村の生活、村の老人 4

 魔法使いはほんとうにいるのか? 伝説上の存在ではないのか。

 ファーロの表情が怖い。

「魔法使いって、ほんとにいるの?」

 ファーロの強い視線をなんとか受け流し、とぼけた感じで逆に問い返す。

 なぜ知っている?などと聞かれても正直には答えられない。とりあえず、こちらに向けられた疑惑をそらすしかない。

「魔法使いなど滅多にお目にかかれん。特にこんな田舎ではな。王都にいけば宮廷魔導士というのがおる。王様に仕える魔法使いじゃな」

 意識してかしてないでか、ファーロは先の疑惑を流し、イシュルの質問に答えてくれた。

「ふーん」

 ファーロにこれ以上不審に思われてはまずい。

 たっぷり子どもらしさを演出して首を傾け、目線を斜め上にしてしばらく考える素振りを見せてから、さらに質問を重ねる。

「魔法使いって、どんな人がなるの?ぼくもなれるかなぁ」

 ファーロは少し表情を緩め、

「誰でもかんたんになれるもんじゃない。おまえも魔法使いにはなれん」

 そしてまた少し怖い表情になり、

「魔法使いなんぞになりたい、なんてけっして考えてはいかんぞ。もし魔法使いに会うようなことがあっても近づいてはいかん。怖い人たちじゃ」と言った。

 魔法使いは実在はするが、希少で、子どもを脅しつけて遠ざけようとするような存在か。

「次の項を見なさい」

 ひと息ついて、ファーロが声をかけてきた。今度はこちらがそらされたか。

 次のページをめくると今度はいろいろな動物が現れた。牛や豚などの家畜、狼や熊などの動物、そして右隅にドラゴン。キメラだろうか?みたことのない動物に、人型の悪魔のようなものまで描かれていた。

「ドラゴン!」

 思わず叫んでしまった。

「おまえはほんとうに良く知っておるな。エルスにでも聞いたか?」

 ファーロはひとつ頷くと、それらの、前の世界では実在しなかった伝説上の生き物の絵を指さし、

「これらはな、魔物じゃ。魔獣ともいって魔法も使い、狼や熊よりはるかに強い」

「とっても恐ろしい化け物じゃが、ここらへんには滅多に現れん。もっと南の山奥に住んでおるからの」

 やさしい表情をつくって、安心させるように言ってきた。

 魔法使いどころかドラゴンとか、キメラとかまで本当に実在するというのか。

 そしてファーロの柔和な表情。

 魔法使いを知っていたことには神経質な反応を見せたのに、ドラゴンを知っていたことには不審をいだいていないようだ。エルスに聞いたか?で済ませてしまった。

 魔物はいいが、魔法使いは駄目なのか。

 とりあえず、また子どもらしい表情を取り繕い、質問を続ける。

「すごい。見てみたいな。山奥にいるの?南ってどこらへんだろう?」

「うむ、儂も見てみたいものだが」とファーロは苦笑しながら答え、巻き紙の束が積み重なっているところにいき、中から大きめの、古そうな巻き紙をひとつ抜き取ってそれを机の上に広げた。地図だった。

「これは地図、というものじゃ。どこにどんな山や川、街や国があるのか、それを絵図にしたもんじゃな。少し早いかもしれんがおまえには見せてやろう」

 魔法使い、魔法、魔物、ドラゴン、ファーロの不審に自身の驚愕。ちょっと混乱気味だったが、思わぬ機会が訪れた。こんなに早く目にできるとは思わなかった。

 息を吐き出し、まずは地図全体をぼんやりと眺める。 

 体裁は昔のヨーロッパの地図と同じようなものだ。

 山々や川が描かれ、いたるところに地名が書かれている。地図の東側一面にはたくさんの山々が描かれ、いくつかの川が描かれている。お城や塔の絵が描かれているところもある。絵のとおり王や貴族の居城があるだけでなく、大きな街、都市であることも表しているのだろう。

 地図の北側にはたくさんの木が描かれ、西側と南側の端には海があり、いくつかの島が描かれている。南側の海はそのすぐ南に再び陸地が少し描かれていて、海は東西に細長く、地中海や瀬戸内海のような内海のようだ。

 前世の、世界にこれと似たような地形はない。

「ここら辺が儂らの住む国、ラディスだ。ラディス王国という。知っておるか?」

 ファーロが地図の中心よりやや右上、北東の方を指さして聞いてきた。

 国境線などは描かれていない。

 頷くと、ここが王都、ここら辺がベルシュ村と指さして、つつっと南の方に指をすべらせ、

「魔物がよく現れるのはここらへんじゃな」と言った。

 ラディス王国の南、その東の山々の絵が描かれたあたりだ。その西の平地になったあたりにひときわ大きな塔の絵が描かれているところがある。

「ここは?」と聞くと、

「そこは聖王国、オルスト聖王国の都じゃ。エストフォルという。この前お祈りした聖堂教の総本山がある大きな街じゃ。聖堂教会の一番大きな神殿がある、ということだの」

「ここの国の人がドラゴンと戦うの?」

「うーむ」といってファーロは腕を組んだ。

「魔物は滅多に人里に降りてこんが、出てくればその国の騎士や魔法使いらが戦うのじゃろう。あまりたくさんはおらんが、魔物を狩る生業の者もいる」

「!!」

 魔法使いに魔物、次は魔物を狩る者……ファンタジーの、ゲームの世界か?

