風の魔法 4


 父の釣り竿を一本借りて、古い籐籠をぶら下げ、川に釣りに出かける。

 家を出たところでルセルから声をかけられた。

「兄ちゃん、釣りに行くの? ぼくも行く!」

 それはまずい。

「だめだ。おまえ、この前教えた文章、書けるようになったのか? 昼前には帰ってくるから、帰ってきたら俺の前で書いてみせろ。しっかり練習しとけよ」

 ルセルには悪いが、ぎゃふんとへこませ、ひとりで川に向かう。

 イシュルは半年ほど前からルセルに読み書きを教え始めた。彼ほどではなくとも、両親よりは読み書きができるようになった方が良い。ファーロからあの教本をまた借り受け、何度も読み聞かせ読ませ、地面に文字を書かせた。今は「わたしの名前はルセルです」「わたしは八歳です」みたいな簡単な文章を教え、書かせている。

 前によく魔法の練習をしていた廃屋の前を通り過ぎ、石のごつごつした川原に出た。まだ畑の種まきの前、春先で水は冷たく、川の方から湿った冷気が押し寄せてくる。

 川べりに茂る木々の根元に釣り具を置き、川のそばに寄り、風を操る。軽く助走をして向こう岸へ川を飛び越えた。

 対岸に着地する時足もとに風を集め、気圧の高い層をつくり、さらに上へ吹き上げるようにしてショックを和らげる。川幅はラディス王国など大陸国中で使われる単位で言うと約二十スカル、二十長歩弱くらいはある。かるく十メートルは越える。

 風の魔法を得てから三年近く、さまざまな工夫と実験を重ね、練習してきた成果のひとつだ。

 対岸にも茂る木々の間を抜け、しばらく雑木林の中を、時に藪を掻き分け奥へと進む。

 あの廃屋で初めて本格的に魔法を試した後、しばらくは遊び半分で思いつくままに風や空気を操り、あまり集中力や神経をすり減らさずに使えるよう、魔法使用に慣れることに専念した。

 それからは自分なりにテーマを決めて、取り組むことを分類、系統化して個別に練習や実験をするようにした。いくつかあげると、魔法発動の高速化、魔法の複数同時発動、魔法の連続、長期発動、魔法の極小使用や極大使用、応用などだが、前世で仕事や勉強に臨んだように、真面目な気構えでやろうというほどの考えはなかったので、それほど厳格にやってきたわけではない。

 ただ前世の、二十一世紀の日本を生きた現代人として自己流でやるからには、おそらくこの世界の宗教や因習など固定観念に縛り付けられ、論理的な思考法など持ち得ないだろう他の魔法使いや魔導師の修行や研究とは、また違ったやり方をしたかった。

 雑木林を抜けると広い草原に出る。草原とはいっても背の高い草、葦がびっしり生えた葦原といった感じだ。地面も少し柔らかいところがあり、奥の方には湿地もある。

 ここまでくれば自分の知覚の及ばない遠くからでも、誰かに見られる恐れはない。

 葦原に入り込み、空気をぎりぎり「手」がとどく空の上の方からすり鉢状に頭上に集め、球状にしてどんどん圧縮していく。同時に幾重にも気圧の違う空気の層でくるみ、周囲に不自然な温度変化や風が巻きおこったりしないように緩和する。

 そしてその球を振り下ろすようにして葦原に投げた。

風を集めて固め圧縮した空気の球は葦をなぎ倒し、切り飛ばして葦原の中を前へ前へと飛んでいく。五百長歩(三百メートル強)を過ぎたあたりで明らかに圧縮していた力が緩み、球を前方へ押す力も弱くなるのがわかる。そこで「手」を離した。

