森の魔女 3


 気づくと、何か固い物の上に寝かされていた。梁が剥き出しになった天井が見える。

 視界のすみに見える窓の外は暗くなっていた。

 すぐに記憶が戻ってきた。意識を失ってからだいぶ時間が経ったようだ。

 テーブルの上に、仰向けにからだを縛りつけられていた。大の字のような形で両手、両足が縛られている。縄はテーブルの足にわたされいるようだ。

 なんでこんなことになってる。

「気がついたかえ」

 老婆の声がした。頭を持ち上げて前を見ると、小さな壺を両手で抱えテーブルの前に立っていた。

「何が、なんで」

「おまえはあやしい。ちょっと調べさせてもらおうと思ってな。一度眠ってもらった」

「は?何を」

 言いながら、からだを動かす。テーブルがガタガタと音を立て揺れるが、縄でしっかりと結ばれて両手両足はまったく動かない。自分が眠っている間にテーブルの上に寝かせ、縛りつけたのか。いくら子供のからだとはいえ、年寄りの割には力がある。

「俺を縛って、何をする気だ」

 これはとってもやばいんじゃないか。ぞくっと寒気がした。もう子供のふりをしてる場合じゃない。

「おまえが眠っておる間に、身につけているものをあらためさせてもらった」

「何をだ。俺はあやしいものは何も持ってない」

「そうじゃな」

 地を出して睨みつけてやる。

「何を調べた。なぜこんなことをする。教えろ。言ってみろ」

 今まで表情のよくわからなかった老婆が、はじめて笑ったように見えた。口の両端が上にひん曲がる。

「それがおまえの正体か。おまえは何者じゃ」

「いいから答えろ。場合によっちゃあ、教えてやるぞ」

 しばらくにらみ合いがつづく。

「ふん。ほんとうは何もかも知っていてとぼけているのではないか」

 皺の奥から、細くすぼめられた目にはっきりとわかる皮肉な色が浮かんだ。

「魔法具じゃ。魔法具を持っていないか調べさせてもらった。まだ子どもなのに、おまえの頭の良さはおかしい。そのふてぶてしい態度もな」

「魔法具?どういうことだ…そうか、いや、人の知能をあげるようなものが…」

「知能…そんな王都のえらい学者が使うような言葉、よう知っておるな」

「その知能とやらをどうやってあげているのか、それをこれから調べるのじゃ。おまえの頭をかち割ってな。頭の中を覗いて何もなければ心の臓を調べる」

「はぁ?」

 こいつ何を言ってる。

「婆さん、あんた頭がおかしいんじゃないか」

「ひひひ」

 老婆は声を立てて笑った。抜けた歯の間からか肺が悪いのか、すーひーと、耳障りな音が同時に聞こえてきた。

「魔法具を身につけていないのなら、それはからだの中にあるんじゃ」

「ふざけるな。頭の中なんて、頭蓋骨があって脳みそがあるだけだ。そんなことやめるんだ、なんの意味もないぞ」

 まずいなんてもんじゃない。殺される。全力で暴れる。テーブルが激しく揺れる。だがきつくしばられた縄はびくともしない。全身から汗が吹き出す。

「暴れるでないわ」

 皺だらけの顔から笑顔が消え、厳しい表情になった。

「ひとのからだのこともよう知っておるの。別に何も見つからなくてもかまわん。どうせおまえを殺せば、その力は手に入る」

 老婆は右手を壺の上にかざした。

「もうおしゃべりはおわりじゃ。もっともっと深い眠りに落ちてもらう。からだを切り刻んでも起きないようにな」

 このババァ!顎を上げ、顔をできるだけ窓に向けて叫ぶ。

「父さん!助けて!」

「無駄じゃ。外にはいくら叫ぼうが聞こえん」

 老婆が右手を壺にかざしたまま何か小声で呟くと、青い、紫色の煙がその壺から薄くたちあがり始めた。同時に、室内なのに微かに風が吹きつけてくる。紫煙がこちらになびいてくる。

 無臭だが鼻の奥につーんとくる刺激がくる。本能がこの煙はまずいと訴えてくる。腕を上げ足を突っ張り、からだをひねり揚げ、全身を力の限り動かす。もう暴れ続けるしかない。

 テーブルがミシッと大きな音をたてた。背中越しにテーブルの天板が軋み、張り合わせた板がすこしだが割れたように感じた。いけるかもしれない。

 両腕を上に突っ張り、腰と足で天板を叩くように激しく動く。紫煙が見た目にも濃くなっていき、意識が朦朧とし始めたその瞬間、テーブルが激しくグラつき、大きな音をたてて左足の方から傾き始めた。テーブルの脚が折れたのだ。

