3話 【生意気な弟分の反乱】




 足下に寄ってきたのは一匹の猫だった。よく見る、白地の毛に茶色の縞模様の猫で、さすがに街の近くに住んでいるだけあってか、人懐っこくて初めてこの場所を訪れた私にも何か期待するような眼差しを向けてくる。


 その場にしゃがんで猫を撫でてやると、何とも可愛らしい鳴き声をした。


「お腹が減ってるのかい」


 ポケットから袋詰めの鰹節を出して、それを掌にのせて猫の前に差し出すと嬉しそうにそれを食べ始めた。すごく、癒される。なるほど、こんな可愛いものか。これならあの尼将軍が動物には優しい理由が分かる。


 ここは街の中にある小さな森だった。数年前、市が地球温暖化対策として進めた「緑地化」の一環として、この地域で緑豊かな公園を作ろうということになり、とある工場が撤退した跡地にたくさんの木々を植えて、その中に公園を作るということをした。


 さて、それが財政や行政という観点から見て成功したかはさておき、市民からすれば憩いの場ができたと好評だ。


 しかしながら、ただ手放しに喜ばれているわけでもなく、この緑豊かな地に飼えなくなったペットを捨てるという、無責任な飼い主の怠慢が行われるようになった。おかげでこの辺はたくさんの捨て猫や捨て犬、そしてその子供達が生息している。


 今私の前にいるこの猫ちゃんも、きっとそういう動物たちの一匹だろう。


 尼将軍との話し合いが平行線に終わったので、放課後になってとりあえず彼女がいつも動物の面倒を見ているというここへやってきた。特に変わったところのない場所だ。


 一匹の猫に餌を与えたせいか、どこからともなく数匹の猫がいつの間にか私の周りにいて、不公平なことをするな、そいつにやるなら俺等にもくれと、目で訴えかけてくるがそんなに鰹節を持ってるわけもなく、我慢してもらうしかない。


 通常、猫とは警戒心の高い生き物である。町中で猫を見かけて、可愛いと思って寄って行ったことがある人はたくさんいるだろう。思い出して欲しいのだが、そういうとき猫はいつもどうしているか。たいてい、逃げると思う。当たり前だ、猫からすれば自分よりはるかに大きな生き物が近づいてきているわけで、反射的に逃げてしまうのは彼らの防衛本能。


 しかし、今目の前にいる猫を含め、この数匹達の猫は自らの意志で私に寄ってきた。私が餌を持っているというのもあるだろうが、最初の一匹は明らかにそういうのを抜きで自分から私の元へ来た。どういうことか。


 真面目に考える必要も無い。彼らからすれば、私は絶対に餌を持っていると確信していたのだ。どうやって判断したか、恐らくは服装と臭いだろう。


 私はもちろん制服姿で、それは恐らくいつもの尼将軍と同じだろう。そして昼間に彼女と同じ部屋にいて、一瞬とは言え密接してたのだ、臭いがついてしまっただろう。


 もちろん私と彼女を間違えているということはないだろうが、私と彼女が同類に見られていることは間違いないと思う。


 やっぱり尼将軍は動物にはお優しいということか。意外といえば意外だが、予想外かといえばそうでもない。彼女が不器用に優しいのは付き合いがあるので知っている。あの性格で、しかもあの口調だから気むずかしいと勘違いされやすいが、わかり安いくらいに優しいときもあった。


 だから、こういう見捨てられた動物たちに彼女が救いの手をさしのべること自体は、私は驚かない。私が意外と思ったのは、彼女がそれをすんなりと認めたところだ。一応、気まぐれだとは言っていたが、正直なところ否定するものと思っていた。


 隠してもすぐにばれるから告白しただけ……とは思えないんだね、個人的に。あの意地っ張りがそう簡単にできているとは考えられない。


 緑の中、腕を組んで考えていると、足音が聞こえた。


「何してんだよ」


 後ろから、聞き慣れた声でそんな言葉をかけられたので、あえて振り向かずに答えた。


「森林浴だよ。入浴じゃなくてごめんね。そっちの方が興奮できただろうに」


「ふざけたこと言ってんな」


 ここでようやく私は振り向いた。予想通りの人物がそこに立っていて、少し破顔する。


「こんなところで会うとは、運命かな、ひぃ君」


 私と同じ高校制服を来た少年がそこにいた。もちろん彼が身につけているのは男子制服だけど、それを少しだらしなく着ていた。


 彼の名前は櫻井仁志。私とはもう五年以上の付き合いになる、今年高校に入学したばかりの十五歳だ。彼は決して認めないが、私からすれば弟みたいなもので、私の後を追う形で同じ高校に入学した。


 彼との最初の出会いは私が中学一年生、そして彼が小学五年生のときにさかのぼる。今は同じ高校の一年と三年の先輩後輩関係ということだが、お互いそんなことは意識していない。だから彼もこんな雑な言葉遣いだし、私もそれを注意したりしない。


