村の生活、村の老人 3

 秋の収穫時には安定期に入ったからなのか、ルーシは家事だけでなく、麦の刈り取りや脱穀など、村で共同で行う農作業にも参加した。

 エルスも休みを減らして、ポーロとよく狩りに出かけ、牧畜をやっている家の手伝いにいき、肉やミルク、チーズのような発酵乳製品を以前よりも多く家に持って帰るようになった。ルーシにしっかりと栄養を摂ってもらいたいのだろう。

 イシュルも三歳になってからは食後の後片付けを手伝ったり薪を運んだり、まだ幼くて半分邪魔してるような状態だったが、それでも少しでもルーシの負担を減らすようにがんばった。

 麦の収穫は、今年の秋も豊作だった。干ばつなどで収穫が減ることがなければ、「豊作」が常態なのだろう。三圃制なども行われていない。知られていない、というよりそもそもやる必要がないのだろう。

 エルスは、生まれてくる子どもに金が必要なのか、麦を納めにセウタに向かう時、自宅の裏で飼っている、まだ山鳥のような野生の感じが残るニワトリを三羽ほど、足を紐で縛って持っていった。

 冬を越し、春になるころ、ルーシは無事出産した。男の子だった。

 産婆はイシュルの家の近くに住む、メリリャの祖母にあたるお婆さんがつとめた。村ではとくに専門で産婆をやっている人はいないらしい。

 生まれた男の子、イシュルの弟はルセルと名付けられた。

 産後、次の日には早くもルーシは床から離れ、ルセルを抱えながら家事をやり始めた。イシュルがせがむと布に包まった赤ん坊を見せてくれたが、彼の気持ちは喜びも半分、複雑なものだった。前世の、彼の子どもたちのことを思い出さずにはいられなかったからだ。

 何事も無くその年も暮れ、新しい年が明け、ルセルも病気ひとつせず、すくすくと育ち穏やかに時が過ぎていった。

 イシュルが四歳になった秋も終わる頃、彼はある決意を胸にいだいて、ひとりベルシュ家に向かった。

 彼の大伯父であるファーロに会いにいくためだ。

 文字を、読み書きを教えてもらえるようお願いするために。

 彼は一刻も早く、読み書きを覚えたかった。四歳になって、そろそろ親に読み書きを習いたいと頼んでもおかしくは思われないだろうと、両親に早速訊いてみたが、ふたりとも自分の名前とかんたんな手紙の読み書きがやっと、ベルシュ家のファーロや現当主であるエクトルなら難しい文章の読み書きもしっかりでき、イシュルに教えてくれるかもしれない、と薦めてくれたのだった。

 もと下級貴族であったベルシュ家なら、なんらかの書籍や教本のたぐいもあるだろう。秋の祭事も終わり農閑期に入った今なら、当主であるエクトルは忙しくても、隠居の身であるファーロならイシュルに時間を割いてくれるかも、と考えたのだった。

  エルスもルーシも、別に読み書きを覚える必要はないとか、それより家のことを手伝えとか、イシュルの意志に異を唱えることはなかった。もっと小さな頃から何にでも興味を示し、いろいろと質問してくる好奇心の旺盛で頭の良さそうなわが子が、文字の読み書きを習いたいと、いつか言い出すのもおかしくはないと考えていたのだろう。

 今まで、ベルシュ家へは何度もひとりで行ったことがあったが、今日はいつもと違い、イシュルは少し緊張していた。

 両親はよくても、大伯父からはおまえは読み書きを覚える必要はない、などと言われるかもしれない。そうなるといささか面倒なことになるかもしれない。他に読み書きを教えてくれるような人は村にはおそらくいないだろうから。

