船という密室でもめ事は困る5

「く、くそっ、金目のものなんて……」

「積荷よ! あの積荷、商人のなんでしょう!?」

「そうだ!! あの積荷を差し出せ!!」


 怯えた乗客等が混乱を叫ぶ。

 積荷を差し出せと結託するそれに、積荷の持ち主である猫背の男、エイムズ卿は顔面を蒼白にさせた。

 船が揺れる度に悲鳴が上がり、ランタンの火が消える。


 ――このままでは、転覆してしまう。


 縋りつかれ、懇願され、エイムズ卿はなで肩を落とした。


「……わかったざます。ワタクシの積荷で、この船が助かるなら、安いものざます……」

「ありがとう!! 無事生還できたなら、あなたの商会から商品を買いつけよう!!」

「そうしましょう! あたくしは定価の10倍出しますわ!!」

「それならワシは――」


 エイムズ卿を囲み、富裕層の乗客等は、涙を浮かべて彼を賞賛する。

 ほくそ笑んだ猫背の男が、船長と話した。

 エイムズ卿の積荷が取引のための道具となる。


「しかし、誰が積荷を運ぶか……」


 船長が唸る。取引相手は海賊だ。

 客船に乗せて、万が一のことがあってはならない。

 そして積荷には、人力では動かしようもない重さのものがある。


 ……そういえば、あの積荷を動かした女性がひとりいた。


 船長がノキシスと女性を探すと、彼等は奇遇にも積荷の傍にいた。

 船が動きを止める中、船長が事情を説明する。

 ノキシスの表情が苦々しい色を帯びた。


「マリアにそのような役……」

「畏まりました。その役目、お引き受けいたしましょう」

「マリア!?」


 無表情のマリアが、機械的な声音で了承の意を告げる。

 ぎょっとするノキシスとサミュエルを置いて、彼女が積荷を縛るロープを素手で引きちぎった。


「こちらの荷物を、あちらの船へ運搬すればよろしいのですね?」

「あ、ああ! 待ってくれ、今小船を……」

「必要ありません」


 船員を呼びつけ、小船を用意させようとした船長へ背を向け、マリアが積荷である木箱をひとつ掴む。

 投球のフォームを描いた華奢な身体が、ぶおんッ!!! 木箱を放り投げた。

 唖然。その場にいた人々が口を開ける。


「目標距離算出完了。重量測定完了。照準設定完了。行動設定→排除。認識許可。処理、実行します」

「ま、待て! お嬢さん、何を!?」


 焦った船長が止める間もなく、柔らかなエクリュの布をひるがえし、マリアが木箱を掴んでは投げる。

 宙を舞った木箱は海賊船の甲板に命中し、どかんっ、ばこんっ、派手な音を立てた。


 あわわわっ、真っ青になったノキシスが、暴動真っ最中のマリアに縋りつく。

 びしょ濡れの主人を見下ろした美しいメイドは、にこりと口角のみを持ち上げた。


「マスター、着替えを。お風邪を召されます」

「落ち着くんだ、マリア! なにをそんなに怒っているのかね!?」

「マスター、わたくしに『感情』など、戯言を」

「ひえっ」


 赤子を愛でるかのような手付きでノキシスの腕を離させ、サミュエルの方へ背中を押す。

 あわわわっ! 主人を抱きとめた年若い執事は、失った顔色をますます悪くさせた。


「サミュエル、マスターを安全なところへ」

「マリアっ、どうしちゃったんです!? ほら、ノキこわがってますよ! いつもの優しいマリアに戻ってください!!」

「処理、実行します」

「マリアあああッ!?」

「ワ、ワタクシの積荷がーーーーッ!!!!」


 聞く耳持たず、マリアが木箱を掴み、そして投げる。

 海賊船からサイレンの音が上がった。

 遠く霧に紛れた情景が、慌てふためく海賊たちの姿を見せる。

 騒ぎを聞きつけ、走ってきたエイムズ卿が、顔色をなくしてがくがく震えた。


 言葉に出来ない気合いの声を込め、マリアが一層重たい木箱を放り投げた。

 どおおおんッ、空気が震撼する。


「……斬新な輸送方法だ……」

「ノキ! しっかりしてください!! マリアを止めてくださいよ!」

「なにをいっているんだ、サミュ。マリアのすることは、全て正しいと決まっているだろう」

「妄信してないで、現実をちゃんと見てください!!!!」


 呆然とへたり込むノキシスの目の前で、べきんッ!! 木箱のふたが剥がれる。

 むき出しのクギと、あふれた積荷の中身に、木箱を破壊した張本人が舌打ちした。

