城壁の亡霊はチュンと鳴く2
「最近、人が失踪しただとか、そんな話を聞かねーあるか?」
「失踪? いいえ」
ゆったりと横に振られる、ルーゲン神父の首。
彼は領主から差し出された紙を受け取り、並んだ細かな文字に目を細めた。
「……ふむ。城壁内部から聞こえる、甲高い『ちゅん』という鳴き声ですとな」
「鳥じゃないんですか?」
神父の読む紙を横から覗き込み、サミュエルが尋ねる。
首を横に振ったノキシスが、扇子で紙を指した。
「シリウスが、鳥っぽいフンは見つかってねーと」
「ですけど、城壁は部屋数も多くて複雑じゃないですか。見落としとか、高い位置とかにないんですか?」
「あそこは犬猫のパラダイスある。鳥なんて格好の獲物、弄ばれて羽根のひとつふたつくらい落ちてるはずね」
反論を即座に叩き落され、サミュエルが沈黙する。
ううん、唸る彼の隣で、にこにこと神父が微笑んだ。
「おや、また動物が増えたのですか。シリウスもよくやりますな」
「子ども増やしてる神父には、一生言われたくねーと思うある」
「これはこれは。ははっ、賑やかで楽しいですぞ」
にこにこ、別棟で教鞭を執る神父が、穏やかな顔をする。
シスターキャロルもそこの生徒であり、今日の彼は、その建物から全力疾走を強いられた。
サミュエルが紙面を指差す。とん、叩いた少年が、顔を上げた。
「床に泥汚れがあったそうですから、タヌキとかイノシシじゃないんですか?」
「エサはネコカリカリか? 食いものには困らねーあるな」
「抜け毛があれば、獣医のシリウスは気づくと思いますぞ」
おっとり、神父がふたりの会話を割る。
「それに、タヌキは非常に臆病な性格をしておりますぞ。鳴き声も犬や猫に似ており、『ちゅん』とは鳴きませんな」
「イノシシは?」
「イノシシなら、わざわざシリウスは領主様へ相談しなかったでしょうな。獣医のシリウスにもわからないものが現れた。そういうことですな」
「……わたし、その曇りなき眼が苦手ある」
優しく微笑みかけられ、扇子を広げたノキシスが視線をさえぎる。
眉間に皺を寄せたサミュエルが、ふたりの大人を交互に見遣った。
「つまり、『ちゅん』と鳴く化け物があらわれた、と?」
「加えて、領主様は最初に『いなくなった人』がいないか尋ねましたな。もしかすると、食料は人間なのかも知れませんぞ」
「ルーゲン神父、いたずらに子どもを怖がらせんじゃねーある」
「子どもじゃねーし!!」
怪しく笑う神父を凝視していたサミュエルが、ノキシスの呆れ声に食ってかかる。
片手で耳を塞いだノキシスが、閉じた扇子をひらひら振った。
事務用の眼鏡越しの目が、やれやれと細められる。
「人間の増減について尋ねたのは、純粋に迷子がいないか確認しただけね。城壁で迷子になると、捜索隊出さねーといけねーある」
「迷子といえば、こんな話を聞いたことがありますな」
優しげな声音で、影をもって微笑む神父が、ひそりと声をひそめる。
秘密を打ち明けるかのような小声に、騒いでいたサミュエルもぴたりと静止した。
「私も伝え聞いた、とおい昔の話ですぞ。城壁に牢獄があるのはご存知ですかな? 当時はそこに罪人を閉じ込めておりました」
一息区切った神父が、説教で馴染んだ聞き取りやすい音程と速度で、話を続ける。
「牢獄といっても、鉄格子があるわけではありませんぞ。窓も階段も梯子もない部屋の、天井に出入り口だけを設けた、質素な構造ですな。ゆえに、どれだけ飛び跳ねても、届くことはありませんぞ」
サミュエルの喉が、こくりと鳴った。
突然の不穏な話の展開に、彼の内情はガタガタと揺さぶられている。
「そこに、ひとりの男が投獄されましてな。この地はかねてより、横暴な領主によって治められておりましてな。彼もまた、冤罪によって閉じ込められたのですぞ」
「そうある。わたしも横暴な領主よ。もっと怯えるよろし!」
「ははは。冤罪で捕らえられた男は、来る日も来る日も自身の潔白を表明したのですぞ。しかし、彼の捕らえられた部屋の周りには、そもそも誰もいなかったのですぞ」
「ひどい……」
鮮やかに無視されたノキシスと、話の内容に心動かされたサミュエルが、全く同じ言葉を口にする。
神父の話は続けられた。
「そして城壁は臆病な領主の指示により、増改築を繰り返しました。より複雑に、より強固に。
やがて迷路と化した城壁は兵隊までもを惑わせ、いつしか誰も立ち入らなくなったのですぞ。……牢獄の男を忘れたまま、ですな」
「そんな!」
「男は嘆きました。叫びは怨嗟となり、恨みに満ちた彼は……、怨霊となったのですぞ」
そっと身を乗り出した神父が、仄暗く笑う。
怯えたように肩を引かせたサミュエルが、ノキシスのジャケットを握った。
「今でも男の怨霊はさ迷い、自身を閉じ込めた領主を探しているそうですぞ。もちろん、呪い殺すために」
「ノキ、屋敷で待っててください! あんた二度と城壁に近づかないでください!!」
「落ち着くある。作り話よ。今どき呪いなんて流行んねーある」
「怨霊に流行りも廃りもあるかッ! 相手は遠い昔から現役のおじいちゃんなんだぞ!?」
「じいちゃんつえーある」
サミュエルに両肩を掴まれ、がくがく、ノキシスの視界が揺れる。
必死に眼鏡を押さえた領主が、真一文字に唇を閉じた。舌を噛みそうだった。
説教のときと同じように、優しい声音で神父が口を開く。
ゆったりとした声は、耳に馴染みやすい。
「領主様、くれぐれもお気をつけください。あなたは常に命を狙われておりますぞ」
「縁起でもねーある……」
「ほら!! 俺がやるんで、ノキはさっさと執務室で書類片づけてください!!」
「わたし領主よ? 怨霊だか亡霊だかで、仕事放棄できねーある」
掴まれた肩を竦め、領主がため息をつく。
ひらりと片手をあげた彼が、別れの挨拶を口にした。
「邪魔したある。そこで震えてる娘っこを慰めてくるよろし」
「ああ、キャロル。聞いてしまったようですな。……決して城壁に近づいてはなりませんぞ?」
「ふええっ」
薄く開いた扉の向こうで、お盆を持ったまま涙目で立ち竦む少女に、神父が微笑みかける。
何度も縦に振られる首に、彼は満足そうに頷いた。
教会を後にしたノキシスが、屋敷へ引き摺ろうとするサミュエルに抗いながら、城壁へ辿り着く。
執事は渋面だ。このままでは、彼の主人は怨霊に取り殺されかねない。
「ノキ! 大人しく屋敷に帰ってください!」
「うるせーある。じゃあ、マリアと探検するある」
「俺がいるんで、ノキは絶対に俺から離れないでください!!」
唇をとがらせたノキシスの『マリア』発言に、サミュエルの方針がくるんっと変わる。
しっかと主人と手を繋ぎ、据わった目でノキシスを見下ろした。
突然の手のひら返しに、きょとん、背の低い領主が執事を見上げる。
「行きますよ、ノキ」
「ああ……?」
繋がれた手とサミュエルの顔を見比べ、首を傾げた主人が頷いた。
ま、いっか。調査できるし!
彼の脳内はお気楽だった。
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