エステル、悟る

 内務省の腕章を右袖につけた公安部の職員が、半壊した邸宅から人払いを済ませたのが夜明け前。彼らは払暁を待って調査を始め、エステルその人がやってきたのでたちまち中断を余儀なくされた。

「君たちはなんの権利があって私の家を荒らすんだ? もう十分ひっかきまわされた後だと言うのに」

「はあ……すみません」

 公安職員はただちに頭を下げた。相手は冒険者ギルドのマスターだ。ということは、マナニア随一の権力者なのだ。

「謝罪は必要ない。私はただ聞いているのだ。なぜ、私の家を、荒らす」

「それはその、実況見分というか」

「なにを観る必要がある」、エステルは職員の言葉を遮った。「見たまえ。二階部分が吹っ飛んだ。倉庫が荒らされた。それ以上のことはなにもない」

「ですから我々は、犯人を」

「私の言葉を遮るんじゃない。いいかね、君。こういうときは、黙ってはいと言っておくものだ。私の怒りをこれ以上かきたてたくなかったらな。君、ろくな学校を出ていないのだろう。情けない。どんな教育を受けて来た。なにを学んできた」

 職員は周囲をちょっと見まわした。この男を一撃で運河に蹴り込めるかどうか、ためしに距離を測ってみたのだ。

「おい、引き揚げるぞ」

 仕事をしに来ただけなのになぜか説教されている職員の背中に、べつの職員が声をかけた。

「はい。では、失礼します」

「待ちたまえ。なぜ私の話が終わったと思ったんだ。君の将来が不安になった。ちょうどいい機会だ、私が君の性根を直す手伝いをしてやろう。君、名前は。どうした、早く言わんか」

 職員は絶句した。

 一時間にわたって職員を説教したエステルは、崩壊した別邸に足を踏み入れた。一階では棚が倒れてアーティファクトが散乱し、血痕が床に咲いている。警備に雇った男は、おそらく逃げたのだろう。

 二階に上がる。とくに損壊が激しいのは寝室だ。屋根に押しつぶされ、変わり果てた姿となっている。

「ふむ……これは」

 エステルは、床に落ちた獣毛を拾い上げた。日に当てると、銀色に光る。鼻を当てて嗅ぎ、口に含む。

「なるほど」

 嗅ぎなれた香りと、噛みなれた味だった。ヴァージニアは獣化した姿で交わることをひどく恥じらった。抑えつけ、口輪をはめるたび、エステルの心は満たされたものだった。

「あの女、忘れたか。私がどれほど、よくしてやったのかを」

 寝室を潰す瓦礫の一山の前に立ち、手をかざす。手の甲に刺青として刻まれた魔法陣が淡く光り、瓦礫が震えた。やがて梁やら木材やら漆喰やらがひとりでに動き、次々と運河に飛び込んでいった。

 自らを触媒にした魔法は、テルマ言うところの“自分の血で喉を潤す”真似だが、エステルにとって問題にならない。レベルが高いというのは、そういうことだ。

 あらわになった床には、大きく不細工な魔法陣が残っていた。

「ほう!」

 エステルは、手の甲と床を見比べ、目を丸くした。同じ筆跡だ。この魔法陣は、テルマに作らせた。ここではない別宅に一週間ほど閉じ込めて、完璧な魔法陣をつくるよう命じたのだ。日を追うごとに憔悴していくテルマを眺めるのは、実に楽しい経験だった。

 だが愉悦はたちまち吹き消えた。えぐり取られた壁が眼前にあって、エステルは、金庫室が奪われたことを理解したのだ。

「女どもが……」

 テルマとヴァージニアがどのように結びついたのかは、分からない。金庫を盗み出したのも、偶然だろう。あの連中が原盤の価値を理解できるとも思えない。

 しばし、エステルは考えた。大規模動員による巻き狩りは危険だ。どこの誰の手に原盤が渡るか分からない。少数の冒険者を送り込むのが良いだろう。後くされが無いよう、事が済めばごみのように片づけられるような連中を。

 盗んだのが、女で良かった。冒険者であればアーティファクトの価値に気づき、今頃は悪用の算段を始めているだろう。エステルは危機のレベルを大きく下方修正した。となれば、生活を乱されるほどのことはない。

「出社だな」

 気楽な思いで、エステルはオーナーを務める介護施設に向かった。女にかけられたストレスは、女で晴らすべきだと考えたのだ。うってつけの相手がいる。要領も間も悪いダークエルフだ。少しプレッシャーをかけてやると、すぐに自分が悪いと思いこむ。エステルにとって、これほどいたぶりやすい相手はいなかった。まあ、女にとっても無駄にはなるまい。いずれ自分の言葉を理解して、頭がよくなるかもしれないのだから。

