天空の街 2




 その紫尖晶の女は名をエミリアと言った。本名かどうかはわからない。ちなみにルドル村で襲ってきた妹の方はエンドラという名だそうだ。聞きもしないのにエミリアの方から教えてくれた。

 イシュルは声をかけてきたエミリアに何も答えず、同じ目線をエミリアから、彼女の後ろに並ぶ残り四人の彼女のパーティーメンバーに向けた。

 彼女のメンバーも紫尖晶に所属する者たちだ。

 右から、イシュルより少し背が高いくらいのすらりとした美女、ラベナ。エミリアと同じ黒髪で柔和な顔立ちだ。高い鼻と切れ長の目を控えめにすれば日本人ぽく見えるかもしれない。黒いマントに木の杖、先の尖った黒の帽子という、完璧な魔法使いそのものの服装をしている。

 次はマーヤのように黒いマントを引きずるようにして羽織り、木の魔法の杖を持つ小柄な老人、名前はクート。

 残るふたりはおそらく一卵性の双子でピルサにピューリ。ピルサが姉でピューリが妹だが、どちらがピルサでどちらがピューリかイシュルには見分けがつかない。

 ふたりとも、光沢のある明るい灰色の膝下までのマントを羽織り、男の子の穿くような膝丈の黒の半ズボンに白いブラウス、少し気味の悪い黒のスカーフ。銀色の髪は肩にかからないくらいのボブ、前髪は横一線で揃え、まったく同じ髪型、服装だ。そして滅茶苦茶美人、というか可愛い。イシュルより年下かもしれない。

 みな、イシュルの目線に少し引きつった笑みを返してくる。

 とびきりの美人が三人、エミリアもなかなか。その四人を取り仕切る娼家の主(あるじ)か女衒がひとり。

 彼女らを最初に見た時、イシュルにはそう見えた。

 イシュルは彼女らから視線をはずすともう一度エミリアの顔を見て言った。

「そろそろだろ? 何日か、教えろよ」

 そろそろ、と言うのは聖都から聖堂教会の使者らがクレンベルに来訪し、石英鉱山へ回収に向かう日のことだ。

 イシュルは彼らが石英鉱山に向かう、正確な日取りが知りたかった。

 もう冬の三月(ふゆのみつき)も終わる。もし期日が近づいているのなら、そろそろここクレンベルのギルドにも流しの魔法使いや彼らの所属するパーティが集まってこないとおかしい。

「……そろそろ、かな?」

 こいつ……。

 イシュルは自身のそろそろ、に同じそろそろ、で返してきたエミリアの冗談にもならない返答に、うっすらと怒りを憶えた。

 ちっとも笑えないぞ。俺を馬鹿にしてるのか? こいつ。

 イシュルはゆがんだ笑顔を浮かべてエミリアに近づく。

「あああ、ほんとだから」

 エミリアは愛想笑いを浮かべ両手をぶんぶん振ってくる。

「……それより、考えてくれてる? 返事を聞かせて欲しいの」

 本当にその日を知らないのかもしれないが、こちらの質問には答えず、要求だけはしてくる。

 イシュルの笑みが深くなった。

 エミリアの言ったことは、彼女ら聖堂教会、聖王国の者たちが言う聖石神授の儀、つまり石英鉱山に水晶の原石を回収しに行くのに、いっしょに着いてきてくれないか、ということだった。

 エミリアたちはどういうわけか、ハンター、賞金稼ぎのパーティという身分で、すでに参加することが決まっているらしい。どうしてそんなまどろっこしいことをするのか、イシュルの質問にエミリアは、「わたしたちは影働きの者だから、正式な護衛にはつけないの。だから賞金稼ぎの傭兵、ということで護衛に加わることになってるの」と、それらしい理由で答えてきたが、それも本当かどうかはわからない。

