風の魔法 1
エルスはナイフを取り出し、手早く縄を断ち切った。思わぬ力で抱えあげられ、魔女の家から飛び出すと、すぐ外にポーロが待っていた。両脇をふたりから抱えられ燃える家から足早に離れる。
後ろを振り向くと、魔女の家はすでに全体が炎に包まれ、赤く燃えさかっていた。ばちばちと激しく音をたて、何かの薬が燃える匂いか、微かに異臭がした。
「怪我はないか。火傷は?」
ポーロが聞いてくる。
「大丈夫」
暴れたりしてきつく縄がくい込んだ手首にまだ痛みが残っているが、たいしたことはない。
「レーネさまはどうなった」
ポーロが続いて質問してきた。答えようとするとエルスが手をかざして止めてきた。エルスは一瞬ポーロに目を向けるとこちらを見て、
「とにかく今はここを離れよう。乗れ」
エルスが背中を向けてしゃがんだ。
父におぶられ、三人は無言で来た道を引き返した。その後ポーロは何も聞いてこなかった。燃えあがる家を見れば、その中にいた魔女がどうなったか、誰でもおおよそは察しがつく。
門のところまで来ると、大人のふたりは木々の向こう、明るく照らされた空を見て、
「森に広がるかな」
「この前雪が降ったからな。草木がまだ湿っているから、火はそれほど広がらないだろう」
などと話している。
扉のこちら側にわたして縛ってあった鎖を解きながら、ポーロがエルスに話しかけてきた。
「俺は先にエクトルさまとファーロさまに知らせてくる。おまえは一旦家に寄ってルーシを安心させてやれ。それから、イシュルもいっしょに来てもらった方がいいだろう。そこで何があったか話してくれ」
ポーロが話す途中でこちらにも目を向けてきた。
「わかった」
エルスが答えると、ポーロは頷き、門の扉を開いた。
ダルレの家を過ぎ、ベルシュ家へ向かうポーロと別れ、家の前まで帰ってくると扉の前にルーシが立っていた。
「イシュル!」
叫ぶと同時にこちらに駆けてくる。父の背から降りると母に抱きしめられた。
「遅かったから心配したのよ」
遅くとも夕方には帰ってくると思っていたのが、夜になっても帰ってこない。いてもたってもいられなくなり、ベルシュ家に行って人を出してもらおうと家を出たところに、ちょうどふたりが帰えってきたのだった。
「ちょっとまずい事が起きてな。これからイシュルも連れてベルシュの家に行かなきゃならない」
「どういうこと?何があったの」
「後で話す。エクトルやファーロ伯父さんに先に説明しなきゃならないんだ」
その後、喜びも一転、怒りだし、不安がるルーシをエルスがなんとか宥めすかし、ふたりは急ぎベルシュ家に向かった。
屋敷の入り口の前には篝火が焚かれ、家人がひとり待っていた。案内された部屋は普段は使われない、村の祭事や客人の接待などに使われる部屋だった。この家には今まで数えきれないほど来ているが、一度も入ったことのない部屋だった。真ん中に十人以上は座れる長い食卓が置かれ、奥の方にファーロとエクトルが座り、向かい側に座ったポーロとボソボソと何か小声で話し合っていた。
食卓の上には銀製の燭台が置かれ、蝋燭の明かりが三人の男たちを照らしている。エクトルが手招きし、父とともにポーロの隣に座った。
「ポーロの言うとおり、大きな怪我はしてないようじゃな」
「良かった」
向かいのふたりが声をかけてきた。
「はい」
頷きかえし、ふたりの顔を見る。
「昼から何も食べてないだろう。何か暖かいものでも用意させよう」
エクトルが召使いを呼んだ。
エクトルはエルスより少し歳上、三十手前くらいだろうか。十年ほど前に、隠居したファーロに代わってベルシュ家の当主となり、村を切り盛りしている。
召使いの女が暖かいスープを持ってきた。からだを暖め人心地つくと、ファーロが何かあったのか、尋ねてきた。
レーネの死体から蛇が顔をだし、その口から剣が出てきたこと、さわった瞬間に溶けるように消えてしまったこと、室内なのに激しく風が吹き荒れたこと、この三点を除き、後は自分の身に起こったことをありのままに話した。
なぜ、その三つのことを隠したか。
話しても信じてもらえないと思ったからでもあるが、半ば直感的に、あれは人に話してはいけないような事柄だと思ったからだった。
火事になったのはレーネの死体が透明の炎で燃え出し、屋内なのに風が吹いてそれが暖炉の炎と合わさった結果、火の勢いが急に増して周囲のものに次々と引火していったからだが、そこは風が吹いたことは省いて、単に透明の炎が暖炉の火と合わさったら火の勢いが増して火事になった、ということにした。
