少年の初恋が悲劇を生む2

「お待ちしておりました」


 扉を開けた使用人が、恭しく礼をする。

 横一列に整列した使用人等は、温度のないマネキン人形のようで、サミュエルは表情をぞっとさせた。


「こちらでございます」


 必要な言葉以外口にせず、使用人が割り当てられた部屋まで案内する。

 不意に高らかな女性の声が響き、使用人たちが道の端に下がった。


「あら。誰かと思えば、卑しいグレーゴルの子じゃありませんの」


 豪奢なドレスを身に纏った女性が、ふさふさの扇子越しに鼻を鳴らす。

 さて、この女性、大変逞しい身体つきをしている。

 肉付き豊かなウエストと、コルセットが作るくびれは、最早職人技だった。


「どの面を下げて、この地を踏んだのかしら。いやあねぇ、これだから下賎の輩は図々しい!」

「なんッ、」

「これはこれはフレーゲル様! お会いできて光栄ある~」


 嫌味ったらしい仕草にも動じることなく、ノキシスが揉み手する。

 うさんくさい笑顔は相変わらず、フレーゲルと呼ばれた女性が気分を害したように顔をしかめた。


 今にも怒声を上げそうなサミュエルを、マリアが片手で制する。

 反論のため開かれた少年の口は、あまりに険しいマリアの表情によって閉じられた。


「まあッ、何て厚顔なのかしら! 恥を知りなさい!!」

「怒ったお顔もキューティーね! 美しいお声が、遠くまでよく聞こえるよ~!」

「お黙り!!!!」


 ますます怒りの顔になったフレーゲルが、足音荒くメイドを引き連れ廊下を通り過ぎる。

 すれ違い様、思い切りノキシスへぶつかった彼女が、鼻息荒く革靴を踏みつけた。

 ありったけの体重を乗せられ、痛みと衝撃にノキシスが悲鳴を堪える。


「あたくしが当主となった暁には、あなたの首をさっさと切り落として差し上げますわ!」


 ノキシスへ向けて吐き捨てたフレーゲルが、どすどす足音を響かせながら廊下の先へ消える。

 ぶつけられた肩をさすったノキシスは、噛み殺すようにため息をついた。


「ご案内いたします」

「……ああ、頼む」


 通り過ぎた大嵐なんてなかったかのように、案内役の使用人が歩みを再開させる。

 彼の顔は能面のようにぴくりともせず、様々なことにサミュエルは愕然とした。


 ——あんなの交通事故じゃん!!!


