森の魔女 1

 

 翌年の秋、村でちょっとした事件があった。

 収穫が終わり、隣村のセウタ村に税を納めに行った一行が帰ってきたのだが、帰る途中で賊の襲撃に遭い、セウタ村で納税後に購入した物品などは守り通したものの、数名が怪我をし、一人犠牲者が出てしまった。

 村は大騒ぎになり、メリリュの母親から知らされたルーシが大慌てで家を出て行った。

 今年もエルスがその一行に加わっていた。イシュルはルセルの面倒を見なければならず、いっしょにいけなかった。幸いエルスは怪我もせず無事だった。

 賊は十名ほどで、ベルシュ村とセウタ村のちょうど中間の、草原に雑木林が点在するあたりで、その雑木林に隠れていきなり襲ってきたらしい。まず弓矢が林の中から放たれ、続いて剣や槍で武装したみすぼらしい、汚れた風体の男たちが打ちかかってきて、村の護衛の男たちと斬り合いになった。

 賊は素人の集団なのか専門の盗賊団のように強くはなく、連携も今ひとつで、なんとか撃退できたが人数は多く、味方にも死傷者が出てしまったということだった。

 今年は冷夏でやや不作、王国の北の方に住む小部族から、貧窮した者が南下してきて襲ってきたのではないか、というのが村の大人たちの見立てだ。

 すぐにベルシュ家では馬を出し、乗馬の巧みな若い家人に騎乗させ、セウタ村に分屯する騎士団の詰め所に知らせた。

 葬儀にはエルスもいっしょに護衛していたということで、家族ともども参列することになった。村の神殿の奥をしばらく歩いた先に共同墓地があった。敷地にはいくつかの石碑が立っていて、碑には一族の家名が書いてあるものもある。遺体は三日月と杯の絵が描かれた布に包まれ、そのうちのひとつの石碑の前の地面を掘って、体育座りのような格好で埋葬された。死者の家族の者が月の女神レーリアに祈りを捧げると、皆無言で去っていた。

 帰りし、イシュルはベルシュ家の墓を見つけると、前から気にかかっていたことをエルスに聞いてみた。

「お爺ちゃんとお婆ちゃんのお墓はこれかな?」

 ふたりとももう亡くなっていることは聞いている。

「お婆ちゃんはおまえが生まれる少し前に亡くなった」

 エルスは一瞬、ルーシの顔色を伺うように目線を走らせると、

「お爺ちゃんは、爺ちゃんも、税を納めに行った時同じように食いっぱぐれた連中に襲われてな。その傷が直らずに、しばらくして死んでしまったんだ」

と、その時の悔しい想いを思い出したのか、顔を少し苦しそうに歪めて言った。

 ルーシはルセルの手をひき、何も言わない。ルセルは不安そうな顔をしている。

「父さんがまだ小さいころの話しさ」

 エルスが家族の暗い雰囲気を察して、無理に笑顔をつくって言った。

 そんなことがあったのか。

 イシュルがこの世界で始めて知った身近な人の死だった。

 それからイシュルは朝に家の仕事、井戸から水を汲み、家で飼っているニワトリもどきの水替えや鳥小屋の掃除、薪運びなどを終えたあと、午後から両親を手伝いに畑に出る前の、わずかな時間だが毎日、父からもらった木剣で素振りをするようになった。

 やはりエルスは専門的な剣術は知らないようで、イシュルが尋ねても、剣の持ち方や、扱い方など基本的なことしか教えてもらえなかった。

「今度は剣術か。イシュルは騎士にでもなりたいのか?」

 イシュルが剣術を習いたい、というとエルスは苦笑して言った。

 読み書きを習い、次に剣術を、となるとそう思われても仕方ないのかもしれない。

「騎士になりたいとは思わないよ。でも、強くなることに越したことはないよ」

 イシュルが真面目な顔で返すと、エルスは先日の事件と祖父の死を話したことを思いだしたのか、真面目な顔になった。

「エリスタールの騎士団には強いやつもいるだろう。王都にいけば剣術を専門に教えてくれる剣士もいると思うけど、そこまでして習いたいのか?」

「元は騎士爵を持っていた一族だ、といえなくもないが、今はただの農家だしな。金もかかるが、王都で剣術を習うにはそれなりの家柄でないと」

 父の言うことはもっともな事だ。イシュルはただの農民の子にすぎない。

 農村では剣術を専門にならう、ということはない。少なくともベルシュ村ではそうだ。近隣の村やエリスタールからも農民が組織的に訓練をしたりとか、高名な剣士が道場を構えて教えているなどという話は聞えてこない。

