ワインの雨3

 エプロン姿の女性が連れてきた人物は、10代前半の少女だった。

 しかしこの娘、左手を三角巾で吊り、右目に眼帯をつけている。

 さぞかし大怪我を負ったのだろうと、サミュエルは眉尻を下げた。


「すみません、ご静養中に」

「構いません。ファッションですから」

「ファッション!?」


 ぴしゃりと言ってのけたエプロンの女性に、サミュエルが聞き返す。

 眉間に皺を寄せた包帯まみれの黒ずくめの少女は、鋭い眼光で女性を睨みつけた。


「母上! これはボクに封じられた魔獣を抑えるためだと、再三説明したはずだ!」

「や、やめなさい! 領主様の御前で、何てこと言い出すの……!」

「フン、穢らわしき一族の末裔よ。ボクの聖なる神居に何用だ?」

「やっ、やめてええええええ」


 頭を抱えた母親が、娘を背に隠して悲鳴を上げる。


 異様な人物の登場に、15歳の少年サミュエルはぽかんとしていた。


 ――なんだ、この女の子。風変わりが過ぎるな。

 大体ノキを『穢らわしき一族』って。確かにノキの本家、ほんっとクズだけど!

 でも今、わかりにくいけどノキのこと馬鹿にしたよな!?


 椅子に座るノキシスの後ろに控えていたサミュエルが、むむむっ、不機嫌な顔をする。

 背後の不穏な気配を察し、ノキシスは片手を振った。


「失礼、新世界の姫君よ。因果の不文律が混迷を来たした。至急神託を賜りたい」

「正気ですか、ノキ」


 にこやかな主人の口から飛び出した、難解な暗号文に、サミュエルが引いた顔をする。

 母親の顔から、サアッと色が失われた。

 対して、娘の表情が生き生きと輝き出す。


「フフフ、良いだろう! 貴公をボクの城へ招こう!」

「光栄に存じます」

「や、ちょっと、ノキ!?」


 フリフリのスカートを翻し、少女が上の階へとノキシスを導く。

 恭しく頭を垂れた領主は、にこにこと楽しそうな笑みを浮かべていた。


「あああ、領主様に何てことを……」


 愕然と震える母親を置いて、サミュエルが少女に連れられる主人を追いかける。

 少年を胡乱な目で見遣った少女は、フン、と鼻を鳴らした。


「貴様、それより先は結界に阻まれるぞ」

「きさっ!? いや、結界って!?」

「姫、彼はわたくしの監視にございます」

「監視!? えええっ、姫って!」

「フン、監視なら仕方あるまい。ちっ、入れ」

「舌打ちすんなよ!!」


 苛立ちを堪え、サミュエルが怒鳴る。

 少女も少女で面白くなさそうな目で少年を睨み、ノキシスの腕を引いて3階の部屋へ入った。

 急勾配を描く天井は屋根裏部屋で、黒一色の室内に少年の足は竦んだ。


「その陣は踏むな。練成の最中だ」

「これはこれは、よく練られた文様だ」

「ふふん、当然だろう」


 得意気に笑う少女の足許には、白いチョークで描かれた奇妙な魔方陣がある。


 ――なんだって家の床にこんな落書きをしているんだ!


 サミュエルの頭は痛んだ。

 少女とぽんぽん会話を成立させる自分の主人にも、頭をズキズキさせている。


 ——この少女とワインと、一体なんの関係があるんだ!?


