

 イシュルはそんな彼女たちに薄く笑って言った。

「誰がおまえらのパーティに参加するって言った? 俺はそんなことひと言も言ってないぞ」

 

 ギルドからの帰り道、主神殿のある山と、ギルドのある山の間に架かる橋の上で、イシュルは召還した風の精霊に声をかけた。

「ディルヒルド。この四日間、ありがとう。世話になった」

 柔らかい川音が橋の下から登ってくる。谷川を、若葉と川の水の匂いが混じった微風が流れてくる。

「いや。剣殿が気にされることではない」 

 ディルヒルドはイシュルに視線を合わせると言った。

「……あの者たち、そんなに悪い者ではないぞ?」

 剣殿はあの者たちを邪険にされていたが、と前置きして、ディルヒルドは最後に意外なことを言ってきた。

「彼女らからは邪心を感じなかった」

 川のせせらぎが聞こえる。

 エミリアの眸。クートの苦笑に表れた韜晦。そこに隠されたもの……。

 精霊が風の中に消えていく。

 そうはいかないんだよ。

 イシュルはディルヒルドが姿を消した空の一画、中空を見つめた。

 ……たとえ彼女らの目的が正当なものであっても、高い志によるものであっても。

 それが聖王国の王位継承にからんだものであるのなら、係わるわけにはいかない。

 あいつらは聖王国の影働きの者たちなのだ。

 イシュルは苦しげな表情で、谷川の川の流れに視線を落とした。

 水音が軽い。風の匂いも時とともに移ろう。

 クレンベルの山野はイシュルのことなどつゆ知らず、毎日毎日、少しずつ暖かくなってきている。




 エミリアたちに強烈な皮肉を浴びせ、いつもの彼女たちの勧誘をやり過ごすと、イシュルは間借りしているマレナ婆さんの家に帰ってきて、ひとり食事をとり、自室でひと眠りした。

 日が西に傾く頃起き出して、薪を割り、主神殿に行って瓶いっぱいに水をもらってくる。山頂では深く掘られた井戸が神殿内にひとつあるだけ。水をはじめ多くのものが階段で、あるいは山頂の崖上に設けられた、驢馬や人で上げ下げする昇降具を使って運ばれる。高齢のマレナに申し出て、山麓の街への買い出しや力仕事は主にイシュルの方でやっていた。 

 その間にマレナも神殿から帰って来て、休む間もなく夕食の準備をはじめる。陽が暮れるとイシュルは暖炉に火を入れる。この季節、まだ山頂では夜間は冷え込む。

 夕食は一階のマレナの居室兼食堂で、小さなテーブルをふたりで囲んでともにする。今日は、というかほとんど毎日同じ、野菜や肉のスープにパン。それに野菜の酢漬けや、チーズのような家畜の乳を発酵させたものが添えられる。

 スープは前世で言えばポトフそのままである。貴族や富商など上流階級では具を取り出して平皿に盛り、ソースなどをかけて食べたりする。

「婆さん、もう春だね。山の上もちょっと暖かくなってきたね」

「ええ、へえ」

 少し大きめな声で言ったイシュルにマレナが笑みを浮かべて頷く。

 婆さん、聞こえてないな。なんとなく雰囲気で適当に相槌を打っているだけだ。

「……」

 イシュルもマレナに笑みを浮かべてみせた。

 ここ数ヶ月、繰り返されてきた日常。

 いつものことだ。もう慣れっこだ。

 イシュルはこれもいつもの、あきらめとともに胸にじんわりと湧いてくる温もりを感じて、スープに手をつけた。

 何でもない日常。それはどれほど大切なものだろうか。

 ん?

 イシュルはおやっ、という顔をした。

 いつもと違う、違和感がある。味は同じだが具が違う。いつもより肉質がよく、切り分けられた肉がでかい。

 イシュルはマレナにむかって、スープから角切りされた肉を一切れすくって見せた。

「今日のスープはいつもより、いい肉がはいってるね!」

 匙の上にのっている肉を指差し、また少し大きめな声で話す。

「ああ。今度、神殿におえらい方々がたくさんいらっしゃるんだと。見習いの坊ちゃんたちが、少しわけてくれてねぇ」

 マレナの笑みは変わらない。

「へぇ、それはよかったね。婆さん!」

 イシュルはまた声を大きくにっこり、何度も頷き返した。

 そうか。いよいよだな。

「婆さんのつくるスープはいつもおいしいけど、今日は特別だね。……特別だ」

 イシュルは幾分声を落として言った。

「ええ、へえ」

 マレナがまた適当に相槌を打つ。

 イシュルはまた微笑みを浮かべて見せた。


 翌朝、イシュルはハンターギルドに向かった。

 まず神殿の見習い神官にそれとなく聞いてみようとしたが、みな忙しそうに働いていたのでイシュルは遠慮し、ハンターギルドに行くことにした。案外もう、石英鉱山の原石輸送護衛の依頼票が出ているかもしれない。

