風の魔法 3

 

 次の日の朝、イシュルはいつもとかわらず同じ時刻に起き、ルセルとともに子どもたちに課せられた家事をこなし、木剣をかつぐと家の裏に行き素振りをし、前に父が立ててくれた木の杭に向かって打ち込みをやった。

 誰かが傍で見ていればあえて剣道の形の激しい打ち込みはやらないが、素振り程度なら特に隠すようなことはしていない。父も村の同年輩の子らも、イシュルの稽古に特に関心は示さなかった。狩りに多用する弓と違って、誰も剣術に特別な関心などないし、知りもしない。みな空いている時にたまに自己流でかるく剣や木の棒を振っている程度だ。エルスもイシュルの稽古をどこかで盗み見ていたのか、その形に「ほう、おもしろいな。いろいろ考えてるんだな」などと言ってきたが、とくに驚かれたり、訝しがられたりするほどの反応ではなかった。

 そもそもイシュルも前世では剣道は初心者同然で、木剣を振りはじめてまだ一年ほどしか経っていない。素人でさえ瞠目させるほどの形だの技だのができる筈もなく、その程度の反応で済まされるのも当然だとは言えた。

 汗が額をつたうくらいまで素振りをすると、木剣を木の杭に立てかけ、家の奥の川の方へと続く細道を歩いていく。しばらく歩き、木々の向こうから川のせせらぎが聞こえ出すあたりまで来ると、木々が割れ小さな空き地が現れた。

 ところどころ草の生えた空き地には、その真ん中に屋根も大方落ちてしまった、朽ちた古家が建っている。昔、村の出身でエリスタールで商人になった者が、老後に村に戻ってきて建てたものだ。釣りが好きだったらしく、村の南側を流れる川の近くに家を建てた。死後は特に住む者もなく、縁者も死に絶え、家は手入れもされず年月を経るにしたがい朽ち果てていった。それからはよく、近くの子どもたちの格好の遊び場となっていた。 

 イシュルはその廃屋の前の空き地に佇むと、近くに人がいないか、辺りに気を配った。

 昨晩から明らかにある感覚が鋭敏になり、知覚する能力が異常に上がっている。風が吹くところ、空気の揺らぎ、振動に対して以前とは比較にならないほどに感覚が研ぎすまされ、視覚の及ばないところでも、何があり、何が動き、何が起こっているのか認識できるようになった。体内に取り込まれた風の魔法具の影響だろう。風の魔法具の効力のひとつ、と考えた方がいいのかもしれない。

 辺りに気になる存在はない。

 イシュルは目をつむり、息をかるく吸いこみ、風の魔法を発動させた。




 風が激しく鳴る。木の葉が舞い、砂が渦を巻いている。周りの木々がざわめく。自分を中心に風が渦を巻いている。

 渦巻きは家ひとつをまるまる飲み込むほどの大きさだ。高さはまわりの木々と同じほど。風速はよくわからない。台風の時に吹く強風くらいだ。もっと強く、大きくもできるが、あまりやりすぎると村の方からも見えてしまう。木の枝が折れ飛び、砂埃といっしょに木々の高さを越えて空高く舞い、風のなる音が村中に響き渡ることになるだろう。

 強さと大きさを押さえつつ、竜巻を自分の前方へと移動させる。

 渦の中心も前へ移動するので自分自身も強風にさらされる筈だが、風の渦はからだに近づくとうまく上の方に逃げていき、強風の影響をほとんど受けない。そのように「考え」「思った」からだ。

 この能力は、空気、大気にのみ作用する念動力のようなものだ。手足を動かすように空気を動かし、風を起こし、向きをかえ、風速をかえることができる。

 自分のからだの能力、できることの限界が誰でもなんとなくわかるように、空気を動かすこの能力の限界も、なんとなく察することができる。

 自分の前方へと移した竜巻を少しずつ、ゆっくり小さくしていく。右手を前に突き出し、掌をゆっくりと閉じていくと、その先にある圧縮された風の渦巻きが球状になってさらに小さくなっていく。空いた空間を埋めるように周りに風が吹き込んでくる。

 やがて圧縮され球状になった風の渦は野球の球くらいの大きさになった。それをさらに前方に押し出し、加速させる。

 激しく風が鳴って、奥にある廃屋の崩れかけた壁に激突した。ちょっとタイミングがずれたろうか、圧縮する「手」を激突する瞬間に離した。パーンという破裂音とともに壁の一部が木っ端みじんになり、周りが細かな木片と埃に覆われた。

