亡霊は音もなく走る1

 マリアが土を掘る。

 彼女の園芸用品の中には、園芸用のスコップから雪かきスコップ、更には件のマスターキーまで、幅広く揃えられていた。


 彼女の足が、シャベルの角を踏む。

 掘り返した穴へ、抉った土を放り込んだ。


「マリア、こんなところにいたのか!」


 土を掘り返す音と、木々のざわめき、小鳥のさえずり以外の音がなかった庭に、ノキシスの声が響く。

 にこにこと笑みを浮かべた主人の登場に、はたと顔を上げたマリアは温和に微笑んだ。


「ノキさん、どうかしましたの?」

「いや、庭仕事かい? なにか手伝おうか?」

「これもメイドのお勤めですわ」

「そ、そうか……。あ」


 言外に手伝うことがないとされ、しゅんと肩を落としたノキシスが、用件を思い出す。

 手にしていた開封済みの手紙を揺らし、絶対の信頼を置いているメイドへ尋ねた。


「オーティスから、なにか荷物が届いていないかい?」

「いいえ」


 にこにこ、マリアは笑みを浮かべている。


 例え、たった今埋めている穴の中に、何やら不審物が紛れていようと、彼女の微笑みは崩れない。


「そうか……。いや、オーティスが手紙でね、荷物も一緒に送っているから受け取るようにと書いているんだよ」

「そうでしたの。ですけど、今日はお手紙以外受け取っていませんわ」

「到着が遅れているのかな? わかった。ありがとう、マリア」


 困ったように手紙を見下ろしたノキシスが、マリアに礼を告げ踵を返す。

 はたと振り返った彼が、笑顔で自身の襟足を指差した。


「今日は髪をくくっているのだね。似合っているよ」


 にこにことそれだけ告げ、屋敷の中へ引き返す。

 残されたマリアは、汚れた軍手を外して、結わえた髪の結び目をなぞった。


 ——ただ作業の邪魔だったから、結んだだけだった。

 ほっこりと、彼女の頬が緩む。


 マリアは自動人形だ。

 主人が望む通りに行動し、仕えるように作られている。

 ノキシスを主人に持てたことが、マリアの幸いだった。


 不意に胸に走った疼きに、彼女が患部をさする。

 違和感に首を傾げるも、一瞬の異常はすぐさま平常値へ戻った。


 ……しばらく様子見して、異常があればメンテナンスに出してもらいましょう。


 彼女のレポートが内部タスクにつけ加えられる。

 軍手をはめ直し、再び証拠隠滅の作業へ戻った。



 *



「届いていない?」

「ああっええっと、そうですね……」


 サミュエルの問いかけに、郵便職員の男性が歯切れ悪く答える。

 手紙と、紐で交差に綴じた茶封筒をカウンターに置いたノキシスが、ひらひら手を振った。


「じゃ、別に構わねーある。手紙にもそう書いたね」

「は、はあ……。その、……申し訳ございません」


 目線を背けた職員が、たっぷりと冷や汗をかきながら頭を下げる。

 彼こそが配達先のマリアからお願いされたその人であり、届けた荷物の中身を知る人物だった。


 ――例え領主様相手であろうとも、あの荷物のことは言えない……!


 カウンターの下で震える手を握り締め、彼はノキシスと相対している。


 ――世の中には、知らなくていいことが山のようにある!


 相手は領主といえど、彼より年下の若造だった。

 我々の心優しい領主様に、あの苦痛を味合わせるわけにはいかない!!

 彼は痛む良心と老婆心を天秤にかけ、迷うことなく後者を選択していた。


「手紙、よろしくある。どっちも急ぎじゃねーある」

「承りました」


 踵を返した領主に、ほっと職員が息をつく。

 怪訝そうなサミュエルが局内を見回し、後ろ髪を引かれながらノキシスを追った。


「……なんか、きな臭くなかったですか?」

「そうあるか?」


 赤い自転車のスタンドを蹴り、ノキシスがハンドルをサミュエルに譲る。

 当然のように後ろに座った領主に、年若い執事は半眼を向けた。


「ノキ、最近楽してません?」

「サドルが高過ぎるある」

「……ちび」


 ぺんぺん! 憤慨したノキシスがサドルを叩く。


 サミュエルにとって丁度いい高さは、背の低いノキシスには苦痛だった。具体的には、足がつかない。

 にやにや嘲る少年から、不貞腐れた主人がそっぽを向く。

 腕を組んでむくれるノキシスが、街中の喧騒を聞いた。おや、とサミュエルも顔を向ける。


「本当だって! ここで見たんだ!」

「いや、だからってそんな、亡霊なんて……」

「すごい速さで横切ったんだ!! あれが亡霊でないなら、他に何だっていうんだよ!?」

「どうしたあるか?」


 頭上を指差し、言い合いをしていた数人の男性等に、自転車から降りたノキシスが話しかける。

 突然の領主の登場に、彼等はこぞって言葉を詰まらせた。よれよれ視線が泳がされる。


「い、いや、あの、領主様……」

「だ、大丈夫です、ノキさん! こいつ等、酔っ払ってたんで!」

「酔っ払ってたのは事実だけど、本当に見たんだって!!」

「だーから、なにを見たあるか? きちっと説明するよろし」

「いえっ、ええっとぉ……」


 腕を組み、半眼を作るうさんくさい領主に、彼等ががくりと項垂れる。

 ひとりの青年が口を開いた。捲くった袖の下は、逞しい腕をしている。


「その、亡霊、です」

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