カボチャバラバラ事件5

 システィーナは泣きたい思いでいっぱいだった。

 これではバラ色の人生計画の前に、この田舎町で没年してしまう。


 嫌! そんなのはいやああああっ!!

 クソださい割烹着着せられるし、クソガキちっともなびかないし、まさかの前途多難だし!!

 あたし、これから一体どうなっちゃうの!?


 彼女の前には、険しい顔をした農家の人々が並んでいた。

 日々畑仕事に勤しむその体型は逞しく、小柄な女性であるシスティーナはぶるぶる震えた。


 ——クワとか、こわいのいっぱいあるし……。

 彼女の横目が、農具のはみ出した納屋へ向けられる。


 農家の頭であるホフマンが、低い声を厳しく張り上げた。


「ノキさん、もったいぶらずに話してもらおうか」


 緑のトンネルを眺めていた領主が、霧でくもる眼鏡をハンカチで拭う。

 彼の後ろには執事のサミュエルと、何故か教会のルーゲン神父が控えていた。


「早速だが、ホフマン。きみは城壁の怨霊の話を知っているかね?」

「怨霊ぉ?」


 ゆったりとした声音で問い掛けられ、ホフマンが虚をつかれた顔をする。

 居合わせた人々が互いに顔を見合わせ、困惑に表情をしかめた。


「まさかノキさん、その怨霊とやらがやったとか言うんじゃねぇだろうな!?」

「そのまさかだよ」

「冗談は止してくれや! こちとら実害を被ってんだ!!」


 びりびりと空気を震わせる大声に、システィーナがひええ、身を縮める。

 この領主、なんてこと言い出すの!? 彼女は涙目だった。


「わたしも全く信じていなかったんだがね。出会ってしまった以上、存在を認めなければならない」

「……え? ノキ、もしかしてやっぱり、あのとき遭遇してました?」

「順を追って話そう」


 淡く微笑んだノキシスが、ルーゲン神父を手で示す。

 一礼した神父が、説教で聞き馴染んだ声音で語り始めた。


 ……以前教会で話した、城壁に囚われた男の怨霊の話を。


 朝の静かな空気と交じり合うそれは、妙な不気味さを聞き手に与えた。

 ゆったりとした声音は穏やかなのに、心がざわめく。

 ぶるり、小さく震えたシスティーナが、割烹着に包まれた両腕をさすった。


「わたしもはじめは馬鹿にしていてね。サミュは必死に止めていたんだが、彼とともに城壁へ乗り込んだんだ」

「領主一点狙いだってのに、よくやるな」

「俺、ほんと必死に止めました」


 ホフマンとサミュエルの呆れ声に、ノキシスが、はははと笑う。


「しばらく歩いた頃だろうか、突然足を掴まれてね。強い力だったな。サミュがいなければ、引き摺られていたかもしれない。運良く助かったよ」

「は? ノキ、何でそのときに教えてくれなかったんです? 年寄りだから転んだとかじゃありませんよ。何で隠したんです?」

「わたしも動揺していてね」

「えっ、怪我とかしてません? 呪われてません!?」

「見てみるかね?」


 片足の革靴を脱いだノキシスに、膝をついたサミュエルが靴下をめくる。

 生白い足の甲を覆う、青黒と黄色の混じり合った鬱血のあとに、執事が小さく息をのんだ。同じく覗き込んでいたホフマンが目を瞠る。


「ノキさん、どうしたんだい、これは!?」

「さて。ひどい力で掴まれて、翌日にはこうなっていたよ」

「今すぐ除霊しましょう!! お祓いしましょう!!」

「そう思って、呼んだのが彼女だ」

「あ、あたし!?」


 突然話の矛先を向けられ、ぽかんとしていたシスティーナが慌てふためく。

 ルーゲン神父に肩を叩かれた彼女が、おろおろと周囲を見回した。


「火急の用だと判断しましてな。急遽エクソシストの知り合いから、見習いの彼女を紹介してもらったのですよ」

「見習いで効果ありますか!? 相手は悠久のときを生きるおじいちゃんですよ!?」

「馬鹿にすんなし!! おじいちゃんおばけ相手にあたしが負けるわけないし!!」

「その意気だ、嬢ちゃん!!」


 売り言葉に買い言葉。負けず嫌いのシスティーナが威勢良く虚勢を張る。

 論点が完全にずれた議題が、晴れ出した朝霧の中に響いた。


 ノキシスが霞みの取れた景色を指差す。


「どうも怨霊は城壁から逃げ出したようでね。ほら、ここからかの地まで一本道だろう? 生憎と、わたしの家は先代とは違う場所にある。迷ったのではないかな?」

「あんたもう、城壁に一歩たりとも近づかないでください」

「いや、無意味だろう。こうして足形を残してカボチャを切り刻んだんだ。次はお前の番だと伝えたかったんじゃないかね?」

「怨霊のくせに足があるんですか!? ま、まさか、小柄に見えたのって……」

「さてね。年を取ると、身体は縮むものだよ」


 一晩経って消えた畑の足跡へ、一同の視線が向けられる。

 ——それじゃあ、城壁から逃げ出した怨霊が、領主様を狙っているということか!

 一同の心がひとつになった。


「きっと領主であるわたしが迂闊に近づいたせいだろう。申し訳ないことをした」

「今すぐお祓いするぞ、野郎ども!!」

「きっとまだ近くにいるはずだ!」

「疑って悪かったね、嬢ちゃん! お願いだよ、力を貸しておくれ!!」

「おじいちゃんおばけなんて、あたしの敵じゃないし!」


「お、おう……?」


 血気盛んに拳を突き上げた領民に、領主が瞬きを繰り返す。

 どたどたと動き始めた周囲に取り残され、サミュエルを支えに靴下を履いた彼が、困惑の顔をした。


「……サミュ、ルーゲン神父。……大丈夫だろうか、彼等は」

「ははは、愛されてますな、領主様」

「ノキ、身体は平気です? 他にどこか痛みませんか?」


 心配そうに主人を見上げるサミュエルに、周囲を見回したノキシスが、身を屈めてこそりと囁いた。

 その顔は、何とも苦いものだった。


「これはフレーゲルに踏まれたあとだよ。とんだ嘘をついてしまった」


 唖然と顔を上げたサミュエルが、唇だけで「そんな……」呟く。


 本家へ顔を出した際、フレーゲルから踏んづけられたあとが、こうもえぐい色になっていたとは。

 いや、その痣を利用して、みんなを欺くとは。


 かくして、領主を狙う怨霊の話は町中に広がり、「とんでもないクリーチャーをばらまいてしまった気分だよ」ノキシスはひっそりと呟いた

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