 昔の日本のような無数の流派もない。そんな話は聞いたことも読んだこともない。世が乱れれば農民や町民でも剣術をならう、というようなこともおそらくないのだろう。せいぜい村や街ごとに、父から子へ、経験則のようなものが伝われてきた程度だろう。

「毎日素振りをかかさずにやって、鍛えるしかない。腰を入れて、手で剣を振るな」

「打ち降ろしたら、剣先をしっかり止めること。いざ真剣で戦うときに剣が止まらず、

地面に剣先を刺したり、自分の足の爪先を斬ってしまうぞ」

「剣を振った後の、返しと引きの早さが大事だ」

「相手が防具をつけていたら、剣先で相手の首を突け」

 父が教えてくれたことといえばそれくらいだ。

 毎日素振りをするのは後々ためになるとしても、なんの工夫もしないのでは上達するのに時間も余計にかかるだろうし、すぐにその限界がくるような気がする。

 かといって、専門に習う人は周りにいないし、村ではふたりで対戦したり、試合をしたり、というような稽古もやっていないようだ。

 ベルシュ家では家人もいて、何人かで対戦方式で稽古もしているかもしれないが、八歳の子どもが混ぜてくれ、といってもおそらく断られるだろう。読み書きを習うのとは違う。親父に教えてもらえ、で済まされるだろう。そもそも騎士でも貴族でもない、農民は作物を育てるのが仕事なのだ。

 で、結局、まだからだの小さな子供だし、片手剣を両手剣がわりにして稽古をすることにし、人目を盗んで、ということになるかもしれないが、前世の剣道の型を練習することにした。

 前世では高校の時に二年間、体育の選択科目で剣道をやった。何年もの間道場に通った者、有段者などからみれば初心者同然だが、それでも、面、胴、小手、突きなどの基本の型はしっかり覚えている。

 すり足の動き、そしてそこからの面打や突きなど、相手から見ればいきなり剣の間合いの外から飛びかかるように向かってこられたら、たとえ剣術に覚えのある者でも最初はとまどうだろう。

 普段、人と戦うことがない農民にとって、相手と剣を合わすときは本気で殺し合うような、自分の命を守らなければならない状況だ。騎士などと違って同じ相手と稽古を重ねる、などということはない。戦う時はほぼ、初見の相手ということになるだろう。逃さなければ、殺してしまえばその相手と二度と勝負することはない。一度目は躱せなかったが二度目は躱せた、という話にはならない。

 この世界に剣道、というより日本の江戸時代までの武術やそれに類する流派がないのなら、その戦い方を知る者はいない。常に最初の一撃は奇襲になる。剣道の型を繰り返し練習し、その技を磨けば、経験や体格の差を覆す有効な手だてになるのではないだろうか。

 木剣を振るようになってしばらく経つと、家の裏手に父が大人の肩くらいの高さの木の杭を立ててくれた。それからはその杭に向かって打ち込む日々が続いた。

 特に多く練習したのは小手打ちである。

 まだ八歳だが、同い年ではやや小柄な方だ。両親を見る限り、大人になって成長しても、そう大きなからだにはならないだろう。村に来る行商にときどきついてくる護衛の男たちのような、上背のある大きな体格にはなりそうにない。あのような男たちとまともに戦っても勝てはしないだろう。まずリーチが違うので、たとえ同じ刃長の剣であっても先に剣先が届くのは相手の方になる。力も違うので、先に打ち込まれたら剣で受けても、剣を落としてしまうかそのままからだごと吹き飛ばされるだろう。

