風の魔法 2
「森の魔女は、ぼくの頭を割って魔道具が見つからなくても、ぼくが死ねばその力は手に入る、って言ってた。魔法具を持っていたひとを殺してしまえば、それを奪ってしまえば、その魔法が使えるようになるんだよね?」
聞きたかったこと。それは、魔法具を持つだけでその魔法が誰にでも使えるようになるのなら、その魔法具をめぐって激しい奪い合いが起こるのではないか、ということだ。
レーネのようにからだと一体化し、強力な魔法の力を持つ者ならともかく、そのような力のない者は、自分の魔法具をいつ奪われるか知れない、危険な状況に常にさらされることになるのではないか。
「からだの中にとりこまれた魔法具を取り出す方法なんぞ、今まで一度として聞いたこともない。殺せば手に入る?知らんな。ラディス王家や聖堂教会の本山あたりなら何か伝わってるかもしれんが。レーネの風の魔法具の話さえもう半ば伝説と化しておる。からだの中に魔法具を隠し持っている魔法使いなんぞ、今はどこにもおらんじゃろう。儂らにはあまりにも縁遠い話じゃ」
そこでファーロは一旦言葉を切り、にらむようにして見つめてきた。
「魔道具を奪えば、奪った者がその魔法を使えるようになる、というのはそのとおりじゃ。だから魔道具を持つ者はそれがどんな物か、どんな魔法が使えるのか、たいていは秘密にしておる。魔道具を持っていることさえ秘密にする場合もある。高価な魔道具を持っておると、ほんとうに奪われたり、殺されたりすることもあるからの」
「他の者に知られないように魔法を使うとか、誰が使ったかわからないような時に使うとか、使う時には気をつけないといけない。魔法具を所持していることを隠したいのならね」とエクトル。
魔法具を奪われないようにするにはその存在を秘匿しなければならない、秘匿するには使用する場面がどうしても限定される。素晴らしい力、効力があるのに、だからこそいつでも使えるわけではない。なんとも皮肉な話だが、そんな矛盾は世の常だ。
例えば人や魔物などと戦うときに使うような魔法具だと、使う時は絶対絶命の時とか、一対一で戦う場合に使う対象を殺してしまうような時、つまり魔法具の秘密にこだわってる状況ではない場合、使っても他者に秘密がもれない場合になるだろう。
かつてどこかで見たか聞いた話だ。秘伝、秘技、秘剣、切り札。
「でもね」
エクトルが食卓に身を乗り出してくる。
「各国の王家や大神官、大貴族などはどんな魔法具を持っているか、どんな魔法が使えるか、だいたいは知られている」
強力な魔法具は彼らの権威の象徴ともなる。そして、王家や貴族に代々伝わる魔法具には、継承するのに同じ一族の、同じ血筋の者の血をもって契約しなければならないものもあるという。どんな契約をするのか、どんな仕組みになっているのかわからないが、その魔法具は一族の者、同じ血筋の者の中からさらに契約した者にしか使えない特殊な魔法具ということになる。
「よくできた話さ。本当かどうかは知らないが」
エクトルの目に皮肉な色が浮かんだ。
「それに、ほかの者に奪われる可能性がまったくなくなる、というわけでもないしな」
エクトルに頷いてみせる。
身につけるだけでなく、同じ血筋であることが必要だからといって、その一族以外に価値がなくなるわけではあるまい。その魔法具を盗んで、返すかわりに高額の金か、何かの条件を要求してくる者がいるかもしれないし、遺恨や政略がらみでその魔法具を奪おうとする者がでてくる場合もあるだろう。
「イシュルはわかってるみたいだな」
「魔法具を持っているからといって、一国の王になれたりとか、大金持ちになれたりとかするわけではない。無理に奪えば恨みを買うし、盗んで捕まれば罪人、うまく逃げおおせても盗んだ本人に使い道がなければ売るしかないが、買い手が見つからなければただの骨折り損じゃ。おのれの人生を賭けてまで手に入れるほどの価値のある魔法具などそんなにありはせん」
ファーロがいかにも年長者然とした口調で言ってくる。
そこで、部屋の入り口に誰かが立つ気配がした。
「旦那さま、森の火事がおさまってきたようです。燃えていたあたりはすっかり暗くなりました」
髪の毛を短く刈った中年の男が入って来て言った。ベルシュ家の家人だ。
「わかった。もう見張りはいいぞ。休んでくれ」
エクトルが答える。
「塔の上に登らせての、火事の物見をさせておった」とファーロ。
あの小さな塔にか。三階建てくらいの高さしかないが、あれでも村で一番高い建物だ。火が森に広がらないか監視していたのだ。
時間的にはまだ火は完全に消えてないのだろうが、下火にはなったのだろう。森に広がる恐れはなくなったということだ。