 なかば無意識に、本能的にからだが動いた。足首から先はテーブルの外にでている。傾き始め、爪先が床についた瞬間にからだを前へ思いっきり倒し、テーブルをはね上げて、背負い投げのように自分のからだごと前へ投げつけた。投げる時に左足を軸にからだをひねった。老婆にテーブルの天板の縁がぶつかるように。

「ギッ」

 激しい音とともに視界がまわる。

 倒れたテーブルにぶら下がるようにして、からだが横倒しになった。目の前に仰向けに倒れた老婆のからだがある。首を上へひねり上げ、老婆の顔を見る。口を半開きにし、同じく開いたままの瞳に光がない。瞬きもしない。白髪の広がった頭の下から、黒い液体が広がり始めた。血だ。

 老婆は死んだ。

 衰えながらも今まで生きていた、動いていたその肉体はただの物になった。前世で何度か人の死に立ち会ってきたからわかる。

 助かった。なんとか最大の危機は脱したのだ。

 緊張が解けるとまた意識が朦朧としてくる。

 紫煙を吐き出していた壺は老婆の死体の向こう側に転がっている。もう煙はでていないが、さっきはだいぶ煙を吸い込んでしまった。

 朦朧とする意識を奮い立たせてからだを動かす。縄がゆるみ、右腕が抜けた。これでテーブルの脚が折れて縄が解けた左足と右腕が自由になった。体重がかかって痛みが走る左腕の縄を解こうとするが、片手で、子供の力ではうまくいかない。

 縄を掴み、しごき、苦戦していると視界の端に何か揺らめくものが見えた。

 老婆の死体から無色の、半透明の炎のようなものがゆらめき立っている。黒い魔女の衣服が燃えるようにして焦げつき、裂け、灰になっていった。まさしく炎だ、今までみたことのない。

 骸になったミイラのような老婆のからだも焼けていく。炎にあぶられ死体はかさかさになり、紙のようにひしゃげていく。

 すると、裂けはじめた胸のあたりから、がさがさと何かが蠢く気配がした。どこに潜んでいたのか褐色の蛇が顔を出す。蛇は頭を上に向けると大きくその顎を開いた。目に光がなく、皮にもツヤがなく、何かつくりもののようだ。ひと息おいて、開いた口から音もなく、刃がせり上がってきた。それは諸刃の剣だった。曲がりくねる蛇のからだのどこに入っていたのか。

 失いそうになる意識が幻覚を見せているのだろうか。しばらくの間、呆然とただその目の前の光景を見ていたと思う。やがてふと、この剣で縄を切ることを思いつき、剣を取ろうとした。なぜか垂直に立ち続けるその剣の握りの方へ手を伸ばす。指先が触れた瞬間、剣は透明になり、水のように形が崩れ消えてしまった。

 蛇も曲がりくねった木の枝のように形を失い、無色の炎のゆらめきに崩れ落ち、やがて老婆の死体とともに灰になっていった。

 なんだったんだ。

 縄を切れると思ったのに。そもそもなぜ蛇が現れ、その口から剣が出てくるのか。

 一瞬落胆しかけると、身の回りの空気が大きく揺らぎ、風になって部屋の中いっぱいに渦を巻き始めた。暖炉の炎が風に煽られ、激しくゆらめきながら部屋の中へ吹き出す。窓ガラスがガタガタと鳴った。

 消えかかっていた無色の不思議な炎も風に煽られ、部屋いっぱいに広がっていく。暖炉から吹き出る炎と交わると、黄いろく色づいてふつうの色の炎になり、部屋全体に燃え広がった。

 まずい。せっかく魔女の死の手から逃れたのに。今度は焼死か。

 左手に巻きついた縄を必死で掻き毟る。引っぱる。子供の腕力では、片手ではびくともしない。部屋の中を吹き荒れる風はますます強くなっていく。炎は消えるどころかより激しく燃え盛り、渦巻く風の底を床づたいに、嘗めるようにこちらに近づいてくる。

 なぜ室内なのにこんなに強く風が吹く。結局ここで死ぬのか。生まれ変わってまだ十歳にもならないのに。

 なぜか前世の家族の、妻や子らの顔が浮かんだ。

 その時、背後で大きな音がした。強風に扉が吹き飛んだのか。

 そして人の足音。

 頭上からエルスが顔を出した。

「イシュル、大丈夫か!」

 よかった。

 家族の顔がひとつに合わさり、エルスの顔に重なった。

 父が助けにきてくれたのだった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る