船という密室でもめ事は困る4

「……ノキ、これって、どういうことなんでしょう……?」


 雨粒が木目を叩く甲板へ並び、サミュエルがノキシスへ問いかける。

 倒れないよう低く詰み直された積荷を眺め、領主は靴底を鳴らした。

 傘を差したサミュエルが、主人が濡れないようその後を追う。


「さてね」

「またそれですか」

「サミュ、きみはどう思う?」


 問いかけを打ち返され、年若い執事が口を噤む。

 しばし考え込んだ彼は、徐に口を開いた。


「テレジアさんとユーリさんって、本当に恋仲なんでしょうか? だってユーリさん、殺害を企てていたんですよ?」


 使用人ユーリは、ダグラス卿と娘テレジア、ふたりをまとめて殺害しようと計画していた。

 テレジアが話す『将来を誓い合った仲』であるなら、彼女は彼に騙されていることになる。


「それからテレジアさんも、『カッとなってロープを切った』と言ってましたけど、時系列があやふやなように思えます。口論の最中にロープを切るわけにはいきませんから、そうなると、殺意満々な計画的犯行じゃないですか」

「そうだね」


 相槌を打ったノキシスが、木箱の前で屈む。

 コツコツ、側面を手の甲が叩いた。


「それに、ユーリさん。……本当に殺そうとしていたのでしょうか?」

「どうだろうね。ダグラス氏が倒れている姿を見たとき、彼は非常に動揺していたがね」

「あの献身的な姿は、罪悪感から……なんでしょうか……?」

「さてね。けれども彼は、嘘をついているよ」


 ぎしり、揺れた船体に、ノキシスの足許がよろめく。

 慌てたサミュエルは彼の手を取り、転倒は免れた。

 短く礼を告げた領主が、ピンと張られたロープを指差す。


「彼は積荷のロープの話になったとき、『船が揺れて上手く切れなかった』と言っていたね」

「はい」

「確かにその話題のとき、船は揺れていた。けれども天候が悪化したのは、積荷が崩落してからだ」

「あっ」


 はたとサミュエルが思い返す。

 船酔いに苦しんでいた午前中、海面は穏やかで、陽気な音楽まで流れていた。


 船酔いのキーワードを思い出してしまい、少年の顔色が悪くなる。

 ……極力思い出さないようにしよう。彼は固く心に誓った。


「その後の証言でも、『ここまで船が揺れるとは思っていなかった』と言っている。彼の言葉はふわふわしているね」


 ふわふわって……。

 なおも木箱を叩く主人を見下ろし、サミュエルは神妙な顔をした。


「どうしてユーリさんは、そんな嘘を……。もしかして、テレジアさんを庇ってるんですか!?」

「一理あるね。そして彼女も彼女で、何かを隠している」

「ええっ、じゃあ、誰がロープを切ったんですか!?」

「さて、誰だろうか」


 木箱を支えに立ち上がったノキシスが、ふむ、と一息つく。


 サミュエルはノキシスが転ばないか、気が気ではない。

 甲板は雨で滑りやすくなっている。


 ――大体何をしているんだ、この人は。

 少年は我に返った。


「ノキ、中に入りましょう。叩いたって誰も出てきませんよ。それより、マリアにあたたかい飲みものを淹れてもらいましょうよ」

「一気に積荷の中身が不穏なものになったね」


 苦笑いを浮かべたノキシスが、雨の跳ねた眼鏡をハンカチで拭う。


「この積荷だが、とても軽いものと、非常に重いものの、二種類があるね」

「そうですね。重い方、全然持ち上がらなかったんですよ。何が詰まっているんでしょうね?」


 そんな重いものの下敷きになったのか……。

 ダグラスさん、大丈夫かな……?

 少年が憂いた顔で、船内へ視線を向ける。


「……そういえば、軽いものは、振っても音がしなかったな」

「振ったんですか? ノキが? ノキの腕力で?」

「わたしがけなされる必要性は、あるのだろうか……」


 悲しそうな顔で、ノキシスが振り返る。


 突然、海面から水柱が伸びた。船体が激しく揺れる。

 傘を投げ捨てたサミュエルが、ノキシスに腕を回して、体勢を低くした。

 固定された積荷を支えに、少年が周囲を窺う。


「敵襲ーーー!!!!」


「な、なんだ!?」


 船員たちが駆け回り、船上が騒然とする。


 どんよりとした重たい雨雲の下、霧がかった向こうから、ぬっと黒い影が現れた。

 うねる海面にのまれることのない、巨大な船体。

 砲台を並べたそれは、とても物々しい外観をしていた。


 唖然とした顔で、サミュエルが対面する船を見上げる。


「な、何ですか、あれ!」

「海賊船のようだね。いや、困ったな」

「カイゾクセン……」

「山賊の、海バージョンだよ」

「やばいじゃないですか!!」


 田舎育ちのサミュエルにとって、海は今回がはじめてだ。

 彼は海よりも、山の方が詳しい。


 事の重大さに気づいた少年は、顔色を悪くさせた。

 船内からは悲鳴が上がり、船の動力が唸る。


『聞こえるかァ! 皆殺しにされたくなけりゃァ、金目のモンを寄越しなァッ!!』


 酒枯れした声が、船上の喧騒を割って響き渡る。

 揺れる客船が舵を取るも、キリキリ音を立てた砲台が火を噴いた。

 威嚇のように打ちあがる水柱に、乗客が悲鳴を上げる。


「ノキさん! サミュさん!」

「マリアっ、危ない、中へ!!」


 激しく揺れる船上を、欄干を支えにマリアが駆ける。

 雨に打たれるノキシスたちの元まで辿り着いた彼女は、主人の肩を抱き寄せた。


 ――自動人形は、いわば機械のかたまりである。

 マリア自身、軽やかな動作をしているが、その実、人間の素手では持ち上げられないような重量をしている。

 当然、水に沈む。

 海など、深い底まで延々と沈み続けるだろう。

 彼女は水との相性が悪かった。


 顔色を悪くさせたノキシスが、慌てて立ち上がろうとする。

 しかし客船が逃走を謀れば謀るほど、砲弾が水飛沫をあげて船を襲った。

 雨と海水でずぶ濡れになったノキシスが、「いッ、」痛みに耐える声を上げる。


「ノキさん!?」

「だ、大丈夫だ! 少し足をひねったらしい」

「――ッ」

「大丈夫ですか、ノキ!? 立てますか!?」


 マリアの表情から色が失われる。

 サミュエルに介抱されるノキシスから目を離さず、瞬きを必要としない瞳孔が収縮した。


 ――彼女の優先順位は、いつでも主人の安全が一番にある。

 それが脅かされた。

 マリアの防衛機能が、第二段階フェーズ2へ移された。

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