サミュエルの休暇

 そもそもサミュエルは、母親の治療費を返済するために、ノキシスの元で働いている。


 ――ちゃりん。

 数えた金銭が、幼い日につけた返済金額を超える。

 指先で小銭を転がしたサミュエルは、重たい息をついた。


「……これ、返しちゃったら、俺、解雇されんのかな……?」


 ぽつり、つぶやかれた独り言が、不安そうに空気に溶ける。


 当初はとっとと返してしまおうと積み立てていた貯金だったが、いつの日からか、のろのろと積み立てる金額を減らすようになった。

 しかし、塵も積もれば山となる。

 先送りにしていたそれが、ついに無視できない金額にまで成長してしまった。

 憂鬱そうな顔で、サミュエルが貯金を元あった戸棚の中へ戻す。


 窓の向こうは枯葉が落ち、短い夏が駆け足で過ぎたことを物語っていた。


 ……もうじき、サミュエルの誕生日が来る。

 成人として認められる16歳の日を、少年は遠い日より待ち焦がれていた。


 ――これでようやく、大人として扱ってもらえる。


 これまで受けてきた子ども扱いを、彼は不満に思ってきた。


 ――もしも大人として扱ってもらえたなら。

 けれどもその前に、過去を清算したい。

 でも借金を返済しちゃって、用済みだと、居場所を失ってしまったら、どうしよう。


 自室の机に突っ伏したサミュエルが、再びため息をついた。

 彼は雇用されている理由を失うことを、ひどく恐れていた。






「モニカとモーリッツからの手紙です」

「ありがとう」


 封を開いた手紙を受け取り、事務用の眼鏡が書面を滑る。

 雑な文字と、丸みのある文字を読み終わり、ノキシスは小さく笑みをもらした。


「モーリッツは、今度は陶芸職人になるつもりらしいよ」

「ミュージシャンはどうしたんですか!?」

「どうやら花屋の女の子に一目ぼれしたそうでね。手製の植木鉢を贈るため、修行に出るそうだよ」

「なんだろ……惚れっぽいんですね……」


 呆れた顔で、サミュエルが相槌を打つ。

 折り目のついた手紙からは、モニカの綴った『親方が雷落としてるんですぅ!!』との文面が覗いていた。


「あとこれ、ダグラス卿のテレジアさんと、ユーリさんからです」

「おや」


 船旅で出会った令嬢と使用人からの手紙を、年若い執事が差し出す。

 受け取ったノキシスは、柔らかな笑みを見せた。


 連名の記された手紙とともに、二つ折りのメッセージカードが飛び出す。

『結婚式の招待状』カリグラフィーの飾り文字が、文面を華やかに彩っていた。

 まぶしそうな顔で手紙を眺めた領主が、手にしていたペンで『不参加』と綴る。

 あれ? サミュエルは瞬いた。


「出席しないんですか?」

「わたしが出てしまえば、ダグラス卿に迷惑がかかるからね」


 ノキシスの本家は、悪名高い。

 同時に彼の生家も評判は悪く、つながりを問われては、ダグラス卿は不利となる。

「残念だがね」と呟いたノキシスは、白紙の便箋に祝いの言葉を並べていた。

 年若い執事が眉尻を下げる。


「なんていいますか、ノキって、しがらみに囲まれてますよね……」

「貴族とは、そのようなものだよ」


 穏やかな声音に耳を傾け、執事があれ? 首を傾げる。


「……そういえば、ノキって結構いい年ですけど、結婚とか婚約って聞きませんよね?」

「そうだね」

「……ノキ、きょうだいいましたか?」

「いや。ひとりっ子だよ」


 しれっと答えたノキシスに、少年が驚く。

 書き終わった手紙を乾かす領主は、素の表情でのんびりしていた。


「え!? 後継とかどうするんですか!?」

「さてね。以前は見合いの話も出ていたが、結局一度も行ったことはないよ」

「どういうことですか、それ! ノキの代で、血筋潰えません!?」

「はははっ。それはそれで、この地のためになりそうだ」


 おかしそうに笑ったノキシスが、サミュエルへ仕上がった手紙を手渡す。

 受け取った少年は、ますます困惑に顔をしかめていた。


「それより、サミュ。きみ、休日を消化していないだろう?」

「え」


 ぴたり、サミュエルの動きが止まる。

 にこにこしているノキシスは仕事に戻っているようで、ペン先をインクビンに浸していた。


「折角の機会だ。明日から10日ほど休みなさい」

「はあ!? 明日からですか!?」

「たまった仕事も落ち着いてきたところだ。たまには母親に顔を見せなさい」

「うぐっ」


 痛いところをつかれ、少年が口ごもる。


 執事という職業の特性上、彼は住み込みで働いてる。

 家を出てからこれまで、なんだかんだと実家へ帰っていなかった。


 ――いやでも、だからって、急すぎる!


