領主様失踪事件3
「だめです、ゲーテさん! 自転車すら見つかりません!!」
「ありがとう、フォードマン、ジェイク」
夜闇の中、袖をまくったふたりの青年が現れる。
逞しい体格をした彼らは、この寒空の下、額に汗を浮かべていた。
「まさか領主様、怨霊にさらわれたんじゃ……」
「おい、やめろって!」
小さく呟いたフォードマンを、ジェイクが肘で小突く。
扉が開かれたことにより、遠のいていた喧騒が店内へ流れ込む。
町の人々がそれぞれカンテラを手に、右へ左へ駆け回っていた。
――領主様が怨霊にさらわれた!!
何としてでも探し出すぞ!!
あちらにはいなかった!
森はどうだ!?
足元に気をつけろ!
飛び交う怒号に、はっと顔を上げたマリアの瞳が潤む。
肩を震わせた彼女は立ち上がった。
「私っ、探してきますわ!!」
「待ってください、マリアッ、うわ!?」
飛び出したマリアを追いかけ、駆け出したサミュエルが、急停止した彼女の背にぶつかる。
短く謝罪の言葉をこぼした少年は、彼女の肩越しに外の様子をうかがった。
「……あっ、あぁッ、ぁあの!」
「ノルベルトさん!?」
パブリック・ハウスの前に立っていたのは、重たい眼鏡をかけた、ボサボサ頭の青年だった。
彼が押す、見慣れた自転車。
周囲の暗さが色の判別を難しくさせたが、へこんだ前かごや傷の多い車体は、間違いなくノキシスの赤い自転車だった。
大きな声を上げ、サミュエルが探し人の愛車を指差す。
「ノキの自転車じゃないですか!! どうしたんですか、それ!?」
「何だと!? どこだ!!」
「どれ、明るいところで見せてくれませんかな」
「君、これをどこで!?」
「あぁわっ、ぁわわ……っ」
続々と店先から重鎮らが顔を出し、後にノルベルトは、「さながら地獄の門のようだった」と語った。
「しょ、小生、その、……今日は、……インスピレーションを得るため、……も、森に、行っていたで、あります……」
ぼそぼそとした声音で語る小説家ノルベルトは、誰とも目を合わさないよう視線を俯けていた。
はい。サミュエルの打った相槌に促されるように、青年は話を続ける。
「そ、そこで、じ、自転車っ、……領主様の、自転車が、木陰、に……とめてあったので……あります」
「木陰ですか? どの辺りに?」
「橋の、手前、で、あります」
「手前? それは、いつ頃の出来事ですか?」
「夕方……で、あります。……その、それで……」
ますます声量を落とした青年の証言に、周囲が懸命に耳をそばだてる。
静まり返る店内は緊張を煽り、ノルベルト青年のなで肩は、一層狭まった。
「領主、さまの、自転車……だと、わかった、ので、……不肖ながら、小生、……お、お屋敷まで、運んだ、で、あります」
マリアが、はっと口元を押さえる。
「で、ですがっ、……呼び鈴を、鳴らして、も、……だ、誰も、出なくて……」
「……マリアがここに来たときですかね?」
夕方の出来事を思い返し、サミュエルが脳内で時系列を組み立てる。
おろおろとするマリアは、青年の話を見守っていた。
「しばらく、待った、で、ありますが、……もしかすると、領主様、……自転車、を、お探し、かと、思い……橋まで、戻った、で、あります……」
「すれ違いしてますね……俺たち……」
恐らく、サミュエルたちが聞き込みを始めた段階で、ノルベルトは橋へ戻ったのだろう。
エリアスは虚空を見上げ、「あちゃー」目元を覆った。
「そ、れで、……橋の周囲を、さが、し、て……領主様が、いないか、……し、しばらく、うろうろ、と……」
「……それでまた、屋敷の方へ戻ったんですね……」
こくり。消え入りそうなほど縮こまる青年が頷く。
その場にいた全員が顔を覆い、深く息をついた。
……タイミングが、悪かった……。
