5

 わたくしは、恋とは勘違いで成り立つと思うのです。


 心に少しでも温かいものやチクリとするものを感じることで、自分は相手に好意を抱いている、と勘違いし、その勘違いをいつまでも信じ続けます。相手が、自分のことを好きだと言ったらなおのこと、勘違いを確信へと変化させどんどんその勘違いを根強いものとしてしまうのです。


 そう考えると、恋も愛も空しいものです。

 これはわたくしの勝手な意見なのですが。


 その日から華さんとXの生活が始まりました。

 華さんは保育士をしておりました。だから精神年齢が低いXは華さんに惹かれたのでしょうか。華さんが働いている間、Xはバイトをしながら家事や料理をしていました。


 けれどそんな生活は一年も持ちませんでした。一緒に住んでいる中で華さんは、やはりXは犯罪者なのだと確信することが多くありました。二人が共に生活するようになって約半年がったころ彼は、日中はぶらぶらと街を歩き華さんが家に帰り夜ご飯を作り終えた当たりを狙って帰ってくるようになりました。所謂完全なるヒモになり下がったのです。


 きっと彼は暇な昼の時間に人や動物を殺していたのでしょう。

 

 華さんは時たま、彼から殺気を感じる時があった様です。そういう時に彼は決まって華さんに抱きつき、彼女からの愛情を求めていた様です。その様子はまるで幼児退行でした。けれど華さんはそれを一度も拒みませんでした。彼に抱きしめられている間、華さんは彼の罪を体中に塗りたくられている気分だったようです。


 なぜ華さんは彼を追い出さなかったのでしょうか?わたくしは、本当に理解に苦しみます。華さんの生気が彼に吸い込まれていたような気がします。自分の人生がどうなってもいい、華さんはいつの間にかそう思っていたかもしれません。これも恋や愛の歪んだ力なのです。好きな人なら何でもできる、その思考が華さんの心を支えている様に見せかけ、実は華さんの心を蝕んでいたのです。共依存、とも言うのでしょうか?


 段々、彼は調子に乗って華さんに対しDVをするようになっていきました。

 そして、どんな非道な行動も愛故なのだ。そんな嘘と偽りに満ちた言葉が勘違いをまた産み出していきました。


 そんな生活が続く中、家にいてもお酒を飲み、働こうとしない彼に、ある時華さんは我慢することが出来なくなりました。その日は華が家に帰るといつもは夜ご飯の時間に帰ってくるはずの彼が、珍しくいました。


 殺意に満ちた彼の背中を見て華さんは、


――嗚呼、今日も又。


 そう思いました。華さんはもう、頭が狂いそうでした。華さんは、人を殺したと彼から聞かされても驚かなくなってしまった自分の感覚が、あまりにも世間とずれてしまい生きていくのがとても怖くなったのです。


 もうこんな生活抜け出したい。

 華さんはいつもそんなことを考えるようになりました。


――この生活から抜け出すには、殺すしかない。


 殺しが身近になった華さんの頭には、解放されるには殺すしかないという考えしか湧きませんでした。


 華さんは台所から包丁を持って彼の背中に近づきます。

 足音を立てないよう、殺意が伝わらないよう静かに彼の背中に向かいます。


「僕が憎い?」


 彼は華さんの方を振り返らずに言いました。

 その言葉を聞いて華さんの包丁を持つ手が震えます。包丁を離してしまわぬように華さんは両手で包丁を持ちました。


 彼が華さんの方へ振り返り、笑顔で華さんに近づきます。


「刺せよ」


 そう言って華の腕を掴み、自分の腹に包丁を向けました。


「やだっ……!」


 華は泣きながら彼から包丁を遠ざけようとしました。


「殺したいんだろ?」


 彼は楽しむように華さんの腕を掴む手の力を強めました。

 華さんは拒むように首を何度も横に振ります。

 華さんは包丁から手を離し、包丁が床に落ちました。


 彼は思い切り華さんを壁に打ち付けました。そして抵抗できないよう華さんの両手を、片手で壁に押し当てると華さんの耳元に自分の口を近づけます。


「今日は子供を殺してきたよ」


 彼は笑いながら、震える華さんの耳を舐めながら言いました。


「僕のことを馬鹿にしたんだよ、その子は」


 華さんは体を震わせ、息が荒くなりました。それでも彼は話すことを止めませんでした。


「だからその子のあばら、一本一本折ってやったよ」


 彼は空いている手で華さんのあばらに触れました。

 華さんの震えはさらに小刻みになります。


「泣き叫んでたよ、あんな山奥で人なんて来ないのに」


 そう言って彼は笑い始めました。金切り声のようなその笑い声は華さんの耳に響きます。


「聞かないの? いつもみたいに。あの子の家族はいいのかって?」


 彼は華さんの首筋を舐め言いました。そして空いている手で華さんの頬に触れました。

 華さんは口を動かすだけで、言葉が出ませんでした。力が入らないのです。


「言えるわけないか」


 そう言うと彼はその動くだけの華さんの唇に、自分の唇を重ねました。


「愛してるよ」


 そう呟いて彼はキスを深くします。

 震えて過呼吸気味な華さんにとってはそのキスは息苦しく、殺人者にされていると思うとおぞましくて仕方ありませんでした。

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