地上の夜

「破壊的な竜巻を歴史あるダンジョン街に近づけてしまったこと、まずはお詫びしたい。だが、これには事情がある。とある犯罪者集団が非常に危険なアーティファクトを盗み出し、ダンジョン街に潜伏したのだ。この魔法はアーティファクトに対処するためのものであって、あなたがたに危害を加えるつもりでないことを約束する」

「やば……頭おかしいっしょ」

 ルイーズが直感的に正しいことを言った。

「勇猛な冒険者諸君にお願いしたい。四人の女を見つけ出し、私の前に連れてきてほしい。もしも見つからない場合、私は苦渋の決断を迫られることになる。そして、アーティファクトを盗み出したあなたがたにお願いしたい。あなたがたはアーティファクトの秘める潜在的危険性を、まったく理解していない。理性に従い、秩序を保つための正しい決断をしてほしい」

 つまるところ、ダンジョン街の冒険者は人質と狩人の両方をやらされるわけだ。そして憎悪は、ものの道理を分かっていないアーシェラたちに向く。

「エステルらしいやり方ですね」ヴァージニアが吐き捨てるように言った。「他人を悪者にすることにかけては、本当に天才的。でも、どうしましょうか。八方ふさがりに思えますけど」

「知るかバカ」、アーシェラは考える前に口走っていた。「じゃあもう滅びろよ」

「それな!」

 ルイーズがすかさず言った。

「まったくその通りですね」

「議論の余地はないっス」

 三人が次々に同意したので、クルツコは唖然とした。

「き、君たちは」

「あたしたち最初から、これなんとかお金になんないかなーって思ってやってるんですよ」

 アーシェラは原盤を手に取って、軽く振ってみせた。

「それともクルツコ博士、あなたが原盤を封印しますか?」

 クルツコは気まずそうに俯いた。

「ああいやすみません、皮肉を言ったわけじゃなくて。もし本気で秩序を守りたいんだったら、どっかであたし達をとっちめることできたんじゃないかなーって」

 慌ててアーシェラは言い添えた。クルツコはますます気まずそうにした。

「落下制御の術者、あなたっスよね」

 テルマが口を挟む。

「あれだけの広範囲に術を効かせるの、並たいていのことじゃないっスよ。専門外の無文字魔法をあれだけ高度に操れるなら、私らの落下だって止められたはず。それをしなかったのは、なんでっスか?」

「それは、その、なんか」、クルツコはしばらくもごもごしてから、やや威厳を取り戻した。「君たちが原盤を見せびらかしたとき、エステルのしそうなことはおおよそ想像できた」

「ほいで?」

 ルイーズに促され、クルツコは決意を込めたようにうなずいた。

「ウグルクが原盤を奪取したならば、それでよし。帰路にぶちのめし、奪って逃げるつもりだった」

「えっ思ったより過激っスね」

「だが君たちは、原盤を守りきった。のみならず、ウグルクとマウフルに情まで沸かせてみせた。争う相手を敵だと憎まずいることは、簡単ではない。だから私も、知りたくなったんだ。君たちが何を選ぶのか」

 ルイーズとアーシェラは、いやーそんなことないっす人として当たり前だし。の顔で照れたが、ヴァージニアは慎重だった。

「なるほど。それで、あなたの真意は?」

 クルツコは、どこか清々しい笑みを浮かべた。

「老人になると、もっともらしいことを言わなきゃならない気がするんだ」

 開き直った笑みだった。

「実を言えば私も、なんで死ぬ寸前までやりたくもない仕事を続けなきゃいけないんだと思ったのだよ。しかも立案したのが青二才のエステルだぞ。金と権威を振りかざす、鼻持ちならない男だ。もはや正しい正しくないを越えて、あいつの言うことだけはとにかく絶対に聞きたくない」

 アーシェラたちが爆笑したので、クルツコは気を良くした。

「いいざまだったろう。あの男は、私がうっかりバックドアを残して出荷した、第五世代のステータスボードを使っている。嫌味な成金めが。おかげで簡単に侵入し、ステータス異常を仕掛けることができたのだ」

 ステータス異常とは即ち、一時的に魂の情報を書き換えられることだ。個々のステータスボードが監視しあっているため、書き換えはすぐに修復される。それでも“麻痺”や“睡眠”は一時的に相手の行動力を奪う点で凄まじい効力を発揮する。通常、冒険者はステータス異常対策に余念がない。エステルもそうであったろうが、自慢の希少な第五世代ステータスボードをハックされては抵抗のしようがない。