「運命なわけあるか」


「そんなに強く否定することはないじゃないか、傷ついてしまうよ」


「知ったことじゃねぇよ」


 この無駄な強がりが彼の特徴かもしれない。最初に会ったときからは想像でもできないような言葉だけど、それが彼の成長のしるし。だから私はいつもそれを笑顔で受け流していた。


 しかし、今日は無視できないことがある。


「運命じゃないとしたら必然かな。では、どういう必然だろう……ひぃ君、どうしてここにいるの?」


 私と彼はご近所さんということにもなる。そして私たちの住む街からここまでは結構な距離があり、彼がただ寄り道をしてここにたどり着いたわけでないことはわかりきっていた。


 彼の足下に私が餌を与えた猫が寄っていく。その一匹だけじゃなく、私を遠目に見ていた猫たちもぞろぞろと彼の元へ向かう。


「モテモテじゃないか」


「うるせぇよ。今日ここに寄ったのは、あんたに聞きたいことがあったんだよ。もしかしたらと思って来てみたら、マジでいやがって」


 態度を見る限り、愛の告白ってわけじゃなさそうだ。彼は少し怒っている。


「あんた、北条先輩を疑ってるって聞いたぞ」


「……意外だね、尼将軍を知っているのかい」


「尼将軍なんて名称は知らねぇけど、生徒会長くらい知ってるに決まってんだろ」


 そういうものか。いや、違うな。だって彼、今は生徒会長と言い換えたけど、最初は北条先輩と言った。それに私が彼女を疑っていることを確認しにきたということは、個人的に繋がりがある何よりの証拠だと思う。


「疑ってるというのは、どこから聞いたんだい」


「あんたの知り合いからだよ。北条さんのことを調べてるって言ってたから」


 どうも口が軽い知り合いが多すぎる。彼に教えたのは誰か分からないが、多分昨日私が聞き込みをした誰かだろう。この調子だと、尼将軍に変な噂がたってしまう可能性がある。


「それで、君は何を言いに来たんだい」


「あんたが調べてる事件って子犬が殺されたやつだろ。言うけどな、そんな事件の犯人があの人なわけないぞ」


「そんなことを言える根拠は何かな」


「聞き込みしたなら知ってるだろ。ここに来たってことは確信もしたはずだ。北条先輩は、ここの動物たちの世話をしてる。猫だけじゃなく、犬もだ。そんな人が子犬なんて殺すわけないだろうが!」


彼の足下に群れをなしていた猫たちが、その怒声に驚いて解散していくのを、私は落ち着いた気持ちで見ていた。そして興奮する彼を無視して、気になることを質問する。


「今は猫しかいないけど、ここには犬もいるのかな」


「……ああ、割合は少ないけどな」


「そうかい。つまり、君は何度かこの場に来たことがあるわけだ」


 そう切り返すと、急に言葉に詰まった。


 どうやらここに通っていることを隠したかったみたいだ。けど、どう考えてもそれは無理だろう。まず私がここにいると推測できたということは、尼将軍がこの場によく来ているということを知っていることになる。


 それだけならまだしも、彼の足下には猫が集まっていた。警戒心の高い動物が、簡単に心を許すわけもないので、彼がここに通っている証拠だった。


 今の言葉で確証をえただけだ。むしろ隠そうとしていたことの方が驚き。


「……あんたには関係ない」


「水くさいね、長い付き合いなのに。まあいいや。それで、尼将軍が犯人じゃないとしたら、その証拠はなんだい」


「だから言ってるだろ、あの人は――」


「どんな善人でも、過ちは犯すんだ。君が言いたいことは分かって上げよう、けどそれは否定する根拠にはならない。彼女を守りたいなら、彼女じゃないという証拠がいる。君は今、ここでそれを出せるかい」


 私が早口でそうまくし立てると、彼はまた言葉を詰まらせた。ちょいと言葉がきつくなってしまったが、誰かを調べるというのはそういうことだ。何かを見つけ出すとはそういうものだ。


 彼だってそれが分からないわけじゃない。私がこういう厄介事を引き受けるのは初めてじゃなくて、忙しいときは彼にいつも手伝ってもらっていた。一番私の傍にいた彼が、今の言葉を理解できないわけがない。


 理解している。だからこそ、彼は今、顔を紅潮させて悔しがっているのだ。


「……なんで、あの人を疑うんだよ」


「少し怪しいところがあった。それだけだ。言っておくけど、私だって彼女が犯人じゃないと思いたいんだよ」


「じゃあ、別に犯人をつれてくれば、それでいいのかよ」


 共犯でもない限り、誰か一人を犯人として連れてくれば、事件は解決だろう。そして今回の事件が共犯だとは思えない。もしもそうなら、子犬をあのまま放置なんてしないだろう。複数犯なら、死骸の処理くらいはできたはずだ。


「そうだね。もしも誰か、彼女ではない人物が犯人だと証明されれば、自然と彼女は無実だよ」


 消去法でいえばそうなる。


 その言葉を聞いて安心したのかどうなのか、正直よく分からないが、彼は意を決したように表情を堅くして、私をきつく睨み付けた。相変わらず顔が少し赤いので、かっこよくはなかったけど。


「なら、俺が犯人を見つけてやるっ、それでいいだろ!」

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