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「僕が殺した」
彼は静かに言いました。華さんは肩の力が抜けるのを感じながら彼の横顔を見つめました。恐ろしく怖いものを見る目で。その眼差しにはきっと軽蔑の意味も込められていたでしょう。
「なんで……?」
華さんは聞きました。
「この人、何人もの人を殺したんだ」
その言葉に華さんは、えっ、と声を上げた。
「医療ミスってことにして、すごくいっぱい殺したんだ」
彼は華さんの様子をうかがうように華さんを見ました。
「だから殺したんだよ。僕が殺さなきゃ皆死んじゃう」
そう言う彼の澄んだ青い瞳は少しも濁っていませんでした。まるで自分は何も間違えていないと言わんばかりです。
「そんな、この人の家族は……?」
彼は目を細め、死体を見ました。
「自分のお金のためにこの人は奥さんを殺したんだ。それで娘に嫌われた。だからこの人が死んで困る人なんて一人もいないんだよ」
華さんは言葉を失いました。決して多くはない口数なのにやけに説得力のある彼の言葉で、なんだか彼の行ったことが正しいように感ぜられたのです。
「でも……」
華さんは殺人をしてはいけない理由を模索しました。けれど華さんの頭の中には、彼が正しいのではないかという思いが強くなりつつありました。
猫が死体を食べるのを止めると彼は猫を華さんの足元におろすと、また死体に土を掛け始めました。何も言わずに華さんは彼を見ていました、華さんは何もすることが出来なかったのです。死体をおいしく食べた猫が彼女の足にくっついてきました。
「ねえ」
彼が土を死体にかける手を止めずに華さんに呼びかけました。
「華のおうちはどこなの?」
華さんは本当のことを言うべきか否か迷いました。殺人者に住所を聞かれているのですから、当たり前ですよね。
「別に僕は華に何もしないから、本当のこと言って」
まるで華さんの考えていることが分かっているかのような口調で彼は言いました。
「……ここから歩いて20分くらいの上町だよ。」
華さんは正直に答えました。それを聞いた彼は立ち上がり、にっこりと笑顔になりました。
「一人暮らし?」
彼のその問いに華さんは頷いただけでした。
「そっか」
彼は死体を埋め終わったのか、こちらに来ました。そして猫を抱き上げます。
「この子と僕、お家に入れてくれない?」
その言葉に華さんは驚きました。
「な、なに言ってるの……?」
華さんは彼の顔を見上げます。
「やっぱりだめかぁ」
華さんの反応を見て、そう悲しそうな顔をする彼に、華さんはなんだか悪いことをしている気分になりました。
「拓馬のお家はどこ?」
今度は華さんが彼に聞きました。
「あるけど、帰りたくないんだ」
猫の喉を撫でながら彼は言いました。その様子はまるで思春期の男の子の様でした。
「なんで?」
いつの間にか、華さんは小さい男の子と話している錯覚に陥りました。
「お母さんはいないし、お父さんも僕を召使みたいに扱う。僕はまるで物の様だ」
華さんはなんだか彼の頭を撫でて彼を慰めたい衝動に駆られました。しかしよくよく考えてみれば、彼はどう見たって二十代半ばです。もう両親のことで悩む時期は過ぎているのです。
「仕事は?」
華さんは一番気になっていたことを聞きました。今日は平日で、華さんは有給を使ったわけですが、普通なら社会人は仕事の時間です。
「僕は悪いことしていない人は殺したくない」
彼のその返答の意味が華さんには分かりませんでした。
「殺すって? なんで働くと殺しちゃうの?」
華さんがそう聞くと、彼は持ってきていたバックからナイフのようなものを取り出しました。
彼はそれを華さんに差し出しました。
「これって……、メス?」
華さんの質問に彼は頷きました。
「お医者さん?」
その言葉にもう一回、彼は頷きます。
「お医者さんって人を助ける仕事じゃない……。それが何で……?」
彼はメスをカバンにしまいました。
「僕は別に医者になりたかったわけじゃない」
彼はまた猫を抱きかかえ、猫の頭を撫でながら言いました。
「父さんが僕に医者になれって言ったんだ」
華さんは静かに彼の話を聞いた。
「でも僕は実習生の時に人を殺した」
華さんは何も言わずに彼の手の中に居る猫を撫でました。実習生の時に失敗してしまう医者の卵はきっと大勢いるだろう、そう華さんは思ったのです。
「わざと」
その言葉で、華さんの猫を撫でる手がぴたりと止まりました。
「僕が殺した患者は会社の横領をしていて、それが会社にばれたから逃げている奴だった」
彼の眉間にはしわが寄り、表情が一気に険しくなりました。華さんはその顔でようやく彼が殺人者であることを実感したのです。
「こんなやつも助けなきゃいけない医者なんて、正義じゃない」
正義を語る彼の顔は憎悪に満ちていました。
華さんは始終黙っていました。何も言い返せない、そう思ってしまったからです。
「お父さんは僕に医者になれって言ったけどそれはお金が欲しいからだ。お父さんの言いなりなんてもう嫌なんだ。だから僕は家を出る」
彼の手は猫が潰れてしまうのではないかと心配する程力が入っていました。
「だから私の家に来たいの?」
彼は頷きました。
「僕何だか、華が好きだ」
彼は、さっきまでの憎悪の顔が嘘のような可愛い笑顔を華さんに向けました。その言葉に華さんはたじろぎます。華さんは、今まで異性から好意を向けられたことは何度かありましたが、これほどまでに惹かれる言葉を聞いたことはありませんでした。
「だからお家に行っていい?僕、ちゃんと自立するように頑張るから。それまでお家においてくれませんか?」
普通、出会って間もないうえに犯罪者である人間を家にいれるなんてふつうはありえない話です。けれど華さんは断れませんでした。それは華さんが非常識で、知識のない人間だからではありません。
多分きっと運命だったからでしょう、二人の出会いは。
「……いいよ」
華さんは自然とこの言葉を発していました。
「ありがとう!」
現れた屈託のない彼の笑顔は、華さんは思ってしまったのです。ひょっとしたら私はXを好きかもしれない、と。
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