「いいとも。ただ、あんたらとの連繋を確認したい。石英鉱山に向かう前にもう一度、この前みたいに強い魔獣と、今回はいっしょに戦ってみたいんだが。どうだ?」

 エミリアたちの笑顔が固まり、青くなる。

 イシュルは彼女の要求に強烈な皮肉をお見舞いしたのだった。


 エミリアたち、紫尖晶聖堂所属の影働きの“パーティ”がクレンベルのハンターギルドに姿を現したのは十日ほど前のことだった。

 彼女はイシュルを見つけると早速声をかけてきた。

 エミリアはイシュルの服装を見ると、目を丸めて素敵、格好いいと褒めそやし、先日の尾行でイシュルに見逃してもらったお礼を述べ、同じく過去に、刺客を差し向けてきたことや尾行して監視してきたことを謝罪した。そして近く聖石神授の儀が行われるから、わたしたちのパーティに加わって手伝って欲しい、と誘ってきた。

 イシュルが断ると、彼女だけなく彼女のパーティのメンバー、つまり同じ紫尖晶の者たちも加わってしつこく勧誘を繰り返してきた。

 美貌のラベナにピルサとピューリの双子の姉妹の、よく抑えられ、演技されているがそれでもわざとらしい色香が漂ってくる勧誘。

 双子はそれぞれイシュルの両腕を取りからだを寄せ、ラベナは正面から、胸のふくらみを強調するようにしてイシュルに言い寄ってくる。それも人目も憚らず、ギルドの建物の前でだ。

「ね、これからいっしょにお酒でも飲みに行きましょう。それで楽しくおしゃべりでもしましょう? わたしたちに他意はないわ。お互い打ち解ければ、あなたにもきっとわかってもらえる。ね?」

 俺は馬鹿にされているのか。

 イシュルは安っぽい、あまりにわかりやすい下劣な色仕掛けにうんざり、脱力した。

 聖王家や紫尖晶の幹部にはまだこちらの情報が詳しく伝わっていないのだろうか? 見た目通りの十六歳の少年と侮って、イシュルに安易な色仕掛けを仕掛けてきたのだった。

 確かに転生後のイシュルの肉体自体は童貞で、性経験は未だないが、人格、記憶自体は違う。別に前世ではモテたわけでも、そちらの方で遊びまわっていたわけでもないが、今の若い身体でどうしても肉体的、生理的に疼くことはあっても、それで簡単に舞い上がってしまうような純真さを持ち合わせているわけではない。

 おそらく初段は女の色香で誘って、次段では何かの魔法か呪具や薬の類いで、俺を完全に骨抜きにするか、強制的に支配下に置こうと考えているのではないか。

 相手は聖王国、プロの組織だ。それくらいはやるだろう。しかもエミリアがあの時見逃した礼を言ってきた、舌の根も乾かぬうちにこの有様なのだ。彼女を見逃した時、俺に係るなとあれほど脅したのはいったい何だったのか。

 聖王家や紫尖晶の幹部への見せしめに、石英鉱山へと続く主神殿の奥の門前に、彼女らの死体を吊るすのはどうだろうか。

 やつらの面目は丸潰れ、それくらいのことをしてみせないと、やつらに警告を与えることはできないのかもしれない。

 ただ、そうなれば聖王国はもちろん、聖堂教会も敵にまわすことになるだろう。そうなれば、風の魔法使いの知己を得、弟子入りするなりして、この世界の従来からある風の魔法の知識を得、できれば他の魔法全般にも精通したいというこちらの目的を、ここ聖王国で達成するのはほぼ不可能になる。聖王家に所属しない魔法使いでも、名のある者の多くは聖都に居住しているのではないか。

 それにだ。

 イシュルはまんざらでもない、という顔をしながらも、秘かに冷静な視線を向けて、自身にまとわりつく女たち、にこにこ笑顔のエミリアやクートの、その表情の奥に隠されているものを感じ取ろうと努めた。

 彼女の厚顔もラベナたちの露骨さも、聖王国という大きな組織に所属するが故のものであることは間違いない。彼女らの表情の奥に潜む悲哀は、イシュルに生前の自身の境遇を思い出させた。