全員の心がひとつになった瞬間だった。
恐らくノルベルトは、屋敷から町へ向かい、騒然となっている様子に驚いたのだろう。
そして捜索の拠点となっているパブリック・ハウスに顔を出した。
「橋の辺りで、人影とか、見ませんでしたか?」
「……ひとり」
「いたんですか!?」
ダメもとで尋ねた言葉に返事があり、サミュエルが身を乗り出す。
大袈裟なまでに身体を飛び上がらせたノルベルトは、もごもご、呟いた。
「でも、あまり、関係ない、ような……」
「構いません! どんな人でしたか!?」
「……女の子、だったで、あります……大怪我をした」
「へ?」
思ってもみなかった人物像に、少年が間の抜けた声を発する。
分厚い眼鏡越しに、ちらと顔を上げた青年は、即座にうつむいた。
「腕を、三角巾で……吊った、……眼帯の、少女、で、あります……」
「ああぁ……あの子……?」
「あの姿はまさしく、ちゅうにびょう……!!」
「ちゅうにびょう?」
ノルベルトの小声の早口に、サミュエルが首を傾げる。
心配そうな顔のエリアスが、少年の脇腹を小突いた。
「重傷じゃん、その子。大丈夫かよ?」
「あー……まあ……」
心当たりのあるサミュエルは、曖昧に言葉を濁し、視線を逸らした。
……言えない。その大怪我がファッションだなんて……。
「俺! その子のとこ、いってきます!」
「サミュさん、私も行くわ!」
きつく胸元を握ったマリアは、メイド服の裾をひるがえした。
少女の住む家の呼び鈴を鳴らすと、秒と待たずに玄関が開かれた。
飛び出した眼帯の少女は、サミュエルの顔を見るなり、落胆に満ちた声を発する。
「……何だ、貴様か」
「随分な謂れだよな、これ。きみに聞きたいことがあるんです」
「断る。ボクは忙しいんだ。これより聖域を巡礼し、大天使より祈りの託を賜らなければならない」
「どうしよう……なんていってるのかわかんねー……」
ぞんざいな態度で放たれた独特の言い回しに、少年が両手で顔を覆う。
マリアも不思議そうな顔をしており、少女とサミュエルを交互に見遣っていた。
「ノキのことです! 今日、ノキと会いませんでしたか!?」
「新世界を統べし者なら、ボクと邂逅したぞ」
「んんんっ? 会った、んですよね?」
――新世界を統べし者?
随分と物々しいな?
サミュエルが頭上に疑問符を大量に並べる。
「そう伝えているはずだ。……ふん。物分かりの悪いやつめ」
「聞こえてるからな、その悪口!!」
憤る少年から、少女が顔を背ける。
つーん、としたその仕草は、完全に拗ねているものだった。
「くっ……いつ会ったんですか?」
「神々の
「んんん???」
「いや、羅針盤が黄金を示しただけで、時辰儀は時の門を閉じていなかったな」
「ナンダッテ???」
サミュエルの頭痛が増す。
彼の主人ならば、ユーモアをもって返答できただろう。
けれども今、その頼れるノキシスがいない。
――羅針盤? 時辰儀? なんて??
少年が困惑すればするほど、少女の機嫌が悪くなる。
むっとした彼女は、両腕を振り上げた。
「聖なる神の城で、甘美なる戯れの時刻だった! もういいだろう! ボクは忙しい!!」
「あっ、ちょ、待てって! ノキを探すのに、協力してくださいよ!!」
「……っ」
玄関を閉じようとした少女に抗い、サミュエルが協力を求める。
ぴくりと肩を震わせた彼女はうつむいた。
「……ボクは止めたんだ。だが、彼はボクを庇い、死地へ赴いた」
「どこですか、そこ。ノキどこ行ってんですか」
「聞いてくれ。ボクの懺悔を……」
ぽつり、ぽつり、微かな声で少女は語り始めた。
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