「さて、神託だったな。ボクに何を問う?」

「単刀直入に伺いましょう。外の装置を拝見したく存じます」

「貴公には、アレが見えるのか!」


 ますます頬を紅潮させた少女が、漆黒のカーテンを左右に開く。

 ばっ! めくれ上がった裏地は、ダークレッドをしていた。


 ガタガタと窓を上に引き上げ、少女がノキシスを呼ぶ。

 吹き込む風に髪を遊ばせた領主が、開いた窓から景色を見渡した。次いで、真下を見下ろす。

 そこには黒い木材に紛れるように、黒いレールが走っていた。


「これはこれは、立派な装置だ」

「ふふん! そうだろう!」


 ノキシスの隣で、少女が胸を張る。

 サミュエルはノキシスの後ろから覗き込み、怪訝そうな顔をした。


 鉄柵に吊られたプランターの裏から、斜めに走ったレールが途切れ、『Z』を描くように次のレールが走っている。

 互い違いに隙間をあけて交差するレールは、最後、隣接する眼鏡屋のプランター目がけて、直線を伸ばしていた。


 はて、瞬いたサミュエルがノキシスを見下ろす。

 彼はやんわりと微笑んでおり、部屋の主へ振り返っていた。


「装置の起動はいつでしょうか?」

「闇の終焉、そして光の産声だ!」

「……いつですか」

「夜明けだよ」


 こそこそと問いかける執事へ、小さな声でノキシスが補足を入れる。


 ……なんでわかるんだ。


 サミュエルはぐったりしていた。


「今、見せていただいても?」

「む……。いや、今宵は特別だ。暫し待て。儀式の用意をしよう!」


 言うが早いか、部屋を飛び出した少女が階段を駆け下りる。

 軽い足音が即座に上がってきた。


「これだ! 神の果実を用いた、悪魔の血だ!」

「どっちだよ……」


 じゃじゃーん! 彼女が掲げたのは、赤い色をした氷だった。

 サミュエルの悪態などには耳を貸さず、冷気を放つそれをノキシスの手に渡す。

 まじまじと見詰めた彼は、にこりと笑みを浮かべた。


「なるほど。これを装置の起動地点へ置き、下界を目指すのか」

「そうだ! 見ていろ」


 少女が窓へ駆け寄り、プランター裏のレールに氷を置く。

 体温により溶けた氷がレールを滑り落ち、交差するレールへ転がった。

 しかし氷はそこで動きを止めてしまい、少女は鉄柵を掴んで悔しそうな顔をする。


「ううっ、失敗しちゃったあ……」

「夜露で濡れていないからね。滑りが悪かったのだろう」

「いつもはもっと上手に滑るんだよ! ほんとだから!」


 悔しそうに跳ねる少女が、懸命にノキシスへ訴える。

 穏やかに微笑んだ彼は、彼女の頭を撫でた。


「ところで、あの氷はなにで出来ているのかね?」

「えっとおぉ……」


 途端、目線を逸らせた少女が気まずそうに俯く。

 もじもじとスカートの裾をいじり、彼女が微かな声をしぼり出した。


「あのね、パパがワイン飲んでて、いーなーって思ったから、作ったの」

「ほう、お手製か」

「うん。あのね、ママには内緒にしてね?」


 背伸びをした少女が、身体を傾けたノキシスへ耳打ちする。

 ひそめた声音で、彼女が打ち明けた。


「ブドウジュースと、お酢を混ぜたの」

「ははは、ビネガーか。考えたね」

「でも、すーっごくまずくて、全然飲めないの! 喉がイガイガってして!」


 べっと舌を出した少女が、全身でお手製ワインの不味さを物語る。


「ママにばれたら怒られちゃうから、外に隠してたの!」

「だからってプランターはまずいだろ……。それも他所ん家の……」

「でも、氷だし!」

「溶けるだろ! おかげでノキにかかって……驚いたんだぞ!?」

「え!? ご、ごめんなさい……!!」


 肩を跳ねさせた少女が、慌ててノキシスへ頭を下げる。

 のほほんと笑ったノキシスは、少女と目線の高さを合わせた。


「発案は悪くなかったよ。ただ、天空に隠すのはまずかったね」

「ううっ、ごめんなさぁい……」

「お母さんに言えるかな?」

「……っ」


 こくり、少女の頭が頷いた。






「ノキはいつからわかっていたんです?」


 屋敷に戻ったノキシスへ、サミュエルが書類を手渡す。

 事務用の眼鏡をかけた領主は、マリアの淹れたお茶を手に、書類を見下ろしていた。


「さてね」

「またそれですか」

「彼女は設計ミスをしていたよ。プランターへ落ちれば、水受けが滴るのを防いでくれるからね」

「あ」


 ソーサーへ茶器を戻し、領主がペンを持つ。

 インクビンにつけたペン先が、書面を滑った。


「彼女が氷を落としていたのは、夜明けの暗い時間だ。恐らく、終着点は地面だったのだろう。あの日はたまたま、オリバーの店先のテントに氷が引っ掛かってしまった」

「それで溶けて、ノキにかかったんですか」

「憶測だがね」


 相槌を打っていたサミュエルの手が、不意に止まる。


 彼の手には、一通の手紙が握られていた。

 今にも皺が寄りそうな握力にさらされる紙が、小刻みに震える。

 少年の険しい空気に、ノキシスは顔を上げた。


「サミュ?」

「この手紙、燃やしちゃだめですか」

「誰からだね? ……げっ」


 覗き込んだ封筒の差出人に、ノキシスが嫌そうな顔をする。

 綴られた名前、オーティス・ゲルトシュランク。

 ノキシスが最も苦手としている人物の名前に、彼は落ち込んだように肩を落とした。


「開けておくれ」

「でも!」

「厄介事を防ぐためだ。中を見せておくれ」

「……はい」


 渋々ペーパーナイフで封を切ったサミュエルが、収められた便箋を引っ張り出す。

 むすりと差し出された手紙を、ノキシスは受け取った。

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