 とぼとぼと村の中心部へ向かういつもの道を歩く。四歳の子どもがひとり畑の中の道を行く姿は、端から見ればさぞ心細く見えることだろう。

 ベルシュ家の館を覆う木々は赤く色づき、紅葉まっさかりだ。晩秋ではあるが中天にある陽はまだ力強く、木々の間に見える小さな塔の尖った屋根が光って見えた。

 館の敷地に入ると、広場の隅で数人の子どもたちが遊んでいた。メリリャとイザークもいる。みな頭を寄せて屈んで、石や木の枝を持って地面に何か描いている。

 イシュルとメリリャも四歳になると、イザークとともにもう少し歳が上の子どもたちといっしょに遊ぶことが増えてきた。

 メリリャが目ざとく館の敷地に入ってきたイシュルに気づき、笑顔を浮かべて走りよってきた。

「イシュル! いっしょに遊ぼ」

 イザークもよってきた。

「今、みんなでこの前のお祭りで出てきたブタの丸焼きの絵を描いてたんだ。おいしかったろ?おまえも描く?」

 よりによってそんなものを…まぁ豚の丸焼きは確かにすごいご馳走だったが。

「後にするね。ファーロお爺さんに会いにきたんだ」

 というと、メリリャもイザークも一瞬驚いたような顔つきになった。四歳の子どもが村の長老に直接会いに行くなんて確かにふつうじゃない。

 ふたりを置いて母屋へ歩きだす。するとイザークが追いかけてきて横から声をかけてきた。

「爺ちゃんに会いたいのか?」

「うん」

「なんで?」

「読み書きを教えてもらおうと思って」

「ええ!?」

特に隠す必要もない、と思って正直に話すと横にいっしょに歩いていたイザークも、後ろにいたメリリャも今度はほんとうに驚いた顔をした。

 母屋の玄関の前までくると、イザークが後ろからいきなりイシュルの前に回り込み、「爺ちゃん、呼んできてやるよ」と声をかけてきて重そうな扉をひとりで開け、先に中へ入って行った。

 イシュルも続いて中に入る。玄関からこの家の中に入るのは始めてかもしれない。

 中に入ると天井は吹き抜けになっていて、奥には二階に上る階段があり、小さなホールのようになっていた。前の世界と変わらない、大きな家によくある典型的なパターンだといえた。既視感たっぷりだ。

 明るい外からいきなり屋内に入ったせいか、中はうす暗く感じる。ただの農家である自分の家にはない、古い布や木の匂いがした。

 中の暗さに目が慣れた頃、奥からイザークをつれてファーロが姿を現した。生成りのシンプルな麻の服にサンダル、左肩にショールのような布をかけていた。

 ファーロはイザークとイシュルの後ろにいたメリリャに目をやり、

「お前たちは外で遊んでおいで」といった。

 ふたりは何も言わず、足早に外へ消えた。

「イシュルか。久しぶりだな。大きくなった」

 ファーロがすぐ目の前まで来て見下ろしながら言ってきた。少し怖いような真面目な顔つきだ。イザークらがさっと外へ行ってしまったのも無理はない。小さな子どもに見せる顔ではなかった。

「文字を習いたいのか」

「うん」

 臆せずファーロを見上げながらうなずく。

 中身は、転生してからの分も含めれば四十を過ぎている。さすがに子どもが感じるような大人の怖さは感じない。

 ファーロはじっとこちらを見つめてきて、微かに表情を崩すと「ついてきなさい」と言って奥へ入っていった。黙って彼の後ろについていく。

 ホールの右側、奥には長い廊下が続き、突き当たりを左に曲がるとそのまま部屋になっていて、珍しい藤製の椅子などがあり、奥に彼の書斎のような部屋あった。

 そこは、何かの細かい模様が刺繍されたタペストリーのようなものが壁にかけられ、片隅には巻き紙の束や平綴じされた書物が積まれ、木の机があり、壷や銀器を飾った棚があり、この世界に来て始めて見た教養のある人の書斎、と呼べるような部屋だった。

 何か懐かしい感じがした。生前の、何度か訪れた母方の祖父の書斎と同じような雰囲気がある。祖父は和歌が好きで、書斎には万葉集の全集や古い植物図鑑など重厚な書籍に溢れ、絵や壷が飾ってあった。

 ファーロはその部屋の片隅の、書物が乱雑に積まれた一画にいき、背を向けてしばらく書物を漁ると「これだ」といって一冊の本を渡してきた。糸で縫ったり、羊皮紙のようなものを貼付けて所々修繕された、布製の表紙の古い本だった。

 子どもにも手頃な大きさで、それほど厚くはない。

「中を見てみなさい」といわれて表紙をめくると何か書かれた、木版なのかわからないが明らかに活字で刻印された中表紙があり、それをめくると、序文のようなこれも活字の文章、そしてアルファベットのような文字が三十字ほど並んでいた。村の井戸の横の石碑に刻んであった文字も、その中に見つけることができた。

「それが文字じゃな。その文字を幾重にも組み合わせて、文章にする。わかるか」

ファーロが聞いてきた。

「うん。なんとなく」

あまり理解力があるのを示すのもまずいか、と思いつつも答える。

「ほう」とファーロが感心したようなふうにうなずく。

 続いてページをめくると、見開きに太陽が描かれ、山や海が描かれ、街や村、木や草、農民のような格好の男女が描かれたページが出てきた。

 絵は昔のヨーロッパの銅版画を少し単純化したような感じで、だいぶ退色しているが簡単に着色されていた。

 それぞれにおそらく名称を現すのだろう、文字が書かれている。

 ファーロは何も言わない。

 続いてめくると今度はあの神殿で見た、神々の絵が表れた。

「この前も見たろう。神殿の中におわした神さまじゃな」

 うなずいて見せ、続いてめくると今度は王様と女王様、貴族や僧侶、騎士などの絵がでてきた。

そしてページの右隅に黒いローブを着た鉤鼻の老人。大きな杖を持っている。

「魔法使い…」

思わず声が出た。

「ほう。良く知っておるな。そのとおりだ」

 顔を上げると、ファーロがこちらを睨んでいた。 

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