 青々と続く葦原の先でボンっと爆発音がして、吹き飛ばされた葦が舞い、薄く土煙が上がった。

 どうしても空気を動かしたり集めたりすれば、その空間の気圧が下がり、強い風が周囲から吹き込んでくる。ゆっくり少しずつ動かしていけば、その風は弱められるが、時間はかかってしまう。もっと広い空間の空気を「掴んで」、内から外へいくつかの層に分けて、外側へ行くに従い空気の圧縮比を段階的に下げていけば、より短時間で、周囲に不自然な風をあまり起こさないですむ。

 周りの人や動物などにより気づかれずにやるなら、それをより上の空中で、さらにその上の空間の空気を集めて行えばよい。

 そう考えて生み出したのがこの攻撃方法だ。

 不自然な風が吹かないよう誤摩化すことに神経を使う割合を減らせ、その分「空気の弾」の威力も高められる。

 今度は、さっきつくったのと同じ空気を圧縮した球を同じ頭上に一気に六個、水平に並べてつくる。両端のふたつをそれぞれ外側に飛ばし、円弧を描くようにして先ほど爆発させた地点に向かわせる。次の両端の球は上へ放物線を描くようにして同じ目標へ。残ったふたつは一息遅らせて前と同じ葦原に潜らせて一直線に最短距離で目標へ。「着弾」が同時になるようにそれぞれの球の速度を微妙にコントロールする。空中を飛ぶ四つの球は空気を切り裂くような高い音を上げて、葦原を走らせた二つの球はざざざっと、草を引きちぎる低い音を立ててほぼ同時に「着弾」した。

 前より数倍はでかい爆発が起こった。着弾する直前に前面の空気をさっと窄めて前方に突き出すようにする。できた瞬間、ほぼ同時に衝撃波が左右に分かれ逸れていった。地面を伝う振動には何もできなかった。足もとに細かい振動がきた。

 テーマを設けて練習や実験、時に遊んだりしてきたが、ひとつ、できなかったことがある。それは自分の魔力でどれだけ大きな竜巻がつくれるか、あるいは標準的な台風の暴風域で吹くような強風をどれだけの範囲でどれだけの時間、続けられるかなど、自分の魔力のいわば「最大出力」や「最大規模」、限界を知る試みである。

 竜巻にしても台風の真似事にしても、短い時間ならかなりの規模でやれる自信はあるのだが、実際にやるにはベルシュ村からかなり離れ、付近に人家のまったくないところまで行かなければならない。

 人為的に地上から起こすものだから、重たい雨雲などが空を覆い始めて…なんてことにはならないだろうから、かなり遠くからなら気づかれないかもしれないが、もともと天候が不安定な状態で竜巻を起こしてみたら制御ができなくなって…なんてことは起こるかもしれない。

 実際問題として村から何里、何十里(スカール、一里は千長歩、おおよそ六百〜七百メートル)と離れるのは難しい。子どもがなんの理由もなくひとりで村を出てどこか遠くに行く、なんてことは許してはもらえない。

 そういうことで、最も万能感を味わえそうな、一番試したかった魔法の力試し、大規模使用は今まで試すことができていない。

 一息つくと、葦原を左側、東の方へ走りだす。水平にした円錐状に空気の層を前方に展開、圧縮した空気を両手両足の後ろ側につくって押し付け、両手両足の動きに合わせて押すようにする。パワーアシストのようなものだ。さらに後方に自分のからだ全体を押す風の流れをつくる。自分の身の回りにだけ吹く、強い追い風を受けて走るかたちになる。自分自身と前方に展開した円錐状の空気の壁を前へ前へと押していく。

 歩幅が広がり、力が上へ逃げてジャンプしそうになるのを上半身を前に倒し、後ろから吹かせた風の一部を背中から地面に押さえつけるように流して安定させ、全力疾走に移る。空気のパワーアシストは両手両足の動きにしっかり追従している。目の前の葦が左右に分かれ、緑色の細かい縞となって左右に流れていく。

