船という密室でもめ事は困る1

「……ノキ」

「なにかね?」


 げんなりした目を壁際へ向け、サミュエルが主人を呼ぶ。

 書類から顔を上げないノキシスは、監査中にたまった仕事を片づけていた。


「あの悪趣味の集大成、捨てませんか?」


 サミュエルが示した先。

 一抱えはある大きなクマのぬいぐるみが、行儀よく椅子に座らされている。


 このクマ、つば広の麦わら帽子を被り、滑らかなシルクで作られたシュミーズドレスをまとっていた。

 午後のうららかな昼下がりに、別荘の庭で優雅に休暇を満喫しているご婦人のような装いだ。


 困ったように、ノキシスが顔を上げる。

 事務用の眼鏡を押し上げた。


「シュレーからもらったものだからな……」

「あのオネエめ……。なんてセンスをしてんだ……」


 ぐぬぬ、年若い執事が唸る。


 監査期間を終えたシュレーを見送ったあと、思い出したようにノキシスはもらった箱を開けた。


 大きなリボンのまかれた丸い箱におさめられた、つば広の帽子。

 目の当たりにしたノキシスは、しばし静止した。


 ……どうしたものか。

 彼の感想は、困惑に満ちたものだった。


 シュレー直筆の『日焼けはお肌の大敵よ!』のメッセージカードが、麦わら帽子を飾る白いリボンにはさまれている。


 ……マリアにあげよう。

 彼は、そっと帽子を箱へ戻した。


 一方、長方形の箱からは、ひと目で上質だとわかるシュミーズドレスが出てきた。

 寝巻きや肌着に用いられるような、女性用のドレスだ。

 ミルク色をした薄手のドレスは繊細で、やけに胸囲がせまい。


 ――どうしたものか……。


 ノキシスが目頭を揉む。

 閉じた視界を再び開くも、箱の中身は何ひとつ変わることはなかった。

 彼がぐぬぬと唸る。


 ……宛先を間違えたのだろうか?


 うっかり開封してしまったノキシスが、箱の表と裏を確認する。

 メッセージカードさえないプレゼントは無記名で、彼は困ったように首を傾げた。


 ……シュレーが間違えて、置いて行ってしまったのかもしれない。


 慌てて手紙を綴ろうとした彼の元へ、サミュエルがぬいぐるみを抱えて現れた。

「あのオネエ、最後にこんなテディベア置いていきやがりました」と、悪態を添えて。


 その瞬間、ノキシスの冴え渡る頭脳が、きゅぴんとひらめいた。


 ――このドレスは、そのテディベアのものに違いない!


 かくして、サミュエルとふたりがかりで、白いもこもこのクマにシュミーズドレスを着せた。

 華奢なドレスは寸胴な腹回りでぱんぱんになり、長い裾をびろんと垂らす。


 ……一仕事終えた。ノキシスがにこにこと笑う。

 満足そうにテディベアを座らせた彼は、額の汗を拭った。

 つき合わされたサミュエルは、異様なクマの姿にどん引きだ。


 最後につば広帽を被せられ、休日の庭でお茶をしているような、意識高い系テディベアが完成した。

 サミュエルは引ききっている。今すぐアレを処分したい。


「ノキさん」


 開きっ放しの扉をノックし、マリアが顔を覗かせる。

 ぱっと表情を明るくさせたノキシスが、にこにこ笑みを浮かべた。


「マリア、どうかしたのかね?」

「少しご相談があるの」


 静々と脇に控えた彼女が、言いよどむように指を交差させる。

 戸惑いがちに視線をさ迷わせ、小さく唇を開いた。


「……メンテナンスに出していただきたいの」

「メンテナンス?」


 はて、サミュエルが首を傾げる。

 対するノキシスは慌てたように立ち上がり、心配そうにマリアの顔を窺った。


「具合が悪いのかね? すぐに手配しよう」

「あ、あの、……ノキ」


 突然の深刻な空気に、状況の飲み込めないサミュエルが狼狽する。

 はっと振り返った領主は、サミュエルとマリアの顔を見比べた。


「マリアは自動人形だからね。定期的に整備しなければならないんだ」


 主人の説明に、サミュエルは納得する。

 マリアがあまりにも『人らしく』振舞うため、彼の中から『自動人形』の認識が抜け落ちていた。


 やんわりとマリアが微笑む。


「本来なら、定期メンテナンスまでまだ日が残っているの」

「調子、悪いんですか?」

「……少しだけ」


 心配そうなサミュエルの問いかけに、人間らしい微苦笑でマリアが答える。

 すぐさま執務机へ戻った領主は、引き出しから便箋を取り出した。


「工房へ連絡を取ろう。マリアは無理をしないでくれ。サミュ、彼女のサポートを」

「日常業務でしたら、こなせますわ」

「だめですよ、マリア! 何かあったら大変です。俺に任せてください!」


 ぱたぱたと執務室を飛び出したサミュエルが、「マリア、行きますよ!」声をかける。

 手紙を綴るノキシスとサミュエルとを交互に見遣り、彼女が胸を押さえた。

 白いエプロンに、ぎゅっと皺が寄る。


「ありがとう……」


 胸の痛みを誤魔化すように、彼女はプログラムにない笑みを浮かべた。






 船の手摺りにぐったりともたれ、サミュエルが肩を震わせる。

 少年の背中をマリアがさすった。

 苦笑いを浮かべる領主が、水のボトルを差し出す。


「サミュ、大丈夫かい?」

「……ちょっと、……大丈夫じゃない、です」

「サミュさんは、船ははじめてだったわね」


 ボトルに口をつけ、サミュエルが力なく頷く。

 いつにない、よれよれとした声だった。

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