外で待っていたエルスとポーロは、特に違和感も感じず、後から思えば随分と長い時間、魔女の家の前でただぼんやりと立ったままでいたそうだ。気づくとあたりは暗くなっていて、家の窓ガラスや扉が揺れだし、やがて屋根の一部から煙が出はじめ、揺れ続ける窓ガラス越しに炎のゆらめきを見て、イシュルの身を危惧したエルスが扉を蹴り破って中に飛び込んだのだった。
「それはレーネの仕業じゃろう。何か人を惑わすような術を使ったんじゃろうな」
今まで黙って聞いていたファーロが口を開いた。
「どんな魔術?」
「それはわからんな。レーネが死んで魔力が切れたんじゃろう。それでふたりが元にもどった」
そこでファーロが眉をつりあげ怒気をあらわにし、
「魔法の力でか知らんがあれだけ長生きしてるくせに、子供の頭をかち割ろうなどと恐ろしいことを考えるから、命を落とすことになったのじゃ。まさにレーネの自業自得よ」
ファーロは吐き捨てるように言って、周りの男たちを見渡して言った。
「おまえたちの中には知っている者もおるかも知れんが、もともとレーネはベルシュ家の出じゃった。今から二百年ほど前にこの家で生まれたのよ。確か儂の曽祖父の大叔母くらいじゃな」
当時からベルシュ家は村では一番大きな家で、近隣の村にも影響力を持つ土豪だった。その家の娘であったレーネは兄たちの影響か、幼い頃から馬を乗り回し、よく弓を引いた。狩りも好んだ。村一番のお転婆娘だつた。
年頃になってからもレーネのお転婆はおさまらず、相変わらず野を駆け、森に狩りに入ったりしていたが、ある日、その森で道に迷い行方不明になった。当然村では騒ぎになり、山狩りも行われたがレーネは見つからず、ベルシュ家の者もレーネをあきらめかけた十日ほど後、何事もなかったように、ふらりと森から帰ってきた。聞けば、森で迷った末、森のずっと奥に昔の神殿跡のような遺跡を見つけ、しばらくその遺跡を探検していたのだという。その間、鳥を狩ったり、木の実や野草で食いつないでいたらしい。
レーネはその遺跡で不思議な体験をし、森から出てきたときには風をあやつる魔法を身につけていた。幾人か集まった村人の前で、竜巻のような激しい風を吹かして見せたという。
どうして魔法を身につけたのかレーネは詳しく語らず、父親に王都の高名な魔法使いに弟子入りしたいとせがんだ。田舎の小さな土豪にすぎないベルシュ家に、王都の魔法使いに伝手などなかったが、当時ベルシュ家の旗頭、つまり王国より軍役として戦のとき付き従うよう定められていたベーム辺境泊にお伺いをたてたところ、王都の魔導師を紹介してもらえることになつた。
王都の魔導師の弟子になったレーネは、その強力な風の魔法で数年後には正式な宮廷魔導師になり、ベルシュ家は騎士爵を受け、領地を加増された。その後、レーネは無数の魔獣討伐や幾多の戦役で活躍し、周辺国にも未だかつてない強大な力を持つ魔法使いとして恐れられる存在になった。
宮廷魔導師となつて百年近くが経ったころ、レーネは高齢と魔力の衰えを理由に、王国から慰留されながらも半ば強引に引退し、しばらく諸国を放浪した後、久方ぶりに村に帰ってくると森の奥に居をかまえ、その後長らく隠棲した。
レーネが村に帰ってきてからしばらくは、王都の使いや諸国の魔法使いなどが訪ねてきたが、レーネは彼らにほとんど会わず、外部との接触を嫌った。時が経つにつれ次第にレーネの名も忘れさられ、おとなう者もいなくなった。
「それからは儂らの家で面倒を見ていたが、それだけではない。ポーロなど村で猟や木こりを生業としている者はレーネを監視し、またレーネに近づく者を見張る役目もあった。これは何代か前の辺境泊さまからのご下命じゃったが、まぁ、今では名ばかりの役目となってはいたが」
ファーロは長い話を終えて一息つくとポーロに目をやった。
「レーネが死んだ以上、おまえの倅を呼び戻す話もなくなったな」
「はい」
ポーロが答える。
ファーロは幾分やさしい表情だ。今日のこと、今までのことでポーロへの慰労の気持ちがあるのだろうか。
前にちらっと聞いたことがあるが、ポーロのひとり息子は父の後を継ぐことを嫌い、エリスタールに出て商人見習いをやっていた筈だ。
ファーロは続いてこちらに顔を向けると、
「ポーロの倅はおまえに少し似ていて算術や読み書きの得意な子じゃった」
そして表情を厳しくし、再び食卓に座る者全員を見渡すと言った。