 今履いている靴はブーツ型のサンダル、地面は柔らかいところもあって全速は出せていないが、魔法を使わずにふつうに走るよりは遥かに早い。

 これが魔法の応用に取り組んだ成果のひとつだ。細かく常に変化していくからだの動きに合わせて複数の魔法を発動し続ける。これはかなり難しく、一年間ほどずっと練習し続けた。走るだけでなく、跳躍する時や、剣を振るう時にも使えるように練習した。

 短時間なら飛行、もできると思うが試してはいない。飛行魔法ができたら凄いとは思うが、高度を上げるのは村の近くではできないし、からだを浮かせ、上昇させ、高度を維持しつつ姿勢の制御や推進なども同時に行うなど、今なら問題なくできるとしても、それを長時間続けるのがかなりきつい。おそらく体感で十分も保たないのではないか。

 魔法を使い続けると、ある時点で0になる、ということはなく、神経が徐々に疲れていき、いらいらして思考力や集中力が弱まり、最後は眠むくなる、といった感じになるので飛行を続けてもいきなり落下してしまうことはないと思うが、何が起こるかわからない。いざという時取り返しがつかないことになるので、空を飛ぶことは止めている。

 しばらく走り続けると左手の雑木林にひときわ高い杉の木が見えてきた。かなりの老木なのか調子が良くないようであまり葉がついていない。

 魔力に力を込め、その杉の木に向かって走る速度を上げる。手前の背の低い木々の前で思いきりジャンプし、その杉の木のやや上のあたりに伸びる枝に飛び乗った。ふらつくからだにそっと風を当てて安定させる。

 木の北側は手前に川、奥に森が広がる。西の方は森が切れ、村が見える。南側は延々と葦原が広がり、葦原の間に雑木林が点々と見えた。川のせせらぎや鳥の鳴き声が聞こえ、春先のまだ冷たさの残る風が吹いてくる。

 ここは葦原で魔法の練習をする時の、お気に入りの場所だった。木の幹にもたれかかり、どこを見るともなくしばらくぼーっとする。

 この三年近く、折りをみてベルシュ家を中心に魔法に関する手がかりを探ったが、特にこれといったものは見つからなかった。

 魔術書そのものは無理としても、せめてレーネが宮廷魔導師だった頃の記録、どんな魔法を使ったのかその手がかりでも掴みたい、と思ったのだ。

 ファーロの書斎にある書物や巻物類に、それらしいものがないのはわかっている。レーネが宮廷魔導師を退いた頃のベルシュ家の私文書類、書簡もあったのだが、レーネに関する記述がある物は見つけられなかった。

 エクトルがブリガール男爵家に納める税の目録を作るときなど、呼ばれて手伝ったりしたことがあるが、エクトルの執務室兼書斎にも、あるのは新しい書類だけで古い物はなかった。

 あと調べるとしたらあの小さな塔の、武具や農具などの物置になっている一階と二階部分だが、ふだんは鍵がかかっているし、巻物など紙類を保管しているかは望み薄な気がする。

 視線を南西の、エリスタールの方へ向ける。

 エリスタールに書店、書物を売るような店がないことはわかっている。魔法使いもひとりとして住んでいないようだ。何か、なんでもいいから魔法に関する手がかりは得られないだろうか。

 そこで、北の方にめずらしく大きな動物の動く気配を感じた。複数いる。木を飛び降り、薮の中を突っ切り川べりに向かう。個数はおそらく四、川の対岸、森の中を川の方へ向かって移動している。

 風向きはどちらかというと森の方、山の方へ吹いてる。念のため自分の前に軽く風の層をつくり、匂いが森の方にいかないようにし、川べりの薮の中から出ずに接近する。川のせせらぎと湿った空気がこちらをカモフラージュしてくれる筈だ。対岸の森のここら辺、とあたりをつけたところから狼が出てきた。全部で四匹。水を飲みに来たらしい。