 即座に他の木箱を掴み、雨だろうが風だろうが、構わずぶん投げる。


 開いた衝撃で、ころころと甲板の木目を転がってきた銀貨が、サミュエルの前でぱたりと倒れた。

 はたと瞬いた少年が、それを摘んだ。

 まじまじと両面を見詰め、はっと表情を強張らせる。

 彼が中身をさらした木箱へ駆け寄った。


「ノキ! 来てください!!」

「どうしたんだ、サミュ。……うん? 銀貨?」


 マリアが舌打ちした衝撃が忘れられないノキシスが、サミュエルとともに木箱を覗き込む。


 少年が掲げる銀貨と同じものが、木箱いっぱいに詰まっていた。

 ――銀貨の輸送? 領主が首を傾げる。

 サミュエルがノキシスの手に、転がってきた銀貨をのせた。


「……サミュ、泥棒は、」

「ちがいますって! 見てください、これ!!」


 サミュエルが、自身の財布から銀貨を一枚取り出す。

 木箱の中から一枚取り、比べるように主人の前にかざした。


「俺、スリの子だったんで詳しいんですけど、この木箱のやつ、偽物なんです!」

「本当かね!?」

「わかりますか? ここ、ほら、模様が雑です。あとこっちの方がうすっぺらい」


 眼鏡をかけ直し、ノキシスが目を細める。

 会話が耳に届いた船長とともに、彼等は銀貨を見比べた。


 サミュエルが示した、銀に刻印された戦乙女の冠が、言われて見れば確かにぐちゃっとしている。

 厚みもミリ単位の誤差があった。


「……いや、よく見つけたね」

「スリって、一瞬で獲物を識別しないといけないんです。スったものが偽物とか、洒落にならないんで」

「いやでも、すごいよ」


 本物の銀貨を財布へ戻し、サミュエルが咳払いする。

 仄暗い過去に磨いた技術をほめられ、少年はそわそわと姿勢を正した。


「で、では、これらは全て、贋金ということか!?」


 愕然とした船長が叫ぶ。

 一同の目が積荷へ向けられ、次いでマリアを止めようと叫んでいるエイムズ卿へ向けられる。

 明るみにされた積荷の中身に、持ち主の顔色が変わった。

 叫び声を上げ、ふたの開いた木箱に覆い被さる。


「なっ、何見ているざますか! プライバシーの侵害ざます!!」

「エイムズ卿、これは一体どういうことですか!?」

「し、知らないざます!!!」

「……おや」


 目許に手をかざしたノキシスが、遠くゆらめく影を見つける。

 いつの間にか雨は止み、揺蕩う霧のむこうから新たな船が顔を出した。


「海軍の船だね。救援が届いたようだ」

「ひっ」


 船が掲げる紋章を見上げ、ノキシスが安堵の声を漏らす。

 対するエイムズ卿は引きつった悲鳴を上げた。

「どうやら取調べが必要だな」罵られた船員が猫背を拘束する。


「マリア! 救援だ、もう運搬の必要はない!」


 びしょ濡れの上着を脱いだノキシスが、マリアの肩へそれをかける。

 彼女の生成りのドレスは雨が染み、肌の色が透けて見えた。


 主人の言葉に、自動人形の彼女が動きを止める。

 がたんっ!! 取り落とした木箱が、甲板をへこませた。


「……終わりましたの」


 ゆったりと瞬きをしたマリアが、微かな声で呟く。

 彼女の頬を両手で包み、ノキシスは微笑みかけた。


「ああ、終わったよ。ありがとう、マリア。きみはわたしの自慢だ!」

「……っ」


 うるりと瞳を潤めたマリアが、プログラムにない笑みを浮かべた。

 はにかむような繊細なそれは、しかしはっとした顔に消される。

 慌てた仕草で主人の背と膝裏に手を回し、華奢な身体が成人男性を持ち上げた。


 がーんっ、ノキシスの表情を表すならば、それが適切だろう。

 横抱きにされた小柄なおじさんが、悲しみに震えた。


「大変! ノキさん、足が!!」

「大丈夫だ! 頼むっ、マリア! 下ろしてくれ!!」

「サミュさん! 先に行きますわ!!」

「え!? 待ってくださいマリっ、足はっや!!!」


 踏み込んだマリアの脚が、脚力に合わせて弾む。

 しなやかなバネのように機能したそれは、残像を残してサミュエルの視界から消えた。

 少年が愕然とする。

 彼女の腕に抱かれた、彼の主人は生きているのだろうか……?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る