領主様失踪事件4

 ――あれは、羅針盤の示す先が黄金に輝く時刻だった。

 新世界を統べし者は川辺におり、遊山の最中だったボクと邂逅した。


 ――やあ! 新世界を統べし者!

 ボクが声をかけると、彼は振り返り、微笑を浮かべた。

 ――これはこれは、新世界の姫君。奇遇ですね。

 ボクは彼の元へ赴き、暫し雑談をまじえた。


「なるほど? 新世界で揃えたわけですね?」


 話の腰を折るな! 門から閉め出すぞ!


 ……彼は外界への橋を気にかけているようでな。

 ボクは彼の様子を見守ることにしたんだ。


 そう時間はかからなかっただろう。

 突然、森の奥から、耳慣れない音がした。

 激しく、耳障りな音だった。


 そして、が現れたかと思えば、新世界を統べし者はボクの腕を引き、木陰に隠したんだ。


「異界の箱ぉ……?」


 ボクにもわからん。

 その箱は黒く、車輪のようなものがついていた。


 ……彼がこちらを振り返り、ボクに隠れているよう告げたのは、そのときだった。

 ボクは嫌だと言ったのだが、彼は聞かず、ボクを彼の運命の歯車の傍、木陰に隠した。


「運命の歯車……」

「……自転車のことかしら?」

「それです! マリア!」


 そうしたら、箱の扉が開き、中から見慣れない男が現れたんだ。

 ……名前は聞き取ることはできなかったな。

 だが、新世界を統べし者はとても驚いた顔で、「やあ」と言葉をかわしていたよ。

 ……相手は、黒い髪の男だった。


「黒い髪の男? いや、そもそもその箱って、何なんでしょう?」


 彼は二言三言男と会話し、そのまま腕を掴まれ、箱の中へ引きずり込まれてしまった。


「はああああ!? あっさり誘拐されてんじゃん!!」

「防衛機能、第2段階フェーズ2へ移行します」


 箱は凄まじい速さで動き出し、……ボクは、その場で暫し呆然としてしまった。


 外界への干渉は母上よりきつく禁止されているため、ボクは動くことができない。

 羅針盤に茜がさすまで待ってみたが、あの箱も、彼も戻ってくる気配がない。

 門が閉じる時が警鐘を鳴らしたため、ボクは一度城へ戻ったが、まだ神々の戯れの時刻だった。


 ……だから、もう一度別離の地へ向かってみたんだ。

 そうしたら、彼の運命の歯車がなくなっていた。

 ……無事に帰還したのだと、思っていたんだ。


 それなのに……っ。


「ママも、みんなも、領主様がいないって、領主さまを探してるの……ッ」


 せり上がってくる不安に押され、涙をこぼした少女が目許をこする。

 ええーんっ!! 続く泣き声に、サミュエルはぎょっとした。

 おろおろと少年がハンカチを差し出す。


「りょーしゅさま、帰ってこなかったら、どうしよう……!!」

「な、泣かないでください! 俺たちが連れ戻します!」

「ううっ、ぐすっ! ママにもいえなくて! こわくってぇ!! ひっく、かみさまぁ! りょーしゅさま、かえしてよお!!」


 堰を切ったように泣き出す少女が、わんわん泣きじゃくる。

 困り果てたサミュエルに代わり、マリアは膝をついた。

 指の背が、少女の頬をなでる。


「話してくれて、ありがとう。とても助かったわ」

「うぇっ、ぐすんっ」

「あとは私たちに任せて、ノキさんが戻ってきたときに、元気なお顔を見せて?」

「ぐす、っうん」


 未だ涙に濡れていたが、大泣きからは回復した少女が頷く。


 彼女と別れたサミュエルとマリアは、思案しながら夜道を進んだ。


「これで怨霊だとか、亡霊の線は消えましたが……、自転車がなくなったのって、ノルベルトさんが運んだからですよね。……それより、黒髪の男と、動く箱、が謎ですね」

「黒髪……」


 マリアの顔が、サミュエルへ向けられる。

 ぎょっとした少年は、慌てた様子で両手を振った。


「俺じゃありませんって! それだと、町中の黒髪の男が容疑者になってしまいます!」

「そう……ね。ごめんなさい」