 彼女らの貼り付けたような笑顔はかつての自分のそれと同じではないか。嫌な顧客にも笑顔を絶やさずに接し続けたかつての自分の姿。客や上司に内心をさらけ出すことはできない。彼らのために、自分のために、家族のために仕事に生きるサラリーマンの姿だ。

 紫尖晶に所属する影働きの者たちにも、人質をとられていたり、刃向かえば一族郎党が悲惨なことになる、そういう立場の者は多かろう。

 最後まで人らしくあれ。

 安易に彼女らの命を奪ってしまうのは、人として道義的にも浅慮にすぎる。

 だが慈悲をかける必要もないだろう。懲らしめてやって、無用な勧誘は意味がないと、しっかりわからせてやるべきだ。

 それに、彼女らの目的は俺の勧誘、俺を仲間に引き入れる、たださそれだけなのだろうか。

 イシュルは彼女らの誘いを前向きに考えている風を装い、パーティに参加する前に一度、お互い戦い方や力量を知るために、ギルドで常時討伐依頼の出されている魔獣をいっしょに退治しに行こうと誘った。

 彼女らの実力のだいたいの見当はつくが、聖王国の魔法も使う影働きが、実際どう戦うのか生で見ておくのも悪くはない。

「歩いて二日ほどのところに小悪鬼(コボルト)の大きな巣があるんだ。おそらく百匹近くはいると思う。どうかな? 力試しには調度いいんじゃないか」

 エミリアたちにとっても、イシュルがどんな戦い方をするか是非知りたいところだろう。というよりそれも彼女らの任務のひとつである筈だ。エミリアはイシュルと赤帝龍との戦いを偵察していたろうが、彼女がそこで死ななかったのは、それがかなり遠方からだった筈で、あの戦いの規模はわかっても詳細はわからなかった筈である。それに彼女が主神ヘレスの姿を見ていないのも確実だ。彼女がもしその顛末を見ていたのなら、それこそ彼女らの毒牙にかかってもいいくらい、イシュルも知りたいところではあったが、あの、ゾーラに向かう途中で捕らえた時の彼女の反応で、その可能性がないことは簡単に断定できた。

 彼女はイシュルの「主神ヘレスがどんな顔してるか、知ってるか?」との問いに、ただ呆然としただけだったのだ。

 もしエミリアが主神ヘレスの降臨を見ていたのなら。彼女がもし神の奇跡を見ていたのなら。

 たとえ彼女が敬虔な聖堂教徒でなくても、イシュルにとった態度はまったく違ったものになったろう。わざわざ尾行するどころか、イシュルの前にすぐに、直接姿を現して、それこそ土下座してでもイシュルに聖王国への帰属を、せめてでも聖堂教会の主神殿への来訪を乞い願っただろう。

 イシュルは小悪鬼(コボルト)の巣、事実は悪魔の巣へと向かう二日間、復路の二日間も、道中と夜間に魔獣の襲撃を警戒させると話して精霊を召還し、一方でエミリアたちが食事の時に毒の類いを使ってこないか、変な動きをしないか監視させた。

 イシュルは一行の先頭に立って目的地に向かい、二日目の午後に彼の狩り場のひとつにしていた悪魔の巣のある、山間の一画に到着した。前方には岩山がそそり立ち南北に連なっているが、イシュルたちの立っている場所は背後から続く谷間が広がって、岩山の崖下を流れる川の方まで適度なスペースがある。辺りはところどころ背丈のある草や小木が生えていた。

「ん?」

 イシュルは岩山の一画を見つめ、首をかしげた。

 ここはおそらく十匹ほどの小規模な悪魔の群れが住んでいる、クレンベルに来て早い時期に見つけた狩り場のひとつだ。クレンベルの市街地から比較的近いのだが、悪魔の数が少ないので最近はほとんど使っていなかった。