 だがその期待は大きく裏切られた。執務室の椅子に腰かけたエステルを出迎えたのは、古株の非正規職員だった。

「ルイーズ? 無断欠勤よ。あーあ、ついにって感じよね。使えない割には反抗的なんだから。言うこと聞けない聞かないで、この先どうするつもりだったのかしら。結婚だってそんな簡単なことじゃないのに。あーあ、もう最悪よ。オーナー、代わりの人員手配できます?」

 まくしたてられたエステルは舌打ちし、わざと大きな音を立てて引き出しを引いた。書類を机に叩き付け、めいっぱい力を込めて引き出しを叩きつける。その動作で非正規職員はなにかを察し、執務室を出ていった。

 無能な連中は誰もが自分の考えた通りに動くべきだ。エステルは常にそう思っている。だが、道理に外れたできごとが今日だけで幾度起きたことか。苛立ちを抑えきれない。

 なにより、たかだか女ごときに、結局は自らのルーティンを損なうことになるのが、エステルにとってはひどく腹が立つのだ。今日はこちらで仕事をするつもりだったのに、ばかな女のせいで台無しだ。それがマナニアにとってどれほどの損失か、あの連中はまるで理解していないのだ。

 エステルは、頭の中で三人の女を何度も凌辱しながら冒険者ギルドに向かった。そこで今度は、アーシェラの無断欠勤について知らされることになった。

「参ったなあ、あの人、責任感だけはあると思ったのに……今日のところはぼくが受付に立ちます。シフトはもう変えてあります」

「ありがとう、アル」

 部下の一人が手短に報告し、エステルはうなずいた。迅速で簡潔な仕事ぶりだ。やや気分が上向いたエステルは、人にものを教えてやろうという気になった。

「苦労をかける職員には、ちゃんと感謝の言葉を言いなさい。くどいぐらいでいい。それが、人心を掴むこつだ。お金よりも気持ちで人は動くものだからね」

「はい、マスターエステル」

 早く出社し遅く帰社し、黙って仕事をし、上司の言うことを聞く。これこそ、仕事ができるということだ。アーシェラは最後まで理解しなかった。理念と意義……もっと大きく言えば、社会正義と社会的正当性の違いを。

 社会正義はたしかに重要なことかもしれないが、いつでも単なる絵空事だ。一方で、冒険者を片っ端からダンジョンに送り込み、少しでも多くの財を獲得することは、社会的正当性にかなう。そうしなければ経済は回らない。臣民はマナニアのためにある。常にもっとも大事なのは、マナニアが臣民に何をしてくれるかではない。臣民がマナニアのために何をやれるかだ。

 執務室に落ち着き、お気に入りのウォッカをグラスに注いだところで、はたとエステルの手が止まった。卒然、彼は閃いたのだ。なんの証拠もないが、こうした閃きへの信頼こそが、エステルを今の立場に押し上げた。

「そうか。四人か」

 ヴァージニアが開錠し、ルイーズが建造物を破壊し、テルマが炭化汎魂繊維を無力化した。三人を、アーシェラがまとめた。そんな風にエステルは考え、その推理は完璧に真実を捉えていた。

 それから三十分後、執務室には四人組の冒険者パーティが立っていた。

「君たちが銀影団だね。話はいつも聞いているよ」

 エステルは穏やかに言いながら、四人を観察した。リーダーの男は、強がりの表情を浮かべながらひどく緊張している。肥った学生は、この世に何も怖いものなどない、といったふてぶてしい表情。不機嫌そうな女は、名誉男性だろう。そして最後に、

「ああー? いま、なんて?」

 小刻みに震えつづける老人。らっぱのような補聴器を耳に当てている。

「まだなにも言っていませんよ、博士」

 エステルは穏やかに言った。

「ああー?」

「もう頼む、頼む、黙っててくれ、頼むから、ジジイ、本当に」

 リーダーが半泣きでうめいた。

「君たちに、ひとつ仕事を頼みたい。私から、直接の依頼だ。受けてくれるかな?」

「はっはい、もちろんですっ」

「ありがとう。そう言ってくれると信じていたよ。話は簡単だ。女を四人、殺してもらいたい」

「へェー、面白そうじゃん。ボクまだ殺したこと無いなァ」

 肥った学生がヘラヘラした。

「無論、もしも露見するようなことがあれば、私は君たちを切り捨てるよ、グリシュナッハ」

 鋭い目線で一睨みすると、学生は――グリシュナッハはわずかに怯み、数秒かけてにやけ顔を取り戻した。ナメられたくない年頃なのだ。だが、エステルにはそのことが理解できたし、男のプライドをむやみに傷つけるような趣味はなかった。