 こちらが先に相手に剣先をつけ、相手の攻撃も封ずるにはどうしたらいいだろう。

 それでもっも有効なのは小手打ちではないかと考えたのである。剣道の型なら間合いのかなり外から一気に距離を詰められる。そして小手打ちなら相手の間合いに深く入らずに攻撃をかけられる。相手が篭手を着けていなければ一撃で戦闘不能に追い込める。着けていても打撃の衝撃は伝わる。剣を取り落とすか、手首が痺れるとか、少なくとも筋や骨に鋭い痛みをともなう打撃は与えられる筈だ。

 相手が片手剣に盾の組み合わせの場合だが、これはセオリー通り、下段から相手の踏み出している足をねらうしかない。フェイントで足の膝をねらい、盾で防ぐ動作を誘って擦りあげるように切り返し、露出した相手の上半身に突きを入れる。そんなところだろうか。

 小手打ちに続いて下段からの、擦りあげるように逆袈裟で切り上げる動作や、低い姿勢での突きにも多くの時間を練習にさいた。



 その日も家の裏で木剣を振っていると、表の方から同じ年頃の子供たちがぞろぞろとやって来た。

「イシュル、そんなことやってないでいっしょに遊ぼうぜ」

 子供たちの中でボス格になっているイザークが声をかけてきた。

 イシュルは額に流れる汗を拭うと振り向いた。上はイザークから、八歳くらいの男の子らを中心に、まだ五、六歳の小さな子供たちも混ざっている。

 木剣を振りはじめてから一年近く、今は収穫前のひと息つける時期だ。大きくなるに従い、家事や農事、狩りなど覚えることが多くなり、家の手伝いも増える。十二、三歳くらいになれば、大人たちと変わらない労働をするようになる。これから子供たちで集まってみんなで遊ぶ機会も減っていくだろう。

「いいよ。何するんだ?」

 イシュルは答えるとイザークの方へ寄っていく。すると小さな子供たちの固まっているあたりで身を縮みこませ、隣の子に身を隠すようにする子どもがいる。ルセルだった。

「ルセル」

 大きな子の影になっていたのか気づかなかった。

「おまえもいたのか」

「うん。ぼくもいっしょに行っていいでしょ」

 イシュルの中身は前世に生きた分も含めればもう四十過ぎの中年、分別ざかりのいい年をした大人である。ルセルの面倒もよくみてきたが、そこには三歳上の兄とはとても思えない、大人のような言動が隠そうとしても端々に現れた。ルセルにとってイシュルはいわばもうひとりの父親だった。それも小うるさいタイプの。

 五歳の子供が十歳くらいの子供たちと遊ぶときにはその内容によっては怪我をすることだってある。ルセルはそこら辺のこともわかっていて、最初はイシュルから身をかくすような事をし、見つかってからはいっしょに遊びたい、と訴えてきたのだった。

 イザークがイシュルの耳もとに顔を寄せてきて言った。

「ダルレさんのところの先の、森の入り口あたりで面白そうなもん見つけてさ。イシュルにも見てもらいたいんだ」

 ダルレさんというのは、村の北側で牧畜を主にやっている家のひとつだ。あそこら辺では森に近いところに住んでいた筈だ。

「なんだそれは?」

「それは着いてからな」

 で、小さな子供らも引き連れて、ちょっとした村の散策をすることになった。木の棒で打ち合う剣士ごっことか、川の方へ行って遊んだりとか、危険なことがなければかまわないだろう。

 同じ年頃の子らとそれほど積極的に遊ぶ方ではない、村でもとびきり頭のいい子供と思われているイシュルにわざわざ声をかけてきたのだから、村では見かけない何か変わったものでも見つけたのだろう。イシュルの意見が聞きたいのだ。

 残暑のまだ残る日中、七、八人の子供らが村の東端、森の始まる際に続く小道を歩いていった。

 ダルレの家を過ぎると左手には牧草地が広がり、近くには人家も見えなくなった。右手には時々草地をはさみながら、ずっと雑木林が続いている。まだ木々のそれほど密度の濃くない、雑木林のさらに奥へと進めば、やがて昼間でもあまり陽のささない暗く深い森になっていく。

