村の生活、村の老人 2

 

 冬になり年も押し詰まってくると、村は雪に閉ざされた。

年末年始の祝い事も特になく、吹雪く日には、日がな一日火をくべた暖炉の前で家族みんなで過ごすこともあった。

 そんな時にはルーシは服の繕い、エルスは胡座をかいた膝の上にイシュルをのせ、縄を編んだり、農具や防具の修繕などをしながらおしゃべりをして過ごす。

 夜になるとエルスはどこからか小さな壷を持ってきて酒を飲むこともあった。

 エルスは酔ってくると饒舌になる。

 イシュルはいい機会とばかりにうまく話を誘導して、村のこと、大伯父のいる館のこと、隣村のこと、もっと遠くのこと、聖堂教の神さまのこと、この世界のことを少しでも知ろうとした。

 秋の祭りの話がでれば、宴会が開かれたあの小領主の家のことを、今年の豊作の話がでれば、麦の他に何をつくっているのか、村の暮らし向きやあらましを、というふうに三歳前の子どもが聞いてもおかしく思われない、ぎりぎりの線で両親にたくさんの質問をした。ふたりの間で大人が話すような会話が自然と弾むようにしむけた。

 暖炉の暖かい火に照らされ、長い間いろいろな話が語られ、冬の間にイルシュは多くの知識を得ることができた。

 まず最初に聞いたことは、村の神殿で祭礼が営まれた日に知った、大伯父の存在とあの小領主の家のことだ。

 当日神官をつとめ、背が高く堂々とした風貌のイシュルに微笑みかけてくれた老人、その大伯父の名はファーロ・ベルシュといい、彼の父の代までは騎士爵を持っていたという。村の名もベルシュ村と呼ばれている。イシュルの家も普段は家名など名乗らないが、あえて名乗るなら同じベルシュ、ということになるだろう。

 当時、村の領主であったベルシュ家は隣村であるセウタ村も領有し、ベルシュ村より少し大きく、賑やかなセウタ村の中心地区にも屋敷を持っていた。

 しかし、そのファーロの父の代に、国王の継承争いで王国がふたつに割れ、ベルシュ家は敗北した側についていたため、爵位を取り上げられ、ベルシュ村の取り次ぎ、いわば村長として家だけは残されることになった。

 半ば朽ちた小さな城壁や塔、あれはそのままベルシュ家の盛衰を物語っていたわけだった。

 ちなみに今、ベルシュ村やセウタ村などを領有するのは、セウタのさらに先にある、エリスタールという大きな街に居城をもつ、ブリガールという男爵だそうだ。

 ブリガール男爵は他にいくつかの村を領有し、王国の東北部の一画を占める領主であり、彼はベルシュ家とは逆に継承争いで勝った側だった。男爵ながら広い領地を持つのは、その時の恩賞でベルシュ家など負けた側の領主から取り上げた領地を加増されたためだ。

 男爵領の北側には、深い森が広がり、寒冷地であることもあっていくつかの寒村があるだけだ。南側にはこの地域一帯の領主らの旗頭となる辺境伯領がある。先代には王族が養子に入り、公爵位も持っているという。

 辺境伯領の東方には、ベルシュ村からも見える北から南へ走る深い山脈がいくつもおり重なり、その先にどんな地があるのかはわかっていない。

 王国の名はラディス、王都はラディスラウスといい、ベルシュ村の南西の方、かなり遠くにあるらしい。

 ここ何十年の間、村の者で王都に行った者はいない。

 もちろん王国の他にもたくさん国々はあるようだが、両親の話はそこまでは触れなかった。

 次に聞いたのは聖堂教のことだ。

 聖堂教は太陽の女神ヘレスを主神とする、かなり昔から続く素朴な自然信仰を起源とする多神教で、少なくとも千年以上の歴史があるらしい。ラディス王国をはじめ周辺の多くの国々で広く信仰されている。聖堂教会とよばれる教団による神殿が各地にあり、大きな街の神殿には複数の神官が常駐する。

 秋の祭礼の時に来た、先頭を歩いていた神官と見習いの少年は隣村のセウタから来たということだった。セウタ村には神官の常駐する神殿があるのだろう。

 教義は詳しくはわからないが、自然信仰と常識的な社会道徳を説く、ありきたりなもののようだ。長い間、人々の生活の奥深くにまで根づいているものの、きびしい戒律とかはなく、宗派にわかれて争う風もなく、異教徒に対し強引な布教活動をおこなっている、というわけでもなく、きわめて穏健な宗教だと思われた。異端審問とか魔女裁判とかもなさそうだった。村の神殿で行われた祭礼のときに感じたことは、間違ってはいなかったと言えそうだ。

 ルーシが女神ヘレスによる創世神話を話してくれたが、キリスト教などとよく似た、以前にどこかで見聞きしたような話だった。神はまず最初に大地をつくり、次に空と海をつくり、というものだ。