「気配がないな」

 どこかに移ってしまったのか、彼らの気配がしない。

「コボルトの群れのこと?」

 エミリアが聞いてくる。

「いや。悪魔」

「はっ? どういうこと?」

「そういうこと」

 エミリアの顔を見ると顔色が青ざめている。他のメンツも同様だ。双子が左右をきょろきょろと見て、辺りをうかがっている。

「……だましたのね」

「うん。そんなのお互いさまだろ? それよりコボルトより悪魔の方が、多少は手応えがあっていいだろうが」

「なっ……」

 唖然とした顔のエミリアが何かを言おうとしてきた時、イシュルの召還した精霊が声をかけてきた。

 何を思ったかイシュル以外の者にも聞こえるように。

「近づいてきているな。あれは地龍だ」

 イシュルは彼の前、斜め上に姿を現した精霊に目をやった。

 イシュルが召還した精霊はディルヒルド・アラルベティルドという、またまたややこしい名前で、片手剣に小振りな盾、そして重厚な甲冑に身を固めた長い髪の姿が美しい女の精霊だった。

「ほう。それは僥倖だな」

 悪魔の群れが姿を消した理由はこれか。

 イシュルがディルヒルドに微笑む。

 だがエミリアたちは恐慌状態になった。

「え? まさか」

「ちょっと待って」

「むう……」

「やだ」

「やだ」

 双子たちがハモっている。彼女たちはふだん言葉少なで、少しマーヤに似ている。

 ベルムラ大陸に多く生息すると言われる地龍は、ここ聖王国中部の山岳地帯ではなかなかめずらしい魔獣だ。地龍は火龍と比べると空は飛べない、火炎も吐かないが、ひとまわりからだが大きく強靭な体力と防御力を有した、一般の魔法使いやハンターらにとっては強敵である。

 やがて微かに、地面に震動が響いてくる。地龍の足音だ。

 同時にイシュルの感知範囲にも入ってきた。北の方から一匹、こちらに近づいてくる。

 イシュルの周りにいたエミリアたちが気配を殺して後ろに下がりはじめる。

 イシュルはにやりとすると、彼女たちの背後に風の魔法で固めた壁を降ろした。その感覚を横に伸ばしていき、次々と風の魔法の壁を横に広げていく。

 イシュルは跳躍すると、三十長歩(スカル、約二十m)ほどの高さのある風の魔力の壁の上に飛び移った。

 そこからエミリアたちを見おろして言った。

「地龍と戦うのはおまえたちだ。おまえたちはそこから逃げられない」

 イシュルは真面目な顔つきで言った。

「俺に紫尖晶の戦い方を見せてくれ」

 そしてにやりと唇を歪めた。

 エミリアたちはただ呆然とイシュルを見上げるばかりだ。

 うまくたらし込めたと思ったら、実は騙されていたのは自分たちだった……。文字通り、そのまんまの顔つきだった。

 イシュルは懐から干し肉を一切れ取り出して空中に投げ、細切れにして地龍の方へ吹き飛ばした。

 肉の匂いを感じとったのか、大きな足音を立てて地龍が木々の影から姿を現す。

 地龍は首の付け根から下はほぼ肉食恐竜と同じような姿をしていた。からだの色は茶色を基調とした同系色の斑模様で覆われている。ただ、前足は後ろ足ほどではないものの、なかなか太く、爪もでかく、からだの上部からは元は翼の骨だったものか、先の尖った楕円状の突起がランダムに突き出ていて、前世の想像イラストで見知った肉食恐竜との相違点もある。

 肉食竜と違うのは首が長く頭はやや小さめ、顎も草食竜ほどではないがやや小さめなところ、そして最大の相違点はその長い首の弱点を補うためか、首から上全体が銀色に輝く金属のように硬化した鱗で覆われている点だった。まるで首周りだけ、鎧を着けているように見える。

 地龍はすぐにエミリアたちを見つけると、地味で低いがその分迫力のある唸り声を上げ、彼女らに突進してきた。

 イシュルは地龍の背後にも風の魔法の壁を降ろし、地龍とエミリアたちの周囲を覆ってしまう。

「さん!」

 それは散開の「散」か、「三」番目の戦法、戦闘法を意味するのか、エミリアが鋭く叫ぶと、クートが前に出、ラベナが杖をかざして風の魔法を発動、地龍の右側、イシュルから見て地龍の奥の方へ飛び、適当な高さの木の枝の上に飛び移った。

