俺がホラーゲームを楽しめないのは9割俺の家のせいです
名取
第1話 一難去ってまた一難⑴
あんまり何かに興味を持ったことはなかったと思う。友達作りとか、恋愛とか、そういうのはなんというか、不純物? みたいな感じがする。人生において、要らないもの。別にあったっていいんだけど、なければないで、まあいいんじゃない? みたいな、そんな感じでずっと生きてきた俺である。
で、そんな子どもが学校にいるとどうなるか。
いじめられる。十中八九。
そりゃあそうでしょう。だって不気味だもん。俺がもし二人いたら、お互い絶対関わり合いにならないと思う。自分でさえ友達になれない人間に、友達になろう、なんて手を差し伸べてくる奴はいない。
でもどんなにいじめられても、俺は全然と言っていいほど苦痛を感じなかった。自分がいじめられて嫌われているなあ、ということだけはわかっていたので、うーん、面倒臭いなあ、とは思っていたが、いなくなりたいだとか、死のうだとか、全く思えなかった。だってそれはいじめてくる奴(あるいは全世界)が病んでるだけであって、俺自体に何か問題があるというわけではないのだ。例えば「七人分のランドセルを持て」と言われた時は、時々面倒くさいから途中で一個ずつ川に放り投げたりしたし、給食に砂を入れられた時は、その中身ごとそいつの顔面に料理を叩きつけてやった。上靴を隠されたら自分の隣の下駄箱のを履いてみたりしたし、机に落書きをされたら消した。全裸でトイレの床を舐めさせられた日にはさすがに泣いたが、仕返しにそいつの体育着を袋ごと便器に突っ込んでやった。
そんなこんなで、面倒臭いの極みみたいな学校生活を営んでいくうちに、俺はほとほと不思議に思った。どうして他のみんなはそんなに学校が好きなのだろう? 学校でそうやって友達と仲を深めたり、好きな人と距離を縮めたり、そんなことが本当にそこまで楽しいのか? 学校なんてただ机と椅子と黒板と給食があるだけなのに、いじめという人権無視のフルコースをしてまで、そこまでして楽しい思い出を作りたいのだろうか? 恨みつらみを抜きにしても、本当にそこのところがわからない。
俺の小・中学時代のハイライトが、学校からの帰り道であったのは間違いない。
学校と友達をこよなく愛する他のみんなからしたら、俺の気持ちの方がわからない、と言われるかもしれない。確かに帰り道には、二つのものしかない。帰るべき「家」と、そこにつながる「道」。それしかないのに、どうしてあんなにも心が踊ってワクワクしていたのか、今でも俺にはわからない。でも無条件に楽しかった。いつでも何かが始まる気がした。理由はやっぱりわからない。別に超優しい家族が待っているとかはなかった。うちの親は放任主義だ。こちらから必死に話しかけない限り、こちらに話しかけてくることはない。
高校に上がると、いじめは無くなって、本当に安堵したのを覚えている。
かといって友達ができたわけでもなかった。RPG風に言うと、「いじめられっ子」から「空気」にジョブチェンジしただけだった。今や「関わることすら時間の無駄」と思われているのを考えると、もしかしたらいじめられていた頃の方がよほど人間扱いされていたのかもしれないと思わざるを得ない。だがいずれにせよ、俺は平穏を得た。ご飯を普通に食べられた。それはいつも弁当の蓋を開ける時、お昼休みはウキウキウォッチン、と脳内で音楽が流れ出すくらい、俺にとっては感動の出来事だった。
でもそんな平穏も長く続くはずもなく、俺は高校2年の春、早速面倒ごとに巻き込まれる運びとなってしまった。
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