「最高ですね」

 アーシェラはしみじみと賛意を示した。

「全臣民を不幸にしてまで、マナニアを残す意味などない。なるほど実に明快な論旨で、私は気に入ったよ。そのまま、行けるところまで行ってみるといい」

「ま、ダメなら死ぬだけだし」

 ルイーズが気軽な口調で言った。クルツコはうれしそうに頷いた。

「今となってはみじめな老人でしかないが、これでも私はセルジュ・クルツコなのだ。頼れる筋はある。原盤を言い値で買い取ってもらえるよう、君たちを後押ししたい」

 クルツコは机に向かい、さらさらっと一筆したためた。封筒の折り口に蝋を垂らし、指輪を強く押し付ける。蝋が冷えるのを待って、クルツコは手紙をアーシェラに渡した。

「アディンダ基金のレフ・アディンダに、この手紙を持っていくと良い。私の後援者だ」

「え? すみません、なんて?」

 知らない名前に、アーシェラがおたおたした。

「隣国で最も有名なシンクタンクの代表っスよ、レフ・アディンダは。なるほど、こうやって国内から頭脳が流出するわけっスね。大地にあほが満ちるわけだ」

 テルマはため息をついた。国内においては一度の失敗で軟禁同然の生活を強いられるが、隣国では評価と金を与えられるのだ。研究者がマナニアに残るわけがない。

「いずれ亡命するつもりだったが、予定を早めねばな。向こうではよろしく頼む」

「やべえきちぃ」

 そろそろルイーズがついていけなくなった。

「やることは変わんないよ、ルイーズ。とにかく国境を越える。で、アディンダさんって人にこの手紙を渡す。するとお金持ちになる」

「え……シェアハウスできっかな」

「できるよー当たり前じゃん! 料理つくって! 約束だからね!」

「ウチすげーつくるし!」

 ルイーズとアーシェラがきゃっきゃした。

「問題は、エステルが外で待ち構えていることですよね。どうやって脱出しましょうか」

 ヴァージニアが天井を見上げた。頭の上では、クルツコ邸だった数トンの瓦礫と竜巻が渦を巻いているのだ。おまけに冒険者たちは、血眼になってアーシェラを探し回っていることだろう。

「ああ、それならば――」

「ちくしょう、やべえ!」、クルツコの言葉を遮って、粗野な叫び声と乱暴な足音。「おい、ジジイ! いるか、死んでるか! やべえぞ、このままじゃ俺たちまで……あー」

 ウグルクが、開けた扉のノブに手をかけたまま固まった。

「邪魔」

 かと思ったらマウフルに突き飛ばされた。

「おい、なんでいるんだよアーシェラ」

「うそでしょウグルク、分かんない?」

「分かってるよ! 納得いかねえだけだよ! エステルはこの街を吹っ飛ばすつもりなンだぞ!」

「おまえも、逃げるつもりでここに来たんだろう、ウグルク」

 クルツコがたしなめるように言った。ウグルクは反論しかけ、黙った。

「でも、街は」

「大丈夫でしょう」

 マウフルに答えたのは、ヴァージニアだった。

「エステルは、とにかく他人に悪く思われたくない人間ですから。ダンジョン街を本当に破壊するようなことはありません」

「あア? なんの確信があって――」

「信じる」

 ウグルクのごく当たり前な疑念を、マウフルが無理やり押しつぶした。ヴァージニアはむしろびっくりして何か言おうとしたが、マウフルのまっすぐな瞳に射抜かれてしまい、最終的に照れ笑いを浮かべた。

「私たちが出てこなければ、それらしい理由を思いついて退くでしょう。だから、今は逃げるべきです」

「まあ私は、ダンジョン街が更地になろうと構わんがね」

 開き直りきったクルツコは、過激なことを言いながら書架の本をいくつか抜いた。壁に仕込まれた魔法陣を、例の補聴器でノックする。書架と壁が左右に分かれ、手掘りの隧道が姿を現した。