「ノキの知り合いで、黒髪の人……? いましたっけ? ダグラス卿くらいしか思い出せないんですけど……」


 今朝開けた手紙のひとつである、船旅で出会った貴族の名前。

 しかし、いや。少年は左右に首を振った。


「それだと、ノキの態度がフランクすぎますよね。大体、こんな強引にノキを連れ去る理由って、なんなんでしょう?」

「わからないわ。……でも、動く箱はきっと、蒸気自動車だと思うの」

「じょうきじどうしゃ? なんですか、それ」


 マリアが告げた耳慣れない名称に、サミュエルが瞬く。

 困ったように頬に手を当てた彼女は、「お金持ちの乗りものよ」説明した。


「馬ではなく、燃料で動く乗りもののことよ。とても速く走ることができるの」

「そんなものがあるんですか!? あっ、もしかして都会で見かけた、ごつい荷台のことですか!?」

「ええ。それで合っているわ」


 都会で度々見かけた、馬のいない荷台。

 荷台と呼ぶには少々奇抜な形をしており、サーカスでもするのだろうかと、少年は首を傾げていた。


 そんな乗りものがあるのか。少年がひとつ都会を知る。


「じゃあ、ノキはその蒸気自動車とやらで、黒髪の男に誘拐されたんですね」

「処さなきゃ」

「マリア。ノキが泣いてしまいます……」


 頬に手を当て「傘を持って行かなきゃ」といった調子で、マリアが報復を宣言する。

 左右に首を振ったサミュエルは、ううん、考え込んだ。


 ――金持ちの乗りものということは、相手は貴族だ。

 けれど、事前の連絡もなく、こんなど田舎へ訪れる貴族など、誰がいるだろう?

 それに黒髪……黒髪?


「まさかですけど、あのいけ好かない本家の跡継ぎ……あいつじゃないですか?」

「オーティス様? そんなっ、あの方は黒髪ではないわ」


 ノキシスの本家、ゲルトシュランク家の長男オーティスは、ダークグレーの髪色をしている。

 見ようによっては黒髪とも判断できるが、感性の鋭敏な少女が見間違えるだろうか?


「ほらあの子、言い方がちょっと回りくどかったですけど、西日の中でその男を見てますよね」

「もしかして、色が変調して見えた……?」

「かも知れません。橙色と混じって、黒髪に見えたのだと思います」


 だとすれば、オーティスは何故、わざわざ心底嫌っているノキシスを連れ出したのだろう?


 ――まさか、直接害するため?


 ゾッとする推測に、少年は青ざめた。


「やばいですって。いよいよノキのウソ報告書がバレたんじゃないですか!?」

「前回送った書類は……丁度届いた頃……まさかっ」


 不意に立ち止まったマリアの瞳孔が、キュッと狭まる。

 足を止めたサミュエルは振り返り、彼女の名前を呼んだ。

 吐息のままこぼされた微かな声が、寒空を震わせる。


「みつけた」

「えっ? マリ……ぎゃッ!?」


 サミュエルは背が高い。

 当然女性らしい体躯のマリアよりも高く、彼女の顔は見下ろす位置にある。


 そんなマリアがサミュエルの腰に腕を回し、その華奢な肩に少年の身体を担ぎ上げた。

 いわゆる俵担ぎである。

 突然視界が反転したサミュエルはびっくりだ。

 下りようと暴れる彼をがっちりとホールドし、マリアが脚に力を込める。


「サミュさん、じっとしていて。舌を噛むわ」

「ちょ、マリア!? 何事ですかッ、下ろしてください!!」

「ノキさんを見つけたわ」

「――えっ」


 少年が聞き返そうと動きを止めた瞬間、彼は風になった。

 残像が見えた、と、近くにいた町の人は証言したらしい。

 満月を背景に跳躍したマリアの姿は、さながら夜の使者だったそうだ。


「あんなに間近で月を見たのは、生まれてはじめてです。え? 高いとこ? あ、もうお腹いっぱいです」

 後にサミュエルは、高いところと速いものが苦手になった。

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