怪物は霧に潜む1
ノキシスから届いた手紙を開いたオーティスは、その文面に愕然とした。
愛しの
憤慨したオーティスが、苛立ちのままに執務机を叩く。
激しい物音に、控える使用人等は震え上がった。
「おのれ……ッ」
唸り声が喉の奥からしぼり出される。
――極秘に入手した、ノキシスのスリーサイズに合わせて作らせたものを……ッ!!
髪も肌も白いノキシスの妖精らしさを、存分に表現した渾身のドレスを!!
男として生きることを余儀なくされた彼女への、せめてものプレゼントをッ!!!
配達機関め、よくも!! 二度と使わんぞ!!
当のノキシスが知れば、国交を断絶する勢いで今後のオーティスとの関係を見直していただろう。
うっかり荷物の中身を見てしまったマリアと配達員が、必死に口を噤む理由がこれだ。
やけに胸囲の狭いドレスを目の当たりにし、しばし静止したマリアは真顔になった。
よもや、自分の主人に純白のドレスを押し付けられようとは、夢にも思わなかっただろう。
凍て付きそうなマリアの無表情を見てしまった配達員は蒼白になり、真実を墓まで持って帰る決意をした。
オーティスの悔しさを代弁する拳が、何度も重厚な机を殴る。
……次期当主は、手紙一枚でここまで荒れ狂うほど、ノキシスを嫌っているらしい。
使用人等の顔色が悪くなる。
かの人は手紙に、何と綴ったのだろう?
何をすれば、ここまで次期当主を怒らせることができるのだろう?
恐ろしい形相をさらしたオーティスが、椅子を蹴って立ち上がった。
使用人等の背筋が伸びる。
――今度こそ、確実に愛しの妖精の手へ渡るよう、直接運ばせてやる!!
「監査だ! シュレーをベーレエーデへ派遣する!!」
「は、はっ!!」
息巻くオーティスが挙げた監査官の名前に、耳にした彼等の顔色はますます悪くなった。
シュレー・ゲルトシュランク。
オーティスの弟であり、次期当主候補に名を連ねる有力者。
監査官としてのシュレーは、重箱の隅をつつくような神経質さと、埃が出るまでたたき続ける執念深さを兼ね備えている。
彼によって引き摺り落とされた人間は数多にのぼり、本家配下の役人たちは、心底シュレーを恐れていた。
――オーティスは本気だ。
使用人等は固唾を呑んだ。
シュレーにかかれば、どのような巧妙な隠ぺいも暴かれてしまう。
辺境のど田舎の町にさえ、安住の地はなかった。
ノキシスは終わりだ。もう未来など、一分も残されていない。
彼等の怯えは瞬く間に邸宅中へ広まり、ノキシスへは一足早い黙祷が捧げられた。
*
教会の告解室に座るノキシスが、新調した丸眼鏡を頭上にかざす。
裸眼の視界でははほとんど見えていないだろうに、彼はそのまま眼鏡を見詰めていた。
「どうしましたかな、領主様」
「ルーゲン神父。この頃のわたしは、どうやら気を抜き過ぎているようだ」
眼鏡のつるをたたんで苦笑いを浮かべ、領主が胸中を独白する。
はて。隔たりの向こうで、神父は微笑んだ。
「そうですかな?」
「着任して5年。『うさんくさく』を信条に日々積み上げてきたつもりなのだがね、眼鏡ひとつ欠けただけで、この様だ」
「はははっ。元がおっとりとされておりますゆえ、致し方ありませんな」
「それでは困るのだよ……」
ため息を混じらせたノキシスが、眼鏡をかけ直す。
クリアになった視界に瞼を下ろし、ゆったりと視界を広げた。
「今度、監査が派遣される」
「……なんと」
「わたしはこれから、ゲーテとホフマンに伝えてくる。神父は手筈通り、頼んだ」
「畏まりましたぞ」
隔たりの向こうから、衣擦れの音が響く。
頭を垂れたのだろう、ルーゲン神父がくぐもった声を発する。
「しかしまた、時期のはやい……」
「参ったよ。……可能な限り、子どもたちを外へ出さないでおくれ」
「ええ、伝えてまいりますぞ」
再び衣擦れの音を立てたルーゲン神父は、くつくつ、喉の奥で笑う。
怪訝そうにそちらを向いた領主は、「なにかね?」短く尋ねた。
「いえ、私が一番乗りなのですな」
「そうだな。ゲーテもホフマンも、この時間は忙しいだろう? 教会へは、わたしの家からも近い」
「はははっ、これはゲーテにやきもちを焼かれますな。あの者は領主様に心酔しておりますゆえ」
虚をつかれた顔をした領主が、強張っていた表情を緩める。
小さく吐息を笑ませた。
「そういってもらえると、わたしも嬉しいよ」
「今度の集会にて、是非ともからかってやりますぞ」
「やめてあげておくれ。彼の協力が必要なんだ」
「ははは、冗談ですぞ」
飲食店であり、酒場であるパブリック・ハウスには、人が集まる。
店主であるゲーテは町のまとめ役であり、彼は日常的に人々の相談に耳を傾けていた。
彼が謀反を企てれば、それは用意周到に根をまわされ、確実に達成されるだろう。
領主であるノキシスにとって、ゲーテは味方になれば心強く、敵になれば大変厄介な人物だった。
同様のことが、教会の神父であるルーゲンと、農家の頭であるホフマンにも言える。
敵対するのは嫌だと、ノキシスは常々思っていた。
愉快そうに笑ったルーゲンが隔たりの向こうから移動し、領主のいる告解室の扉を開ける。
差し出された手を支えに、ノキシスは部屋を抜け出した。
「じゃ、ノキさん悪いおじさんに戻るある。頼んだあるよ」
「仰せのままに、ですな」
にやりとルーゲンが悪い笑みを浮かべる。
彼等が連携を密に取った数週間後。
辺境の田舎町ベーレエーデを、見慣れない馬車が走った。
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