「この道はダンジョン縦貫道に続いている。旧い時代に名うてのバーグラーが掘ったもので、秘匿はいまだ破られていない。さあ、行け」

 クルツコはウグルクの背中を押した。

「ア? ジジイはどうすんだよ」

「万が一ということがある。あの青二才がくだらない竜巻を街に突っ込ませるつもりならば、止めるのは私の役目だ」

 クルツコがもっともらしいことを言い、

「いいから」

「うわあ!」

 ルイーズに担がれてじたばたした。

 七人に膨れ上がった一行は薄暗い隧道に踏み込み、やがて闇の深くに消えていった。



 老人の規範的振る舞いとして自己犠牲に走った者を無理やり引きずっていけば、良いことがある。

 そのうち一つは、ダンジョン縦貫道を落下制御で一気に昇れることだ。

 めまぐるしく流れる岸壁を眺めながら、七人はなんとなく気まずい感じで沈黙していた。よく考えれば別に仲良くないし、かといって内輪同士で盛り上がるのも相手グループに対して礼節を欠くと考えてしまったからだ。

 だがやがて、ウグルクがしぶしぶ口を開いた。

「国境越えるンだな、結局」

 アーシェラはうなずいた。

「越えるよ。あ、一緒に来る?」

「バカじゃねえの?」

「そうですか? あなたがたの身も危ういように思えますけど」

 ウグルクはため息をついた。

「あのな、止めるつもりはねえし、おまえらのことをバカだとも思ってねえよ別に。おまえらが俺たちをどう思ってるかは知らねえけど」

「別にどうとも思ってないっスよ。命を狙われない限りは」

「そりゃありがとな。一つ言えるのは、マナニアにしがみつかなきゃどうにもならねえ奴はいるってことだよ」

 そんな風に言いながら、ウグルクは自分でもうんざりしたように首を振った。

「俺は外国語を喋れるわけでも、向こうに金づるがいるわけでもない。頭がいいわけでも、国境を越えられるほど高レベルでもない。だからって、おまえらみたいにダメなら死のうとも思えない。ゆっくりすり潰されてくだけだ、分かってる。でも、他を選べない」

 アーシェラはウグルクの言葉を、肯定も否定もしなかった。誰かのなんらかの選択に口を挟めるほど、自分はまともな人間ではない。

「じゃあ応援すっかー?」

 ルイーズが脈絡のない絡み方をして、ウグルクはややびっくりした。

「なに言ってんだ」

「え、なんかしたそうに見えたし」

「バカかよ」

「ア?」

「ア?」

 ルイーズとウグルクはしばし睨みあったが、先にウグルクが折れた。

「いいか、街道は使うな。冒険者ギルドの縄張りだ。一歩目でエステルに見つかる」

 街道の治安維持にはかつて利権争いがあり、最終的に制したのは冒険者ギルドだった。職を見つけられない低レベルの冒険者は、街道警備によって日銭を稼いでいる。ある意味ではギルドの用意した福祉と言えた。

「へー、そうなんだ。なんも考えてなかった」

 アーシェラがふわふわした相槌を打って、ウグルクは心底げっそりした。

「危機意識どうなってんだよ」

「じゃあ、どうすればいいんスか?」

「駅路を使え。あっちは兵務省ひょうむしょうが管理してる」

「やば! 軍!」

 一般臣民が利用する街道ではなく、公的な使者が用いる道を駅路と呼んだ。地方と中央を結ぶこの道路の沿線には、十数キロの間隔で伝馬町でんばちょうが置かれる。使者が乗る馬を飼育し、宿泊施設を用意する小さな共同体だ。

「冒険者ギルドは兵務省と険悪だからな。内務省とも……いやそもそも官庁まるごと敵に回してるようなもんか。とにかく、駅路にエステルの目は届かない」

「でも、駅路って一般人は使えませんよね」

「そこまで面倒見られるか。勝手にやれ」

「ウグルク。教えてあげて」

 マウフルがたしなめるように言った。ウグルクはうめいた。

駅鈴えきれいを手に入れろ。使者の証だ。これがあれば女だろうと馬を借りられる。中央のご機嫌伺いに地方からノコノコやって来るバカは山ほどいるからな。ぶちのめすなり騙すなり、それぐらいは考えろよ」

「っしゃ!」

 ルイーズが気合を入た。

「で、だ。当たり前だが、正規の駅路を女がトロトロ走ってたら目に付く。使者が女だけなンてことはありえねえし、兵務省はバカじゃない。だからまずは、西だ」

 白海の後退によって維持が不可能となり、廃止された路線があるという。伝馬町の経営は自助努力を基本とし、わずかばかりの補助金では維持できない。内海に面したいくつかの町はチョウザメ漁によって収益を上げていたが、塩分濃度上昇によって内海の生き物が死滅した結果、破綻した。

