亡霊は音もなく走る2

「昨夜のことです。自分たち、仕事が終わったんで、パブリック・ハウスで飲んでたんです」


 その閉店後のパブリック・ハウスに座り、青年のひとり、フォードマンが口を開く。

 店内には昼食の片付けをするゲーテと、彼等に水を出すエリアスがいた。

 テーブルの対面に座ったノキシスが、腕を組みながら背凭れに身を預ける。


 サミュエルはその脇に立ち、茶髪のフォードマン、赤毛のコールソン、黒髪のジェイクを順に目で追った。


「気分も良くなって、時間も時間になったんで、帰ることにしたんです」

「オレは逆方向だったんで、店先で別れました」


 黒髪のジェイクが、亡霊に遭遇していないことを表明する。

 俯くフォードマンとコールソンは、街中で懸命に頭上を指差していたふたりだった。


「酔っ払ってたのは、事実です。ほろ酔いで自宅を目指してました」

「そしたら、突然空を、青白い影が横切ったんです! 顔ぐらいの大きさの!!」


 テーブルを叩いて身を乗り出したコールソンが、興奮気味に体験を語る。

 卓上のグラスは水面を揺らし、彼の熱意を代弁していた。


 はて、サミュエルは首を傾げる。


「ムササビとかモモンガじゃないんですか?」

「オレもそう思ったんですが……」


 頭を掻いたジェイクが、友人ふたりを見遣る。

 フォードマンがぶんぶん首を横に振り、コールソンが「違う!」と叫んだ。


「そんなんじゃねぇよ! もっと白くて、のっぺりしてたんだ!」

「……モモンガのお腹も、白くてのっぺりしてますけど……」

「それに! 立て続けに影が横切ったんです! 残像みたいに!!」

「へー」


 反論したサミュエルが肩を引かせ、顔を覗かせたエリアスが相槌を打つ。

 彼は領主を見下ろした。


「モモンガって、瞬間移動できたんすか?」

「奴等ができるのは、滑空移動ある」


 ひらひら手を振り、ノキシスが答える。

 ぞんざいに脚を組んだ領主は、質問を投げかけた。


「何時の出来事か知らねーけど、酒の出る時間帯は、お外真っ暗ある。よく見えたあるな?」

「道とか暗かったんですけど、昨日は天気も良かったんで、結構明るかったんです」

「窓明かりもあるので」


 ほーん。顎に手を当てたノキシスが、腕を組む。

 サミュエルは身を乗り出した。


「影はどんな動きをしてたんですか?」

「横に、スーっと。……無数の顔が並んで滑っていたのかと思うと、恐ろしくて恐ろしくて……ッ」

「……ムササビじゃないんですか?」

「だから、ちげぇっての!!」


 小刻みに肩を震わせるフォードマンと、真っ青な顔色のコールソンに、ジェイクが困惑の顔をする。

 彼は恐縮するように、広い肩幅をきゅっと狭めていた。


 立ち上がった領主が、扇子で自身の肩をとんとんと叩く。

 うさんくさい眼鏡の向こうを半眼に細め、気のない調子で呟いた。


「わかったある。いっちょ現場を調べてやるよ」

「で、ですけど、領主様! もしも城壁の怨霊だったら……!」

「そーゆーのを調べるのが、領主の役目ある」


 ため息混じりのノキシスがサミュエルを呼び、さっさと店内をあとにする。

 カララン、余韻を残すドアベルを見送り、はっとしたフォードマンが立ち上がった。


「領主さまああああッ!!! 現場をご案内しますうううう!!!」






「ほーん、この辺あるか」


 眩しい太陽光を手で影にしながら、ノキシスがフォードマンの指差す先を見渡す。


 パブリック・ハウスのある中央広場を背に進んだ通りは、裏手に位置し、崩れた城壁の名残が門のように建てられていた。


「この梯子から、上に登れるんですね」

「ああ。元々ここは、橋みたいになる予定だったそうだよ」


 レンガで出来た橋の脚を撫で、フォードマンが城壁を見遣る。

 未完成の橋は脚だけ独立し、その股下を通路として使っていた。


 その二股に分かれた片脚に取り付けられた、鉄製の梯子。

 錆びついたそれは脚の最上まで伸び、3階建ての三角屋根より高くに位置していた。


 ……高いな。

 頭上を見上げたサミュエルの感想は、シンプルだった。


「あっ、ノキ!」


 うろうろと様々な角度から虚空を見上げる主人を、心配し切った顔のサミュエルが追いかける。


「ノキ、前見て歩いてください」

「あだ!?」

「言わんこっちゃない……」


 何もないところでつまずいたノキシスを、慌てたサミュエルが引っ張り起こす。

 おろおろと駆け寄ったフォードマンは、心配そうに領主の背を支えた。


「だ、大丈夫ですか!? 領主様……!」

「……そうなると、あれか」


 ずれた眼鏡を整え、領主が橋の脚を見詰める。

 そのままふらふらと梯子を登ろうとする彼を、青褪めたサミュエルが必死に止めた。


「な、なにをするんだ、サミュエル!?」

「あんたの運動神経じゃ、無理ですって!」

「確認したいことがあるんだ!」

「やめてください! 落ちたらどうするんですか!?」

「くっ、フォードマン! サミュを止めてくれ!」


 サミュエルに両手首を掴まれ、無理矢理梯子から引き剥がされたノキシスが声を張り上げる。

 呼ばれたフォードマンは、困り切った顔でふたりを見下ろした。

 彼の手が、そっとノキシスの肩に乗せられる。


「領主様、やめときましょう?」

「きみもそちら側の人間だったか……!!」

「せめて命綱をつけましょう。それか、5段までにしませんか?」

「きみたちは、わたしをなんだと思っているのかね!?」


 本気のサミュエルと本気のノキシスが対抗するが、呆気ないほどずるずると梯子から遠ざけられてしまう。

 やんわりとフォードマンは提案するが、絶賛負け戦中の領主は涙目だった。


 青年が苦い顔で口を閉じる。

 ——すみません、領主様……!

 こんな街中の転落事故なんかで、親愛なる領主様を失いたくないんです!!


 空気も読める、気遣いもできるフォードマンとは異なり、力こそ正義を信条に腕力を奮う執事に、容赦はなかった。


「どんくさ王者決定戦ぶっちぎりの一位です!!」

「あんまりだ!!」

「何もないところで転んだ人が、ごちゃごちゃいわないでください!!」


 後日店主ゲーテに、「うちの執事は横暴だ!」と領主は不満を漏らしたそうだ。



 *



 満月がいくらか欠けた月を頭上に、ノキシスがゲーテの店をあとにする。

 彼の後ろをサミュエルが追い、夜闇に冷やされた空気を遮るよう、主人の肩にショールをかけた。


「ありがとう、サミュ」

「いえ」


 ふたりの足は中央広場を背にし、裏手へと向けられる。

 建設途中のまま放置された橋の脚が見えたところで、年若い執事が小さく声を上げた。


「ノキ、あれ!!」

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