「誰を殺す?」

 女が言った。エステルは彼女を無視し、リーダーに視線を合わせた。

「君も知らない仲ではないはずだよ、ウグルク。アーシェラだ」

 名前を出した瞬間、ウグルクの肩がぴくっと跳ねた。つい三日前、ウグルクはアーシェラに公然と侮辱されたのだ。龍討伐のクエストを受注しに行き、ゴブリン掃討を薦められた。食ってかかって結界に弾かれ、鼻血をこぼした。あれほどの屈辱を、忘れられるはずがない。

「アーシェラは、テルマ、ルイーズ、ヴァージニアという三人の女を率いて私の別宅を荒らした。その際、アーティファクトを幾つか盗み出している。四人を殺し、盗まれたアーティファクトを取り戻してくれたまえ」

「報酬は?」

 女が言った。

「君は――」

「マウフル」

「君はもう少し、穏やかに話した方がいい。女なのだからね。つまらない怒りを買うのは損だろう」

 マウフルは拳を強く握って深呼吸し、「失礼しました」と頭を下げた。

「報酬は約束しよう。この私が誓うのだ、安心してもらって良い。四人の詳細については、追って君たちのステータスボードに送らせる。さて、質問はあるかね?」

「行く先の目星」、言葉を切りかけて、マウフルは眉をひそめた。「は、ついているんですか?」

「アーティファクトを流すとするならば――」

 エステルは、見る影もなく落ちぶれたヴァージニアの仕事ぶりを、よく知っていた。裏から手を回して低賃金のままに留め置いたのも、エステルの仕業だ。だがあの女は泣きついて戻るだけの知性もこらえ性も無かった。結果として娘は逃げ出し、下らない復讐に走った。愚かにも程がある。

「ダンジョン街に向かうだろう。ダンジョン縦貫道を通るはずだ」

「チッ……ダンジョン街か」

 この舌打ちは、銀影団のリーダー、ウグルクのものだ。

「グリシュナッハ、マウフル、急ぐぜ。縦貫道で仕留める。では失礼いたします、マスターエステル」

 マントを翻し、ウグルクは足早に執務室を飛び出した。グリシュナッハとマウフルが慌てて追い、

「ああー……?」

 老人が補聴器を虚空に向けた。

「ジジイ! おい! 何やってんだよこのバカ! 失礼しました!」

 憤然と戻ってきたウグルクが、老人を部屋から引きずり出していった。

「粗野な連中だ」

 ウォッカをなめながら、エステルは眉根をひそめた。しかし、これで問題は解決したも同然だ。女が集まったところで、平均レベルは10にも満たない。銀影団はこれと言って見るべきところのないパーティだが、それでも平均レベルは25。戦闘になれば一揉みだろう。

 それに、使い捨てるならば愚か者の方がいい。仮に原盤の価値に気づいたとて、売り飛ばすよりも返しに来ることを選ぶような連中が。保守的な小市民の素晴らしい点は、権威を疑わないところにある。どれほどの無茶であろうと、それが権威から放たれたものであれば受け入れる。だから、役に立つのだ。


 

