第29話 炎の巨人
第29話~炎の巨人~
進化を果たし、人の身からそれたとはいえもとは人間である俺はどこまでも行っても人間なのだ。ゆえに人の身は自分よりも強い存在に恐怖し、そしてそこからの逃亡を図りたくなってしまうのは、もはや本能に刷り込まれた行為と言ってもいいだろう。
いや、その本能はきっと生物であれば誰にでもあるもので、それが薄かったり、欠如していたりする者ほど早く死んでしまうのだ。
『あと少し、後一日お前たちが来るのが遅ければ、我は再びここから出られたであろうものを。人の分際でよくも邪魔してくれたものだ』
声だけで人の根源に恐怖を植え付けるこの存在から俺が逃げ出さなかったのはきっと、曲がりなりにも龍の血が混ざったからなのであろう。
すでにグローインとアリスは気を失っている。物理的には逃げられなくとも、精神的にはしっかりと逃げている。
カナデは実体化が保てなくなっていて、もとの半透明素スタイルで浮遊しているが、どこかいつもよりも透明度が高い気がする。
そしてエリザだが、こちらは焦りなどは全く見られない。それはやはりエリザがこの伝説の魔物と呼ばれる存在と同格ないし、上、少なくとも近しい存在であるからだろう。それでもその表情が厳しいところを見ると、やはりこの魔物がどれだけの力を持つかが容易にうかがい知れるという物だ。
『ここに囚われてどれだけの時が過ぎたのか。千年か万年か、もはや数えることも忘れてしまった。そこからの解放が目の前まで来ていたというのに、それを取り上げられる絶望。そして屈辱、憤怒。これがお前たちにわかるか?』
決して言葉を荒げているわけではない。むしろ諭すように、穏やかに俺達に話しかけているはずなのに、俺の体を支配する恐怖は一向に収まりを見せるどころか、逆にますます膨れ上がっているように感じてしまう。
「相変わらずの物言いよ。どうして自分がここに囚われているのかもわからない痴れ者め。痴呆かの?そんなだから悠久の時を経てもお主はここに囚われたままなのじゃ」
その声に我に返った。
隣から聞こえる聞きなれた声。着物を優雅になびかせたエリザが、声の主に吐きつけるかのようにそう告げる。
「炎の巨人、いや、スルトよ。お主はこの世界には邪魔な存在じゃ。このまま永久にこの場所に囚われ続けるがよい」
『この声。人の神経を逆なでするその物言い。おお、エリザベート。腰抜けの駄龍ではないか!!』
「久しいのスルトよ。そちらこそ相も変わらずの単細胞具合で安心したぞい」
どうやらこの二人はやはり知り合いのようだ。どう甘めに解釈しても友好的ではないのだろうが、話し方的に同等の立場であることは理解できた。
そうであるならば、仮にここで封印が溶けてしまったとしても、俺達が一方的に屠られることはない。俺の打算がそう脳内で告げてくる。
「エリザ、端的に説明してくれ。こいつはなんだ。お前はこいつに勝てるか?封印はこれで大丈夫か?」
だから一気にまくしたてた。気の抜ける状況でないことは分かっているからこそ、最低限の情報が欲しい。それによってこの先の俺達の行動規範が変わってくるからだ。
「心配性じゃな。何、心配することはない。もしやとは思って居ったが、こいつは炎の巨人“スルト”じゃ。かつてこの世界を我が物顔で闊歩しておった7柱のうちの1柱でな。よくケンカしたもんじゃが、儂の全戦全勝じゃった」
『卑怯手段ばかり講じて負った腰抜けめが!!正々堂々と戦えば我がお前なぞに負ける道理がない!!』
「とまぁ、あの通りの単細胞での。これまでもこれからも、儂があのでくの坊に負けることなぞないな」
過去に一体何があったのか。一体その時はどういう時代であったのか。聞きたいことは山ほどあるが、それらは全部後回しだ。
エリザはスルトに勝てる。これがここで重要となる何よりも大切な情報だからだ。
「封印も心配ないでの。確かに凍らされていたのはまずかったかもしれんが、あの魔族程度の魔力では神の炎の芯まで凍らせるなど到底不可能じゃ。むしろカナデの炎で封印自体は強まったんじゃないかの?」
ここでまた新たなワードの登場。これまでのこの世界の傾向から見れば、出てもおかしくはないと思っていたが、まさかここで出てくるのか。
“神”
どういった存在としてこの世界にいるのかは知らないが、やはりこれも後回しだ。魔族の話に伝説の魔物、そして神。
すでに情報過多だったのに、これ以上の情報をこの場ではとても処理しきれるものではない。悠長に話している時でもない。というかこの場所に長居などしたくはないのだ。
「それならこいつは放っておいてもいいんだな?」