 凄い大物だ。今まで野鳥や野鼠などに魔法を使ったことはあるが、大型の動物はこの時期でないと里の方には出て来ない。

 どうする? 試してみるか。

 逡巡は一瞬、決断し、薮から出て対岸へジャンプ、少し距離をとって彼らの前に姿を現す。狼たちは一瞬動揺したが、頭を上げ遠吠えを始めると最初は警戒しながらゆっくりと、こちらが動かず無反応でいると、途中から一気に駆け出し加速してこちらに向かってきた。

 先ほど葦原で練習した高圧の空気の球を頭上で三つ、目の前でひとまわり小さな、威力も劣る球をひとつ、最速でつくり出す。急いだ分周辺の空間の空気をすべて制御できず、周りに不自然な風が吹き荒れた。

 向かってくる狼は異常を察知した筈だが腹をすかしているのか、攻撃衝動で興奮状態なのか躊躇せずに向かって来た。

 手前の三匹に頭上の球を、後ろの一匹に目の前の小さな球をぶつける。

 激しい破裂音が響き、狼たちが血煙で覆われた。後ろの狼は全身をびくつかせてあらぬ方に飛び跳ねると地面に倒れ、痙攣し始めた。

 手前の三匹の狼達は首から先がぐしゃぐしゃに拉げた肉塊となり、肉片をあたりに飛び散らして横向きや仰向けになって倒れ、絶命していた。

 後ろにいた四匹目は片耳を血に濡らしてしばらく痙攣した後、息絶えた。

 後ろにいた狼に当てた小さな球は、密閉された空間、屋内でもつくれるように工夫したものだ。それほど大きくない空間、少ない空気の量で、なるべく圧縮比を高めて空気を「固めた」球をつくる。威力も劣るしかなり小さくなってしまうのだが、その小さくなったことを逆手にとって、攻撃対象の体内に入れて破裂させてみよう、と考えたのだ。

 その小さな球を耳の穴から内耳へと潜りこませ、内側に向かって破裂させた。おそらく脳の一部も破壊できたろう。即死ではなかったが、確実に殺せることはわかった。

 血の匂いが辺りを漂う。

 死んだ狼たちの姿は想像以上の凄惨さだった。


 狼の死体をそのままに、背を向けて村に帰る。虚脱感で足腰に力が入らなかった。

 父やポーロに猟に連れていってもらい、狩った子鹿の解体を手伝ったこともある。村の祭で牛の解体を手伝ったこともある。狼の死体に怖じ気づいたわけではない。

 レーネが死んだときは何んとも思わなかったのに。

 最初は見過ごすことも考えた。自分のアイデアで「開発」した魔法を試す良い機会だったが、意味のない殺生だと思ったからだ。

 だが数日後には村で恒例の種まき前の山狩りが行われる。あの狼たちも春先で餌が少なくなり、森の奥深くから里に出て来たのではないか。放っておけば、山狩りの後も生き残れば、村の家畜を、最悪村人を襲うことだって起こりえる。家畜が襲われることは時々あるし、何年かに一度は人、子どもだって襲われることもあるのだ。そんなことになったら目も当てられない。

 なのに咽元にまでせり上がってくるこの苦い思いなんだ。

 

 どのみち、自分をどうごまかしてもこの罪悪感からは逃れられない。

 ごまかしてはいけない。逃げてもいけない。

 だが、今日経験したことはきっとこの先、役に立つだろう。

 森の魔女に捕らわれたあの時から、もう死ぬか生きるか、戦いの世界に踏み込んでしまったのだ。風の魔法具を手にしたことで、もうそこから逃れることはできないだろう。

 未知の力を手に入れたのなら、その力が何なのか、知らなければならない。


 釣り具を置いた川原までとぼとぼと歩いて戻る。

 釣り竿と籠を持って、家に帰る。

 木々の間には山桜だろうか。行きしには気づかなかった白い花がちらちらと垣間見える。そろそろ森にも素朴な花々の色が目立ち始める時節だ。


 家に帰ったらルセルの勉強、見てやらないとな。

 イシュルは俯き落ち込みそうになる気持ちに負けじと、歩幅を大きく少し元気に、木々の間の細道を歩いていった。


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