「問題はこれを男爵に知らせるか、じゃ。儂はあの男は好かん。あちらから定期的に報告を求められているわけではなし、黙っていても問題はないじゃろう」
「だけど、父さん」
今まで黙っていたエクトルが異議をとなえる。
「森の魔女はあの神殿跡で強力な魔法具を得て、それを死ぬまで持つていた筈です。他にも多くの魔法具を所有していたのは確かです。もし魔女の死を意図的に隠していたと思われたら、まずいことになるかもしれません」
それだ。いろいろあって忘れていた。魔法具について聞きたいことがある。魔法具を持っていれば魔法が使えるんだろうが、それ以外はよくわからない。
「あの、魔法具って、魔法を生み出す道具のことでしょ?」
大事な話の腰を折ることになるが仕方がない。魔法具のことがわからないと、この場の会話にもついていけない。わからないことが多すぎる。自分の身にふりかかってきた、今日のこともだ。
ファーロとエクトルが顔を見合わせた。
「そういえばおまえは何も知らんかったな」
「レーネの話もしてしまったし、こんなことになってはもう隠してもしょうがない。イシュルなら大丈夫ですよ」とエルス。
昔、ファーロに始めて読み書きを教わりに行ったとき、魔法や魔法使いに敏感な反応をした理由がこのことなんだろう。森の魔女、レーネの存在があったからだろう。子どもたちは皆、魔法使いや騎士、その冒険譚に憧れるものだ。不意に近寄れば危険かもしれない、かつては強大な力を誇った老魔法使い。子どもたちには秘密にして、遠ざけておきたい存在だ。
「ふむ。儂が知ってることなどたいしたことではないが」
ファーロは少し疲れが出たのか、こめかみを押さえながらまた話を始めた。
「魔法は魔法具、魔導具とも言うが、それを持たねば使うことはできん。魔法具なしに魔法が使えるのは一部の恐ろしい魔物か、神々とその僕とされる精霊だけじゃ。もちろんわしは会ったことも見たこともないがの」
しゃべり続けた父の疲れを感じとったのか、割り込むようにしてエクトルが話を引きつぐ。
「魔法具というのはね、神さまが与えてくれるものとされてるんだ」
魔法具とは聖堂教会から神の名をもって人々に下賜される、いわば神の恩寵である。人は魔法具を身につければ、魔法具との相性か、魔法の行使に適した体質なのかそうでないのか、多少の個人差はあるものの皆、その魔法具に込められた魔法を使えるようになる。ただしほとんどの魔法具は万物の元となる風、火、土、金、水のどれかひとつの系統か、治癒や防御、幻惑、体力強化や五感の感覚を向上させるなど、五系統以外の特殊な魔法をひとつしか扱えない。
「魔法具を持てるのは聖堂教の神官のほかに、王侯貴族、聖堂教会に多くの寄進をした大商人や領主たちだ。後は魔獣の襲撃から多くの人を救ったとか、飢饉のときにたくさんの穀物や金を寄付したとか、立派な行いをした人だね」
王や貴族、領主らは自らの領地で布教を許し、聖堂教会を保護すれば魔法具を得られる。歴史のある、大きな領土を持つ者ほど強力な魔法を使える高位の魔道具を、あるいは複数の魔道具を持つことになる。多くの魔道具を所有する王や大貴族は、家臣に恩賞としてそれを与えることもある。
「聖堂教会しか魔法具をつくれないの?」
「そうだ」
エクトルが頷いた。
魔法具供給の独占。聖堂教が各国に広がり、保護されているのはこれが大きな理由のひとつだろう。
「どうやってつくるのかな」
「それはわからないな。聖堂教の秘儀とされている」
「誰でもつくり方を知っていてつくれるものなら、世に魔法具があふれかえっておるじゃろうて」
ファーロが会話に復帰してきた。
「魔法具をどうやってつくるかは、教会によって堅く秘されておる。ほとんどの神官もつくり方は知らん。オルスト国の都にある聖堂教会の総本山、その主神殿の奥深くに、神が降臨し魔法具を授ける聖なる玉座があり、代々神に選ばれたただひとりの神官のみがそこで神を降ろし、魔法具を得ることができる、という至極もっともらしい話が伝わっているが、本当かどうかは知らんな」
「でも、レーネは聖堂教会から魔法具をもらったわけじゃない。レーネは森の奥で見つけた大昔の神殿跡で、風の神、イヴェダから直接魔法具を授けられたといわれている」
レーネが見つけた、森の奥にある昔の神殿は風の神、イヴェダを祭っていたらしい。
「それって、どんな魔法具だったんだろう」
自分で言って気づいた。そういえば魔法具とはどういう「物」なのか。
どんな形をしている?大きさは?