「無論じゃ。封印の内部からではどうにもできんよ、この炎は。こいつに出来るのは回らぬ頭で罵声を放つことと、苦し紛れに山を噴火させることくらいじゃて。なんの効果もない噴火じゃがな」
また気になる言葉が飛び出た。加えて余計なフラグまで断った気がしたがすべて黙殺した。そうと決まれば話は早い。
「カナデ、エリザ。ここから出るぞ。環境が変化していた要因は取り除いた。ここにいる理由はもはやない」
「賛成です!すぐに帰りましょう!いますぐ帰りましょう!」
俺の言葉にカナデが我先にと部屋の出口へと駆け出していく。エリザもまた、特にスルトに興味はないのかグローインとアリスを小脇に抱えて踵を返した。
もちろん俺もそれに続こうと思った。エリザの言葉に憤る伝説の魔物など相手にしたくはないし、正直話しかけられたくもなかったから。
『待て小僧』
しかしそうは問屋が卸さない。
こちらとしては何の用事がないにも関わらず、スルトと呼ばれる炎の巨人が俺を呼び留める。
『お前、このままここから立ち去れると思っているのではあるまいな?』
「立ち去るさ。俺はお前に用はない。目的も達成した。ここにいる理由がないからな」
『その言葉、我が誰だが分かったうえで言っているのであろうな?』
「伝説の魔物、炎の巨人スルトなんだろ?詳細は知らないが、ここまでの話を聞いていれば馬鹿でもわかる」
『それを知って尚、我を無視する覚悟があるということか?』
「封印からは出られない。出せば危険だとわかっている。俺がお前と関わる理由が何一つないからな。この先未来永劫お前と関わり合うつもりはない。ゆえに覚悟も必要ない」
脅迫まがいのことをしてくるスルトを一蹴し、すでに扉から出ていった二人を追いかけ俺も部屋を出ようとした。
『待てと言っているだろう』
しかしスルトはしつこく俺に食い下がる。すでに俺は関わる気はないので、このまま無視してもいいのだが、声色が先歩と微妙に変化しているので思わず立ち止まってしまったのだ。
『このまま立ち去ればお前は後悔するぞ?』
「俺が後悔?するわけないだろう」
『いいや、する。我を蔑ろにしたことを後悔し、毎夜恐怖に怯えて眠ることすらできなくなるはずだ』
随分スケールの小さな後悔だと、いい加減無視しようと思ったところで気が付いた。
こいつまさかとは思うが焦ってないか?
「お気遣いどうも。たかが人間のことなんか気にせずに、お前は伝説の存在らしくこの穴倉で一人で一生過ごせばいいんじゃないか?」
そう言って、今度こそ部屋を出て扉を閉めかけた。
『ま、待て!!分かった、お前にいいものをやる!だから待て!!』
閉まりかけた扉に必死に叫ぶスルト。その声色にもはや最初に感じた威厳も何もあったものじゃない。
いまとなってはただ一人になりたくなくて、なんとかして俺をこの部屋に呼び止めようとする子どもそのものだ。
「なんだよ?俺みたいな人間に構うことないだろ?俺も暇じゃないし早く帰りたいんだ。お前は一人でここで過ごしてろよ?」
『人間の分際で……っ!!。待て待て!わかったから扉を閉めようとするな!頼むから!!』
決まりだ。こいつはどういうわけかは知らないが、俺に部屋から出て行ってほしくないのだ。その証拠が最初の尊大な態度すらも投げ出した低姿勢。まさかとは思うがこいつ。
その態度に俺の中で一つの推測が立つ。なのでそれを確かめるべく俺はスルトに尋ねた。
「なぁ、スルト。まさかとは思うがお前、一人が寂しいとか言わないだろうな?」
『……』
「伝説の魔物のくせして、洞窟の奥が怖いとか言わないだろうな?」
『……』
「どうなんだよ?答えろよ」
『……』
推測は一瞬で肯定された。さて、この状況どうしてくれようか。
あまりの予想だにしないこの状況に、俺がどうするのが最適解なのかを思案し始めたときだった。
『……い』
「あ?」
『……さい』
「聞こえねぇよ。伝説の魔物ならもっとはっきりしゃべれよ」
何かの反論を小声でつぶやくスルトを煽る俺。もはやどちらが上なのかよくわからなくなってきた状況に、ついにスルトが切れた。
『うるさい、うるさい、うるさい!!しょうがないじゃないか!!私だって寂しいんだ!!こんな場所に一人でいられるか!!お願いだから一人にしないで―!!』
まさかの伝説の魔物が泣き叫んで懇願するという、あまりにも非常識すぎる事態に、ここまで煽った張本人たる俺も、それ以上は二の句が告げられない状態となってしまったのだった。
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