「今日はもう遅い。レーネの死をどうするか、明日、現地に行って決めよう」とファーロが言った。
「ぼくもいっしょに行っていい?」
これはぜひにでも行かなければならない。燃えかすでもいい、魔道書の一辺でも見つかれば。
ファーロ達、大人四人が目を見合わせる。
「まぁ、よかろう。現場でおまえに聞かなければならないこともでてくるじゃろう」
大人達が明日の予定を決めた後、おのおのが席を立ち、この場はお開きになった。
達観したようなファーロの表情に対し、エクトルはさきほどとうってかわって、やや沈痛な色を浮かべている。ポーロが燭台を持ち、前に掲げて部屋の入り口の方を照らした。
蝋燭の明かりが動き、向かいの壁に、秋の収穫の祭に掲げられるベルシュ家の旗が浮かびあがった。 そうだった。旗の絵柄、ベルシュ家の紋章は双頭の一匹の蛇の片方が剣を口から出し、その剣にもうひとつの頭がからみつく絵柄だった。
「剣だ」
「そうじゃな。我が家の紋章は、昔騎士爵を受けたときにレーネが王家に届け出たものじゃ」
「レーネさまが若かりし頃、森の奥で見つけた神殿跡にあった紋章だ」
ポーロがめずらしく口を開いた。
「風の神、イヴェダさまに縁のある紋章のひとつだ」
「ポーロさんはその遺跡に行ったことがあるの?」
「ああ、何度かな」
「儂も若い頃に行ったことがあるぞ」
ぼくも行きたい、と言おうとしたら、先を制するようにファーロがかぶせてきた。
「あんなところに行ってもしょうがない。石がごろごろしておるだけじゃ。レーネが宮廷魔道師になり世間の耳目を集めたころ、王都から偉い学者や魔道師が幾度となくやってきたそうじゃ。とうの昔に調べ尽くされておる」
そしてこちらを睨み据え、
「子どもの足ではきついぞ。やめておけ」と言った。
イシュルとエルスが家に帰ると、ルーシが憤怒の形相で待っていた。魔女の家から帰えるのが遅れ、ベルシュ家からも夜遅くまで戻らない。事情もわからずさんざん待たされ、怒り狂うルーシをエルスが必死に宥めることになった。だがその母の怒りも、イシュルの身に起きたことを聞いて取り乱し、レーネの死に事の重大さを知ったことで、跡形もなく消し飛んでしまった。
イシュルは、騒ぎに起きてきたルセルを兄弟の寝室へ連れ戻し、弟といっしょにそのまま寝ることにした。
寝床にはいってからもイシュルはなかなか寝付けなかった。レーネに殺されそうになりながらも、なんとか逃れることができた今日の出来事に心が昂ぶり、興奮がいっこうにおさまらない。手足の、縄で締め付けられた痛みはもうほとんど感じなくなっていたが、レーネとのやりとり、ファーロやエクトルの話が頭の中をぐるぐる回ってまったく眠気がおきなかった。エルスとルーシの話し声がかすかに聞こえてくる。ふたりの会話は夜遅くまで続いていた。
何度も寝返りを繰り返し、やがてふたりの小さな話し声を耳にしながら、わずかにまどろんだ。
浅い眠りの中、ふと目が醒める。
耳鳴りがする。
両親はもう寝てしまったようだ。耳鳴りが気になり寝付けない。目が冴えてきた。何度か寝返りをうつうちに、耳鳴りの音は細切れに分かれていき、四方から聞こえてくる微かな音の連なりになった。ルセルの寝息、隣の部屋の両親の寝息、母屋の裏手、軒下を走る鼠の微かな足音、家の西側に立つ大きな樫の木の、樹はだを伝う虫の動き、遠く畑をわたる夜風。
密かなものの動き、空気の揺らぎ、狭く、広い空間に充溢するあらゆるものの気配。
変わったのだ。わずかなまどろみの合間に。世界が、いや、自分がだ。
ベッドの上、ゆくっりと上半身を起こす。暗闇の中、鎧戸の隙間から微かに月明かりがもれている。そっとベッドから降り立ち、部屋から出る。ルセルも眠っている。両親も眠っている。三人とも眠りは深い。暗闇でも、壁を隔てていてもそれがわかる。廊下を、母屋の裏の方へ歩いて行く。暗闇もまったく気にならない。
裸足のまま、母屋の裏口から外に出た。晩秋の夜の冷気に身が震える。満月から少し月齢の進んだ、少し欠けた月に向かって右手をかざした。右手の先に風を集める。掌の上に小さな風の渦巻きをつくった。
自分の持つ力がどれほどのものなのか、今はまだよくわからない。だが本気を出さずとも、この掌の小さな風の渦巻きの何百、何千倍の大きさの、空高くのぼるような竜巻でさえつくれそうな気がする。
掌の上で渦巻く風の向こうに、月の女神の横顔が重なる。
月の女神よ。これがおまえが俺に与えた運命なのか。
掌を強く握しめる。拳のなかに、小さな風の渦巻きは霧散して消えた。
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