 なおもしばらく歩き続けると、その森の方へと、右に曲がる道が木々の間から現れた。猟師道などではない。馬や荷車が通るのに充分な道幅があり、ゆるやかに曲がりながら、奥の方まで続いている。

 こんな道があったのか。

 村の子供らは親の手を離れ、自分たちだけで遊べるようになると、よく村の中を外縁部まで歩き回って遊ぶようになる。小川や廃屋など面白そうな場所を見つけたり、ちょっとした冒険気分が味わえるからだが、村とその近隣の地形を覚え、どんな村人がいて、どんな仕事をしているのか知ることにも役だつ。

 イシュルもみんなと、ひとりでもよく歩きまわったものだが、この道は知らなかった。森は村の南側を流れる川とともに、大人たちから子供たちだけでは近づくな、遊ぶな、と口をすっぱくして何度も注意されてきた場所だから、今までそれほど歩きまわることはしなかったから、知らないことの多い、子供たちの遊びには縁のない場所だった。

 「猟師道などではないな。木の切り出しにでも使ってるんだろうか」

 独り言のように言ったイシュルの大人びた言葉に、周りの子供らは目を丸くしている。

 森へと続く道は曲がっている。材木を運ぶためにつくった道とは思われない。

 目を牧草地の方にやる。道の反対側に窪地などがあれば、もとは小川が流れていたのではないかと考えたのだが、そのような地形ではない。

「とにかく、奥に行こうぜ」

 イザークが声をかけてきた。先に何かあるのだろう。彼はそれを知っているらしい。

「いいのか。おまえの父さんに知られたら、またこっぴどく叱られるぞ」

 今度はイシュルがイザークの耳もとに口を寄せて話す。

「いいって」

 イザークはまったく気にする風もなくこたえる。父親に怒られても怖くない、と強がってみせたい年頃なのだ。

 道を曲がった先に、早くもそれ、イザークが見せたい、と言っていたものが見えてきた。

 それは道を塞ぐ、太い丸太で組まれた門、というよりは人の立ち入りを拒む、まるで砦の一部のような頑丈な柵だった。

「これは…」

 先程までの暑気はどこへいったのか、かなり気温が下がったような気がする。門構えはかなり威圧的で子供の視線からはかなり大きく見えた。

 高さは平屋の屋根くらいまであり、丸太には所々に鉄輪がはめられ、その丸太どうしが太い縄で幾重にも縛りつけられ組み上げられていた。頑丈な柵は、道の両側の雑木林のかなり奥まで続いているようだった。門の扉は馬が2頭、横に並んで通り抜けられるほどの幅があり、表面は端を鉄枠で囲われた木の板で覆われている。片側の観音開きで、把手には横の柱から渡した鉄の鎖が結びつけられていた。

「凄いだろ?」

 イザークが勝ち誇ったように胸を張ってみせる。

 周りの子らは、ニコニコしている余裕のある子と、驚き、少し不安そうにしている子らと、半々くらいだ。余裕のある子は以前にイザークといっしょに来たことがあるのだろう。

「なんでこんなところに…」

「おまえにもわからないか」

「この奥に、何かあるんだろう。それが何なのか」

 イザークがニヤつきながら囁くように言ってくる。

「なぁ、この門の奥まで行ってみようぜ。俺らなら、この輪っかに足をかけて柵の上まで登れる」

 イザークは丸太に等間隔ではめられている鉄輪に足をかけ、途中まで登ってみせた。

 確かにこの柵を超えるのは難しくはないだろうが、ルセルら小さい子らにはちょっと厳しい。危険だ。

 危険といえば、この奥に何があるのか、それが危険なものなのかどうか、とても気になる。

 どうせ両親や、大人たちに聞いても教えてはくれないだろう。逆に怒られ、ここに近づくことを禁止されるだろう。この門構えにはそんな重たい雰囲気がある。

 ルセルたちには固く口止めし、親にはもちろん内緒で、イザークらと同じ年頃の連中だけで後日行くべきか。

 そんなことを考えていると突然、後ろから野太い大人の声がした。

「おまえたち、そこで何をしている」

 振り向くと、隣の家に住む、猟師のポーロが肩をいからせ、険しい表情で立っていた。




  







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