 縋るような顔のサミュエルに気づいた領主が、不思議そうに眼鏡を押し上げた。


「休暇は旅行に費やすタイプだったかね?」

「違います!!」

「きみは勤勉だからね。休暇日数が必要なら、言いなさい」

「~ッ、いりません!! 休みなんかもらわなくても、同じ町にいるんだから、母さんにだってすぐ会えるんだし……ッ」

「サミュ」


 断固として休暇を拒否する少年へ、領主がおっとりと微笑みかける。

 うぐっ、サミュエルは口ごもった。


「たまにはゆっくりしておいで」






「――で、拗ねてるってわけか」

「拗ねてねーし!!」


 夜間の営業へ向けて、準備を進めるパブリック・ハウスのカウンターに突っ伏し、サミュエルが喚く。

 積み上がった食器を洗うエリアスは呆れ顔で、店主ゲーテは苦笑いを浮かべていた。


「サミュ。ノキさんにも考えがあるんだよ。わかっておあげ」

「でもだからって、『今日はもう上がっていいよ。支度があるだろう』って追い出すことないだろ!? マリアも土産まで用意してさ、やだっていっても聞いてくんねーんだよ!?」

「マリアさん、張り切ってんなー……」


 サミュエルの隣に置かれた、籐かごのバスケット。

 どっしりとした大きさのそれは、被せられたクロスから、酒瓶の口を覗かせていた。

 中にはマリアの焼いたアップルパイが入っているらしく、ふんわりとした甘い香りが漂っている。


 ぐすりっ、少年が顔を上げた。


「突然10日もなんて! 明日、俺の誕生日だったのに!!」

「お、そうだったのか? お前、いくつになるっけ?」

「16!! 成人!!」

「あー……」


 父親と顔を見合わせたエリアスが、不憫そうな顔をする。

 荒れるサミュエルへ、水を止めた友人は声をかけた。


「多分、それでじゃねえか?」

「俺は! ノキに一番に祝ってもらいたかったのに!!」

「サミュお前、度々重いよな……」

「うるせー!!」


 力いっぱい怒鳴る少年に、店主までもが不憫そうな顔をする。

 現領主へ静かに心酔しているゲーテにとって、サミュエルの願いは非常に魅力的なものだった。

 こくり、彼が頷く。


「父さんも、アラ還を迎えたときには、真っ先にノキさんに祝ってもらおうかな」

「アラウンド還暦……」

「親父も親父で、人知れず重いよな……」


 うんうん頷くゲーテを、若干引いた体勢で若者ふたりが眺める。


 不意に、カララン、ドアベルが涼やかな音を立てた。

 三人の顔が、そちらへ向けられる。


「すまないね。営業時間はまだ――マリアさん?」


 扉を開けたのは、いつものメイド服をまとったマリアだった。

 しかし、様子がおかしい。

 不安そうな顔で辺りを見回し、落ち着きなく胸元を握りしめている。


「おやすみ中にごめんなさい……っ」


 発せられた声音には、人間らしい焦燥が滲んでいた。


「サミュさんっ、ノキさんを見なかったかしら……?」

「見てませんけど……、ノキに何かあったんですか!?」


 慌てて椅子から立ち上がったサミュエルが、マリアの傍まで駆け寄る。

 おろおろと視線をさ迷わせる彼女へ、ゲーテが椅子を勧めた。


「マリアさん、落ち着いて話してごらん」

「ッ、」


 震える手を固く握りしめ、マリアが俯く。

 血色の変わらない自動人形であるはずなのに、彼女の顔色は一段と悪く見えた。

 意を決したように、彼女が顔を上げる。


「ノキさんの生体反応が、辿れないの……!」

「どういうことですか!? 生体反応って、マリアのノキサーチですよね!?」

「なにその機能」


 まともなお兄さん、エリアスが静かに突っ込む。


「生体反応はノキさんが……、マスターが生きている限り、自動機能するはずなの。それが全く反応しなくて……ッ」

「それって、まさか……っ」


 マリアの早口に、サミュエルはおろか、店主ゲーテの顔色まで悪くなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る