 たぶん驚きがそのまま顔に出たのだろう。ファーロはまた苦笑し、

「まぁ儂らには関係のない話じゃ。ものすごく強いやつらか、悪いことをして身を持ち崩したやつらだからの。おまえはそんな者にはなってはいかん」と言った。

「その人たちはなんて言うの? 冒険者とか?」

「冒険者? おまえは変な言葉を知っておるの。たしかにドラゴンと戦うなどおとぎ話、冒険譚そのものじゃが」と独り言のようにいい、

「賞金稼ぎや傭兵、ハンターとか言われている。わかるかの? ちょっと難しい言葉じゃが」

と言って、机から離れすぐ目の前に立ち、こちらを見下ろしながら、

「最初の方の、ひと文字ずつ字が書いてあったところを開けなさい」と、一方的に話を打ち切ってきた。

 賞金稼ぎに傭兵か。確かに小さな子どもに詳しい話をしたくない事柄なのはわかるのだが。



 その後はその教本の最初の方にあった、アルファベットのようなものの読み方を教わり、「あいうえおかきくけこ…」とか「いろはにほへとちりぬるを…」みたいに節を覚えさせられた。

 魔物の描かれたページの後にも、食物や草木、お城や神殿、家などの絵が描かれたページなどまだ何ページか続いていたが、もうそれに触れることはなかった。

 そして「その本は貸してやる。大事にせえよ」と、しばらくの間貸してもらえることになり、その最初の方の、文字の並んだ項を何度も読んで、暗唱できるようになるように言われて、その日はお開きになった。

 廊下に出て、玄関ホールまで戻ると、入るときには見えなかった大きな鏡が正面にあった。二階へ上る階段の横の壁に掛けてあった。

 片手に本を抱えた、小さな子どもが立っていた。後ろにはファーロが立っている。

「鏡だな。知ってるだろう?」

「うん。母さんが小さいの、持ってる」

「そうか」

 その小さな子は四歳になったばかりの自分だ。こうして自分自身の全身の姿を見るのは生まれ変わって始めてのことだ。濃い茶色の髪、大きな目、ほとんど真っ黒な瞳。薄暗い室内のせいか暗く沈む、たよりなげな華奢なからだ。髪の色も瞳の色も、本当の色はもう少し明るいのだろう。なかなかかわいらしい子どもだが、暗いシルエットが弱々しく寂しげに見えた。

 ファーロに玄関先まで送ってもらい、挨拶をして外に出た。陽は傾き、夕方になっていた。

 もうすでに広場で遊んでいた子どもたちの姿はなかった。大皿にもられた豚の丸焼きの絵だけが残されていた。

 自分の家に帰る道すがら、あの、ファーロが魔法使いに示した神経質な反応について考えた。

 最初は四歳の子どもが魔法使いを知っていたことに対して、ファーロが不審をいだいたのだと思ったが、それは違った。

 いのちをかける危険な仕事、荒くれ者?ばかりだから子どもの関心を遠ざけたい、という賞金稼ぎや傭兵に示した態度と同じようにも思えるが、ファーロの魔法使いに対する反応にはもっと威圧感が、緊張感があった。賞金稼ぎや傭兵はただ単に忌避する存在、魔法使いは禁忌に触れるような存在、といった感じだろうか。

 なぜ魔法使いにはあんな反応をしたのか?

 今はまだ情報が少なく、何を考えても推察や仮定の域を出ない。今後大人になる過程でわかるような、大人になってから知らされるような事柄なのかもしれない。

 しばらくは、ファーロに魔法使いのことを質問するのもやめておいた方がいいだろう。理由を探るのは後にして、しばらく置いておくしかないだろう。

 そして、魔物の存在。

 伝説上の存在ではなくそれらが実在するというのなら、ここはまったくの異世界、ということで確定だ。

 長い時間が立たてば、過去に築いてきた文明が失われ、新しい宗教が生まれることもあるだろう。さらに何億年か時間がたてば、地球上の地形も変わっていくだろう。だが、人や動植物に見た目大きな変化がなく、魔法使いや魔物、魔法などが存在するようになったりするだろうか。