 ピルサとピューリは地龍の左側に走っていく。

 いきなり、突進する地龍の前に地を揺らし轟音とともに土壁がそそり立った。地龍が土壁に激突する。

 地龍が激突した瞬間、早くも土壁の上部が崩れ地龍が頭を出す。地龍は顎から涎をまき散らしなら凶暴な呻き声を上げた。そこへエミリアが左腕をかざし、黒いものを射出した。あの時の悪霊だ。

 黒い悪霊は地龍の顔面に貼り付き被さった。地龍が低く吠え叫び、頭を振るう。土壁が激しく震動した。

「風、火!」

 エミリアが叫ぶ。

 地龍の奥、木の枝の上にいたラベナは風の精霊を召還していた。少女の姿をした精霊は矢をつがえ地龍の腹部をねらって射った。鋭い風切り音とともに、風の魔法の矢が地龍のからだに刺さる低い鈍い音が響いてくる。地龍の左、イシュルから見て手前に移動した双子は、おのおの左右の腕を伸ばし掌(てのひら)を合わせ、頭上に四つの火球を出現させた。それを地龍に同時にぶつける。

 地龍のからだが一瞬炎に包まれた。地龍は苦悶のうめき声を上げると全身をバネのようにしならせて前面の土壁を粉砕、クートとエミリアの方へ突進していく。クートは左、エミリアは右に展開、地龍の頭部を覆う黒い影はやつの内部には入っていけないようだ。地龍の鱗には人にない、魔法的な防御もされているのかもしれない。だが黒い影は地龍の視覚や嗅覚を奪っている。地龍は正面にあった木の幹にぶつかり、折り倒した。地龍の足が止まり、首を空高く突き上げ大きく吠える。黒い影がぶるぶる震え、くぐもった地龍の声が辺りに響いた。

 そしてクートの手前の土が盛り上がり土塊のゴーレムが姿を現す。クートは一心不乱に長い呪文を唱えているようだ。クートの召還した土精、土塊のゴーレムは以前大公城の練兵場でドレート・オーベンが召還したゴーレムよりひとまわり小さいが、周囲の土質がよかったのか、青い草とともに大小の岩が多く混じり、頑丈そうな印象を受ける。クートのゴーレムは動きを止め、黒い影を引きはがそうと前足を空にばたつかせ、しきりに頭を振っている地龍に横から襲いかかり、その首を締め上げた。

「すい、とつ」

 地龍の右にまわったエミリアが双子の方に何かを叫ぶ。

 双子は新たに形を成そうとしていた火球をキャンセルしたのか、空中に霧散させ、かわりにひとつの大きな水球をつくりはじめた。

 あの双子は複数の五系統の魔法具を持っているのか?

 イシュルは双子の様子に注意を向ける。

 双子の合わさっていた手が互いにしっかり握られる。双子の頭上に現れた水球は幾筋もの渦となって形を崩し、縦に長く広がっていく。それはやがて槍の形を成した。水の槍は空を切り、地龍のからだの左側面、双子の火球で焼け焦げ、ところどころ鱗のひび割れた隙間に刺さった。水槍は地龍のからだの中へ少しずつ沈んでいく。

 イシュルは目を見張った。

 水槍のくい込んでいる周囲の筋組織の働きだろうか、水槍を折ろうとしているのか、あるいは外に放り出そうとしているのか、地龍の肉が目でわかる早さで盛り上がりはじめた。

 地龍の強さはこれか……。

 地龍の鱗の下は、強力な弾力性と粘りを持つ、分厚い筋肉で覆われているのだ。だから鱗を粉砕しても、容易に内蔵までダメージを与えることができない。

 地龍の右側、イシュルから見て奥側でも、さきほどからラベナの風の精霊が矢を打ち込み、ラベナ自身も小型のブーメランのような形状の、風の魔法の半透明の刃を飛ばして断続的に攻撃を続け、さかんに青黒い血の混じった鱗の破片が飛んでいるのが視認できるものの、大きなダメージは与えられていないようだ。