「レーネが授けられた魔法具は剣、だったと言われている」
え?
「村の神殿にあるイヴェダの像も剣を持っているだろう?だがレーネは剣を使って魔法をかけたりしなかった。常日頃から剣を差し、いつも持ち歩いていたわけでもない。最高位の魔法具はいわば神の分身のようなもので、身につけるとその者とひとつになり、からだの中に取り込まれる、と言われている」
じゃあ、あの剣は、魔法具だったのか。指を触れた瞬間に消えた。
あの煙を吸い込んで意識が朦朧としていたせいで、はっきり憶えていないが、触れた指先から自分のからだの中に吸い込まれたようにも見えた。何かがからだの中に入ってきた感覚も、痛みもなにも感じなかったが。触れた瞬間に水のように形を失ってから消えたのだ。
そしてその直後、屋内なのに風が吹き始めた。
「たいていの魔道具はその剣とか、弓などの武器や杖、あるいは宝石や指輪とか腕輪など、その類いの装飾品じゃ。外見はの。魔法の道具、だけでなく魔法の宝物、魔宝具とも言うからの」
「レーネは若い頃は恐ろしい魔法使いじゃった。本当に風の神さまから直接魔法の力を貰ったのかもしれん。それが剣、風の神イヴェダの持つ剣そのものだったとしたら、大変なことじゃ」
思わず唾を飲み込みそうになる。なんとか堪えた。
この動揺を、興奮を、周りの者に悟られないようにしないといけない。
「おまえが言っていた、レーネが死んでから燃え始めた色のない炎というのは、その魔法の力がレーネの外に出てきたものじゃろう。暖炉の炎と合わさると急に火の勢いが強くなった、というのがその証じゃ。風が吹けば火はよく燃えるからの」
誰にも気づかれないよう、小さく細く息を吐く。
まだだ。今はまだ我慢だ。後で調べてみよう。自分が風の魔法を使えるのか、ひとりで、誰にも見られないように。
ファーロの解釈も自分にとっては非常に都合のいいものだった。蛇と剣、風が吹いたことを黙っていたのは正解だった。もしそのことを話していたら、自分がレーネの風の魔法を継承した者だと見なされただろう。そうなれば、おそらくかなり厄介なことになっただろう。
レーネが魔法具を身につけてないか調べ、何もないと知ると頭をかち割る、と言い出したこともこれで説明がつく。最上の魔法具とやらがからだの中に取り込まれるというのなら、確かにその中を調べたくなるだろう。もちろん、あの時点でそんなものは自分のからだの中にはなかったのだが。
「あの魔女がぼくの頭を割って、中を調べようとしたのも、そういうことかな」
「そうじゃな。おまえが魔道具を身につけていなかったから、からだの中にそれがあると考えたんじゃろう」
「あたまの中を見て、魔道具があるなんて、わかるものなのかな?」
例えば何か新しい器官ができているとか。漫画や小説などではよくある話だ。
「それは儂にもわからん。レーネならわかったんじゃなかろうか」
ファーロは少し投げやりな感じで言った。あまりに荒唐無稽で、どうでもいい話だ、という感じに聞こえた。他にこの場で魔道具が体内に取り込まれる、人と一体化することについて詳しく知る者はいないようだ。エクトルも黙ったままだ。
少しの間、場に沈黙が訪れた。蝋燭の火が、男たちの表情をより重くしている。これ以上質問を重ねるのは憚れる空気もあったが、どうしても、もうひとつだけ聞きたいことがあった。
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