 咄嗟に目の前に軽く風を集め、前方に押し出す。たいしたことはなさそうだが、埃がこちらに来ないようにした。目に入れば痛そうだし、吸い込みたくない。

 細かな塵が舞う中、壁の風の固まりが当たって破裂した箇所は、えぐりとられるようにして消えてなくなっていた。

 そこへ自分の起こしたものではない自然の風が横合いから吹いてきた。あたりを舞う塵を奥の森の方へと運んでいった。

 風の魔法とは本来このような使い方はしないような気がするのだが、この風や空気を自在に動かす能力の付与が風の魔法具の基礎を成すものであるのは確かなようだ。

 風を起こす、単に竜巻を起こし、強風を生み出すだけでなく、空気を集め、圧縮し、球状にし、あるいは壁のようにすることだってできるのだ。所詮は気体なのでその威力や効果はそれ相応なものでしかないのかもしれないが…。

 今度は風を起こすと手前の地面にぶつけ、砂粒や小石を巻き上がらせる。自分の目線のあたりまで巻き上がったそれらを、なるべく周りの空気を動かさないように気を配りながら前方へと加速させた。廃屋の壁に思いっきりぶつける。

 パシッ、と音がして漆喰の壁面に細かい傷ができる。とても貫通するほどではないが、それなりの威力はあったようだ。

 去年、税を納めに行った村の男たちを襲った盗賊たち、十名ほどだったというが、その程度の人数ならこの砂や礫を彼らの顔面にでも当てれば、かるく撃退できるだろう。先ほどの風を「固めた」球を当てれば、一発で致命傷を与えられる筈だ。革鎧など防具で防御された部分に当てても、それなりの打撃は与えられるだろう。

 風を自在に操る能力を使って十名の盗賊とどうやって戦うか、人目につかないようにこの廃屋までやって来て、まず最初に考え、試みたことがそれだった。

 次の課題はその風を集めて圧縮し「固めた」球ではなく弾、を複数、同時に、そして素早くつくり、十人ならその十人それぞれに当てること、その「風の弾」をより強力にできないか、というところだろうか。

 一定量の空気を圧縮していくとどうなるのだろう。文系だった自分のつたない知識ではあやふやだが、どんどん気圧が上がると、まわりに熱が放出され、空気中の窒素など液化しやすい成分から液化していく感じだろうか?おそらく何百、何千気圧、いや、もっと気圧を上げていかなければそこまではいかないか。自分のこの魔法の能力ではそこまでは無理だろうか?

 自分の魔法の力がなんとなくわかる、できることがわかっていても、例えばこれだけ空気を圧縮すれば気圧がこれだけ上がり、これだけの反発力や爆発力が生まれるとか、一定量の空気をこれだけ圧縮すればこういう現象が起こる、ということがわからない。

 イシュルは長く息を吐くと、着た道を家の方へ引き返しはじめた。あまりここに長居はできない。もうそろそろ家に戻った方がいいし、何より神経が疲れたというか、生まれ変わってから久しぶりに味わう疲れを感じた。まるで丸一日、深夜まで残業してしゃかりきになって仕事をしたような気分だった。

 理系的な知識があまりないこと、調べることができないのがなんとももどかしい。なんとか自己流でいろいろと試していくしかないだろう。

 この世界に転生し生まれ落ちてから、これが魔法なのか、何の因果か不可思議極まる力を手に入れた。

 昨晩の話からすると、この不思議な力の源となっている自分の体内に取り込まれた魔法具は、風の神から直接もたらされたかなり高位の強力なもの、ということになるが、レーネのその話はかなり昔のことで本当かどうかはわからない、単なる伝聞でしかない。本人が死んでしまった以上、もう確認はできない。

 不可思議極まる、とはいっても自分の内で特に違和感は感じない。見えない伸縮自在の手足と、自分の肉体から遊離した聴覚や触覚が自然に自分のからだに備わった、という感じだ。