 双子が地龍に刺した水槍はそれでも地龍のからだから抜け落ちない。そして水槍の周囲に霧が発生しはじめ、それが水槍に吸い込まれはじめた。

 水槍の先は、地龍の筋肉の筋間(すじま)に水を細くして、あるいは分子レベルで浸透させ地龍の体内奥深くに入り込もうとしているのではないか。やつの腹部に水を溜めようとしているのだろう。

 エミリアがイシュルに振り向いて右の方を指差した。双子もちらちらとイシュルの方を見てくる。

 水か。川の水が欲しいのか。

 崖下の川はイシュルが風の魔力で囲った壁の外側にある。

 イシュルは川に面した壁の一部を解放してやった。

 と、同時に川の方から水流が空中を飛んできた。宙を飛ぶ水流は水槍に吸い込まれていく。周囲に虹の光彩が煌めく。

 なかなか強力な水の魔法だ。あの双子はそれぞれ火と水の魔法具を持ち、お互いの魔力を合わせてどちらか片方の威力を倍増して使うことができるらしい。なぜ異なる系統、違う魔法具でそんなことができるのか、どういう仕組みなのかよくわからないが、手の繋がれた双子の周囲から発散される魔力の感じは完全に一体化されたものだ。

 土塊のゴーレムに首を押さえられ、黒い霧に目鼻を塞がれ、体内に水を注ぎこまれて動きが鈍りはじめた地龍。今度はその後ろ足の周囲で地面が盛り上がりはじめ、土塊が足のまわりを這い上って覆っていく。

 エミリアが腰から大振りのナイフを抜き放ち、地龍に向かって走り出すと、そのからだに取りついた。前足の肩あたりまで這い上るとそこから跳躍して地龍の首に馬乗りになり、頭と首の境目の鱗の隙間にナイフを突き刺した。

 地龍が苦痛に満ちた劇的な叫び声を上げる。

 そろそろ決着がつくか、と思われた瞬間だった。

 一瞬、地龍の全身から爆発的な魔力の光が放射され、それは筋力を増強させる魔法だったのか、地龍は全身をしならせると、土塊で固められた後ろ足をかるがると持ち上げ地を蹴り飛ばし、胴体を横にしてからだごと土塊のゴーレムにぶつけた。轟音が響き、首に取り付いていたエミリアが吹き飛ばされ、土塊のゴーレムが粉々に砕け散る。

 やばいな。いいところまでいったのに。

 ここらへんが限界か。

「たのむ」

 イシュルは横に控えていたディルヒルドに声をかけた。

「うむ、まかせろ」

 イシュルの召還した精霊は声とともに姿を消した。

 その姿は一瞬間をおいて、地龍の前に現れた。片膝立ちでその剣先は下を向いている。

 地龍の動きが完全に止まり、からだの前後が上下にずれていく。弾力のある厚い筋肉のせいか、血も内蔵も飛び出ない。

 ディルヒルドは一太刀で地龍を輪切りに、両断したのだった。

 どん、と、思ったよりかるい震動が来た。地龍のからだが地に落ちた。


 イシュルは周囲の魔法の壁を残したまま、地面にへたり込んで放心しているエミリアの傍に飛び降りた。

「怪我はないか」

 パーティの面々はみな気力を使い果たしたのか、その場に座り込んでいる。

「……」

 エミリアが呆然と頷いてくる。

 地龍から思いっきり振り飛ばされていたが、うまく受け身がとれたらしい。

「ひどいひと……」

 エミリアがイシュルを見上げ、力なく言ってくる。

「誰が」

 イシュルはエミリアに向かって腰を降ろすと、彼女の眸を正面から見つめた。

「さて、おまえらが俺を誘った理由。おまえらの任務と目的を話してもらおうか」


 

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