 イシュルが階段を上ってギルド前の広場に立つと、そこには明らかに、いつもより多くのハンターたちがたむろしていた。

 これは依頼票が出たかな。

 イシュルが開きっぱなしになっているギルドの扉に近づくと、ちょうどエミリアたちが中から出てきた。

「あら、お早う。イシュル」

「……」

 イシュルは彼女たちに視線は向けるものの、何も答えない。

 エミリアがまたまたイシュルの方にからだを寄せてくる。

 また性懲りもなく勧誘する気なのだ。

 イシュルは、悪魔狩りに出かけるのは月に数回だが、ハンターギルドには朝早く、やはり多くのハンターたちが訪れる時間帯をねらって数日おきに顔を出していた。一応依頼票にも目を通すが、ギルドを訪れたハンターたちにイシュルの知らない魔法使いがいないか確認し、あるいは以前から目をつけていた魔法使いがいれば話しかけたりして、その者と顔見知りになるためである。

 彼女たちがクレンベルのハンターギルドに現れて十日ほど。最初にイシュルに地龍と無理矢理戦わされやり込められた後も、これまで二度、三度と顔を合わせているが、相変わらずしつこく勧誘してくるのを止めようとしない。

 しかも、イシュルがギルドに顔を出すと彼女たちとなぜかかならず鉢合わせする。それもギルドの建物の外、あるいは近くで、帰える時に会うことが多い。

 イシュルは視線を鋭くしてエミリアの顔を見た。

 今日はいつもの表情と少し違う違和感がある。その眸に思わせぶりな何かを感じる。

 彼女らはイシュルがクレンベルの山頂、主神殿で働く使用人の家に間借りしていることを知っている。そしてイシュルの動きをそれとなく監視しているのも確かだろう。ちなみに、彼女らがイシュルに会いに主神殿を訪ねて来ることはない。あくまで彼女らは紫尖晶の影働きの身、それはしたくてもできないのだろう。

 だが、今日はそれがギルドの建物の扉のすぐ前、彼女たちが出てくるところで鉢合わせとなった。

 やはり今日はギルドで何かがあったのだ。

「おい、ギルドの出入り口で何する気だ。他のひとの邪魔になるだろう。場所、移した方がいいんじゃないか」

 イシュルはエミリアにそう言ってギルドの建物の外、階段の方へ顎を振ってみせた。

「ああ、そうだね」

 エミリアはイシュルから離れ、階段の方へ向かっていく。クートやラベナ、双子たちも続く。

 イシュルはそこで彼女たちの後には続かず、反対にギルドの建物の中へ入っていった。

「ああ、ちょっと! ずるい」

 後ろでエミリアの叫ぶ声が聞こえてきたが、イシュルは当然のごとく無視した。

 彼女たちは何かあるのか、勧誘しているところをギルドの職員に見られたくないのか、ギルドの建物の中ではイシュルにほとんど話しかけてこない。ただ、他のハンターや賞金稼ぎも、ギルド内では込み入った話はあまりしない。

 建物の中も、今日はいつもより多くのハンターたちがいた。

 ぱっと見では目を引く新顔の魔法使いの姿はないようだ。

 イシュルは中に入るとハンターら人混みを掻き分け、カウンターの方へ向かった。

 ギルドの職員らはみな他のハンターらの応対に追われていて、イシュルがカウンターの前まで来ても、誰もイシュルに応接してくれる者はいなかった。イシュルはしばらくその場で待ち、手のあいた職員に声をかけて依頼票を見せてもらった。ハンターギルドの依頼票は、常時出されている魔獣討伐依頼をまとめたものと、期間指定のされたもの、二種に分けられ、それぞれ紐で結び束ねられた冊子になっている。

 原本は芯に木板や鉄板の入った革の硬い表紙がついたしっかりしたもので、ギルド長が保管し、領主や商業ギルドなどの幹部、街の有力者しか見れない。一般のハンターや賞金稼ぎ、ギルド職員の閲覧は、数部ほどつくられる原本を筆写した控えになる。もちろん、革製の表紙などつかない。

 イシュルは顔見知りの中年の男性職員から、期間指定の方の依頼票の冊子を受け取ると、一番後ろ、つまり一番新しい伝票から目を通した。

 その伝票は後ろから二枚目にあった。依頼主はクレンベル第二神殿。第二神殿とはクレンベルの西の山麓の街中にある、通常の神殿だ。クレンベルは教会領だから、この神殿はクレンベルの街と周囲の数ヶ村の政庁も兼ねている。街の者たちはただ“神殿”、あるいは“下の神殿”と呼んでいる。