「そうだな……町を三つやり過ごしたら、一気に北上するのがいいんじゃねえか。そっからは山越えだ。ジジイ、どう思う?」

「悪くない。うまくいきそうに思える。しかしウグルク、今までずっと考えてきたようにするする出てきたな」

「そりゃ、今までずっと考えてきたからな」

 ウグルクは言った。クルツコは目を丸くしたあと、あたたかく笑ってウグルクの背を叩いた。

「このばかに代わって、ぜひとも国境を越えねばならんな、アーシェラ」

「はい!」

「やめろ! 人の夢を勝手に託すな!」

 ウグルクはまんざらでもない表情でふてくされた。それからマウフルに向き直った。

「マウフルはどうするんだよ」

「私が?」

「マナニアにいたって良いことないだろ。マウフルがいりゃ、こいつらがばかをさらして死ぬ可能性がちょっとだけ下がる」

 皮肉を言われた四人はヘラヘラした。

「残るよ」、マウフルは即答した。「ここで、やる」

 ウグルクは照れて肩をすくめた。

「ばかだな、マウフル」

「あなたと、同じぐらい」

 クルツコが天を見上げた。

「じきに地上だな」

 月と星の灯りが、七人を照らしていた。


 縦貫道の周辺に、監視の類はなかった。半径一キロのばかでかい大穴を全て見回るというのは、冒険者ギルドの動員規模からいって現実的ではない。忠誠心に篤い正規職員はほとんどおらず、ギルドが抱えているのはフリーランスばかりだ。

 環状運河都市に点る生活の灯りを目指して、七人は歩いた。むきだしの岩盤がやわらかな土壌に、やわらかな土壌が枯草とロゼットのはびこる湿地になって、冷たい水と泥のにおいだった。

「こっからは変わるぞ、アーシェラ。なにもかもが変わる。エステルはギルドの力を全て使って、おまえらを殺そうとするはずだ」

「まいったなあ。しかもこれから兵務省まで敵に回すんでしょ。馬盗んで駅路走って」それほどまいっていなさそうな顔でアーシェラが答えた。「でも、ウグルクの方が危ないんじゃない?」

「いざとなりゃ地下にこもる。そういうヤツ、結構いるンだよ。意外に上より楽しく暮らせるかもな」

 それは純然たる強がりでしかなかったが、アーシェラはうなずいた。

「そっか」

「まあ、今はメシだな。“銀の鹿角”でいいだろ」

「お、いいねえ! いこいこ! あたしめっちゃクワス呑むよ」

「いや馬盗む算段しろよ……」

「冗談だって! 分かってるよさすがに! 危機意識なめんな!」

 四人と三人は、運河のふちで立ち止まった。別れを惜しむ時間はわずかだった。だが四人も三人も、なんとなく去り難い気分を共有していた。

「ああ、そうだ。これ」

 ウグルクは話題の接ぎ穂をあれこれ探し、鞄から一つのアーティファクトを取り出した。ダンジョン縦貫道で、アーシェラたちから奪ったミルクガラスの香水瓶だ。

「ああそれいいよ別に、売っちゃえば? あたしたち使えないし」

 アーシェラはあっさりと、アーティファクトの秘密について語った。レベルに応じたステータス補正。たしかに、アーシェラたちの役には立たない。

「ンだよ、そんなくだらねえもんに騙されたのかよ……」

 ウグルクは自分の凡才にぐったりした。

「知らないものをきちんと恐がれるの、慎重ってことだよ」

「なんも嬉しくねえ」

 ため息をつき、ウグルクはアーティファクトを鞄に戻した。それでみんな笑って、なんとなく会話に決着がついた。

「またね、ウグルク。いろいろありがとう」

「生きてようが死んでようが、二度と会わねえだろ」

「えー? じゃあ、とりあえずまたね」

「なんだよとりあえずって」

「なんかこう、置いておく感じで」

 ウグルクは苦笑を浮かべた。

「とりあえず、じゃあな」

 こうして四人は去った。どこで化粧を直すだの、隈が増えると結核風メイクになって最悪だの、くだらないおしゃべりをしながら。

 少しだけ去りがたく、ウグルクたちはしばらく河岸に突っ立っていた。

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