 村の神殿にあった十柱の神々も女神ヘレスから生み出され、八百万の神々ではないが、この世にいる無数の精霊もすべて女神ヘレスがおつくりになったとか。

 神話では、神々は時に人々の前に姿を現し奇跡を施すが、精霊は人には見えず、人を助けることもするが、人を化かしたり、いたずらをしたりもするらしい。

 これもどこかで見聞きしたような話だ。

 前世の、日本や他の国々の神話や伝説、宗教の一部をパズルのように繋ぎ合わせたような、まだ原始的な自然信仰の延長線上にある、きわめて穏健な宗教。

 だが、宗教ほど多様で複雑なものはない。田舎の村ではわからない、イシュルの両親の知らない、あえて子どもには語らないこともあるかも知れず、厳しい宗教上の対立が絶えなかった前の世界の歴史のことを考えると、この先、何か思わぬことを知らされ、災難に巻き込まれるようなこともあるかもしれない。

 両親の話で一番多かった話題は村の暮らし向きの話だ。

 ベルシュ村の人口は数百人、小さな神殿のあった広場が村の中心で、村域のやや東よりに位置している。イシュルの家と、そのとなりのポーロという木こり兼猟師が独りで住む家の、二軒が村の最も東よりにあり、そこから先は草地と雑木林から次第に深い森になり、遠くの山地まで延々と広がっている。

村の南西は広大な麦畑が広がり、北側は牧畜をしている家が多かった。

 イシュルと同い歳のメリリャの家はイシュルの家とベルシュ家の中間にあり、イザークの家はそのベルシュ家で、ファーロの孫に当たる。ファーロの息子、イザークの父はエクトルといいベルシュ家の現当主で、ベルシュ村の実質村長になる。

 村のこども達は五歳くらいから家の仕事を手伝いはじめ、十五歳くらいで大人として扱われる。だいたい二十歳くらいまでにはみな結婚することになる。

 村の秋祭りの数日後には毎年セウタ村でもう少し大きなお祭りがあり、ベルシュ村など周囲の村々から結婚適齢期の若者が集まり、そこで結婚相手を見つけたりするのだという。村内の結婚ばかりでは血族結婚も多くなる。村人の血が濃くなるのを防いでいるのだろう。

 イシュルの母のルーシも、もともと隣のセウタ村の出身で、その祭りのときにエルスと知り合ったらしい。

 年末の冷え込む夜、暖炉の前で、わざと煽るようにふたりのなれ初めをしつこく尋ねると、エルスとルーシは、イシュルを窘めながらも少し恥ずかしそうに視線を交わしていた。両親はまだ若い。もちろんもう新婚というわけではないのだが、ふたりにはまだ初々しさが残っていた。

 村には老人もけっこういて、まだ畑仕事を続けている元気な者も多い。老人が多いせいではないだろうが、村に流れる空気ものんびりした素朴な感じだ。厳しい掟や特殊な因習などもないようだ。

 村の生活に暗いところがないのは、ものなりが良く、病気の人が少ないせいもあるだろう。今年は豊作だったということだが、それを差し引いても印象は変わらない。生活に困っているような人はいないし、イシュルも両親も豊かとは言えないが、充分なものを食べている。

 病気の人は家の外に出てこないからわからないのかもしれないが、自分の身の回りの人々は、イシュルが歩けるようになり言葉を覚えるようになってから、誰ひとりとして、風邪さえもひいていない。大人の意識をもつイシュルだけが知恵熱なのか、頻繁に熱を出すくらいだ。

 穀物が良く穫れ実りが豊かで、人々が強く、あるいは病気が少ない。

 前の世界と似ていることでも、少しずつ何かが違っているのだ。

 前の世界と同じような太陽があり、月がありながら、月面の模様が違っていたように。




 雪に閉ざされた冬が終わると、畑の種まきの前に、村の男たちの有志により山狩りが行われた。

 隣の家のポーロら村の猟師たちとベルシュ家の当主、エクトルらが中心になって数十人の男たちが四、五人ずつのチームに分かれ、森に入り、狼や狐、猪や熊、やまばとなどの野鳥を狩るのである。春先の、エサの少ない時期に、畑を荒らしたり家畜を襲われないよう害獣を前もって狩る、ということなのだろう。

 エルスも防具を着込み、片手剣と弓をどこからか出してきて参加した。当然だがイシュルは幼すぎて連れていってもらえなかった。

 狩りの後はしばらく肉料理が続き、イシュルにはうれしい行事だった。

 春の種まきが終わり、畑仕事の休みの日には村の南側を流れる川に父とよく釣りに出かけた。時々ルーシもいっしょについてきて、イシュルの面倒を見ながら編み物をしていた。

 歳の近いメリリャやイザークとは、村の広場やイザークの家、ベルシュ家の屋敷でかくれんぼや、泥だんごをつくっておままごとみたいなことをしたり、虫をつかまえたりして前よりも繁雑に遊ぶようになった。

 メリリャはまだ幼くても女の子、イシュルに早くも好意をいだいているようで、イザークよりもイシュルの傍に寄りなにかと話かけてきたが、イザークはメリリャのことが好きなのか、そんな時は嫉妬してメリリャやイシュルによく突っかかってくる。

 三人の間の空気が悪くなるので、イシュルも内心苦笑を浮かべつつ、良好な関係が維持されるように務めた。しばらくするとメリリャも何となく感じるものがあったのか、イザークの前ではイシュルにベタつくことを控えるようになった。

 こういうことは、女の子の方が早く気づけるようになるのかもしれない。

 夏になり、暑さが気にかかるようになった頃、ルーシが体調を崩し、嘔吐したりすることが多くなった。

 ルーシが妊娠したのだった。

 



 




 

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