 依頼内容は聖石神授の護衛、雑用で、護衛は十名ほど、雑用は聖石鉱山に向かう神官や聖堂騎士の従僕の補助で若干名、期間は二十日間、となっている。賃金は護衛が聖銀貨百枚、つまり聖金貨一枚、雑用が銀貨十枚。道中で常時討伐対象の魔獣を狩った者には、ギルドとは別に報奨金を出すとある。

 申込み先は当然ギルドで、締切は明日いっぱい、採用結果はその二日後に第二神殿長より当ギルドに通達される、とあった。

 ということは原石回収の一行がクレンベルに到着するのがここ数日中として、出発はその後さらに数日経ってから、となる感じか。

 なら申込締め切り日の明日の午後か夕方あたりと、採用結果が出る三日後にギルドに顔を出して、どんな賞金稼ぎがいるかチェックするのがいいかもしれない。この人混みでは少なくとも今日の午前中は無理だ。

「なぁ、格好いい服着てるあんちゃん。あんた字が読めるのかい?」

 イシュルが依頼票を見て思案していると、後ろから声をかけてくる者がいる。

 後ろを振り向くと革鎧に覆われた大きなからだ、上を向くと左頬と、鼻筋から右頬にかけていかにもな切り傷のある精悍な顔つきの若者が立っていた。

 間違いなくここ数日でクレンベルに来た新顔だ。イシュルはギルドでこの男を見かけた憶えがない。

「それ、聖石運びの傭兵募集だろ? すまねえけど、俺に読んでくれねぇかい?」

 イシュルは若者の言われたと通りに依頼票を読んでやり、彼に質問した。

「この依頼票が出たのは多分今日が最初だ。まだ、神殿からも正式な日取りは発表されてない筈だが、あんたらどうして知ったんだい?」

 男は笑顔になって言った。

「あんちゃん、この街に住んでるのかい? もうだいぶ前に聖都から出発した神官や騎士団の連中が、派手な旗おっ立ててここに向かってる。クレンベルの街道筋じゃみな知ってるぜ」

 そうか……。無用な勧誘を避けようと山の上に移ったのが仇になったということか。麓の街中の飯屋とか飲み屋にも顔を出しておけば良かったのだ。

 山頂の主神殿では、神官見習いの子らは何も知らされないだろうし、神殿長とは顔見知りで以前から一応、日取りを聞いたりもしていたが、もし神殿長が彼らの到着する、鉱山へ出発する正確な日取りを前もって知っていても、守秘義務があればこちらには当然教えてくれないだろう。教えてくれなかった、ということはそういうことだ。

「……あんちゃん、あんたなかなかできそうなツラしてるな。もしいっしょに聖石鉱山に行くことになったら、その時はよろしく頼むぜ」

 男はにやりと、凄みのある顔で言ってきた。

 彼はイシュルが何者なのかまだ知らないだろう。だがそれは挨拶がわりで、ただの口からでまかせで言ってきた風には思えなかった。

 イシュルは帰る時、人混みを抜けて表の正面出入り口とは反対側の、ギルドの建物の北東側にある裏口から外に出た。外に出た瞬間、ギルドの建物の屋根まで一気に跳躍し、そこから主神殿のあるクレンベルの山頂まで空を飛んだ。エミリアたちを避けるためだった。

 その日の夕食後、自室に行こうと梯子のような階段を二階に上った時、イシュルはふと、階段の上にある西側の小窓に目をやった。

 その窓からはクレンベルの西の麓にひろがる街の夜景が広がって——は、残念ながらいなかった。窓の外は薄暗い石積みの壁が見えるだけだ。

 マレナや神官見習いの者たちの住居は山頂の主神殿の西北側裏手に固まっている。見栄えが悪いせいもあるのか、主神殿の西北側は二階まで届く石積みの壁で覆われていた。

 イシュルが西側の小窓に目をやったのは外の景色を見るためではなかった。

 感じたのだ。昨晩には感じなかったものが。

 何もない空間を左右上下からあてもなく伸びる、魔力のか細い筋。

 それも複数だ。

 これはおそらく隠れ身の魔法……。

 そのうちの一本はエミリアのものだろうか。

「なかなか壮観な眺めだ」

 イシュルは呟くと、うっすらと笑みを浮かべた。

 この一日で一気に、クレンベルにいろいろな者が集まってきているようだ。

 今日のスープも昨日と同じ、いい肉だった。

 スープの肉がうまくなると、ギルドにひとだかりができ、クレンベルの夜の街を魔法が煌めく、か。

 その日、イシュルはスープの肉質とそれらの事象の相関関係について、愚にもつかない考察をめぐらしながら眠りについた。



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