城壁の亡霊はチュンと鳴く1

 ノキシスが統治している領、ベーレエーデには、古い城壁がある。

 木苺のツタが絡みつくそこは、かつての城主が増改築を繰り返したため、内部が迷路化していた。


 階段を上っているはずなのに、下っている。

 隣の部屋への入り口がない。

 同じ道を延々と回り続ける、などなど。


 かつて牢屋として設計されたのだろう、床にぽっかりと空いた暗い部屋。

 階段のないそこへうっかり落ちてしまえば、自力で上がることは不可能。

 ひとりで探索すると地獄を見るため、命綱は必須だった。


 あまりのダンジョンぶりに、触らぬ神に祟りなし。ノキシスは城壁を放置することを選んだ。


 それでも風変わりな人はいるもので、そんな魔窟を住居に選んだ奇特な人物がいる。






「シリウス、また猫を増やしたのかい?」


 本棚の上にいる三毛猫を見上げ、ノキシスが壁に向かって尋ねる。

 彼は城壁内部の、比較的辿り着きやすい小部屋を書庫にしていた。


 あくびをした猫がまあるく団子を作り、ノキシスの視界から見えなくなる。

 すぴすぴした寝息に、男性のぶっきら棒な声が被さった。


「増えたのは犬だ」

「そうか。今度はどんな子だね?」

「コリー」

「是非ともお目にかかりたいものだね」


 手にした本をめくり、ノキシスが答える。

 もっふもふの毛足の長い犬を想像し、彼の口許はゆるんだ。


 壁の向こうの話し相手、シリウスは獣医である。

 同時に彼は、大変な人間嫌いでもあった。


 領主としてノキシスが様子を見に来るが、直接顔を見た日は遥か彼方。

 こうして壁越しに話を続けている。


 ページをめくるノキシスの足許に、別の猫が擦り寄る。

 はたと目線を下げた彼は、屈んでぶち模様を撫でた。

 するり、短い尻尾がすり抜けていく。


 しばしの沈黙を挟み、壁の向こうが音を立てた。


「……今度、散歩の許可を出そう」

「本当かい?」

「ただし、リードを離すな。絶対に離すな。わかったな?」

「ああ、心得た」


 何度も念を押す低い声に、ノキシスがにこにこする。

 ここにサミュエルがいれば、失礼な言い方に文句を言っただろう。

 ノキシスは気にしていないのか、手許の愛想の良い猫をこねこね撫でていた。ころんっ、猫がお腹を見せて転がる。


「彼等は遭難したりしないのかい?」

「あんたほどどんくさくない。全員飯の時間になったら戻ってくる」

「わたしを貶す必要はあったかね?」


 壁に顔を向け、どんくさいと称された領主が悲しそうな顔をする。

 しかし獣医の返答は、素気なかった。


「……それより、この頃この城壁に、奇妙な生きものが巣食っている」

「奇妙な生きもの?」

「ああ。甲高い声で、『ちゅん』と鳴く」

「なんだね、それは。鳥かね?」

「知るか」


 視界の端で揺れたしま模様に、はたと隣を見遣る。

 彼がこねている猫とは別に、首輪をつけた猫がそこにいた。

 小箱のさがる首輪に意図を察し、ノキシスが箱を取る。


 中には、蛇腹に折られた白い紙が入っていた。


「俺が見つけた痕跡について、記しておいた」

「……わかった。調べてみるよ」

「何とかしてくれ。おちおち寝れやしない」


 一通り目を通し、紙をポケットに入れる。

 立ち上がった瞬間、俊敏に起きた猫が走り去る。再びノキシスは悲しそうな顔をした。






「教会に何しに行くんですか?」

「神父に聞きてーことがあるね」


 教会へやってきたノキシスとサミュエルが、扉を開ける。

 シスター服をまとった少女が、ぱっと振り返った。


「領主さま! サミュくん! いらっしゃい!」

「キャロル、ルーゲン神父はいるあるか?」


 ぴょんと飛び跳ねたシスターキャロルが、満面の笑顔でこくりと頷く。

 即座に身を翻し、軽やかな足取りで奥の扉を押した。


「ちょっと待っててね! 今呼んでくるから!」

「急いでねーある。走らず行くよろし」

「神父さまああああああ」

「聞いてねーある……」


 淑やかさとは程遠い足音を立て、キャロルが走り去る。

 遠くを見詰めるノキシスの前に、ばたたたたたっ、ふたり分の足音が迫った。

 ばたああん!! 扉が開かれる。

 ひざに手をつく白髪混じりの男性が、ぜいぜい呼吸を荒げながら、少女に引き摺られていた。


「連れてきたよー!!」

「神父息切れ起こしてるね。もっと労わるよろし」


 ノキシスが扇子を突きつけ、事実を指摘する。

 片手で制したルーゲン神父が、噎せながら顔を上げた。


「ごほっ、何用ですかな、ぜはっ、領主様」

「サミュ、お茶淹れてくるよろし」

「ここ、他人ん家ですけど」

「キャロルちゃん、淹れてくるよー!」


 ぴょんぴょん手を挙げた少女が、弾んだ足取りで奥の扉に消える。

 嵐のような様子を見送り、ため息をついたノキシスが扇子で自身の肩を叩いた。


「あの娘っこ、いつでも元気有り余ってるある……」

「ははは、羨ましい限りですな」


 よぼよぼと長椅子に腰を下ろし、神父が微笑む。

 取り出されたハンカチが、せっせと汗を拭っていた。


「短時間で済む用ある。走ってもらって悪いあるな」

「いいえ。それで、どういったご用ですかな?」


 ノキシスの問いに、神父が温和な顔をする。

 領主が蛇腹に折られた紙を取り出した。

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