通り魔は干したてのシャツを狙う2
サミュエルの前に、一軒の組み木の家がある。
白い壁に、黒い柱の横行するそれはおもちゃの家のようで、足元に出されたメニュー表が、この家が飲食店なのだと物語っていた。
サミュエルが深呼吸する。ぐっと扉を押し、ドアベルを鳴らした。
「まだ準備時間ですよー……って、サミュお前!! 生きてたのかお前!!」
「……うん、……まあ」
頬をかいたサミュエルが、決まり悪そうに答える。
カウンターテーブルから飛び出したのは、サミュエルよりいくつか年上のエリアスという少年で、サミュエルの肩を掴んで怪我がないか確認した。
エリアスの母親までもがサミュエルの前で膝をつき、おいおい泣きながら少年の身体を抱きしめる。
心配かけちゃったな、と、サミュエルは罰が悪そうだった。
エリアスの家は、パブリック・ハウスと呼ばれる、昼は軽食屋、夜は居酒屋を営んでいた。
店のマスターであるエリアスの父は、ゲーテという名で、町のまとめ役を担っている。
ゲーテは落ち着きがあり、みんなの相談役のような人物だった。
領主が横暴で頼りない分、町の人々はみんなゲーテのことを頼りにしていた。
サミュエルとエリアスは年が近いこともあり、一緒に過ごすことが多い。いわゆる親友という間柄だ。
涙を拭ったエリアスの母が、泣き顔のまま顔を上げる。
「サミュ、お前さんのおっかさんは無事だよ。ウソみたいな話だが、本当にお医者さんのところで診てもらえたんだよ!」
「ほ、んとう……?」
「本当だとも!!」
エリアスの母の言葉に、サミュエルの目がうるりと潤む。
袖で目許を拭った少年は、涙声で「よかった」と呟いた。
「それより、サミュ! お前は無事か!? なんかひどいことされてないか!?」
サミュエルの肩を揺すって尋ねるエリアスに、少年が昨夜の様子を思い返す。
——いろんなことがありすぎて、雪崩みたいだった……。
斜め上を見上げた少年が、ぽつ、ぽつ、口を開いた。
「なんかあの、オレのことひっ捕まえたマリアってひと、ヒト? 自動人形?」
「自動人形!?」
自動人形とは、機械でできた動く人形のことだ。
その動作は人間と変わらないほどスムーズで、表情も人間と見紛うほど精巧に作られている。
しかし、自動人形はあくまで『人形』であるため、感情を持っていない。
彼らはプログラムの通りに行動し、そのときその場所で適切な言動を取れるよう、表情をパターン化しているだけだった。
なお、自動人形はフルオーダーメイドの精密機械のため、お値段が非常に張る。
現在自動人形を購入できるのは、貴族と呼ばれる富裕層のみだ。
小さな田舎町では馴染みない『自動人形』などと聞かされ、エリアスとエリアスの母親はぎょっとした。
彼らの思う自動人形とは、薄ら笑みを浮かべた不気味な人間モドキだった。
うん、と頷いたサミュエルが続ける。
「そのマリアが、びっくりするくらい優しかった」
「優しい!?」
こくり、サミュエルが頷く。
昨日の騒動のあと、領主ノキシスの屋敷へ連れて行かれたサミュエルは、これから何をされるのだろうかと怯えていた。
サミュエル自身、とんでもないことを仕出かしてしまった自覚がある。
カッとなった熱と勢いが冷めれば、飛び出してしまった言葉たちを思い返す余裕が生まれ、少年はひどい後悔に悩まされていた。
「母さんが治るなら、なんでもする」とはいったものの、ここでサミュエルが死んでしまえば、残された母親はどうするのだろう?
そもそも、あの領主が本当に母親を助けるとも限らない。
サミュエルはまだ10歳のため、領主のことは前任のひどいヤツしか知らない。
しかし、仮にあの雪だるまのような前任の領主が相手なら、今頃とっくにサミュエルは死んでいた。きっと首と胴体はさよならしていただろう。
ぶるり、サミュエルが身を震わせる。
——謝ったら、許してくれるかな……?