 おまえは魔法使いにはなれない、とファーロは断定した。

 ファーロは魔法使いになれるような素養を持つ者の見分けがつくのだろうか? 魔力のようなものを感じとれるとか。

 あの物言いは、どうも違うような気がする。

 例えば、魔法の素質があれば、生まれた時にその子どもに誰にでもわかるような何かの印、特徴が現れるとか、あるいは代々続いた魔法使いの血筋の生まれであるとか、魔法使いの弟子になって、何十年も修行しなければならないとか、ファーロの断定の理由を仮定するとしたらそこらへんが妥当なところだろうか。

 ドラゴンとかを見てみたい、戦ってみたいとは思うものの、その魔法使いになれて、さらにものすごく強くなければ、おそらくドラゴンと戦っても勝つのは無理だろう。ドラゴンといえば口から炎を吹いたり、強力な魔法も使ってくるだろう。あのブタの丸焼きの絵が脳裏に浮かぶ。ドラゴンが人を捕食するか知らないが、ちょっと強いくらいではあの絵のようになるだけだ。

 ドラゴンのような強力な魔物と一騎打ちできるような強さの騎士や戦士、剣士になるのはもっと大変だろう。

騎士の家柄とか関係なしに、それはそれで素晴らしい才能と長年の研鑽がなければ、とても相手にならない気がする。

 ファーロはドラゴンと戦うなどお伽話、と言っていたのだ。滅多に人前に姿を現さない、ということもあるだろうが、もしドラゴンが出てくれば騎士とか、魔法使いとかが単独ではなく、集団で戦う、その強さはおそらく軍隊が出動するようなレベルなのではないか。

 他の魔物、キメラや悪魔も強そうだった。おそらく他にもっと弱い魔物もいるんだろうが、どのみち物語にでてくるような特別な才能や力を持つ者にしか縁のない話だろう。

 自分にそんな才能はありそうにない。血のにじみ出るような努力を続ければあるいは、と考えないでもないが、肝心の教えてくれる人がいない。高名な魔法使いや剣士など、王都あたりにしかいないんじゃないか? しかも弟子になんてたやすくなれないだろう。

 やはり前に考えたとおり商人にでもなるのがいいのかもしれない。

 ルセルが生まれ、無理に自分が家を継ぐ必要はなくなった。

 エリスタールあたりにでも行って、同じ村、ベルシュ村出身の商人を探して雇ってもらい、丁稚のような商人見習いから始めたらどうだろうか。

 この村でも長男が家を継ぐことが多いようで、次男坊以下に畑を分けるなどということはあまりせず、同じ村内か隣村に婿入りの口を探すか、街に出て、職人や商人見習いになるのが一般的なようだ。村では十五歳くらいから一人前、大人として扱われるから、その前に村を出て早くから商人の見習いになり、しっかり修行させてもらって、一人前になったらより大きな商家に移るか、自分自身がなる。そうなれば仕入れや搬送、売却など取引で国外に出る機会もあるだろう。世界中を見てまわれるようになれれば最高だ。

 もしそうなれば、ドラゴンやキメラも見れるような機会があるかもしれない。

 ただ、その時は死を覚悟しなければならない状況かもしれないが。

 商人になりたいのなら、今やろうとしていること、読み書きを少しでも早く覚えることだろう。



 イシュルは家に帰ると母にせがみ、ランプに灯をともしてもらい、本の残りのページを見た。

 食物や草木、お城や神殿、家などの絵が描かれたページの後には、服や農具、武器など身の回りの物、次に暦や距離、重さ、長さなどの単位の説明、最後に簡単そうな文章で、おそらく女神ヘレスの創世神話の話がいくつかの挿絵とともに載っていた。

 両親が「ほう」とか「おや」とか茶々を入れてきて、ちょっと鬱陶しかった。

 翌日から家事を手伝う傍ら、家の前に出て、文字を木の枝で地面に書きながら、声に出して幾度も練習した。

 メリリャやイザークら村の子どもたちと遊ぶ頻度も減らした。

 しばらくするとイザークを通してファーロからお呼びがかかり、アルァベットに似た文字列の復習や、暦やいろんなものの単位を習い、その後は数日おきにファーロのもとへ通い、文法などを習った。

 ひと月もすると借りた教本の巻末の神話も読めるようになり、雪が積もる頃には新たに辞書と、教養のある大人が読むような、ベルシュ村周辺のラディス東方の地誌を借りてきて、冬ごもりの間を利用して読解できるか挑戦した。歩けるようになったルセルが何度も邪魔をしてきた。

 両親はふたりともかなり驚いていたが、特別に頭のいい子、神童と思われるくらいでむしろ好都合と思い、気にしないようにした。その方が村を出て、街にいくことに理解を示してくれると思ったからだ。

 春になり種まきが始まる頃には、イシュルは借りてきた地誌を読破し、難しい文章でもおおよそ理解できるようになった。

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