魔女の一撃5
「よお、旦那ぁ。マリアモデル、持ってんだってなぁ?」
乱暴に掴まれた腕が、突き飛ばすように離される。
勢いのまま壁にぶつかったノキシスは、裸眼の定まらない視界をゆっくりと開いた。
彼の周りを取り囲む、ガラの悪い男たち。
そして恐らくリーダー格なのであろう、ノキシスを投げた男が、彼の正面に立ちふさがっていた。
突然ここまで引きずられた田舎の領主が、困ったような顔で曖昧な笑みを浮かべる。
「失礼。急ぎの用があるんだ」
「なぁに、時間は取らねぇぜぇ。アンタが『はい』と頷けばなぁ!」
ぎゃはは! 取り巻きの男たちが野太い声で笑う。
品のないそれに、馴染みないノキシスは心底困惑していた。
――なにやら、無茶を要求されそうだ。
彼の脳裏では、苦手な人間第一位であるオーティスの、無理難題を言っている姿が再生されていた。
リーダーである男が、ずいと顔を近づける。
凄みのあるそれは、気の弱いものならば、泣いて逃げ出すものだった。
「なぁ、旦那ぁ。そのマリアモデル、うちでぇ見させてくんねぇかなぁ?」
そうすりゃうちも、箔がつくんでよぉ。
裏稼業を営んでいそうな強面の男に、壁ドンされた状態で囁かれ、震え上がらない人間など限られている。
全く目の笑っていない笑顔の、なんと冷酷なことか。
取り巻きの男たちがにやにやと笑みを浮かべる中、逃げ場のないノキシスは小さく喉を震わせた。
「悪いが、間に合っているよ。他をあたっておくれ」
「は?」
きっぱりとした空気の読めない断りの言葉に、男の表情が気色ばむ。
ノキシスの視力は、壊滅的に悪い。
残念なことに眼鏡を失った彼は、「なんかこわそうな人がいるっぽい~」程度にしか状況を認知していなかった。
極悪な表情へ変わった男が、ノキシスの肩を壁へ叩きつける。
一瞬咳き込んだ彼へ、ドスのきいた声が浴びせられた。
「おぅ、じゃあ、新品の自動人形、買えや」
「ごほっ、……間に合っているよ」
「今なら、胸の大きなリリィモデルが待ってるぜぇ? 抱き枕にどうだ」
「……違法改造か。そういうのはすきではないよ」
顔をしかめたノキシスの胸倉を掴み、男が口角を持ち上げる。
「細けぇことはどうでもいいんだよ。テメェは大人しく、事務所でサインすりゃぁいい。おい、連れていけ!」
「うっす」
「ああああッ!! 何でこんな厄介ごとに巻き込まれてるんだよ、ノキ!!」
ノキシスを連れて行こうとした取り巻きのひとりが、ぐえ!? 悲鳴を上げて身体を折り曲げる。
すかさず主人の腕を掴んだサミュエルは、胸中の叫びをそのまま口の乗せた。
ぱっ! ノキシスの表情が明るくなる。
「よかった、サミュ! 眼鏡がなくて困っていたんだ」
「眼鏡はあとにしてください!! 今アンタ、すっごくピンチなんで!!」
「ガキがぁ!! すっこんでろ! 今大事な商談の最中なんだよぉッ!!」
「うるせえええ!! こーいうの、恐喝っていうんだよ、バーカ!!」
べっ! 舌を出したサミュエルが、ノキシスの腕を引いて逃げ出す。
怒り狂った男たちが、がなり声を上げながらそれを追いかけた。
さて、ここに背の高いサミュエルと、背の低いノキシスのコンパスの差問題が浮上する。
さらには裸眼であるノキシスは視界も悪く、完全なお荷物だった。
そもそも彼は、運動が得意ではない。
簡単に上がる息は、格好の獲物だった。
にやり、追手が笑みを浮かべる。
もう手を伸ばせば、届くところにカモがいる。
伸ばした手が、白い髪に触れた。
掴もうと意思をもって曲げられた指が、上質なジャケットを掠める。
「ッ、ここです、マリア!!」
次の瞬間、男は地を舐め、意識を失っていた。
あばばばばッ、震えるサミュエルが、両手で主人の耳をふさぐ。
彼の目の前では、屈強な男たちが細身の女性に叩きのめされるという、強烈な光景が繰り広げられていた。
ぐッ、だったり、ガッ、といった濁った悲鳴が、断続的に路地に響く。
怯えきった最後のひとりを昏倒させ、金髪の彼女が無機的な表情を切り替えた。
「ノキさん!!」
「マリア!? 出てきてよかったのかね!?」
「それどころではありませんでしたもの!!」
視線をさ迷わせ、声の位置を探っていたノキシスの頭を抱き寄せ、マリアがほっと息をつく。
検査用の薄着は常の彼女らしくなく、視認しているサミュエルに不安な心地を与えた。
よかった……。小さくつぶやいたマリアが、やさしく主人の髪を梳く。
慈しみに満ちたそれは、仔猫を撫でるよりも繊細な手つきをしていた。
「ありがとう、サミュさん。あなたのおかげで、計算よりもはやくノキさんを見つけられたわ」
「いえ、俺も賭けでした。……まさかあんな即座に降ってくるなんて……」
サミュエルが青い顔で答える。
少年が助けを求めて叫んだ名前は、秒を置かずに応答があった。
――空から降ってくるといった形で。
ノキシスへ手を伸ばした男の顔面を足蹴に、裸足のマリアは着地した。
そのとき、彼女の踵が石畳を粉砕し、地面にめり込んでいたことを少年は忘れない。
自動人形は、いわば機械の塊である。
普段感じさせない重量感を醸し出しながら、マリアはゆらりと立ち上がった。
ふたり目の男が地面に伏したのは、その直後だった。
「っ、すまない、マリア。メンテナンス中に面倒をかけた。サミュ、きみもありがとう」
「俺も不注意でした。ノキが金づるだってこと、忘れてました」
「金づる……」
「ノキさん。私の最優先は、いつでもあなたよ」
笑えばいいのか、泣けばいいのか、表情を困らせたノキシスが視界をさ迷わせる。
慈愛に満ちた笑みで、マリアは彼の背を押した。
一歩、薄暗い路地から外へと、歩みが進められる。
ひっそり、彼女は胸を押さえた。
「……この痛みさえ、あたたかいの」
「え? あー!! マリアっ、足! 血が出てますよ!?」
「本当かね!?」
「これは痛いですって! 急いで工房へ戻りましょう!!」
振り返ったサミュエルが見つけた、マリアの裸足を濡らす怪我。
おそらく着地のときに割れたのだろう人工皮膚に、怪我人である彼女がきょとんとする。
少年の報告に、主人は今にも泣きそうな顔をしてしまい、困った彼女はプログラムにはない複雑な笑みを浮かべた。
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