少年が淡い期待を抱く。
ぶるぶる震えるサミュエルの様子に、彼の後ろ手を掴んでいるマリアが気づいた。
「気が付かなくてごめんなさい、寒かったわよね?」
「え!?」
「お部屋をあたためるわ。こちらへいらっしゃい」
あっさりとサミュエルの両腕を解放したマリアがコートを脱ぎ、ふわりと少年の肩にかける。
突然訪れたぬくもりに唖然とするサミュエルをおいて、マリアは彼の数歩前をトコトコ歩いた。
途中半身振り返って微笑む彼女へ、疑問符を大量発生させたサミュエルが恐々と続く。
案内された場所はキッチンで、物の少ない様子は廃墟を思い起こさせた。
びくびく辺りを警戒するサミュエルへ椅子を勧め、マリアはかまどに火をくべる。
「腕は大丈夫かしら? 怪我はない?」
驚くほどやさしい声だった。
振り返ったマリアは、透き通る青色の目を穏やかにゆるめ、サミュエルの前で腰を屈めた。
びっくりしたサミュエルの背筋が、しゃんと伸びる。
「う、うん! 平気!! ……その、」
「なあに?」
「……財布、盗んで、ごめんなさい……」
「謝れてえらいわ。もうしてはダメよ」
うつむくサミュエルの頭を、白くて形の良い指が数度撫でる。
小さく微笑んだマリアが、両手をパン! 合わせた。
「改めて自己紹介しましょう! 私はマリア。マスターノキシスのお世話係をしている、自動人形のマリアよ」
「じ、じどうにんぎょう?」
「うーん、機械でできたメイドさん、ってところかしら」
はたはた瞬きを繰り返すサミュエルへ、「あなたは?」マリアが問いかける。
ハッとした少年は背筋を正した。
「オレは、サミュエル」
「素敵なお名前ね。サミュさんと呼んでいいかしら?」
「うん!」
穏やかに微笑むマリアとの会話に、サミュエルの緊張感はすっかり解れていた。
立ち上がったマリアが「ミルクは平気?」メイド服の裾をひるがえさせる。
ミルクなど久しく飲んでいなかったサミュエルは、自分のお腹がとても空いていることに気づいてしまった。
くうう、盛大に鳴ったお腹の音に、少年の頬が真っ赤に染まる。
振り返ったマリアは、はんなりと笑った。
「手を洗いましょう。ミルクがゆを作るわ」
「——つって、ミルクがゆご馳走になった」
サミュエルがマリアのことと、あたたかくなったお腹の話をすれば、エリアスとエリアスの母親は目を丸くした。
震える手を口許へ添え、お互い顔を見合わせている。
「俺の知ってる自動人形とちがう!!」
「きっとそのメイドさんだけが奇跡だったんだよ! いいかい、サミュ! 領主に気を許してはいけないよ!!」
「それが……、領主のとこ、マリアしかメイドがいないんだって」
「メイドがたったのひとり!?」
母子の声が揃う。
前任の領主は、大勢の使用人を従えていた。
だからこそ、領主なのにメイドがたったのひとりしかいない事実に、驚きを隠すことができない。
こくりと頷いたサミュエルは、続きの出来事を口にした。
——それからあたたかな紅茶とミルクがゆを振る舞われたサミュエルは、なりふり構わずぎゅうぎゅうに口へ詰めた。
湯気ののぼるミルクがゆには薄い膜が張り、中にはやわらかく解れたパンが浸されていた。
口の中に広がる、ほんのりとしたハチミツの味。
久しぶりのやさしく素朴な味に、サミュエルは目に涙を溜めてガツガツとミルクがゆをかき込んだ。
「マリア」
ふと聞こえた男の声に、びっくりしたサミュエルはむせた。盛大にむせた。
根性でミルクがゆを飲み込み、けんけん咳き込んだ。
マリアは心配そうに少年へ水を差し出し、けれども声の方へと向かってしまう。
途端に、サミュエルはここがあのうさんくさい領主の屋敷だということを思い出してしまった。
ザアッと顔色を悪くさせる。
脳裏で再生される、領主の放ったうさんくさい喋り方と高笑い。
子ねずみのようにか弱く震えるサミュエルは、扉からこっそりと廊下をうかがった。
「マリア、あの少年だが……」
キッチンの扉からそこそこに離れた廊下で、あの白髪頭の領主とマリアが立ち話している。
彼らの話題に上がっている『あの少年』ことサミュエルは、ぶわりと冷や汗を吹き出した。
ごくり、生唾を飲み込む。
「あとで風呂に入れてやってくれ。おそらく煙突掃除を請け負っているのだろう、煤がすごい。あれでは身体も休まらないだろう」
「わかりましたわ」
「手のしもやけもひどかったな。手当てしてやってくれ」
「ええ、もちろん」
え? オレ、心配されてんの?