 からだの中に異物感を感じるとか、熱が出たりとか、何かの幻覚が現れるようになったとか、自らの心身にも特に異常は感じられない。

 そしてこの魔法が大気、空気に作用する以上は何らかの物理学上、と言いうべきか自然科学的な法則の制約を受ける、その原理の線上から逸脱することはできないのではないか、とも感じている。この力を使ったときの感触、その力が目の前に現れる様子からそんな気がしている。例えば激しく風を巻き起こしてそこから自由に使役できる龍を生み出したり、風を早く鋭く絞って剣を実体化したり、なんてことはできない。目に見えない伸縮自在の手足、といってもあくまでそれは「手」であり「足」である、というたとえもできるだろうか。

 もとは非科学的、超自然的なものなのに、それを行使するときは物理学などの法則に沿ったものになる。なんとも皮肉な話だ。あるいはそれが最も不可思議極まることなのかも知れない。

 その非科学的なものと科学的なものとの狭間で、今はこの能力を見極め、突き詰めていくしかない。その先に何かあるかもしれない、何かが見えるかもしれない。

 この力を得たことで、とりあえず間近な、商人になるためにエリスタールに出て商人見習いになる目標は考え直してもいいだろう。商人見習いになるために、十五歳になる前、十二、三歳くらいまでには村を出るつもりだった。仮にその歳になるまで村にいるとするなら、まだ時間はある。風の魔法、この能力をうまく使いこなせるようにいろいろと試し、練習を続けよう。うまくすれば南東の山岳地帯に行って、魔物を狩るハンターになれるかもしれない。危険だが面白そうな冒険ができるかもしれない。レーネのように王都に出て、魔法使いの弟子にでもなって宮廷魔導師になるのもおそらく可能だろう。

 そういえばレーネは、どんな風の魔法を使ったのだろうか?



  時刻は昼過ぎ、よく晴れた明るい日差しの中、魔女の家は昨日の火事にあらかた燃え尽き、一部の焦げた壁と真っ黒に炭化した木の柱が幾つか立っているだけの無惨な姿に成り果てていた。

 崩れ落ちた柱や屋根の木々は黒く炭化し、かなりの火勢で燃えたことが伺える。あの透明の炎はなんだったのだろう。レーネはいくつもの魔法具を持っていたらしいから、風の魔法具以外にもからだと同化した魔法具もあったのかもしれない。あの透明の炎に触れればその魔法も手に入れることができただろうか。

「酷い有様じゃな」

「焼け跡を見ると火の勢いがかなり激しかったみたいだ。まるで油をかけてそれから燃やしたみたいですね」

 ファーロとエクトルが話している。

 イシュルとエルスは昼ごろ、ポーロとともに魔女の家に向かった。ポーロは日中なら近道が使える、と言って昨日は通らなかった道に入っていった。ポーロの家の裏から森へと続く猟師道があり、残雪を踏み固め、下草を踏み分け、木の根をまたぎながらその道を行くと、魔女の家へと続く昨日の広い道に出た。門の内側だった。

 日中、村の男たちが何人も魔女の家に向かうのを、他の村人に見られたくなかったのだろう。

 魔女の家に着くと、家はすかっり焼け落ち跡形もなかった。ファーロらベルシュ家の者はまだ来ていなかった。

 イシュルは早速、魔道書らしき書物があった書棚のあたりを探してみたが、あたりは真っ黒に焼けた炭の状態になっていて、紙片のひとつとして見つけられなかった。砕けた壷の破片や、自分で動かせる大きさの焼けた木材などをどかしたりしてみたが、それらしき物は見つからなかった。

 焼けた木々は持ち上げるとまだ熱が残っており、中にはかなり熱い物もあった。熱心に探していると父やポーロからあまり焼け跡を荒らすなと怒られ、仕方なく外へ出てきたところで、ちょうど来た道の向こうにファーロたち一行の姿が現れた。

 ファーロにエクトル、そして昨日、塔に登って火事を監視していたベルシュ家の家人の三人だった。家人は小さめの鋤や鍬を抱えている。

 ファーロは焼けた家の前まで来ると、エクトルやエルスと二言三言ことばを交わし、イシュルの炭で真っ黒になった両手を見て、

「お目当てのものは見つかったかの」

と意地の悪い笑みを浮かべて言い、真面目な顔になって

「レーネの遺体はどこら辺かの。イシュル」

と尋ねてきた。

 ポーロとベルシュ家の家人はふたりで鋤や鍬を使い、イシュルの指示したあたりの燃え落ちた屋根や壁の残骸をかき分け、レーネのものと思われる割れた頭蓋骨の一部といくつかの骨を見つけ出した。