 少年は怒鳴りたい衝動を抑えることに必死だった。






 部屋へ到着してからのマリアは迅速だった。

 ノキシスをソファへ座らせ、サミュエルが運んだ旅行鞄のひとつを開ける。みっちりと敷き詰められたそれは、応急処置セットだった。

 サミュエルが絞ったタオルを、腫れた患部に押し当てる。


「いやあ、フレーゲルはまた一段と成長したようだね」

「内出血を起こしています。今日はもうお休みください」

「ははは、大丈夫だよマリア。ありがとう。サミュエルも助かったよ」


 足の甲を晒すことになったノキシスが、苦笑混じりに肩をさする。


 小柄で肉付きの悪いノキシスと、よく食べよく育ったフレーゲル。体格差は圧倒的だった。

 華奢なヒールで踏まれなかっただけマシなのだろう。

 それでも踏まれた足は青く色を変え、熱を持っている。


 扉と窓が閉じられていることを確認したサミュエルが、がるがる猛る感情のままに口を開いた。


「何なんだよ、あいつ!」

「フレーゲルは本家の人間だよ」

「そうじゃなくって! 何でノキにこんなことするんだよ!?」

「さて。わたしが分家の人間だからじゃないかな?」


 小さく笑ったノキシスが、マリアの手を退かさせる。

 自動人形の彼女はいつもの微笑を消しており、険しい表情をしていた。主人が微笑みかける。


「ありがとう、マリア。もう大丈夫だ」

「ノキ様。治療の途中です」

「これからオーティスのところへ向かう。帰ってきてからお願いできるかな?」

「本日はもうお休みください」

「そうなると、明日のわたしが困ってしまうよ」


 タオルをぎゅっと握ったマリアが、「承知しました」静々頭を垂れる。

 靴下を履き直し、ノキシスが革靴に足先を入れた。

 マリアの手を支えに立ち上がり、サミュエルへ顔を向ける。


「サミュ、ついてきてくれ。マリア、部屋の用意を頼む」

「……わかりました」

「畏まりました」


 ぶっすり、ふてくされた顔でサミュエルは了承した。



 *



 ノキシスはオーティスが苦手だ。

 どのくらい苦手かと問われれば、『見なかったことにして、逃げ出したいくらい』苦手だった。


 案内役の使用人の後ろを歩きながら、深呼吸を繰り返す。

 通された先は重厚な木目の扉で、彼はますます表情をげんなりさせた。

 サミュエルがノキシスへ顔を近づけ、そっと耳打ちする。


「ノキ、何かあれば、大きな声を出してください」

「わたし、女子どもと違うある……」


 しおしおと肩を落としたノキシスが、扉の向こうへ消えた使用人に逃げたい顔をする。

 サミュエルは気が気でなかった。

 できることならこのまま付き添い、そのオーティスとやらをけちょんけちょんにしてやりたい。

 けれども入室を許可されたのは、腹痛を抱えていそうな顔のノキシスのみ。

 ぐぬぬ、少年執事は歯噛みした。


「お待たせいたしました」


 やはり能面のような顔で、使用人が扉を開ける。

 ノキシスの表情が、うさんくさいものへとパッと切り替わった。

 サミュエルから手土産を受け取り、いざオーティスの部屋へ。ノキシスの単騎戦が始まった。


「これはこれはオーティス様! つまらねーものあるが、お土産持ってきたある〜!」

「その喋り方をやめろ」


 開口一番、相手の癪に障った。


 一人掛けのソファに脚を組んで座った男性が、冷淡な目で頬杖をついている。

 濃い灰色の髪は、陰影によって暗くも明るくも見える。

 意思の強い目つきは鋭く、眉間には長年に渡って刻み続けられた渓谷が生まれていた。


 彼こそが本家跡取りの最有力候補と名高い、オーティス・ゲルトシュランク。

 低い声と眼光に晒され、内心苦く笑ったノキシスが、静かに肩を落とした。


「……お気に召さなかったかな?」

「俺の前でふざけた真似をするなと、再三伝えたはずだが」

「失礼。物覚えが悪くてね」

「優等生が何をほざく」


 座れ。高圧的な命令に従い、ノキシスが向かいのソファに腰を下ろす。

 すかさずテーブルに置かれたティーセットに、彼は胸中でため息をついた。

 ――これは、すぐには帰られそうにないね。

 諦めにも似た予測に、彼の肩はますます落ちた。


 部屋の主が使用人を下がらせ、室内はオーティスとノキシスのふたりのみになった。

 人口密度は圧倒的に減ったはずだというのに、重苦しい空気に窒息しそうになる。

 ノキシスの帰りたい指数が跳ね上がった。できることなら、今すぐ「チャオ!」と片手を挙げて舌をぺろっとさせて、ウインクを飛ばして逃げ帰りたい。サミュを連れて今すぐ駆け出したい。

 そんなノキシスの気持ちなど知らず、オーティスの不機嫌そうな声が響いた。


「……俺はふざけた真似はやめろと言ったはずだ」


 腰を浮かせたオーティスが腕を伸ばし、ノキシスの顔から眼鏡を奪い取った。強引だった。

 ぎょっと身を竦めたノキシスが、困惑に眉尻を下げる。


 ノキシスの視力は、壊滅的に悪い。


 眼鏡という文明の利器を失い、彼の視界は鮮明さをなくしたぼけぼけとしたものへと変わった。

 不安そうに、うろうろと視線をさ迷わせる。


「オーティス、眼鏡はやめてくれ。それがないと、テーブルのカップすら見えないんだ……」


 困りきった声だった。

 めきょり、オーティスの手の中で眼鏡がひしゃげる。

 奇妙な音に、ノキシスが不思議そうに瞬いた。

 よもや自分の眼鏡が無残な姿になってしまったなどと知る由もなく、彼はきょとんとオーティスっぽい影を見上げている。


 ――こ、これが上目遣い……!!!!


 先ほどまでの厳格な顔をどこへやら、頬を真っ赤にさせたオーティスが荒ぶる心情のまま悶える。

 彼は9歳の運命のあの日から、ひたすら一途にノキシスへ片思いをしていた。


 あの日、少年オーティスは、『ノキ』と名のつく少女を調べに調べた。

 しかし見つけた名前は、『ノキシス・グレーゴル』という少年ただひとり。

 大人に尋ねるも、皆口を揃えて「ノキシスは男」だと言う。

 理解に苦しんだオーティスは、ノキシスの裏に隠された真実を悟った。


 ――きっと彼女は、男のふりをしているに違いない!

 ノキシスはひとりっこだから、グレーゴル家には、ノキシス以外に跡継ぎがいない。

 あんなにも愛らしく繊細な彼女は、無理矢理性別を隠され、男として育てられてきたんだ!


 少年オーティスは真実に愕然とし、その胸に秘めたる思いを宿した。

 ――いつか彼女ノキシスを、無情な運命から救い出す! 絶対にお嫁さんにして、幸せにするんだ!!


 現実のノキシスは紛うことない男であり、オーティスのそれは誤解である。

 しかし、拗らせた恋心は留まることを知らず、素直になれない彼はノキシスへちょっかいをかけ続けた。


 ノキシスを遊びに誘おうとして、けれども照れが勝って髪を強く引っ張った。

 興味を引きたくて、わざとノキシスの使っているものを取り上げた。

 メイドの背に隠れる様子に苛立ち、ノキシスの摘んだ花を奪って踏みつけた。

 年の差は体格にも現れ、ちょっと力を込めて突き飛ばせば、ノキシスは簡単に転んだ。

 自分が偉いことを示したくて、偉そうな態度で接した。


 ノキシスを前にすると、どうしても素直になれない。

 こうして遠路遥々呼び出すも、照れを隠そうとついぶっきら棒に接してしまう。


 ……これでは駄目だ。

 わかっているというのに、思う通りに行動することができない。

 オーティスは長年悩み続けていた。


 ――妹のフレーゲルがノキシスのことをいじめるのも、妹の本能的な敵意が原因だろう。

 何せノキシスは、こんなにもかわいい!!

 何と憐れな妖精! 家の決まりのせいで男あつかいされ、これまで本心を押さえ込んできたのか!

 だが、俺だけはお前の真の姿を知っている!

 俺の前だけでは、お前本来の姿を見せてくれ!


 ……オーティスの片思いは、イノシシのように猛進していた。そして恋は盲目だった。

 ノキシスの外見は整っているが、特別女顔というわけでもない。

 当然骨格も身体つきも成人男性のそれであり、胸のふくらみだってない。

 ただ平均より背が低く、痩せ型なだけだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る