聞き耳を立てていたサミュエルが、びっくりする。
実はあれは領主ではない別人なんじゃないか? と思い目をこするも、マリアと話している人物は、大通りでサミュエルがカモにした白髪頭の若者そのひとだった。
特徴的なその容姿は、どうがんばっても見間違えようがない。
しかし言葉遣いも、あの「あるある」したうさんくさいものではなく、まともな話し方をしている。
サミュエルは、豆鉄砲を食らったハトのような顔をした。大混乱だ。
「手のマメのつぶれ具合から考えるに、彼は煙突掃除の他に、配達の仕事を掛け持ちしているのかな?」
領主ノキシスの推測に、サミュエルの心臓はドキリと飛び跳ねた。
ご明察、サミュエルはそのふたつの仕事を掛け持ちしている。
「しもやけの具合を思うに、水仕事か、よっぽど冷たいものに触れているのだろう。あの年頃の子どもに与えられる仕事なら、早朝の牛乳配達が妥当かな?」
今度こそ、サミュエルの心臓は、口からビョンと飛び出してしまいそうなほどに跳ねた。
そう、サミュエルは朝日も昇らない早朝から、牛乳配達の仕事をしている。
冬の近づく早朝は霜も降り、ガラスビンに収められた牛乳は一層冷たかった。少年の手はしもやけだらけだ。
手袋……との案もあったが、10歳の子どもの手に手袋は大きい。
おまけに力を入れにくいことから牛乳ビンを割ってしまい、それ以来サミュエルは素手で配達を行っていた。
「あの手を見るに、彼は普段、真面目な働き者なんだろうね。スリの手並みは慣れていたが、日常的にスリを行うには、しもやけで荒れすぎている。あれでは器用さを失うだろう」
「サミュさん、お財布のことを謝っていましたわ」
「そうか、彼自身しんどかったのだろう。……考えられる動機は、母親の病状が悪化したか、薬代が上がったか……。治療が間に合うことを願っているよ」
次々と言い当てられる胸中に、サミュエルの目には、何故だか涙の膜が張っていた。
——しんどかった? 心の中で少年が領主の言葉を繰り返す。
うん、しんどかった。ずっと苦しかった。
母さんにもいえなかった。エリアスにも相談できなかった。
だってオレが頑張らなかったら、オレも母さんも食べるものがなくなっちゃうんだもん。
もうやだって泣き叫んで、母さんを悲しませたくなかった。エリアスを困らせたくなかった。
でも、ずっとしんどかった。
友達と遊びたかった。母さんに甘えたかった。あったかいごはんをお腹いっぱい食べたかった。寒くない家に住みたかった。真っ黒な煤を落として、きれいにしたかった。
サミュエルは、まだ10歳の子どもだった。
ぐすり、袖で目許をこする。泣いてなんかない。
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