 密命を帯びた銀影団は、“銀の鹿角”で腹ごしらえを兼ねた打ち合わせを始めた。

「ウグルク。この話」

「分かってる、マウフル。オレにだって分かってる。こいつは、カスとクズをまとめてゴミ箱に捨てちまおうってやり口だ」

 ウグルクは最下等のポートワインを舐めながら、言葉少ないマウフルの思いを読み取った。

「ボクは興味深いけどねェ。だって殺しちゃっていいんでしょ?」

「簡単に言うんじゃねえよ、グリシュナッハ。テメーはダンジョン縦貫道の何を知ってんだ」

「さァー? ボク、学生ですしィ? ダンジョン街とか臭すぎて長居したくないですしィ?」

 酒気をまとった溜息が、ウグルクの口から漏れる。グリシュナッハは饐えた臭いに顔をしかめた。

「だがな、結局はエラい奴に使われるのがオレたちだ。社会経験積みてえだけのテメエと違ってな。だから、仕事はやる」

「問題は、ダンジョン縦貫道」

「ああ、そうだぜマウフル。そこだ」

 ウグルクは、皿の上のニャーニャにナイフを突き立てた。ミンチをスプーンでごっそりえぐり取ると、両端を縛った羊の胃袋にぽっかりと穴が開いた。

「下品」

 マウフルが顔をしかめる。

「食えよ、マウフル。好きだろ」、ウグルクはニャーニャを小皿に取り分けた。「縦貫道ってのは、言ってみりゃただの穴だ。まっすぐ落ちればマナニア・ダンジョンの六十層」

 ウグルクは、つまみだしたソバの実をニャーニャの穴に落とした。穴の内側では、クズ肉や羊の脳、ソバの実がいびつな断面を作っている。

「運び屋は、壁のちょっとした段差を飛び渡っていく。ヴァージニアって女がそうらしいな……マウフル、どうした? 知り合いか?」

「別に」、マウフルは、ごまかすようにグラスの端を噛んでから、ウグルクの視線を受けて観念したように口を開いた。「降り方が、きれいだった」

「あア? なんだそりゃ?」

「見たことは、ある。縦貫道を使ったとき。でも、下衆だった」

「エステルの元嫁とはな。笑えるぜ。あんな金持ちと結婚して、なんの不満があったってんだ」

 グラスを持つマウフルの手に、静かな怒りがこもる。

「男に、頼った。捨てられた。復讐した。ただの、下衆」

 憧れが反転した憎悪のこもった言葉だった。

「それならさァ、勝負だね。マウフルとその女、どっちが強いのか」

 グリシュナッハが楽しげに言った。

「多分だが、ヴァージニアが先行すンだろ。で、残り三人が後からノロノロ行くはずだ。グリシュナッハの言う通りだな、獣人女とマウフルがマッチアップする」

「残り三人は? ボクたちが殺すの?」

 ウグルクは頷いた。

「俺たちに有利な点がある。縦貫道ッてのは全体が魔禁なンだ。派手な魔法戦で、ダンジョン流通の大動脈をぶッ潰すわけにはいかねえからな」

 ニャーニャに開けた穴をスプーンで突き崩しながら、ウグルクが語った。

「普通の魔法が使えないってことだよね? なるほど、ボク向けだなァ」

 グリシュナッハは残忍な笑みを浮かべた。女をまとめて引き裂く画が見えたのだろうとウグルクは思った。学費と生活費を全て親に払わせながら、まともに授業も受けないろくでなしだ。しかし、敵を傷つけることに一切の躊躇が無い性質は、冒険者として得がたい。

「オーク女もお前と同じで、無文字魔法を使うッて話だ。レベル差で揉み潰せるだろうがな」

「へェ! 生意気な女だな、どこで覚えたんだ。ボクが殺すよそいつ」

「なあおいグリシュナッハ、いたぶろうなんて考えるんじゃねえぞ。縦貫道の底についちまッたら、そこからはダンジョン街の法が適用される」

「友を殺すなかれ」

 マウフルが言って、ウグルクが頷く。

「冒険者殺しは禁止。破れば、俺たちは冒険者じゃいられねえ。エステルは庇っちゃくれねえぞ」

 グリシュナッハは鼻を鳴らした。

「お楽しみがないのかァ」

「連中がチンタラ降りてる隙に、襲って殺す。テメエの落下制御が役に立つはずだ」

 不満のぼやきを無視して、ウグルクは話を続けた。

「でもさァ、どろぼうを殺すだけなんてつまんない仕事だな。もっと龍を殺すとかさァ、冒険者ってそういうものだよねェ」

 グリシュナッハの言葉に頷きはせずとも、まったく同じ思いをウグルクは抱いていた。

 どれだけダンジョンに潜りクエストを達成しようと、報酬はたかが知れている。依頼者からの支払いは中間業者に繰り返し中抜きされ、冒険者の手元には濾過されたかのような一雫が滴り落ちるばかりだ。日々の仕事をまじめにこなしていけば、いつか報われる? ダンジョンが痩せていなければ、理想と現実は噛み合っていたことだろう。現状は違う。

 難度の高いクエストを受注し、無事に達成せしめれば、レベルも上がるし報酬も期待できる。他に道はなかった。ウグルクたち銀影団は、私人に雇われる企業冒険者として生きられるほど優秀でもない。

 だというのに、アーシェラはゴブリン退治を斡旋するのだ。

「たかが受付嬢がナメやがって。現場も知らねえで、適当な仕事で金もらって、女だからって俺たちのことをバカにしてんだよ」

 屈辱と苛立ちが、ウグルクの心を焼いた。アーシェラがまともな仕事を回してくれさえすれば、こんなことにはならなかったのだ。

「キッチリ殺しきるぞ。やりようッてのが大事なんだ。エステルに仕事ぶりを認められりゃあ、俺たちにも運が向いてくるかもしれねえ」

 ウグルクはニャーニャを頬張り、安酒の杯を干した。熱い息を吐いて立ち上がる。三人がそれに続く。

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