 あの時、レーネの着ていた衣服やからだは紙のようにすべて燃え尽きたように見えたが、一部の骨、特に頭の部分は残っていたようだ。黒く炭のついた汚れの合間に見える骨の表面は、思いのほか白く鮮やかにに見えた。

「ふむ、これはあきらかに人骨じゃな」

 ファーロはレーネの遺骨を持ち帰るよう家人に言いつけ、さて、と昨晩問題にしていた話を口にした。

「レーネの死をどうするかじゃが、昨日も話したとおり、儂はあえてブリガールに報告する必要はないと思う」

「ブリガール男爵はいろいろと評判の悪い男ですが、もともと地元の人間ではないし、レーネのこともそれほど知らないでしょう。昔のことですし。だから男爵に知らせても問題はないと思います。知らせずにおいて、後からまずいことになるよりはましでしょう」

 エクトルが答えた。エルスやポーロは何も言わない。ふたりの会話に口を出す気がないようだ。

「問題はむしろ、隠居した先代の辺境伯、クラエスです」

「あやつか」 

 ファーロが苦い顔をした。辺境伯をあいつ呼ばわりだ。

「あれは恐ろしく欲深い男だ。レーネのこともブリガールよりは詳しかろう。あやつに知られるのはまずいかもしれんの」

「はい。ただそのクラエスもだいぶ前から寝たきり、余命幾ばくもないとか。この前村に来た行商から聞いた話です。ひと月以上前のことだから今頃はもう死んでいるかもしれません。少なくともこの冬は越せないでしょう。現当主のレーヴェルトは当主になってもう十年近くになりますが、悪い評判は聞こえてきません」

「ふむ。なら決まったな。雪解けの後久しぶりにレーネの様子を見に行ったら、火事があったらしく死んでいたと」

「はい」

「では春先にブリガールに知らせることにしよう。できればその前にクラエスの死を確実に知りたいところじゃが」

「伯父さん、辺境伯に直接仕えてる騎士爵家をいくつか知ってるでしょう?手紙でも出してそれとなく探ってみたら?」

 今まで黙っていたエルスが助言する。

「そうじゃな。それは考えておこう」

 ファーロは周りの男たちを見回すと言った。

「じゃあこれで決まりじゃな。みな、レーネのことは他言無用にな」

「家の女中たちにも気をつけないと…」とエクトル。

 ファーロは頷くと焼け跡に目もくれず、来た道を歩きだした。イシュルは焼け跡をもう一度見た。母屋の奥には小さな屋根の焼け落ちた井戸や、もと小屋か何かがあったのか母屋より小さな焼け跡もある。周りの木々は枝先に少し燃えた跡が見つかるくらいだった。建物と周りの木々の燃え方の落差が激しい。明らかに何らかの力が働いて魔女の住処のみが強い火で燃え尽きたのだ。

 焼け跡やまわりの森にはもう、昨日感じた何となく妖しい、禍々しい雰囲気は微塵も感じられなかった。

 きびすを返し、小走りで先に行ったファーロたちに追いつく。イシュルはファーロの横に並んで問いかけた。

「レーネはどんな魔術書を持ってたのかな」

 ファーロは、まったくおまえは…と、すこし呆れた表情で

「知らん」

 とだけ言った。

「魔術書なんて、大昔の難しい言葉で書かれていて、ほとんど読めないよ。教典とかと同じさ。魔法の起こりや魔法、魔法具の種類、呪文とかが書かれている」

 エクトルが答えてくれた、というか一番聞きたかったことを説明してくれた。

 呪文か。

 魔法の種類って、どんなものだ。

 たとえば風、火、土、金、水の五系統の魔法、って言われても、具体的にどんな魔法があるのか細かいことまではわからない。

 エクトルは魔術書を見たことがあるんだろうか…もしかして持ってる?

「それよりイシュル。おまえも子どもたちには今回のこと、絶対にしゃべってはならんぞ」

 ファーロが怖い顔で念押ししてきた。

「うん」

 子どもらしい演技でしっかり頷いてから、でも少しいたずら心で反撃してみる。

「ひょっとして大伯父さんの家にも、魔法具がひとつくらいはあるんじゃないの?」

 ファーロは目を見開いて、苦笑するエクトルと顔を見合わせた。 


 

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